Neetel Inside 文芸新都
表紙

脳髄モダニズム
「日々」

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 御存知の通り、私は京都市左京区の中心でふてぶてしく時計台を構え、天狗のように反り上がった鼻を通行人にぶつけては文化人を気取る勘違い集団の一員としてその禍々しき門をくぐったわけであるが、当マゼラン銀河大学の大学院に進学し、宇宙皇帝を目指すはずの人間が、そのまま急流すべりのような人生の大降下を遂げた、純粋無垢な君たちにとって最高に飯が旨くなる秘話がある。
 バイトもやめて学校もやめて、これからの生活を送っていく術と資本主義社会に媚びる生命体としての術を同時に見失ったとき、私は自転車を購入した。当時何を思っていたのかは定かではないが、無性に自転車でこの街を探索したくなった。
 突如として手中に収まった広大すぎる無限の自由が私を奮い立たせたということにしておけば響きもいいし、体裁も保つことができるのでそういう設定で今回は無理やり話を進めさせていただくが、何も持たぬ毅然とした恐怖が秩序に生きる穏健的な不安を凌駕した感覚は今でもはっきりと覚えている。
 時として逸脱は何ものにも代えがたい快楽へと変換される。
 この大発見を見出した時にはすでに手遅れ。私は晴れてニートだった。

 ○

 府立図書館に行っては流れ着く場所を探してキコキコ、タイヤの小さな自転車を漕いだ。
 農学部の校舎から少し北へ行ったところにある閑散とした公園で昼間から緑色のタイツを履いた公然猥褻カットの威圧的な美少女が陽光に照らされて野菜ジュースを飲む姿は当然絵になるわけで、まだ就学前の男子がサッカーボールを蹴りながら公園に入ってきたと思ったら、私を見た瞬間に血相を変えて踵を返すほど、私はマブかった。
 何もしない日々は実に素晴らしいものであったが、何一つ面白くはなかった。
 外界からの刺激は紫外線くらいなもので、食うものはひたすら米かカップ焼きそばかもやし炒め定食だった。
 出町柳商店街にある味深きスーパーでは常にカップ焼きそばがたたき売りされており、店長が恐らく発注を一桁二桁間違ってしまったであろう観が濃厚に臭っていた。
「おひとり様2つまで」とあったが、私は一度店を出て鴨川デルタでごろ寝した後、またカップ焼きそばを買いに行った。店員は見て見ぬふりをしていたのか、私を憐れんでの慈悲であったのか、私が発動させていた特殊能力のおかげで幻覚を見ていたのかは定かではないが、カップ焼きそばが無限に安価で買えた。
 この技を発見したとき、私は魂の震えを感じていた。カップ焼きそば無限増殖の裏技である。ファミコンの1コンを握りしめる少年なら狂喜乱舞で雄たけびを上げるレベル。
 私は極めて慎重であったが、数日後は澄ました顔をして3つ買ってみた。
 すると、どうだろう。
 レジを通ったのだ。
 私は絶対的な勝利を確信した。
 実家から無条件に送られてくる米と、無限増殖が可能なカップ焼きそばと、ある知り合いの研究員が秘密裏に栽培しているマジックもやしさえあれば、食に関する半永久的機関が完成してしまうのだ。
 大発見である。大学で学ぶものなど不可解な数式と宇宙的創作理論と泥臭い専門用語っぽいものばかりであったが、学校を辞めてからというもの、次々と新鮮な知識と技術が入ってくるではないか。
 書を捨てよ街へ出ようは寺山修司の言葉であるが、まさにその通り。
 私はやはりエリートなのだ。エリートな、ニートだったのだ。

 ○

 そしてすぐに体調を崩した。
 夜になって、大阪に就職をした友人がわざわざ訪ねて来た。「大阪に就職」をしたからには、将来が約束されているのも同然であり、とても皮肉的な組み合わせが久しぶりに左京区で対峙した。
 大層なカバンを提げて、大きな手帳を丸テーブルにドンと置いた。
「なんで学校やめたの」と言うので、「合わなかった」と返した。
 また髪の色が変わっている。アイドルの卵みたいにすべすべした肌で、とても腹が立った。
「まあ、お酒飲んで。好きでしょう」と病人に酒をすすめる鬼畜人は、イズミヤの袋だけを置いてそそくさと大都会へ消えていった。
 なんとなく、もうこの人は私に会ってくれないような気がした。私に不幸があると大喜びして精神衛生を保つような意地悪な女であったが、なんとなく、本当にダメになった私に愛想を尽かしたんだと思った。
 袋を開けると薬用養命酒が入っていた。
 とても、苦かった記憶がある。

 ○

 翌日、アルバイトを探して自転車で街を彷徨ったが、途中で雨が降って職探しはあえなく中断となった。
 四条河原町から北上する途中であったので、京都御所に自転車を停めて寂しい休憩所で雨宿りをした。
 朝から何も食べておらず、まだ全快ではない喉を季節外れのマフラーで慈しみながら、ひたすらにぽかんとした。
 どこまでも重苦しい雨雲が空を覆っている。
 今更ながら、なんで、学校を辞めたんだろうと思った。
 もともと依存的な性質がある人間は、結局何かに依存していなければ生きていけない。その脆さを初めて痛いと感じた。
 何か自分を、どこかに存在させないと、このまま自分が消えてしまうんじゃないかと思った。
 その時、脳裏に白衣を纏った女が過る。
 ずぶ濡れで、曇る百万遍交差点に立ち尽くす彼女は、点滅する赤信号と、赤い傘をじっと見つめて、酷く物憂げな表情をしていた。
 恐ろしく依存的で、不器用で、生きることが下手くそな女をその一瞬に見た時、心地よいリズムが繋ぎ合わさった。
 いつかの深夜に落書きした「うんこ的」なものに、彼女は自然と存在することができた。
 語り手は男だったが、女になった。
 そうして完成したのが、電子怪獣メカニコングvs原始怪獣ゴロザウルス-怒りのメガトンパンチ-である。
 今すぐ祇園会館へ行け。

       

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