Neetel Inside 文芸新都
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脳髄モダニズム
「恋はパーマロイ」

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 人が最も読みたくない文章ランキング第一位は何かご存じだろうか。それは毎年のように首位を独占し、誰もが忌み嫌いながらも「付き合い」という腹の足しにもならぬ悪しき文化の名のもと、溢れんばかりの情熱で無理強いされる。
 それが、日記である。
 普通、日記というものは他人の眼を忍んで綴られる静かな記憶として在るべきであり、純然たる事実から奔放な夢想まで限りなく個人的な御都合主義的文章で生きている証を刻むのである。
 ではどうだろう。君は他人の記憶に他人が介入する必要性を感じるか。他人の行いにわざわざ目を通し、思いを馳せてから感想を述べねばならない無益さよ。
「お前が何をしようと、私には全くもって関係がない」
 これが真理である。宇宙の大原則に基づいた絶対的真実である。
 特に他人のペットの話、友人の話、恋人の話――ましてや彼氏と何を食っただの、どこへ行っただの、そんなものは岡崎動物園の山羊にでも食わせてやればいい。
 愚行に愚行で泥を塗り合う必要はないのだ。そうだろう、そうでしょう。
 頭の回転が大変早い君たちの事であるから、私が何を言いたいのかはもうお察しだろう。
 そこで、だ。今回は私の日常の中で最もどうでもいい話を厳選して君たちにお届けしたい。
 どうかモニター前で正座のまま、黯然銷魂の思いで受け止めてほしい。これを乗り越えられた時、君は真の強さを手にし、社会復帰が可能になり、身長が伸び、好き嫌いがなくなり、虫歯が治り、年金ももらえる。
 あとは野となれ山となれ。君がどうなろうと、私には全くもって関係がないのだから。

 ○

 私は学生時代、よく牛丼を食した。京都の学生は常々、右手に珈琲、左手に牛丼を持って勉学に励んでいると言い伝えられている通り、私もまた牛丼をこよなく愛した。「早い、安い、うまいの牛丼は素晴らしいのだ。ごーごーまっする!」と西部講堂で演説を続ける牛丼教に入信してからは、ほぼ毎食だった。研究室には持ち帰り用牛丼の空箱が散乱し、誰が持ち寄ったのか、巨大なビニールに入った紅ショウガが据え置かれ「ご自由にお使いください」と張り紙がしてあった。
 牛丼を初めて見た時、それは驚いたものだ。有閑階級の家庭で生まれ育ち、小中高と優美な生活を送ってきた超越箱入りの私は牛丼という庶民の食物など口にする機会もなく、飯の上に肉が乗っているだけの無骨なものだと思っていた。
 毎晩のように夜会が開かれ、巨大なシャンデリアの下で食事をする。おやつのビスコでさえナイフとフォークで頂いていた私だ。乳酸菌まみれのビスコ坊やも口ひげを生やしてほくそ笑んでいた。
 嘘だと思うだろう。嘘だよ、安心しなさい。
 話を戻そう。
 深夜に腹が減ると、私は幽鬼のようにふらりと出かける。己の呼吸を数えながらひっそりとした疎水沿いを歩き、闇に没した白川通りの灯りを求める。
 煌々と明かりの灯る店内に客は一人もおらず、店員もいない。がらりとした椅子と机が雑然と置かれている。
 入店すると、微塵もやる気を見せない若い店員が奥から顔を出しており、不躾に茶を出した後「ご注文をどうぞ」と伝票を持つ。
 そして私は言う。
「牛丼だ」と。
 注文後、わずか数分で目の前に牛丼が出てくるわけだが、その一瞬のひとときがたまらなく感じる。
 時折、往来する車や人はこんな時間まで何をして、これからどこへ向かうのか。
 灯りの消えた家々はまるで別世界のもののように見え、京都造形芸術大学の大階段は夜に染まり怪しく空へ伸びている。いつもの夜空も確かに昨日とは違う夜空であって、いかにもセンチメンタルな顔をして私は私を演出した。
「後悔しているのかい?」店員が牛丼を差し出し言った。
「ああ、後悔しているね。肉を食えば食うだけ、腹の肉が蓄えられている。肌も荒れ、毎朝顔面が焼き立てアンパンのようにふっくらさ。だけど、食べずにはいられない」私はそう言って箸を割る。
「若いからだよ」
「もうそんな歳じゃない」
 落胆交じりに言うと、店員は苦く笑いながら伝票を置いた。
「僕はね、深夜の牛丼を是としているわけじゃないけれど、否だとも思っていない」
「何故?」
「こうして君と会えるからさ」
 ハッとして、私は箸を止めた。
 店員の真摯な眼差しに、私は彼の赤心を知る。
 何か言い返そうと思ったが、言葉が出てこなかった。私はとっさに七味唐辛子を手に取り、牛丼の上で盛大にシェイクした。すると上蓋が外れ、中身が肉の海に落ちていった。
 始まりもまた、七味唐辛子のように落ちていくのもいい。

 後藤ニコ自叙伝「恋はパーマロイ」より抜粋

       

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