第6話『青い春』

「珍しいわねえ。こっちにくるなんて」
 ある日の保健室にて、和樹と要は向い合って、いつものように煙草を吸っていた。こうしている事自体珍しくはないのだが、時間が昼休み。和樹はいつも昼休みには屋上にいた。
 なにやら嬉しそうに笑うな、と思いながら和樹は煙草を灰皿に灰を落とす。
「俺だって、昼休みは屋上で過ごす気だったさ……」
 廊下からは生徒達の喧騒。そのまま廊下にいるより遥かにマシではあるが、やはりその騒音の様に無意味な声は和樹の神経を確実に削りとって行く。
「……屋上が占拠されて、ここに来るしかなかったんだ」


  ■


 屋上で煙草を吸う。
 この行為は、和樹にとっては気力を充填するという役割がある。一人っきりで、生徒達の声を遠くに感じながらというのが大事だ。彼は生徒などどうでもいいが、生徒達の声にはほとほと呆れる。しかし、今の和樹の真横には、この屋上にいるはずのない生徒が二人、仲良く弁当を食べていた。
「おっ。その玉子焼き美味しそ~。巴ちゃんが作ったの?」
「いや。お母さんですよ。すごく料理上手なんです」
「へえ。どれ、いただき」
「あーっ! 私の玉子焼きー!」
 その声の主二人は、星谷巴と真中華奈子。つい最近友人になった二人だった。
 和樹が煙草を吸う横で、楽しくガールズトークを繰り広げている。いつもは一人の屋上で、そんな雑音が混じっては煙草の味がわからなくなる。
「ごめんごめん。代わりに好きなのあげる」
 涙目になっていた巴をなだめようとしてか、華奈子は自身の弁当箱を巴に差し出す。唐揚げやシューマイなど、肉食系な献立から、巴は「じゃあ」と遠慮がちに唐揚げを一つ。
「おお、この唐揚げ、美味しいですね」
「ひひ。冷凍食品だけどねー」
「……おい」
 そんな二人の甘ったるい空気に耐えきれなくなった和樹は、ついに声をあげる。
 一体何の用だ、と二人は和樹を見る。彼からの用事が一切思いつかない様で、その表情からは疑問しか感じられない。
「なんですか?」と首を傾げる巴。
「ってか先生。お昼食べないの?」と、巴の言葉に上乗せするようなタイミングの華奈子。
「俺は昼は食わない主義だ」
 正確に言えば、昼は食わない主義なのではなく、『人前で食事をしない主義』なのだ。もっと言えば、そもそもあまり腹の減る体質ではないので、朝も昼もあまり食べない。しかしそれを言ったところで、納得されるとも思えなかった和樹は、「そんなことはどうでもいい」とその話を半ば無理やり打ち切った。
「それよりもお前ら、なんでここに来ている。教室で食え」
 和樹は精一杯、睨みを効かせてみるが、彼女たちがそれにたじろいだり怯えたりしている様子はない。女子高生とは、この世で一番怒気に疎い生き物だ。彼女たちの精神状態は、まるで無風の湖みたいに揺らぎ難い。
「いやだって、ここは思い出の場所ですからね」
 目を細め、屋上の隅から隅を見渡す巴。その表情は、まるで卒業アルバムでも見ているかのようだ。
「そうそう。巴ちゃんと友達になれたのは、ここと先生のおかげじゃん」照れくさそうに、ほんのり顔を赤くする華奈子。「それに、一人で寂しいと思ってさ」
 和樹は、半分まで吸った煙草を携帯灰皿に落とし、ポケットに仕舞って
「余計なお世話だ」
 そう言って、和樹は早足で屋上から出ていった。ばたん、という乾いた音が屋上に浸透していく。
「怒らせちゃいましたかね?」
 心配そうに、華奈子の顔を見る巴に、華奈子は唇を尖らせ、苦笑する。
「あの人はいつも怒ってるみたいなもんなんだって」
 華奈子は、巴の弁当箱から玉子焼きを奪った。
「いただき」
「あぁぁぁぁっ!? ちょ、華奈子ちゃん!」
 奪い返そうとしたが、時すでに遅く。玉子焼きは華奈子の口の中へ。


 そうして、保健室へと逃げてきた和樹は、ボサボサな前髪を掻き上げ、舌打ち。
「ったく。二人揃えば屋上から出ていくと思ったんだがな」
「理由はどうあれ、あんたって意外と教師やってるわよね」まるで友達の初告白を目撃したような笑みを見せてくる要。「……お人好し?」
「チッ。好きでやってるんじゃない」
「あ、っそ。――ねえ。前から訊きたかったんだけどさ。あんたって、なんで教師なんかになったの? 確実に向いてないわ」
 素早いため息みたいに、鼻で笑った和樹は、立ち上がって、要に背を向けた。
「邪魔したな」
 そう言って、今度は保健室からも逃げ出した。
 教師になった理由――和樹は十年近く前の事を思い出していた。これはあまり、他人に話していい事とも思えず、しかしちっぽけで、また、気分の良い物とも思えない。
 和樹の足は、自然屋上に向かっていた。昼休みのチャイムはすでに鳴っていた。おそらく、あの二人もすでにいないだろう。自分に授業がないことを、頭の中でスケジュール帳を開いて確認し、階段を登った。
 登っていく内に、段々と静かになっていく。まるで天国への階段。そこまでいい場所に向かっている、というわけではないが、静かになっていく様はそれを彷彿とさせた。しかし、どうやら天国には先客が居たらしかった。灰色のドアの向こうから、人の気配。まだアイツらが残っているのだろうか、そう考えた和樹はドアを開け、中に居る人間を覗いてみる。
 中に居たのは、二人の男子生徒。一人は、黒髪を眉毛に掛かる程度に伸ばした、針金みたいに痩せた男子生徒。シルバーアクセサリーをジャラジャラとつけ、なにか間違ったオシャレをしているような少年だ。もう一人は、金髪をモヒカンにした、達磨みたいに太った少年。丸々と太っていて、笑顔も様になっている辺りから、気のいいヤツ、という雰囲気が漂ってくる。
 昼休みはとうに終わっている。さらに、針金は明らかに煙草を咥えいていた。
 和樹は扉を開ける。ぎぃ、という軋む音。その音で二人は和樹に気づいて、驚きに腰を引かせる。
「いっ……! オートマじゃん」
 針金は急いで、咥えていた煙草を携帯灰皿に落とす。
「や、ほら、よくあるじゃん? 多感な時期によくある現実逃避、っての? オートマだってやったろ?」
 訊いてもいないのに言い訳を話し始める二郎に、和樹は「悪いが、俺が煙草を吸い始めたのは大学生の時だ」と吐き捨てる。
「諦めろ二郎。お前は退学だ」
 達磨が針金の肩を叩いた。その顔はザマーミロ、と言わんばかりの笑顔だ。
「ってめ! センセーっ! 太山くんも煙草持ってまーす!」
「うわっ! 最悪だこいつ! 俺まで巻き込むんじゃねえっ!」
 そんな見にくい争いを見て、和樹の顔は、呆れていると雄弁に語っていた。今日何度目かわからないため息もセットにして。
「俺は誰かに言うつもりはない」
 その意味がよくわからなかったのか、彼らの表情は固まる。そして、先ほどの和樹とは違う、安堵の溜息。
「なんだよ、早く言えよ! 無駄に友情が砕け散るところだったぜ」
「俺のお前に対する信頼は砕け散ったけどな」
「んだよーマルぅ。でかい腹してるくせに器ちいせえなあ」
 そう言って針金は、達磨の腹を叩いた。太鼓みたいに張ったその腹は、叩き甲斐がありそうだ、と和樹は不覚にも思った。
「なんともで言え。オートマじゃなきゃマジ退学だったっての」
「――で、お前ら。クラスと名前は?」
 針金が自身の胸を親指で指した。なぜか自信に満ちている。
「俺は二年A組の御厨二郎(みくりやじろう)!」
 達磨は軽く頭を下げる。どうやら二郎よりは礼儀を知っているらしかった。
「んで、俺が二年D組の太山丸男(ふとやままるお)」
「あだ名はマルな」
「……Aクラス、ってことは、二郎は選抜か」
 この学園には、進学希望で成績優秀な者は、Sクラスという特進クラスに入れられる。成績優秀者で進路が決定していないモノは、Aクラスという選抜クラスに入れられる。つまり、二郎は成績が優秀ということになる。光源学園が有名大学への進学率を増やそうとして行った苦肉の策と、和樹は考えている。
「選抜が授業サボっていいのか」
「あー、いいのいいの。後でノート見せてもらうし? ――あ、なあ。オートマ」
「なんだ」
 先程までヘラヘラしていた二郎は、突然真剣な顔になったかと思うと、「あんたって、恋愛経験ある?」と言い出した。マルは、「オートマにはないだろー」と苦笑していた。
「なんだいきなり」
 怪訝そうな顔をしている和樹に、マルは「こいつ今恋してて。アドバイス欲しいんでしょ」と補足。
「なるほどね。――まあ、ないこともない」
「マジかよ!」笑い出した二郎。「オートマも人の子だねえ。興味ないみたいな顔で。このムッツリ!」
「なに、どんな人!? 巨乳か!?」
 マルは巨乳好きだ、というどうでもいい情報を手に入れた和樹。
「俺の事はいいだろ。それより、二郎の話じゃなかったのか?」
「あ、そうだったな。――いやあ、俺の恋した人はすげえんだ。頭もいいし、美人だしさあ」
 うっとりと、甘い思い出を語るみたいに目を細める二郎。その感情がわからない和樹は、話を聞いているフリとして、軽く頷くしかなかった。
「あの儚い感じがいいんだよ。守ってあげたくなるっていうかさあ」
 ああ! と叫んだかと思えば、いきなり自分の肩を抱いた。
「おい、丸男。こいつ気持ち悪いぞ」
「あー。二郎はあんま人目を気にしないタチなんで」
「でも実際は強いしデキる人なんだよなー。生徒会長もやってるしさー」
 生徒会長といえば、この学校には、もちろん一人しかいない。和樹はその人物と喋ったことがあった。互いにあまり、好意的な感情を抱いているとは言えない。その人物とは。
「生徒会長って、お前。まさか、結城塔子か!?」
 和樹は生涯で一、二を争う様な大声を出した。どうやら、和樹がそんなに大きな声を出すとは思わなかったらしく、二人は目を丸くした。
「お、おう。……つか、あんた大きい声出るんだな」
 和樹は今日一番のため息を吐いた。ヤンキーが優等生に惚れた、という陳腐な筋書きに呆れたからだ。
「塔子はやめておけ。お前には合わない」
「大丈夫だって! 塔子先輩が真面目になれというなら、俺は真面目になる!」
 そう言うと、二郎は自身の髪を手ぐしで七三分けにし、黒い縁のメガネをかけた。そんなものがある辺り、その言葉は本気のものなのだろうが、しかしその真面目像は塔子が見たら激怒しそうだ、と和樹は思った。面倒になるから言わなかった。
「真面目のイメージが七三とメガネって、真面目じゃねえよなあ……」
 呟くマル。頷く和樹。
「まあ、その話はいいんだ。それよりもオートマに頼みがあんだよ」
「頼みだと」
 二郎は、ズボンの腰ポケットから、一枚の便箋を取り出した。真っ白なそれは少しシワが走っており、それなりの時間渡すかどうか迷っていたらしいことが感じられる。
「この熱い想いがこもった俺のラブレター。結城先輩に渡してくれないか?」

 今度は、和樹の頭が真っ白になる番だった。
sage