Neetel Inside ニートノベル
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涼宮ハルヒ的な憂鬱
第五話:憂愁の美

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 屋上へと続く鉄扉がある踊り場から、少し階段をおりたところ。そこで俺と鈴村はふたりで待ち伏せをしていると、鈴村の予想どおりに天原が急いだ様子で階段を駆け上がってきた。
 もちろん、あいつの目的地は屋上だ。
 一番上の踊り場まで辿りついた天原はまず窓の外を確認すると、なおも慌てた手つきで鍵を開け、あのボロボロ椅子を踏み台に窓を飛び越え屋上へ出た。
 屋上の奥の方へと行く足音を確認してから、俺たちも階段をあがる。
 ちなみに俺たちが屋上を出てから、再び窓を閉めて鍵をかけたのは、天原が鈴村を閉じ込めたときと同じ状況にしておくためだ。だからあんなに天原は慌てている。俺が窓を開けて、鈴村はいま俺の後ろにいることも知らずに。
 俺がゆっくりと階段をあがっていると、鈴村は足早に俺を追い抜いていった。そして先に踊り場に辿り着き、靴下だけの足で窓の下の椅子に乗って、天原が出て行った外を覗く。足の先を精一杯伸ばしているけれど、それでも窓の下枠からは頭しか出ないらしい。ゲージに前足をかけて顔を出す小型犬みたいだな、本当に。
「天原くん、私ならここよ」
 その体勢のまま、屋上にいる天原に聞こえるような大きな声で、鈴村が声をかける。
 それを見てやっぱり俺はもう少し隠れておくことにした。もしかして天原と一対一で話があるのかもしれない。俺が姿を見せても面倒くさくなるだけかもしれないしな。
「鈴村! よかった、あんなところに上履きがあったからびっくりしたし」
 鈴村の声を聞いてか、いつのまにか人心地がついた様子の天原が窓のところまで戻ってきていて、俺の位置からでも上半身だけが少し見えた。
 ちなみに、さっき俺は鈴村の上履きを屋上のフェンスの外側に置いてきた。それが鈴村の“手伝え”の内容のひとつだったのだ。もちろんその作業はかなり怖かった。なんたって、少し間違えれば15メートル下の地面に真っ逆さまなのだからな。
 天原が窓から外を確認したとき、屋上にすでに鈴村の姿はなかったが、天原は俺が置いた上履きを見て慌てて屋上にはいったのだろう。そりゃ、あんなのを見たら誰だって慌てる。遺書さえないが、飛び降りたのではないかと思ってしまうだろう。
 ちなみにこれは全部鈴村が指示したことだ。天原を屋上に入れさせるための餌。まったく、よく思いつくよな、こんなこと。
「窓、誰かに開けてもらったのか」
「ええ」
「誰にだ? あとあの靴はお前のじゃ――がっ」
 そこでいきなり天原の言葉が強制的に途切れる。鈴村がなにかを天原の顔面に向かって思いっきりぶつけたからだ。どうやら俺にさっき屋上でぶつけたものと同じ文庫本。
 銀河鉄道の夜。
 あの至近距離で当てられたらただでさえ痛いだろうに、わざわざ当てる箇所まで同じ、顔面。その痛みのせいか、天原は窓の枠にかけていた手を離してしまい、屋上の外側に力なく落ちてしまう。
「いってーな、なにすんだよ」
「まずは謝れよ、このナルシスト野郎」
「は?」
 その瞬間、ガタンと鈴村が勢いよく窓を閉めた。そして、天原の目の前で鍵まで閉めた。
 しばらくはその様子を天原は呆然とした様子で眺めていたが、ようやく事態の深刻さに気づいたのか、慌てて窓を叩きはじめる。見事なまでの仕返しだ。
 そこまで確認して、俺も再びゆっくりと階段を登る。
「おい、開けろ! ちゃんと謝るからさ」
「誰が開けるか。一生そこにいろっ」
「なんだよ、急にキャラ変わりやがって。怒ってるのか? なら、この通りだ、俺が悪かった」
 天原が手を合わせて謝罪をする。なんだかカップルが喧嘩でもしてるような光景だったけれど、もうこいつらは別れてるんだよな。それとも復縁を彼氏が迫ってる光景か。それにしては屋上に閉め出すなんて、物騒な元カノ様だ。
「謝るなら土下座でしょうが。額をつけなさい、そのきったなーい床に」
 そのきったなーい床にさっきまで寝転がっていたのは誰だよ、とはとても突っ込めるような雰囲気でもない。
 しかし、天原も本当に反省しているのか、鈴村の言うとおりに身を低くして、その身体が窓の枠から出て見えなくなる。
「わかった……これでいいか」少し遠くなった声。
「ここからじゃ見えない!」
「「なんだよ、それ」」
 鈴村のあんまりの言葉に、思わず天原と声を合わせて突っ込んでしまう。まさかこんなところで息があってしまうとは。
 たしかに外からじゃ見えないけどさ、外では天原もちゃんと土下座してるだろうに。
「なんでシバノンまで突っ込んでくるのよ」
「いや、つい……というかいつまでもそんな小学生みたいな罵りしてないでさ」
「小学生じゃない!」
「わかってるって!」
 ただ、その華奢な容姿で小学生みたいなことを言っていると本当に小学生にしか見えないぞ。
「ほら、やることはやったんだから、さっさと戻るぞ」
 鈴村はまだ天原に言いたいことがあるのか、納得できてない様子だったが、俺が肩を軽く押すと諦念したのか、ゆっくりと階段をおりはじめる。
「おい、芝野か。そこにいるのか? ここ開けてくれ!」
 その声に振り返ると窓越しに天原と目が合ってしまって、少し困惑する。反対方向で鈴村が立ち止まってこちらを睨んでいるのがわかる。大丈夫、心配しなくても開けやしないって。
「頼む、芝野。開けてくれ!」
「うん、それ無理」
 若干引きつった笑顔でも俺は爽やかに言ったつもりだったが、そのあと教室に戻る途中で鈴村に「なに、さいごの気持ち悪い」と言われてしまった。いいんだよ、お前は知らないだけなんだから。
「というか、天原が先にちゃんと謝ってきたら、許してやるつもりだったのか?」
「そんなわけないじゃない」
「あっそ」
 結局は天原は屋上に幽閉される運命だったわけだ。残念。いまの鈴村は誰にも止められそうにもないからな。
 天原もケータイを持っているだろうから、そのうち誰か友達でも呼んで開けてもらえるだろう。いちおうHRまでに帰って来なかったら様子を見に行ってやろうか。
 天原がこの仕返しの仕返しをしてくる可能性も考えたが、元々は向こうからやってきたのだからあまり表立ったことはされないだろう。
 それにしたって、こいつに付き合うと本当にろくな事がない、と前を歩くちいさな黒い頭を見ながら思う。きっとそれはこれから先も、変わりないんだろうな。
 そのことを考えながら少し早足で教室に戻ってきて、教室にはいろうとしたが、前を歩いていた鈴村が教室の入り口で急停止してしまって、思わずぶつかってしまう。
「ん? どうした」
「いや……あの……」
 さっきまであんなに溌溂としていたのに、急に萎縮してしまった様子の鈴村を不思議に思いながらも、誰もいないと思っていた教室内を覗くと、まだひとりだけ席に座ったままのやつがいた。
 次は移動教室だってのに、こいつら絶対に遅刻だな。
「ほら、なにしてんだ。行け」
「いや、でも……」
「お前を待ってるんだろうが」
「うん……」
 新谷と鈴村が寄り添う横を通りすぎ、教科書だけを手に持って足早に教室を出る。
 新谷の俺を呼び止めるような声が聞こえたような気がしたが、それも一瞬で、すぐにチャイムの音に掻き消された。そしてチャイムの音とともに、俺は逃げるように廊下を走った。
 だけど、後ろめたい気持ちなんて、何もなかった。
 むしろなんだか生まれてはじめていいことをしたような、会心と達成感で満たされる。
 きっとこれから少しずつ元に戻っていく。なにもかも。憂鬱は吹き飛んだのだから。

       

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