Neetel Inside ニートノベル
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 ○

「帰る方向同じでしょ。乗せていってよ、後ろ」
 その日の放課後。
 校門の右を少し奥に行ったところにある自転車置き場から、愛車のママチャリ号を出そうとしているところに、いきなり後ろに立った鈴村にそんなことを言われて、思わず振り返って驚いてしまう。
 たしかに鈴村とは方向も同じで、家もさほど離れていないということは知っていたが、どうしていきなり……。
「ほら、早く」
 鈴村は俺の承諾も許可もなしに、いつのまにか勝手に自転車の荷台に飛び乗っていた。どうせ最初から拒否権なんてないんだろ。今日はこんなことばっかりだ。本当に心身ともに疲れる一日だ。
「あのな、途中の分かれ道までは押見たちと歩いて帰るから、自転車は漕がないぞ」
「じゃあ、このまま手で押していってよ。乗っとくから」
 あくまで降りる気はないらしい。どこまで図々しいやつなんだ、まったく。
「今日はなんか疲れたから」
 そう鈴村は言い足すように言ったが、疲れてるのは俺の方だって同じだっての。
 そんな文句さえ呆れて言葉に出来ず、自転車の鍵を外し、鈴村を乗せたまま発進する。
「痛いっ」
 自転車が前へ進むとともにスタンドがあがってガタンとなったためか、荷台に乗ってる鈴村にそんな文句を言われる。しかし、そんなに文句にいちいち答えるのも面倒くさい。
 そのまま自転車を手で押していき、押見たちの待つ校門に着くと、案の定驚かれた表情で迎えられた。
「えーっ!」
「なにそれ」
 一瞬、押見に“それ”呼ばわりされた鈴村がきりっと睨んだが、それでも坂本と押見のぽかんと開いた口はふさがらなかった。
「今日は鈴村さんと帰るの?」
「いや、いつもどおり分かれ道まで行くぞ。こいつは、その……おまけだ」
 今度は“おまけ”呼ばわりした俺が睨まれる。俺の少ない語彙では適当な表現が浮かばなかったんだよ。
「そっか」
 一応納得してくれた押見と坂本は、いつものように自転車のかごに鞄を突っ込む。
 それを見た鈴村が「私も」と荷台に座ったまま鞄を放り投げた。鞄は見事にかごの枠内に入ったが、かごにはすでに俺の分を合わせて三人分の鞄が入っているから、当然溢れそうになる。
 それを慌てて片手で押さえ、きっちり四人分の鞄を整頓してかごに入れる。案外入るもんなんだな。
「ナイスアシスト」
「うるせえ、ちゃんと丁寧に入れろ」
 そんなやり取りを、横で押見と坂本はどこか他人行儀な感じで傍観していた。黙られると俺的にも何か申し訳ないんだが。
「やっぱり……僕たちおじゃまかな?」
「なんだよお前ら、付き合いだしたのか」
「そんなわけないでしょ」
 押見の言葉に鈴村は蹴りで返そうとしたが、荷台に乗ったままだったためか、反動でバランスを崩して落ちそうになる。
「あわ、ちょ――うわっ」
「なにやってんだよ」
 危なっかしい様子を見て、とっさに右手を鈴村に肩に手を伸ばし、なんとか支える。妙に近くなった距離。その瞬間、万華鏡に赤い紙片でも落としたかのように、鈴村の表情が夕日の色に染まった。
「う、うるさい。さっさと進め」
 またしても文句を言われてしまう。
 しかし、校門前でいつまでもこうしてるのはたしかにまずい気がした。さっきから周りの視線が厳しいのだ。ああ、怖い先輩に体育館裏に呼び出されてリンチされたりしないだろうか。って、そんなヤンキーマンガのような時代じゃないか。


 結局鈴村を自転車に乗せたまま、押見たちといつもの帰り道を歩く。
 当然、男三人でいるときとは違う気まずい雰囲気がずっと流れているが、一方の鈴村は大して気にしていない様子だった。それどころか、馬車に乗ったお姫様気分なのか悠々と景色を楽しんでるようにも見える。いったいなんなんだよ、この状況は。
「お前いつも歩いて通ってるのか?」
「そうだけど」
「チャリ通にすりゃいいのに。俺の家からでも15分くらいだぞ」
「坂がしんどいから嫌」
 坂がしんどい。多い。だるい。
 チャリ通にしたがらないやつらの理由の大半がそれだ。たしかに山の近くで自転車でのぼるには少しきついところもあるが、のぼり坂と同じ数だけ颯爽と下りられるところがあるというのに。
「なんか変わったよね、鈴村さん」と坂本が少しためらいながらも言った。もっともな感想だ。
「新しい男でも出来たんじゃないか」
 鈴村の正面を歩いていた押見の肩にすかさず鈴村の蹴りははいった。さっきの失敗をちゃんと考慮してか、今度は少し軽めに蹴ったようだったが、それでも靴を履いたままでだ。少し当たっただけでもそれなりに痛いに違いない。
「だから違うって言ったでしょ!」
「いってーな、いきなり蹴るなよ! 俺はあの時の消しゴムだって忘れてないからな!」
 堂々と言い張ってるが、結局はやられっぱなしじゃねえか。


 いつもとは違うメンバーになってしまった帰り道も、いつのまにか駅方面との分かれ道にたどり着く。
 毎日のことなので特に別れを惜しむこともなく坂本と押見は駅の方へと歩いていく。
 当然、分岐点のミラーの下で残される、俺といまだ荷台の鈴村。
 二人を見送っていると坂本は手を振ってきてくれたが、押見の方はまだ腑に落ちないような、疑いの目をこちらに向けていた。
 さて、どうするか。
「まだ乗るのか?」
「もうちょっとだけ」
「ここから漕ぎたいだが」
「漕げばいいじゃない」
「二人乗りはいちおう違反なんだぞ」
「へー、根性なし」
「なっ」
 その言葉に少しむきになってしまって、飛び乗るように自転車のサドルに跨った。
 ゆっくり加速。やはり後ろに人を乗せているといつもより漕ぎにくい。それでも鈴村は大して体重もないだろうから、少し重い荷物を載せている程度に考えればいいか。
「ここで下りなかったことを後悔させてやる」
「ん?」
 鈴村は不思議そうに少しだけ俺の背中から顔を出し、前方を確認して俺の言葉の意味を理解したらしい。しかし、自転車を止めるように俺に指示するのではなく、ぎゅうと俺の腹部に後ろから手を回した。落ちないように。
 もちろん俺だって鈴村を本気で落としてやろうなんて思っていないが、それでも鈴村の両腕は力強く、抱きしめられている腹だけじゃなく、いろんな箇所が締め付けられるように苦しくなる。
 どうして女の子の体は、こうも柔らかいんだろうな。
 ぴったりとくっついた背中に、鈴村の胸らしき膨らみを確認することはできなかったけれど、それだけは感じることができた。
「ちょっと、本気でいくの?」
「降りるならいまのうちだぞ」
「誰が、そんなこと……」
 言葉ではそう言ってるけれど、弱気になってるのが簡単にわかった。
 目の前にはアスファルトの深い谷がある。U字型に急な勾配を描いたこの坂は、通学路のなかでも一番の難所だと俺は思っている。途中までは駆け下りることができるが、少しのぼりはじめるとすぐに失速して止まってしまう。そこからがいつも大変だ。
「いくぞ」
 その坂をいまから駆け下りようとしている。
 二人分の体重が乗った自転車のチェーンはちいさな悲鳴をあげながらも平坦な道の終わりに近づく。

 そして、次の瞬間、一気に加速した。

 風は凪いでいたのに、空気の塊が俺たちにぶつかる。俺たちからぶつかりにいっている。
 そのままどこまでも、どこまでも、加速して、自転車は駆けていきそうだったけれど、やっぱり谷の底を越えてのぼりはじめると、すぐに勢いを失ってしまった。
「うーん! 楽しかった! ねえ、もう終わりなの?」
「無茶言うなよ。いい加減降りてくれないか」
「じゃあ、この坂のぼったところまで」
 よりによってどうして一番きついところまで。元々少し鈴村を怖がらせようと下りた坂なのに、結局自分だけが苦しめられてしまう。結局、あきらめて途中から手で押してのぼる。

「ここでいい」

 坂をのぼりきったところで、約束どおり鈴村は荷台から下りた。俺はタクシーですか。
「……つ、つかれた」
「いい運動になったでしょ」
「うるせえよ!」
 疲れきって息を荒らげる俺を見ながら、鈴村はいたずらっぽく笑った。
「もう絶対乗せないからな、これっきりだからな」
 その言葉を了承するわけでもなく、鈴村は笑い続ける。その表情に、はじめて会ったときのような感情に陥ってしまう。
「ここから帰れるか?」
「近所だから、わかる」
「そうか」
「うん、じゃあ」
「おう」
 そんなぎこちない別れから、少し経ってから「ありがとう」という言葉が聞こえてきた。ぎりぎり耳に届いたような、ちいさな言葉。
 風に運ばれるように聞こえてきたその言葉は、いろんな意味を持っているような気がした。

       

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