Neetel Inside ニートノベル
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 姉貴の大学での友人であるモミちゃんさんは、あれから何度か我がボロアパートの一室を訪ねてくるようになった。
 たいていはやってくるのは週末で、いつもモミちゃんさんは姉貴に強引に連れてこられたように玄関前まで来る。
「こんなに何回も来て迷惑じゃない?」
「大丈夫よ、私の弟はただ料理をつくるだけの存在だから」
 何で俺は料理に生きる男みたいになってるんだよ、と玄関前から聞こえてきた問答に文句を言いたくなる。たしかにモミちゃんさんが来たからと言って迷惑というわけではないが、俺も人様を毎回満足させられるほど料理の腕に自信があるわけではないのでモミちゃんさんが来た日の料理は少しだけ緊張する。
 姉貴はなぜかモミちゃんさんしか家には連れてこない。このアパートは姉貴の通う大学から歩いてこれる距離にあるので、他の人を連れてきてもおかしくはないはずだ。モミちゃんさんの話を聞く限り姉貴の大学での友達がモミちゃんさんだけというわけでもなさそうだし。
 そんな疑問を一度姉貴に訊ねてみると「わたしたちはまだ飲みにいけないし、お金もないから」と言われた。
 ――だからってなんでこの家なんだよ。
 そんな不満を持ちつつも、表情には出さず、その週末の玄関にひとり取り残されたモミちゃんさんを迎える。
「どうぞ、あがってください」
 この人も俺と同じで姉貴に振り回されながらもなぜか着いていってしまう人なんだろうな。


 モミちゃんさんも何回もこの家に来ているためか、緊張が取れて段々といろいろな表情を見せるようになってくる。
 俺もいろいろな表情をできているだろうか。そういえば最後に人前で泣いたのはいつだったか。中学の部活で泣いた覚えはない。どうもさいきんは怒ってばっかだしな。
 その日のモミちゃんさんはなぜか嬉しそうな表情だった。
 笑って口角が上がると女優のようなきれいなえくぼができる。上品に笑う人だなと思うと同時に、やっぱり姉貴とは正反対のような女性だなと思った。
 どうしてこんな二人が親しくなったのだろうと不思議だったが、友人関係というのは案外そんな感じの方がうまく行くもんなのかもしれないなと自分の周りとも比べて一人納得する。
「きゅうりは千切りでいい?」
「はい、冷やし中華的な、あんな感じで」
「あー! 冷やし中華的な。わかりやすい!」
 モミちゃんさんはいつのまにか夕飯の準備を手伝ってくれるようになった。はじめのうちは俺がひとりでやりますからと断っていたが、食べてばかりで悪いからと自前のエプロンまで持ってこられたのでそれ以上は断れなかった。案外頑固な人なのかもしれない。
 そんなモミちゃんさんの姿を見ても、姉貴は皿を並べる素振りさえ見せない。つくづく正反対なふたりだ。
 モミちゃんさんは手伝うと言っても料理が上手いというわけではないらしく、よく俺が手順を教える側になることがあった。
 中学生のころは母に教えられてばかりで、逆の立場になるのははじめてだったので戸惑ったが、モミちゃんさんは俺が言ったことはなんでも丁寧にこなすので、料理の進行は決して遅くなることはなかった。
「玉ねぎも細かく切っていい?」
「玉ねぎは、薄くのほうがいいかもしれません。そのあと水にさらして……」
「あ! 辛みを抜くのね」
「そうです。軽くつけてから水分をふきとれば魚の臭みだけうまくカバーできると思います」
 モミちゃんさんには鰹を使ったカルパッチョを担当してもらっていた。大して手間のかかる料理ではなかったが、途中何度もモミちゃんさんは驚きの声をあげる。楽しそうに料理をする人だ。一緒にやってる俺もそんな気分になってくる。
 そんな台所を見ながらリビングでおっさんのように野球の阪神戦を観戦していた姉貴は不満そうになに二人だけで盛り上がってるのよと文句を言ってきた。
 それならば姉貴も料理をすればいいのに。姉貴が入ってくれば確実に料理の進行は遅れそうだけど。
 俺も少しだけ気になってテレビの画面を見てみると7回の表なのにまだスコアは0ー0だった。ちょうど甲子園球場でカラフルなロケット風船が飛ぶ。どうやら試合の方はあまり盛り上がっていないようだ。
「ふふん、今度妹にも教えてあげよ」
 モミちゃんさんが皿に丁寧な盛り付けをしながらご機嫌そうにしている。この料理を教えるのだろうか。
「妹さんいるんですか」
「ちょうどシュウジくんと同じくらいかな。シュウジくんは高1?」
「はい」
「じゃあ、同い年だ」
 妹いるのかー、同い年かー、お姉さんに似て美人なんだろうなー。
 そんなたまには男子高校生らしい想像を膨らましていると姉貴の声がリビングが聞こえてきて、それを言葉に思わず包丁を持っていた右手が急停止する。

「その妹って、シュウジが言ってたハルヒの自己紹介した子よ」

 野菜を切る音も、水の音も止まって、部屋の中が一気に静かになる。そのなかで野球中継をするテレビだけが盛り上がっていた。どうやらでかい当たりが出たらしい。0ー0に、ようやく点数が入りそうだ。
「は?」
「いやあ、私もモミちゃんと知り合った後からわかったんだけどね。あ、モミちゃんの妹ってシュウジの言ってた子だって。でも、モミっちは変というか全然まじめな感じで似てないなってずっと思ってたわけ。あ、これ、イッツアスモールワールドって感じ?」
「ちょっと待て、なんでいままで言わなかったんだよッ!」
「だって聞かれなかったし」
 姉貴の発言に思わず頭を抱えたくなる。でも、まだ右手に包丁を持ったままだしな、とりあえずこれをどっかに置かないと。いま包丁なんて使ったら指のカルパッチョでもつくってしまいそうだ。
 隣でモミちゃんさんは「ハルヒ?」と疑問符をつけてつぶやいている。この人はそういうの知らない人なのかもしれないな。まあ、妹がどんなことを始業式でやらかしたなんて知る必要はないと思うけれど。
「え、なに? シュウジくん、楓と知り合いなの?」
 モミちゃんさんが口にした名前で99%の確信をする。そう言われればどことなく顔が似ているような。身長も同じように低いし。
「あの、もしかして名字って鈴村ですか?」
「う、うん。鈴村紅葉」
 あー、だから“モミちゃん”なのか。
 鈴村紅葉だなんてどこかの女優と一文字違いだなと思ったあとに、父親と母親は千秋さんとか秋子さんとかなんだろうかなんてどうでもいいことが頭をよぎる。それとも二人とも秋生まれなのかもしれない。
「あ、俺も北高に通ってて、妹さんとは同じクラスです」
「そうだったの! ああ、いつも楓がお世話になってます」
「いえいえこちらこそ……」
 なぜか急に行儀良くおじぎをしあってしまう。
 本当に妹さんには迷惑をかけられてますよなんて言葉は口が裂けても言えず、どう説明すればいいか言葉の続きに困る。
 少ししてからモミちゃんさんこと紅葉さんも、姉貴に向かってなんで教えてくれなかったのと文句を言う。姉貴は笑って誤魔化して、テレビに映った打者に向かって「打てー!」と叫び応援をする。本当にどこまでも意地悪な人だ。
「あ、あの、妹さんって普段はどんな感じですか」
 これ以上姉貴を詰問しても大したことも聞けそうになかったので、ふと気になったことを訊いてみる。俺はいつのまにか家でも学校でも大して変わりようのないような生活になってしまっているが、そうではないやつもいるだろう。
「楓は、そうねえ。少し前まではいろいろあって、どこか塞ぎがちだったんだけど、さいきんはまた昔みたいに笑うようになってね」
「そうですか」
「だから、私もさいきんは嬉しいの。学校に意地悪な男の子がいるんだって、この前言ってたんだけど、もしかしてシュウジくんのことかな?」
「い、いや、そんなことは……」
 訊ねるモミちゃんさんの目は優しいものだったけれど、あわてて否定せずにはいられなかった。意地悪ってそんな小学生みたいなこと、本当に俺のことを指しているんだろうか。きっと押見のことだよな、うんうん。
「まーた二人で盛り上がってるう」
 姉貴がそんな無責任な文句をまた言ってくる。こうなるような爆弾発言をしたのはどこのどいつだよ。
「あの……」
 少しためらうようにして、モミちゃんさんが言葉を口にする。それは料理の質問の教えてほしいとは違い、純粋に知りたいという気持ちが伝わってくるようなトーンだった。
「楓は、学校ではどんな子?」
 俺はその質問に一度を料理を再開するような素振りを見せて間を置いてから、素直な言葉を吐き出す。


「普通の、女の子っすよ」

 モミちゃんさんがほっと微笑む。どこか見覚えのあるその笑顔は、とても優しかった。



〈おわり〉

       

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