Neetel Inside ニートノベル
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 ○

『銀河鉄道の夜』という本が、俺が予想してた以上に鈴村にとっては関係性の深いものなのかも知れないと、その日思わされることになった。
 教室に入ると自分の席で本を読んでいる鈴村の姿があった。もちろん、鈴村の前の席では天原が向かいあうように座っている。すでにそれはこの一年一組にとっての日常の風景だった。
 本を読みながら彼氏の話を聞くなんて、相変わらず器用なことやってんな。3人の話を同時に聞く聖徳太子じゃあるまいし。何にしろ、ふたりの関係は、さほど大きく変わっていないようだった。
 しかし、それよりも気になったのが鈴村が読んでる本だった。遠くから表紙が目にはいっただけだったが、それでもそれが何の本なのか、俺は一瞬にしてわかった。
 それはというのも不思議な感覚だが、それと同じ本が俺の鞄のなかにも入っていたからだ。もっとも俺が借りたものではなく前坂にいつのまにか突っ込まれたものだが。

『銀河鉄道の夜』

 ひとつ違う点をあげるとすれば、鈴村の本の表紙には学校の貸し出しシールがついていないというところだろうか。つまり、この前は学校で借りて読んでいた本を、鈴村は今度はわざわざ買って読み返しているということだ。
 後になってその本はブックオフで100円で購入されたものだとわかったが、値段や古本という事実はともかく、読書の習慣のない俺にとっては、同じ内容の本を読み返したいという気持ちがよくわからなかった。まあ、それだけ気に入ったということなんだろう。いわゆる愛読書のようなものだろうか。
 もともと読書量の乏しい俺は愛読書なんてそんなものがないから、なんとなくそういうものをみつけた鈴村がとても知的に思えた。
 前坂の言っていたとおり、鈴村にこの本の話題を振ってみれば案外会話に華が咲くかもしれないな。俺はいまさらそんなことする気もないけれど。
 そんな鈴村の前で、俺は全く同じ本を鞄のなかから取り出すわけにもいかなく、仕方なく鞄を持ったまま再び一組の教室を出て、前坂の教室に向かった。もちろん、この本を突き返すためだ。
「前坂」
 他のクラスの教室に行くことなんて滅多にないものだから、少し緊張しながら俺は二組の教室にはいった。前坂は教室の中心で囲まれるように座っていて、苦労せずともみつけることができた。どちらかというと人をかき分ける方が大変なくらいだ。人気者なんだな、こいつは。
「ん? どうしたの? 芝野くんの方から来るなんて珍しいね」
「どうしたのじゃない。こんなもん、どさくさに紛れて突っ込みやがって」
「おお、どこに行ったかと思ったら芝野くんのところに遊びに行ってのか。悪い本だな、このっ」
 前坂が本を受け取ってぽんっと一度表紙を叩いた。確信犯が何を言ってるのやら。
「芝野くん、中身読んだ?」
「そんな時間なかった」
「そっかあ」
 もしかして俺に読ますために突っ込んだろうか。それなら直接読んでとでも言ってくれたらいいのに。
「ちゃんと自分で返却しろよ」
「うんうん、分かってますって」
 いつのまにか、二組の教室中の視線が俺に集中していた。「誰だ」と言わんばかりの視線だ。別に敵とは見なされていないようだったが、それでもあまり長くここに居続けるのは申し訳ない気がしたし、俺だって居心地が悪い。
 用事は済んだことだし、さっさと去ろう。
「んじゃ」
「ちょっと待って」
「……なんだ?」
「用事ってこれだけ?」
「そうだけど」
 あの本を前坂がどういう目的で俺の鞄に入れたのかはわからないままだったが、俺は別にあの本を読むこともしなかったし、これ以上前坂に伝えることはなかった。
「まあ、ひとつ言うとすれば……」
「うんうん、なになに?」
 どうしてそんな嬉しそうな顔をするんだ。俺になにを期待している。
「お前が思ってる以上に、鈴村はその本、好きかもしれないぞ」
「へー、……え?」
「んじゃ」

 ○

 梅雨前の3日間の中間試験は、あっさりと終わった。
 最終日の最終科目のテスト終了を告げるチャイムが鳴ると同時に教室に響く「終わったー」の合唱は全国共通のものなんだな、なんてことを確認し、試験が終わったその帰り、俺は坂本と押見のいつもの顔ぶれと息抜きと称し、少ない財産でマクドへ乗り込んだ。
「死ぬー」
 なぜか押見は現在形でずっとそう言い続ける。
 テストの内容が「死んだ」ならともかく、なぜ押見が現在生死の堺を彷徨っているのか、よくわからないまま俺はしおれたポテトをぼちぼちと消化する。
 ちなみに、自慢ではないが俺は今回の試験、なかなかの出来だったと思っている。
 高校に入ってはじめての試験だから、周りの連中がどれくらいのレベルか定かではないところがあるが、それでも平均を下回ることはないだろう。スタートダッシュにしては悪くないはずだ。
「坂本はどうだった? 試験」
 むしろ今まで何を話していたんだと突っ込まれるくらいの今更な話題を坂本に振ってみる。
 現在形で「死ぬ」などと机に突っ伏しながら連呼している押見に勉強で張りあっても何の意味もないので、勉強のことは坂本だけに尋ねるようにしている。
 そんなぐったりしている押見をニコニコと眺めながら、少し迷うように坂本が口を開く。
「まあまあ、だったかな。どうしても数学は自信がないんだけど」
 コーラの入った紙カップを手にしてから「暗記系は得意なんだけどな」と付け足す。
 坂本は真面目なタイプだから、成績も悪くないことくらいは知っている。勉強面ではクラスの中で一番身近なライバルだと俺は思っている。もちろん、坂本の方はそんなことまったく意識していないかもしれないが。
「どうせ俺は全部自信ないよ……」
 そうぼやきながら押見が俺のしおれたポテトを奪って食う。わざわざお前には話題を振らないでおいたのにどうして自分から首を突っ込んでくるんだと思うのと同時に、ポテトを奪われたことに無性に怒りを感じた。
「自分の分があるだろ、自分のを食え」
「どうせシバノンも自信あるんだろ。“俺、ノーベンだわー”とか言っておきながら満点取るやつなんだろ」
「それとポテトは関係ないし、そもそも俺は“ノーベンだわー”なんて言ってない」
 押見の前では勉強の話は一切すべきではないということを再確認して、結局そのあとはどうでもいいような話をぐだぐだとした。
 押見が一ヶ月以上先の夏休みの予定について意気揚々と話しだしたが、夏休みの手前にある期末試験の存在なんか、こいつの頭にはキレイさっぱり消えているんだなあと思った。要するにアホだなあと思った。
「男三人で華がないねえ」
 いつのまにか昼のピークも過ぎて店内の客も減った頃、そんな風に俺たち三人に声がかかった。いきなりその言い方は失礼なんじゃないかとも思ったが、事実でもあったため俺は黙ってその声の主を確認した。
 俺と同じく確認した押見が試験の話をしていたときのような溜息をつく。
「なんだ、新谷か」
「なんだとはなんだ」
「どうせお前がはいったところで華なんて咲かないよ」
「こいつは何様のつもりなんだろうねえ」
「痛いです。冗談です」
 新谷の失礼を失礼で返した押見が、新谷に髪を引っ張られる。そういう発言は通路側の席に座ってない時にするべきだと思ったが、新谷なら腕を伸ばしてでも制裁を下しそうだな。
「新谷はいま来たところなのか」
 試験もあったためか、明るい色が落ちて髪がちょっぴり伸びた新谷は不思議と真面目っぽさが増してみえた。肩にはまだ薄い鞄がかかってある。もしかしたら今から帰るところなのかもしれない。店内にいたならば声が聞こえてきてもおかしくないはずだが。
「そそ、いま帰りで寄ったところ。そんで地味ーズ三人をみつけた」
「悪かったな、ジミーで。ところで、なんでこのタイミング?」
 帰りの寄ったと言われても、このタイミングでは少し不自然な気がした。何せ試験が終わったのはいまから一時間も前のことだ。その間、なにをしていたかという空白の一時間が出来てしまう。
 ということになると俺たち地味ーズはファーストフード店で一時間近くも無駄話をしていたことになるが、カラオケに行くような金も持っていないから仕方がない。たしかに地味だな、この試験後の息抜きの仕方は。
「なんでって、学校で部活やってたんだよ。少しだけだけどね。いまも文芸部のみんなと来たところ」
「あー、なるほど。ぶ……」
 ぶ……部活はまあ、納得した。しかし、部活名をなんと言ったか。
 ぶ……文芸部?
 思考が停止しそうになりながらも俺はポテトを摘もうとしていた右手を急遽ルート変更し、新谷を指さした。
「文芸部?」
「そう、文芸部だけど」
 失礼な話だが、本当に失礼な話だが新谷のことを完璧に体育会系だと思っていた。俺にどういう偏見があったかは詳しく言わないが、新谷の活発そうなイメージは俺の脳内の運動部女子と見事にシンクロしていたのだ。まさか文芸部員だなんて、俺にとっては驚愕すぎる事実だ。
「あれ、初知り?」
「初知りだ」
「あれ、結構絡んでるんつもりなんだけど、そういう話全然してなかったっけ」
「全然」
「そっか、私は芝野が帰宅部だって知ってるよ」
「そりゃどうも」
 別に絶対に知りたいと思っていた情報のわけではないけれど、部活のことくらい2ヶ月も同じクラスにいたら耳に入ってもおかしくない情報なのに、俺は意外とそういうことに鈍いのだろうか。
「お前ら、知ってた?」
「うん」
「知ってる」
 坂本も押見もなにを今更という表情だった。やっぱり俺は鈍いらしい。
 新谷は文芸部の人に呼ばれて奥の6人席の方へと消えていった。俺たちもポテトLとジュースMを注文しただけで1時間以上居座るのもそろそろ申し訳なく思えてきて、昼下がりマクドを出た。
「ゲーセンでも行くか」
「金がない」
「じゃあ、帰るか」
 それが賢明な判断だった。3人ともまだバイトに関してはなにも考えていない。

       

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