Neetel Inside ニートノベル
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 ○

 いつも本鈴の15分前に学校に着く。
 警報寸前の大雨が降っても、信号に運悪くたくさん引っかかっても、それが大きくずれることは少ない。押見はそんな俺を「変にまじめなやつだな」と言ったが、こういうのは規則正しい方がいい。俺がそう言うと押見は「お前絶対A型だろ」と言ってきた。その通りだ。
 その日もいつもの時間に学校に着いた。
 しかし、珍しいことに教室にはまだ押見の姿も坂本の姿もなかった。自慢ではないけれど、クラスに話し相手が多い方じゃない。周りのやつらもいつものメンバーと駄弁っているし、いまさら割り込むわけにもいかない。
 鈴村は俺の前の席でひとり、今日も本を読んでいた。確認はしてないけれど、たぶんいつもの本だ。試験も終わったから、元通り授業も始まったし部活も始まった。天原はたぶんサッカー部の朝練にでも行ってるんだろう。このクラスではすっかりおのろけキャラのイメージがついてしまったけれど、あれでもサッカー部では期待の一年生で、試合にも3年生に混じって何回か出ているらしい。羨ましいほどの青春っぷりだ。
 横を見ると新谷までもが本を読んでいた。こいつが読書している姿なんてはじめて見たけれど、そういえば新谷は文芸部なんだっけと、昨日知ったことを思い出す。
 すると俺の視線に気づいた新谷が、一度確認してからにやっと笑顔を浮かべて、本を閉じた。もしかして、わざとだったのか。
「文芸部って、やっぱ小説とか書くのか?」
 なんとなく気になっていたことを聞いてみる。
 新谷は少し驚いたような顔をしたあと、「そのイメージはちょっと単純すぎない」とまた笑った。
 そう言われると、たしかにそのイメージは決めつけすぎな感じがした。しかし文芸部というのがどういう活動するのか、俺はよく知らなかった。
「じゃあ、どういうことするんだ?」
「たしかにそういう創作活動する人もいるけど、だいたいは本の紹介文書いたり、同じ本を読んで感想を言い合ったり、そんな感じかな」
「へえ、いろいろしてるんだな」
「そうだ、芝野くん、一度部室来てみない?」
「は? いきなりなんで」
「今日の昼休み。案内するからさ」
「いや、俺、部活は入る気が……」
「まあまあ、そう言わず。一度だけでも、ねっ」

 ○

 結局なぜか、俺は文芸部室の前に立っていた。
 普段は立ち寄ることのない主に小規模文化部の部室が集まる旧校舎。昼休み、弁当を食い終わると新谷が半ば強引に俺をここへ連れてきた。
 連行されようとする俺を、いつものように一緒に飯を食べていた坂本と押見は「この裏切り者め」という視線で睨んだけれど、できれば助けてほしかった。どうも部活というものと関わるとろくなことがないような気がするのだ。それは中学の頃の思い出のせいだろうか。
「あの、新谷……」
「まあまあ、そう言わず入ってっちょ」
 扉の前で躊躇する俺の背中をさっさと開けてと言わんばかりに新谷が押す。
 教室のものとは違う木製の扉。「文芸部」というプレートが機械的にぶら下がっている。とりあえず言われるがままにその扉を開けてみて、中を覗いてから俺は思わず立ち止まる。
「えっ、誰もいな……」
「入って入って」
 またしても強引に背中を押される。部室に入った瞬間、少し黴臭いが鼻をついた。
「ようこそ、文芸部へ」
 窓を開けながら新谷が歓迎する。もしかしてさっきまでの「入って」は部屋に入ってじゃなくて、文芸部に入ってだったんだろうかなんて思う。窓を開くと風がたくさん入ってきて、一気に室内が涼しくなった。ついでに黴臭いも吹っ飛ぶ。
「だから部活に入る気はないって。というか、誰もいないのか」
「基本は昼休み活動なんだけどね。いまは特に忙しい時期でもないから、自由参加」
 じゃあ、なんで俺を連れてきたんだろう。活動もしていないんだったら、勧誘もなにもないだろう。
「まあ、ゆっくり見学でもしていって」
 新谷はいつのまにかノーパソを部屋の奥に置かれた机の上で広げていた。
 部室を見回してみると、教室とは違い、ずいぶんと狭かった。部屋の両脇を本棚が固めているから、なおさらそう感じるのかもしれない。部屋にはその他に長机がふたつとパイプ椅子がいくつかあって、部室というよりかは小さな会議室のようだった。
「いつもここで活動しているのか」
「まあね。時々図書館で作業することもあるけど」
 本棚を見てまわると、文庫本やハードカバー本だけではなく、雑誌のようなものもあった。中にはなぜか図書館の貸出シールがついたものまでも置かれている。
「それは図書館で処分になった本をもらってるの。あと、そこに『北高だより』っていうのが並んでるでしょ」
「ああ」
「いまの一年生はまだ知らないけど、学期の終わりに配られる校内誌で、文芸部はそこに書評とか載せてもらってるの」
「へえー」
「学期末に配られるもんだから、一年生はたいてい文芸部がなにやってるかなんて知らない人が多いんだ。その証拠に今年の新入部員は私はひとり」
「そうなのか」
「一つ上が二人で、3年生も2人。ギリギリでやってるって感じ」
「そんなこと言われても入らないぞ」
「あちゃー、残念。乗っ取るって選択肢もありだよ」
「乗っ取る?」
「SOS団結成ってね」
 ああ、そうですかと俺は笑ってごまかす。新谷はあの寡黙な宇宙人ポジションにしては、ずいぶんとおしゃべりだ。
 その後のしばらくはお互い黙ったままで、二人だけという気まずさもあって教室に戻らせてもらおうかと思い始めてところに、本棚のなかに『銀河鉄道の夜』をみつけて思わず手にとってしまった。
 この頃よく見るな、この表紙。いまだに中身を読んではいないがな。
「さいきんずっとそれ読んでるよね、鈴村さん」
「あー、知ってたのか」
「うん。あの子、中学の頃からそれ好きだったし、……いまの彼女にとっては物語の意味が変わってしまったかもしれないけど」
 俺は本を手に持ったまま、驚いて新谷の方を向いた。いま、こいつはなんて言った? なんで鈴村を昔から知っているような言い方なんだ。
「中学、同じなのか?」
「そう。ついでに同じ吹奏楽部。ついでに仲のいい友達……だったよ」
 楽しそうだった新谷が、言葉の途中で寂しそうな表情になった。そんな表情の新谷を見るのははじめてだったから驚いたが、それよりも新谷の言葉は驚愕の事実だらけだった。
「……冗談だろ」半ば同意を求めるように、少し笑いを混ぜてそう聞いたが、あっさりと否定される。
「ほんと」
「だって、いま全然仲良くなんかないじゃないか」
「だから、『友達だった』って言ったでしょ」
 言葉を失って、しばらくその場に立ち尽くす。本を持ったままの右手をだらんと下におろして、新谷の言葉をなんとか整理しようとした。
 新谷もいつものように笑顔なんて浮かべておらず、とても嘘を演じ通してるようには見えなかった。いったい、どうなってるんだ。
「……喧嘩でもしたのか」
「喧嘩とか、そういう理由じゃないんだよ。ただ私と楓の他に、もう一人仲のいい紗季って子がいて、同じ吹奏楽部でいつも三人で一緒にいた。その紗季が転校して……」
 楓というのが鈴村だということに気づくのに少し時間がかかった。そして下の名前で呼んでいたほど仲がよかったということが伝わってきて、不思議な感じがした。
「それから、あまり付き合わなくなった……?」
「ううん、それからもよく二人でいた。信じられないと思うけど、中学の頃は彼女、すごくおとなしくて、でも優しくて、目立つような子じゃなかったけど、誰にでも笑顔でこたえるような子だったんだよ」
 たしかにいまの鈴村からじゃ想像もつかないな。だけど逆にどうしていまのようになってしまった?
「じゃあ、なにがあったんだよ」
 そう聞いた瞬間、懐かしむように話していた新谷が俯いた。あまり話したくない過去なのかもしれない。いまの鈴村の様子と比べれば、なにか深刻なことがあったに違いない。それでもここまで話されたら、聞かずにはいられなかった。

「紗季が、転校先の学校で飛び降りたんだよ」

 校庭の見える窓から風が吹きつけ、少し伸びた新谷の髪をゆらした。それはたしかにゆれ動いていたのに、その瞬間、俺はなんだか時間が止まったような妙な錯覚に陥った。
 その事実を、いままで感じてきた疑問と結びつけようとしたが、結局途中で思考が止まってしまった。それは、想像もできないような現実だったから。途方も無いような現実だったから。
「もちろん即死だったよ。遺書もきれいにあった。毎日が辛い、クラスメートが憎い、ってね。さいしょ聞いたときは信じられなかった。だって紗季は気の強い子じゃなかったけど周りに溶け込めない子じゃなかったし、私たちの前ではいつも明るかったし、絶対なにかの間違いだって思った。でも、県外まで葬式に行って、マスコミの群れを見て、同じ年頃のやつらを見て、こいつらが殺したんだって思ったら、はじめて人を殺したいって思った。たぶん、紗季が死んだことを認めたくなかったから、でも、なにもできなかった。紗季は本当に死んでたから……。それからだよ、楓と話さなくなったのは。私とだけじゃない、誰とも話さなくなった」
 いじめが原因で生徒が自殺したなんてニュースはテレビや新聞で見てきたけれど、そのどれが新谷のいうものかはわからなかった。あまりにも、それは多すぎるから。
 ただなんとなく見てきたそれらのニュースが、急に憎らしくなってきた。この感情は偽善なんだろうか。関係ない人間の死を悲しく思うのは、偽善なんだろうか。いまの俺には、なにもわからなかった。
「芝野くん。黙られると、辛いよ」
「……悪い」
 言いたいことや聞きたいことはたくさん頭の中にあったのに、言葉に出ないんだ。あんなちっこい鈴村やいつも笑っていた新谷がこんなことを抱えていたんだと思うと、なにも言葉にならないんだ。
 近くにあったパイス椅子に、腰をおろす。軋むような音がする。背もたれに体重を預けて顔を上げてみると、新谷はいつのまにか校庭の方を向いていて、その表情は見えなかった。
「どうして、急に話してくれたんだ」
「急に、じゃないよ。ここに誘ったときから話そうと思ってた。いつか話そうと思ってた。それが今日」
「どうして、俺なんかに……」
「芝野くんだからだよ。鈴村さんは責任を感じてる。私はケータイ持ってなかったけど、彼女はずっとメールとかで頻繁に連絡とってたから、自分が救えなかったんだって。ずっと、いまもずっと思ってる。私だって、電話でよく話してたっていうのにさ、救えなかったのは私もなのに、自分一人のせいだって、ずっと思ってる」
 新谷がこっちを振り返った。当たり前のように、涙が頬をつたっていた。彼女の声を聞いていれば、それは簡単にわかることだった。
「芝野くんが、救ってあげて。私はもう、彼女から遠くなりすぎちゃったから」
「……だから、どうして、俺なんだ。あいつには天原がいるだろ」
「あんなの、彼氏彼女じゃないよ。天原は美人の彼女つくって自慢したいだけだし、鈴村さんだって見てれば全然興味ないのがわかる。
たぶん天原と付き合って敵を作りたかっただけなんだよ」
「敵?」
「天原くんのこと、好きな女子多いから。きっと鈴村さんに嫉妬してる娘多いと思う。なんとなくわかるんだよ。彼女、きっと“ひとり”なりたいんだよ。無愛想な態度だってそう。あの自己紹介だってそう。結果的に注目されるようになったけど、みんなに距離を置かれたくてしたことだと思う。そうやって、紗季と同じ立場になろうって……」
「そんなの意味ねえよ!」
 自分でも驚くほど大きな声が出て、新谷の言葉を遮った。右手に持っていた『銀河鉄道の夜』は強く握り締められ、S字を描くようにゆがんでいる。その手から、力が抜けなかった。
「そう、意味なんかないんだよ。私も中学の後半、学校サボったり、髪を染めたり、不良ぶって周りと距離をとろうとした。でも、意味ないんだよ。誰もそんなの望んでないし、誰も得しないし、償いなんかじゃないんだよ」
「……もう、新谷、お前には無理なのか」
「私は、なにもできなかった。ずっと」
「俺にだってなにができるか、わからない」
「それでも、私は鈴村さんに、楓に戻ってきて欲しい」
 そこではじめて俺は新谷が鈴村の呼び方を言い分けているのに気づいた。そうか、彼女の中では鈴村楓は変わってしまったのか。。
 俺は変な形のついた本を机の上に置いて、黙って部室を出た。扉を閉めた後、部屋から新谷の泣き崩れる音が聞こえた。俺になにができるって言うんだ。誰に文句を言うわけでもなく、慣れない旧校舎を歩く。
 どうも、この世界は壊れている。

       

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