全校集会で、柔道部顧問の新井先生の死が伝えられた。
 昨日、2月15日は臨時休校だったし、学校の周囲には警察やら鑑識やらがうろうろしていたから何か事件が起こったのは既に生徒みんなが感づいてはいたのだが…
 何の前触れもなく突然小説かテレビドラマの世界に追いやられたような、奇妙な感覚が体育館中の生徒たちに広がっているのが感じられた。もちろん、この僕も。
 動揺しているのは教師たちも同じなようで、ざわつき騒ぐ僕たちを止めようとする者はいなかった。ただ一人を除いて。

 キィーンッというマイクの甲高いノイズに、けたたましく割れた泣き声を爆発させた男がいた。
 柔道部副顧問の石田だった。
 石田はその巨体を激しくゆさぶり、鼻水をぶら下げつつ吼えた。
「静かにィ、しなさぁあああいッ!!!」
 みんな、彼の醜態に呆気に取られて言葉を失ってしまった。静寂の訪れたこの空間に、大男の鼻をすする声と嗚咽だけがこだました。

「警察の、調べでは、事故、とのこと、です! 事件性は、ない、とのことなのでッ! 騒いだり、妙な噂話をしたり、しないでくだッ! さいッ!!!」
 ひきつりながら、やっとのことで石田は涙と唾を飛び散らしながら言い切った。
 演台にしがみつく指先が真っ白で、興奮した赤ら顔と随分色が違うんだなと、僕は少し噴出しそうになってしまった。
 たった一日の捜査で事故であると言い切るのは、いささか性急過ぎるのではないだろうか。どちらにせよ、口に戸は立てられない。動揺する僕たち生徒の憶測や推理やデマを止められる者はいないだろう。
 よだれと鼻水でグシャグシャになった顔を、真っ白なシャツの袖でぬぐう石田を見て、僕は思わず「うわぁ…」と声を漏らしてしまった。同時に、僕のすぐ背後からも心底嫌そうな声が聞こえた。
「きったねえ野郎だなあ…」
 思わず振り向くと、しかめっ面をしている同級生、植木歩と目が合った。
「石田、そっちの気があるって噂、本当かもね」
 悪戯っ子特有のギラリとした眼差しで、ヒソヒソと植木がささやいてきた。指をそろえて少しだけ反り返した手を自分の頬に添える仕草のおまけつきだ。この古風な表現を超えるものはないのだろうかと、どうでもよいことが気になった。
「新井ちゃんにベッタリだったもんな」
 声を少し落として僕も返した。
 柔道部の練習場や職員室で、小柄な新井とそれを守るかのようにへばりつく大柄な石田の二人連れの姿はどの生徒もよく見かけていた。気がつけば学校中に石田ゲイ説が広まっていた。
 注意されないようにと顔を前に戻した僕の肩越しから、植木が話を続けてくる。
「今の話、本気にしていいのかな?」
「何が?」
 石田は相変わらず、うっすら黄ばんだ歯をむき出しにして演説をしている。今は新井先生がどれだけ素晴らしい教師であったか、という話題を掲げているようだった。
「事件性はないってヤツだよ。もう警察がうろついたりはしないってことかな」
 植木はおそらく、受験真っ只中の僕たち3年生に影響が出ないかどうかを心配しているんだろう。
「どうだろうね。警察が学校側に正式にそう発表したんだったらそうなんじゃない? …でもさ、もしかしたら違ってたりして」
「…何がだよ?」
 後ろに立つ植木がさっきよりも少しだけ僕に近づく気配がした。
「実はさ、殺人だったりして」
「殺人…」
「一昨日ってバレンタインだっただろ? それで、告白したのにフラれた奴がいてさ…」
「告白って、だってここの学校は…」
「私語を、するんじゃァないィイイイッ!!!!」
 こちらに野太い毛むくじゃらの指を差し向けた石田の怒号が植木の言葉をかき消した。
 僕と植木は、軽く肩をすくめて視線を交わした。




 新井先生が亡くなって一週間が過ぎた今も、まだ僕らの通うこの高校の雰囲気は落ち着かなかった。
 なんとなく居心地の悪い教室で、ソイツは突然切り出した。
「俺、犯人見ちゃったかも知れない」
 周囲の視線を一身に受け止めるたその男、江崎康輔はなんともご満悦な顔をしてふんぞり返っていた。
「…何の」
 誰ともなく、質問が投げかけられる。誰もがわかっていた答えを、江崎はより大きな声で言ってのけた。
「新井ちゃんを殺した犯人だよ。俺さ、見ちゃったかも」
 そう言えば江崎は、先生が亡くなった翌日からこの1週間ずっと欠席をしていた。確か食中毒で倒れていたとか。事件に加えて、普段からやかましいムードメーカーの江崎が不在だったために、先週はこのクラスが他と比べて一層ひっそりとしていたことを思い出した。
 欠席だったコイツが石田の独り舞台を見ていなかったのは間違いないが、しかし… 殺した……?
「新井ちゃん、事故だったんじゃねえの?」
 僕と同じ疑問を持ったクラスメイトがいたようだ。顔を見合わせうなずき合う奴らも少なからずいた。
 だが、江崎は自信たっぷりに返事をした。
「俺、見たもん。新井ちゃんが死んだ教室から、逃げてく奴がいたの。絶対事件じゃねえって。殺人だよ、さーつーじーん!」
 誰もが言葉を失った。
 江崎だけが、得意げに周囲を見回しているが、誰も目を合わせられなかった。
 僕は、ふと目を上げると植木と視線がぶつかった。
 植木が軽く目配せをして、くいっと顎で教室の隅を示した。
 そこには、真っ青な顔をしてブルブルと震える、小野美幸の姿があった―――――。