小野の家は、そんなに遠くでもなかった。
 僕の家は、通っている高校の徒歩圏にある。高校をはさんだちょうど反対側にあるようなので、大体2、30分ほどで到着する。
 傘をもってくればよかったな。払っても払っても肩や頭に雪が降り積もる。
 路地を白く塗りつぶしていく雪を見ていると、まるで小学生の頃に戻ったかのようにわくわくしてきた。歩いたところが僕の陣地だ、なんてくだらない事を考えながら新雪に刻んだ自分の足跡だけを見ていたら、曲がり角から出てきた人物にドシンとぶつかってしまった。
 
「冷ってぇ!」
 尻餅をついてうめいているのは植木だった。地面についた手が雪の低温で赤く染まっている。
「悪い植木! 大丈夫か?」
 植木は差し出した僕の手をためらいなく掴んできたので、僕も思い切り奴を引っ張り上げてやった。僕より上背のある植木は予想よりもずっと軽かった。
 雪まみれになってしまった尻をなでさすりながら、植木は白い息をふうっと吐き出した。
「ひどい目にあった。こんな天気の日に何してたんだ、コナン?」
「小野の家に行くところなんだよ」
「小野…? なんで?」
 普段、教室で話の一つもしない僕と小野の関係をよく知る植木が訝しがるのも無理はない。植木になら言っても大丈夫だろうと思い、僕は正直に話すことにした。
「江崎のことを聞こうと思ったんだよ」
「!! …江崎……」
「僕が最後に江崎に会った時さ、あいつ、小野を呼び出していたみたいなんだよ」
「…本当に?」
 江崎の死が僕ら3年1組の生徒たちに落とした影は大きかった。植木も表情をこわばらせている。
 眼鏡についた雪を息で軽く吹き飛ばして、僕は続けた。
「うん。でも、あいつを刺したのは小野じゃないらしい。小野は呼び出しに応じなかったらしいんだよ。違う人間が江崎に会いに体育館裏の林に行って、多分…そいつが江崎を殺したんだ」
「……コナンは、その犯人が誰か知ってるのか?」
 僕のあだ名がこんなにもふさわしい状況になるとは皮肉なもんだな。
 多分、僕と植木の頭の中には同時に一人の人物が浮かんだ。

―――石田。

 体育館から逃亡した石田は、一度だけ一人暮らしをしている自宅に帰り、そのまま失踪したらしい。石田は最早、江崎の事件の第一容疑者に確定してしまっているのだ。
 しかし、あえて無言でかぶりを振る僕に、植木は軽く微笑んだ。
「まさに『コナン』だな。今のこの状況って、その名前にぴったりじゃん。もしかしたら、お前が事件を解決してくれるのかも知れないな。」
 植木も僕と同じことを考えたようだ。植木につられて、僕も自然と笑顔になってしまう。ここのところいろいろあり過ぎたから、こんな風に笑うのは随分久しぶりだな。
「身体は大人、頭脳は子供だよ僕は。どんな事件も迷宮入り間違いないよ」
「あっはははは! なんでそんな自信満々の顔してんだよ。」
「そりゃあ自信満々だからだよ。」
 すまして返した僕に、植木は乗ってこなかった。明るく笑っていたと思っていたのに、不意に真剣な表情になった。
 強めの視線がなんとなく怖くなり、白い息がとめどなく吐き出される植木の口元に目線を泳がせてしまう。
「お前さ、事件に首突っ込むの、やめた方がいいんじゃない?」
「…首突っ込むっていうか… ただ、話を聞きに行くだけだよ」
「余計なことしないで、卒業まで大人しくしてようぜ。お前まで何かあったら、俺は嫌だぞ」
 目線を上げて植木の顔を見てみたら、植木の目尻に涙がうっすらと浮いていた。本気で僕のことを心配してくれているのか。植木の思いやりに、胸がじんわりと暖かくなる。
 ちょっと気恥ずかしくて、僕はまた植木から目をそらしてしまった。
「僕のこと心配してくれんの? 優しいとこあるじゃん」
「茶化すなよ。人が死んでるんだぞ? …石田だって、まだ見つかっていないんだから…」
 自分の口から出たその名前に、植木が息を飲んだ。同じように、僕も。

 どちらからも言葉が出ない。あまりにも静か過ぎて、雪が空から降る音が聴こえてくるようだった。
 僕はあることを思いついた。また植木に叱られるかもしれないけど、気まずい空気を壊したくて無理に明るく切り出してみることにした。
「それならさ、植木も僕と一緒に行こうよ。」
「小野の家に?」
「そう。二人一緒なら、何かあっても大丈夫だろ? …一人でじっと家にいたくないんだよ。どうしても江崎のことを思い出してしまうから、どうせモヤモヤするくらいなら事件をちゃんと調べたいんだ」
「いや… …………そうか…」
 正直な気持ちをぶつけた僕に、植木はしばらく考え込んで、きっぱりと言った。
「小野の家には行かないけど、何かを聞いたら教えて欲しい。できることは何でも最後まで手伝うから、一人で無茶なことは絶対しないでくれよ?」
「わかった。じゃあ、帰ったら電話するよ」
「うん。それじゃあな。気をつけろよ」
 雪は相変わらず次々に舞い降りてくる。僕は、重く灰色に広がる空に少し心細くなってきてしまった。
「…やっぱり、小野の家に一緒に行かないか? せっかく二人で動くんなら最初からの方がいいと思うんだ」
「…あのさ…… 俺、小野のこと苦手なんだよね」
「えっ! そうなのか」
 誰にでも当たり障りなく接している植木から意外な言葉が飛び出した。隠そうともせず、露骨に繭をひそめて口元を歪ませているところを見ると、苦手どころか嫌ってすらいるのかもしれない。
「悪いな、コナン。小野が絡まないことなら何でも頼ってくれて構わないから」
「あ、ああ。それなら仕方ないね。それじゃ、また後で」
「おう」
 頭に雪を乗せたまま、植木は駆け出して行った。
 雪が触れる鼻や耳がひどく冷たく感じる。僕も行こう。
 早足で目的の場所へと向かう僕の目の端に、一瞬黒い人影がかすっていった。今のはもしかして… いや、気のせいだろう。逃亡中の人間が、こんな事件現場近くをいつまでもフラフラしているわけがない。
 自分に言い聞かせるようにして、しかし不安を振り払うかのように、僕は走り出した。