「随分遅かったね。もう来ないのかと思った」
 小野はそう言いながら、不機嫌そうに僕にタオルを差し出した。
「ごめん、途中で植木に会ってさ」
「植木君? …連れて来てもよかったのに」
 まさか、誘ったけど断られたとも言えず、僕は無言になってしまった。それが面白くなかったのか、
「床、濡らさないでね」
と冷たく言い残して、小野はさっさと玄関口からすぐ近くの場所にある階段へ行ってしまった。
 小野の家は、小奇麗な一軒家だった。
「おじゃましまーす」
 少し大きめの声で言ったのだが、何の反応もない。人の気配がしないところを見ると、家人は出払っているようだ。
 身体にくっついていた雪を一通り落としてから、僕も小野の後を追った。
 

 小野の部屋は驚くほど殺風景だった。
 ベッドと机、それ以外に家具らしい家具はなく、生活感が感じられない。壁一面がクローゼットになっているところを見ると、そこにいろいろ入れているのかも知れない。だが、どうにも落ち着かなかった。
 無言で差し出されたクッションを敷いて、そこに腰を落とす。小野は僕から少し離れた椅子に座り、机に肘を置いて頬杖をついて僕を見下ろした。
 …なんだ? どうも、小野は何かイラついてるように見える。

「…それで? 何を聞きたいの?」
「あ、ああ。江崎のことなんだけどさ」
 一瞬、小野が肩を震わせたのを僕は見逃さなかった。やはり小野と江崎の間には何かがあったに違いない。
「…江崎がどうしたの」
「お前を呼び出したって言ってたんだ。あの林に。でも、来なかったって。何で行かなかったんだ?」
「…行く必要ないと思ったから。………あのさ、河南君。何で君がそんなこと聞いてくるわけ?」
 小野は苛立ちを隠そうともしない。確かに、事件に巻き込まれるのは誰だって嫌だろう。でも、どこか… 小野は何か、別のことでイラついているように思えてならなかった。
「僕が最後に江崎に会ったからだよ。どうしてか気になったから、直接聞きに来ただけだよ」
「自分のあだ名にかこつけて探偵ごっこでもするわけ? 正直言って迷惑なんだよね」
「…………」
 
 何だろう、先程から小野が僕にぶつけてくるこの嫌悪感は。もともとクラスでも仲が良かったわけではないが、こんなに嫌われるようなことをした覚えがない。僕も、少しずつ不愉快になってきた。
「話はそれだけなら、もう帰ってくれるかな」
「江崎さ、殺される少し前、変なこと言ってたよね。『犯人見ちゃったかもしれない』って」
 一瞬にして小野の顔色が真っ青になった。ガタガタと震えだし、自分の身体をぎゅっと抱きしめて縮こまってしまっている。
「小野? おい、大丈夫か?」
「違う! 犯人じゃない!!!」
 肩にかけかけた僕の手を思い切り振り払って、小野が叫んだ。唇まで紫色に変わっている。
「江崎が勝手に誤解してただけ! 何もしてないのに! 倒れてる先生を見ていただけだったのに!『お前が殺したんだろう?』って、あいつ、勝手に思い込んで!!!」
「どういうことだよ? 小野が新井先生の第一発見者だったってこと?」
「順番なんて知らないよ! ただ、見てただけだもん! 新井先生動かないし、それにチョコレートが…」
 急にハッとして、小野が口をつぐんだ。
 チョコレート………?
「チョコレートって…何?」
「………新井先生の周りに、バレンタインのチョコレートと、箱が落ちてたんだ…。教室に入った時に最初に気づいて… おかしいなって思って拾い集めてたら、新井先生が倒れていて…… だから! 殺してなんかいない! 先生に指一本触れてないんだから!!」
 真っ青だった小野の顔色が、今はまるで熟したトマトみたいに真っ赤に変わっている。物凄い興奮の仕方だ。
 でも待てよ? 新井が亡くなったのは、バレンタインデー当日だった。新井の周りにチョコレートが落ちていたのなら、それは新井自身が持ってきたものか、又は新井宛てに誰かが持ってきたということになる。そうなると、新井が死んだ瞬間にもう一人別の人物が高確率でその場にいたと考えられる。少なくとも、単純な事故として片付けるはずがない。
 …となると、翌朝新井が発見される前にチョコレートは箱ごと消え失せたと考えるのが自然だろう。
 おそらく、江崎が食べてしまったのではないか。箱は持ち帰ったのかもしれない。スーパーで見せたチョコレートへの執着と、直後に食中毒で休んでいたことを考えれば、江崎が拾い食いをして腹を壊した可能性が高く思える。チョコレートをたいらげた後で、倒れている新井が既に死んでいたことに気づいたのかもしれない。
 

 その瞬間、僕はあることを思い出した。
 スーパーで、ワゴンの半額チョコレートを買い占めようとした江崎。
『臨時収入が入ることになった』と言った後、逃げるように走って行った江崎の姿を思い出して、僕の頭の中で全てが一本の糸でつながった。
「小野。お前、もしかして、江崎に強請られていたんじゃないのか?」
「!!!!!」
 口を大きく開き、信じられないものでも見るような目で、小野が僕を見つめている。今にも泣き出しそうな小野にはさっきまでの居丈高な態度は微塵も残されていなかった。
「どう…して……」
「素人の考えに過ぎないけどね、」
 僕は一応前置きして、告げた。
「小野が新井…先生のそばでチョコレートを拾っていたのを見た江崎は、多分小野が新井先生を殺したと思い込んだんだろう。だけどあいつは、それを誰にも言わなかった。その代わりに、小野に金を要求した。…違う?」
 江崎が言っていた臨時収入というのは、小野から強請り取ろうと考えていた金のことだったのだろう。
 小野は何も答えない。ただ僕を見つめ続けるだけだった。僕は、かまわず先を続ける。
「江崎が死んだ時、江崎は金の催促をするために小野を呼び出したんだろ? でも、お前は行かなかった。そして、別の誰かが代わりに行ったんだ」
 
 …何だか、気分が悪い。
 漫画やドラマや小説では、探偵役がスラスラと自分の推理を犯人に叩きつけている。絶対の自信を持って、それはそれはかっこよく独壇場を演じている。しかし今の僕は、とてもいい気分にはなれない。ただいたずらにクラスメイトを追い詰めている僕こそが悪役のように見えてならなかった。

 小野は否定も肯定もせぬまま、呆然とするばかりだ。
「…新井先生を殺した犯人が誰かって話がしたいんじゃないんだ。お前の代わりに江崎のところへ誰が行ったのか…。僕はそれが知りたい。お前、誰が江崎のところに行ったか知ってるのか?」
「…………ない…」
「え?」
「知らない! 何も知らない! これ以上何を聞かれても答えられない!! もう帰ってよ!!!」
 急に火がついたように小野が怒り出し、僕を部屋から思い切り突き飛ばした。
「おい、小野!?」
「君なんか大嫌いだ! もうここには来ないでよ! ほら! 早く出て行って!!」
 玄関まで追いやられて、僕は仕方なく靴を履いて小野家を出た。
 突然締め出されて、雪の降りしきる中を立ち尽くす僕に、ドアを細く開けて小野が小さくつぶやいた。
「はっきり言って君は邪魔だよ。急に仲良くなってズルイ…… 君なんて…いなくなっちゃえばいいのに…!」 
 勢いよく扉が閉められた。鍵をしめ、チェーンをかける音が僕の耳に響いた―――――。





 冷え切った身体を暖めようと、家に帰り着いた僕はすぐに風呂に湯を張った。
 冷たくなってしまった手足に熱く感じられたお湯はすぐに馴染んで、とても心地よくなった。
 
 小野は、何の前ぶりもなく豹変してしまった。それは何故だろう。
 答えは単純明快だ。小野は、誰かをかばっている。江崎の元へ代わりに行った人物をかばっているんだ。
 小野がかばっているのは誰だろう。石田だろうか?
 だとすると、小野は危険にさらされているんじゃないか。もしも容疑者として追い詰められている石田が、その原因を作った小野を恨んでいるとしたら………
 でもきっと、小野は僕の助言を聞こうとはしないだろう。僕に対する凄まじい嫌悪感。
 僕を追い出す時に、あいつは何て言っていたっけ… ああ、そうだ。『邪魔』だと。『いなくなればいい』と。…それ以外にも何か言っていたな。確か…

『急に仲良くなってズルイ』

 …急に仲良く? 誰のことを言っているんだろう。
 ここ最近で僕がよくつるんでいるのは植木だ。新井が亡くなった、あの騒ぎで急速に仲良くなっていった。それ以外に思い当たる人物はいない。
 小野は植木と仲良くなりたかったということか? でも植木は小野を嫌っている様子だったし…

 混乱してきた。僕には探偵は向いていないのかもしれないな。浴槽のお湯でバシャバシャと顔を洗う。
 程よく身体が暖まったので、僕は浴室を後にした。
 

 電話の音で目が覚めた。
 風呂に入ったことで気持ちが良くなってしまって、僕はそのまま居間で眠ってしまっていたようだ。部屋は暗くなっていた。
 壁にかけられた時計の文字盤は夕方の17時を示している。
 慌てて受話器を取ると、心配そうな植木の声が聞こえてきた。
「ああ、帰ってたのか。どうだった?」
「どうって…」
 そういえば、植木に電話をする約束をしていたのだった。すっかり忘れていた。植木に申し訳ないことをしたな。
「小野だよ。何か話は聞けたのか?」
「いや… なんか、追い出されちゃった。小野は僕のことが苦手みたいだね」
 わざわざ言いつけることもないと思い、僕は少しソフトに表現した。
「そっか… まあ、現実ではそんなもんだよな」
 少し安心した植木の声。僕のことを心配してくれてたんだな。最近仲良くなったばかりの友人の気持ちが素直に嬉しい。
「あ、そうだ。これはあくまでも僕の推測なんだけどさ、小野は誰かをかばってるみたいだよ」
「かばう…?」
「江崎のところに、小野の代わりに行った人をかばってるように見えたんだ。」
「へえ……」
「それがもし石田だったら、小野が危ないんじゃないかと思うんだけど…」
「…うーん…… 石田に対しては警察が警戒してると思うんだよな。でも一応、明日学校で忠告しておいた方がいいかもしれない」
 僕では無理でも、植木の言葉なら耳にいれるかもしれないな。植木の提案で僕は少し安心した。
 くだらない話で盛り上がり、僕は珍しく長電話をしてしまった。こんなに楽しい時間を過ごせたのは久しぶりだった。
 晩御飯の支度をして、遅くに帰る母の分を取り分けておく。いつものように一人で食事を済ませて、後片付けも終わり、気持ちよく眠りに付いた。


 翌朝早い時間に電話が鳴った。
 それは、休校が延長になったということを報せる電話だった。
 数時間後、テレビのニュースで、僕は休校の原因を知ることになった。



 可愛らしく髪を巻いてカジュアルな格好をした女子アナウンサーが告げたのは………
 
 小野美幸が、昨夜自宅近くの公園で殺害されたというニュースだった――――――。