Neetel Inside 文芸新都
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りゅうじの短編
頭上の水面(2022/02/18)

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 地面を蹴り、水面へと飛び込む。
 そう、僕たちにとって、水面とは己の頭上にあるものだ。
「あいつは高く飛びすぎたんだ」
 年に数回、不用意に高くジャンプしすぎた人たちが、頭上の水中で溺死したというニュースが流れる。
 おかげで学校の屋上は、いつも立ち入り禁止になっている。
 僕は屋上で頭上に広がる真っ青な水面を眺めながら、コンビニのおにぎりを食べるのが好きだったのに。
『飛び込み禁止』
 最近は町の至るところで、そんな看板が目立つようになった。
 外出の際のシュノーケル着用は半ば義務化されている。
 シュノーケルを着けていないと、3階建て以上の大型商業施設への入場を断られてしまう。台風が来て頭上の水面が増水したので、政府からは休業要請が出たが、休業補償はでなかったらしい。おかげで近所のイオンモールがつぶれて、僕は帰りに寄るゲーセンを失った。
 世の中は少し窮屈になった。
「頭上に水面があろうがなかろうが、関係ねぇよ」
 昔、歳の離れた兄がそんなことを言っていた。
「こっちが準備できてるかは関係ねぇ。来るもんは来るんだよ。結局は、自力で泳ぐことができるやつが生き残るんだ。流されるんじゃなくて、自分の行きたい方向に泳いでいけるやつがさ」
 そう言った兄の右目の周りには、大きな青あざがあった。大学を辞め、一人暮らしのフリーターをしながら小説家を目指すと言ったせいで、父に殴られたのだ。そのわりに晴れやかな顔をしていたのは、自分の主張を押し通したからだった。
 その2年後、兄は頭上の水面で溺死体になって発見された。
 事故だったのか、飛び込み自殺だったのかは分からない。
 分かっているのは、本人が思っていたよりは兄は泳ぎが得意ではなかったということだけだった。
「集中豪雨だって、今度は中国地方。怖いね」
 夕食時、テレビを見ながら母が呟いた。
うわ言のようなその台詞には、どこか遠い外国の惨事を眺めているような、よそよそしさがあった。兄が死んだ後、母はしばらくふさぎ込んだ。精神科に通い続けて、最近になってやっと調子が戻ってきた。テレビにだって勝手な文句が言えるくらい元気になった。
「オリンピック、本当にやるのかな。こんな状況なのに。国もひどいよね」
 母がそう言ったが、僕は返事をしなかった。代わりに、記憶の中の兄の言葉がよみがえった。
 こっちが準備できてるかは関係ねぇ。来るもんは来るんだよ。
 僕はそれも無視しようと努めた。食卓に目を落とす、その日のおかずはチンジャオロースだった。兄はピーマンが食べられなかった。
 テレビでは、先週の集中豪雨で起きた土砂崩れの瞬間の映像が流れていた。何度見たかは分からない。
 怖いととか、悲しいとか、つらいとか、むかつくとか。
 そういう感情も、僕らは共有しないといけないらしい。もはや義務に思える。だから、同じような映像を、同じようなニュースを、同じような数字を、毎日何百回と見せられる。
 僕はテレビを消した。「まだ見てたのに」母がそう言ったが、僕は返事をせず次ピーマンを口に運んだ。
 世の中には色々なことが、本当に色々なことがありすぎてうんざりするが、母のチンジャオロースは絶品だった。少なくとも僕は今生きていて、それを舌で味わい、歯で咀嚼し、喉で飲み込むことに意識を集中すれば、「まぁ、十分だよな」という気持ちにはなれる。
 ピーマンを克服し、このチンジャオロースを食べることができたなら、兄も家を出ることはなかっただろう。
 だから僕は、ピーマンを克服した兄にならなきゃいけない。兄の代わりに。
 その日、僕はご飯をおかわりした。
 それからお風呂に入って、寝る前に日課のストレッチをする。血の巡りがよくなると、深く眠れるようになるらしい。効果はいまいち実感できていないが、僕は入念にストレッチをした。泳ぐ前に準備体操をするように。
 自力で泳ぐことができる者が生き残るのだという意見には賛成だった。
 だけど、自分の行きたい方向に泳ぐことにはこだわらない。
 生き残るためには流れに逆らわず、身を任せることのほうがより重要だと思う。押し流されて、たどり着いたその先で、それなりに上手くやっていくことのほうが。
 だって、人生はこんなにも思い通りにならない。
 僕はベッドに横たわり、天井越しに頭上の水面と対峙する。
 来月には、このあたりにも集中豪雨がやってきて、僕の部屋がある2階が水没してしまうぐらい、頭上の水面は増水してしまうかもしれない。そうなったら、このあたりにも避難指示が出るだろう。一番近い避難場所はどこだっけ? 明日ハザードマップを確認しておかないと。そんなことを考えているうちに、僕はまどろみ眠りに落ちる。
 夢の中、僕は足元の線状降水帯の雨雲から、天に向かって滝のような雨が昇っていくのを観る。今にもこぼれ出しそうな水面は、僕の頭上一メートルほどの高さに迫っていた。
 準備体操はすでに終えていた。 
 自分がそうしようと思った理由は分からなかった。全てが嫌になったのかもしれない。全てが嫌になって水底に沈んでいった誰かを連れ戻すためだったかもしれない。
 自力で泳ぐことのできるやつが生き残るんだよ。
 誰かの言葉を思い出す。僕の準備体操は十分ではないかもしれない。でも、大きく息を吸って止めると、余計なあれやこれやはどこかに消える。精一杯水をかいて、一定の間隔で息継ぎをする。自分にやれることはそれだけだ。不安になる暇すらない。
 地面を蹴り、水面へと飛び込む。
 そう、僕たちにとって、水面とは己の頭上にあるものだ。
 常にそこにある。いつだって水際に立っている。 
 だから、できるかぎりの準備をして、順番が来たら、今の自分を精一杯泳ぎきるだけなんだ。

       

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