爆発衝動(『新都社作家の後ろで爆発がした企画』に投稿)

 後ろで爆発が起きた。
 クソったれが。
 鼓膜が破れ、三半規管が癇癪を起す。俺の親父は傭兵で、軍隊格闘の達人だった。
「いいか、競技でない実戦において、鍛えることのできない鼓膜というのは有効な攻撃部位の一つだ。手のひらで皿を作り掌底と同時に空気を押し込めば、それで相手の鼓膜は破れる。イヤーカップと呼ばれる技だ」
 七歳のころだったか、親父のその言葉を片耳だけで聴いたことを覚えている。もう一方の鼓膜はその言葉の直前に破られていた。幼い俺は激痛で地面に這いつくばっている。耳から流れた血が、指先を濡らす。
「何してる。そんなことじゃあ追い打ちを喰らって殺される。戦闘態勢を維持し続けろ。鼓膜だけなら、どうせすぐに治る怪我だ」
 俺の鼓膜をブチ破った張本人の親父は、詰るように言った。親だからというだけで、子供を理不尽に痛めつけ、その上説教まで垂れやがって。
 親父の言った通り、鼓膜は二週間ほどで治った。
 だが俺の味わった屈辱は今も残っている。一生残る屈辱だ。
 軍隊格闘技の主題は『戦場における不意の遭遇戦で、どれだけ短時間で相手を無力化できるか』ということだ。戦闘開始の合図はなく、相手の武器・技・体格すらも分からないのが前提となる。しかし俺はその技によって親父という特定人物をなるべく長い苦痛を与えながら殺すことを求め、そのために歳月を払った。俺の行為は戦場におけるあらゆるルールへの冒涜でもあった。
 こんなのは兵士の風上にも置けない。
 別にいい。
 俺は軍隊格闘技なんて本当は学びたくはなかった。屈強な兵士になんぞなりたくはなかった。どこかの湖のほとりにある家で、魚を釣って本でも読みながら暮らしていたかった。でも親父はそんなこと許さない。だから、俺はそんな親父が許せない。
 殺してやる。
 殺すべき明確な相手がいるということは、場合によっては人生の充実感につながる。
 正規の軍隊に所属しない傭兵稼業には、軍隊格闘とは別にもう一つの職人技が存在していた。拷問のスキルだ。  
 俺はそれらを独自に研究し、己の戦闘スタイルとして身体化する。親父を拷問するためには必要なことだった。
「お前は無駄なことをやっている」
 俺が捕虜相手に拷問の練習をしているのを発見した親父は、しばしそう言った。
 この世の地獄を見たような冷たい目で俺を見下す。関節を外す、あるいは折る。それが仕置きだ。ナイフで爪を剥がされたこともあった。麻酔なしで『健康な歯』の治療を受けたことも。
 抜歯されたのは親不知。
「ぶっ殺してやるよ」
 親父の拷問は温い。俺の心を折ることはできなかった。
 殺意の籠った目で睨み返すと、やつは相変わらず爬虫類の剥製みたいな目をして、しかし表情はどこか楽しげに見えた。笑ってやがる。今更、父親らしい感慨に浸っている。
 てめぇの息子に、てめぇじゃあ手に負えない一面ができたのだ。
 喜べよ。
 この先、もっと手に負えなくなるのだから。拷問してやる。殺してくれ、と懇願させてやる。我が子の成長ぶりを痛覚によって体感しろ。親父の笑みは、俺の殺意を加速させた。


 その必ず殺すべきだったはずの親父は、たった今命中した敵機からの爆撃の着弾地点にいたはずだ。
 

 まさか。
 そう思ったが、爆風と一緒に飛ぶ人間の前腕部が見えた。その手首に巻かれたGショックは、親父を殺したら奪おうと思っていたやつだ。
 次の瞬間、俺の身体は空中へ投げ出されている。ディレイした爆風の反動。着弾は至近距離だった。本当なら俺も一緒に粉々になって即死していたはずだ。爆発の直前、地面に伏せたのが功を奏した。だが自分の判断ではない。
 着弾の直前、背中を押された。
 親父。
 何を、無駄なことをしてんだよ。 
 吹き飛んだ土とコンクリ片の中で、俺は自分の前身から力が抜けていくのが分かった。憎しみと気力が雲散霧消する。これは破れた鼓膜とは違う。破壊されて、二度と元には戻せない。
 天地が逆転し、爆心地のほうへと高速で流れる地面が徐々に頭上に迫ってくる。
 俺の身体には炎がまとわりついていた。背中が焼けただれている。親父よりも一秒だけは長生きできたらしい。しかし、それに何の意味がある。俺は全てを忘れようとした。痛み、疲労、撃鉄の音、死体、笑う男たち、レイプ、壁に残った弾痕、腹を弄るナイフの冷たさ、キャタピラの音。
 そして最後に、拷問部屋の血の匂いが残る。
 傭兵というのはミサイルと同じだと思っていた。少なくとも親父からはそう教えられた。でも違ったのだ。俺たちはミサイルの爆風で吹き飛ばされる瓦礫に過ぎない。空中に投げ出され、地面に落ちて粉々になる。それが人生。
 俺は全てを諦観して目を閉じた。
 そうしたら、空っぽにしたはずの頭の底にある台詞が浮かぶ。
 

 ≪戦闘態勢を維持し続けろ≫


 俺の精神の奥底に埋め込まれた暗示が、そう呟く。親父の教えだった。
 親父はまだ戦えと言っている。 
 俺は親父を殺すために生きてきた。だが戦場においては、俺たち親子はチームだった。互いの背中を守り、命を預け合う。 
 『ここ』では、いつだって親父は俺の味方だった。
 一度閉じた目が、再び開く。
 地面はまだ俺の頸椎をへし折ってはいない。吹き飛ばされた最高到達点は、およそ二十メートル。そこに爆風の加速度が加わっている。だが落下ポイントは土の上だ。生還できる可能性はゼロではない。身体の捻りを利用して、着地の衝撃を分散するのだ。パラシュート降下時に有効な五点接地転回法は親父に散々叩き込まれた。それを応用する。
 俺は両手を伸ばし、迫り来る天蓋を掴んだ。
 両手の五指が硬めの土に刺さり、次の瞬間逆方向にひしゃげた。
 構わずに、自分の重心を左肘にかける。地面に接した瞬間、肘先の皮膚が迷彩服ごとめくれ上がり、その下から露出した骨が数センチ削れる。
 続いて肩口で衝撃を分散。左肩は脱臼した。
 次は背中。まとわりついた炎が摩擦で消える。背骨は痛んだが、徐々にダメージは軽くなっている。
 最後に、両脚が強く地面を踏んでいた。
 俺は一度大きくホッピングし、着地してそのまま走り続けた。天候は瓦礫と土の土砂降り。ギリギリの隙間を、右へ左へと掻い潜る。
 雨はすぐに止んだ。
 勢いに任せてしばらくマラソンを続け、息切れを起こした俺は立ち止まる。爆心地からおよそ三百メートル地点。親父との思い出は、すでにそんな後方にある。物事は常に変化する。そして、親父が教えられた軍隊格闘技というのは、変化し続ける戦場で生き残るための術だ。
 後ろを振り返ったときには、俺はこう考えている。
 親父をぶっ殺したやつを、殺すしかない。親父から受け継いだ軍隊格闘のこの技を使ってだ。つまり、復讐をする。
 澄み渡った青空には、飛行機雲がかかっていた。先端部には豆粒みたいな爆撃機の影。
 そういえばそうだった。
 殺すべき明確な相手がいるということは、場合によっては人生の充実感につながるのだ。
 ふと足元に目をやると、Gショックの付いた手首が落ちていた。俺が生きていることよりも、こっちのほうが奇跡に思える。笑い話だ。
 お前は無駄なことをやっている。
 草葉の陰で、親父がそう言った気がした。お構いなしにGショックをふんだくった俺は、捨てた手首を踏んづけてやる。そして何度も口にした言葉をもう一度重ねる。
 今はもう別の意味になってしまったけれど、それでもいい。
 それでいいんだ。
「ぶっ殺してやるよ」 
 自分の顔に、いつかの親父と似た笑みが張り付いているのは分かっていた。
sage