■幻想世界
――僕は、思うんだ。
――僕はきっと、妖精なんだって。
だって、僕は人間と仲良くなんてできない。
彼らとはきっと違う生き物。
いつだってそう。彼らは卑しく笑って、僕みたいな相容れないものを蹴落とす。
僕が何をしたというのだろうか。ただ、人間より少しだけ頭が良くて、少しだけ運動神経が悪くて、地味で、そして臆病なだけなのに。
彼らの、捉えた獲物を見つめるような、小さな子供がトンボの羽を毟ろうとしているような、恍惚とした眼差し。間違いなく僕に向けられていたその眼差しを忘れようと、学校の帰り道、お気に入りの隠れ家へと向かう。
古来より妖精は、自分たちの子供と人間の子供を取り替える、特別な儀式を行ってきたと伝えられている。妖精の目的は分からないけれど、人間の子供を連れ去る代わりに、人間界に自分たちの子供を置いていく。そして、妖精の子は人間のお母さんに育てられ、ほとんど気づかれることはない。妖精は、何を思ってこんな世界に子を残していったんだろう。幸せを願って?それとも別の子供が欲しかったから?
僕も恐らくその一人。でもやっぱり、他の人間とは少し違うし、幸せだなんて少しも思えない。お母さんはすごく優しくしてくれるけれども、だからこそ、学校でのことを話して心配させたくないし、ましてや自分が妖精だ……なんて言えない。
でも、妖精の子が大きくなると、ある日突然、妖精界から迎えが来ることもあるらしい。いつか僕にも来てくれない――かな。
帰り道、シャッター通り。閑散とした街並みに映える夕焼けと、ほんの少しの茜雲。
こんな景色は好きだ。駅前の人ごみなんかより余程。
冷たい風が吹き付け、木の葉を舞わせる。
僕は足早に一軒の古本屋へと入る。
この本屋は二階建てになっていて、一階には見る人の多い漫画や一般書籍が置かれている。人通りの少ない立地にあっては客足も伸びなさそうなものだけど、近所に大手の古本屋がないこともあり、お店を維持できる程度には客が来ているみたいだ。
僕は、人当たりの良さそうな初老の店主を一瞥し、二階に上がった。
鼻を包む、紙と糊の匂い。
暗がりを照らす、しかしながら薄暗い照明。
ここには僕以外、ほとんど来ることはない。
一面の本棚に積まれたどれもが、茶色っぽくなった分厚い本。
この店の主人の趣味らしい、様々な世界の、幻想のお話。
水晶窟の竜。珊瑚の森の人魚姫。
さっきの妖精のことも、ここで読んだ。
ここからだったら僕はどんな世界へだって行ける。
この世界に疲れたとき、僕はここに来て、別の世界のことを読み、考える。
そうしている間、僕はこの人間の体をした自分を忘れることができる。そして、ひょっとしたらただの人間なのかも……なんてくだらないことを考えないで済む。
不躾なことに、床に数冊の本が散らばっていた。
まったく、こんなことをしたのは誰だろう。
ぽつぽつと、床に点在する本を、目で追う。
視線の先に、淡いクリーム色の光が映った。
光は、形状を伴って、そこに在る。
向こうに開かれた本の上で光る、何か。
心臓の鼓動が速くなる。
大きさにして漫画の単行本くらいの、浮遊する何か。
それは確かに、確実に、本の上に存在している。
ストレートロングのブロンドの髪。
コバルトブルーの瞳。
背中には、天使のような純白の鳥の翼。
纏うは、幾層にも重ねられた純白のドレス。
幻想は、認識を伴って、具現する。
この世界の何物よりも美しい、少女。
それは、僕が初めて遭遇した、本物の――妖精だった。