Neetel Inside ニートノベル
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 僕は棒立ちしたまま、ただ見とれていた。
 時が止まったかのような空間。そこにあるのは完全な静寂。
 自分がゴクリ、とつばを飲み込んだ音だけが聞こえた。

 目の前にいる存在は何だろう?
 天使のような姿をした、身長20cmくらいの宙に浮かんだ少女のかたちをしたもの。
 翼の動きは緩慢で、飛んでいる……というより浮いている、といった感じだった。そして何よりも可愛い。僕と同じくらいの年に見えるけど、ロリ気味な可愛い子をただ小さくしてもここまで可愛くはならない。例えるならアリス調のフランス人形というか、それに背中の翼が何とも言えない幻想的な雰囲気を醸し出していて、とにかく人間がいかに着飾っても表現できない美しさだった。
 きっと普通の人間が彼女を見たら、「これは妖精だ!」と言うだろう。僕も実際そうとしか思えない。これは西洋のフェアリーだと。
 くだんの妖精は、床に広げられた本の一冊を読んでいるみたいだ。たぶん僕には気づいていない。いや、本当に本物の妖精だとは言い切れないんだけど。ただ、あまりに美しくて、僕の中の妖精のイメージにぴったりすぎて、そうとしか言えなかった。
 そして、あるいは僕もこの妖精のように、可愛らしくて美しい姿をしているのかもしれない。いつも考えていた本当の僕のイメージ。この世界の僕は仮の姿で、妖精界に戻れば元の体が待っている。そんな空想も、目の前の妖精の姿を見れば現実味を帯びてくる。
 この妖精は真剣に本を見ているのだろう。見開きにした本を上から眺めている形だ。僕はなぜかこの読み方がとてもうらやましかった。当の本人にしてみれば、着地したままだと全面を見ることができないだろうし、単にその方が読みやすいのだろうけど。

 ――例えば、この妖精が本物だとして、彼女から見た僕は妖精だと認識されるのだろうか。ふとそんなことを考え始める。僕がこんな姿をしていては、ひょっとして人間に見られてしまうかもしれない。しかしまず、目の前の妖精は本物なのだろうか。確かに僕自身は妖精のはずだ。けれどもそれを証明する手段はないし、本当に本物の妖精を見たこともないから、彼女が本物かどうかなんてやはり分からない。。僕からしたら本物の妖精が迎えに来てくれるのを待つしかないのであって、偶然目撃してしまった妖精のようなものに「あなたは妖精ですよね。僕も妖精なんです。妖精界に帰らせてください。」などと言うのはちょっとおかしい気がするし、取り合ってもらえる可能性は低い。つまるところ、僕の見ている妖精は僕自身の想像上の存在にすぎないのであって、だとしたら僕は統合失調症ということになり――って何を考えているんだ僕は。だって僕は普通の人間とは違う。人間とは考え方が違うし、能力も違うし、それに……それに――あんな奴らと同じ人間だなんて嫌だ。あいつらと同じ生き物であっていいはずがない!
 でも僕は人間として育ってきた。それは事実だ。そしてこの世界で本物の妖精を目撃した話は聞いたことがない。だとしたら、目の前の妖精が本物だということは、妖精界から迷い込んで来たか、何らかの目的があって来たか、そうでなければ妖精はこの世界にいて、同じ妖精である僕にしか見えないかだ。仮にこの妖精が妖精界から来たとして、妖精は何語を話すのだろうか。ファンタジーの世界では、何の気もなしに日本語なり本に書かれた言語をそのまま話しているけれども、文化背景が違うし、日本語や、最近Be動詞が理解できたくらいの英語で通じるものなんだろうか。こうしたままでコミュニケーションの取りようがなければ何の進展もない。でも、少なくともここにある本を読んでいるということは、日本語か何かしらの言語を理解しているのであって……

 不意に、今まで本とにらみ合っていた妖精が顔を上げ、かかった髪を払った。青い色をした瞳が正面を向く。正面には僕がいる。僕もぎょっとして注視してしまう。明らかに目が合った……!
 ――どうしよう。僕はそもそもお母さん以外の人間と話したこともほとんどないし、会話はものすごく苦手だ。なのに本物の妖精となんてどう話したらいいんだろう。
 妖精も驚いているみたいで、瞳を大きく開けてこちらをみている。
 どうしよう。逃げられちゃうかもしれない。
 初めて出会った妖精。二度とこんなチャンスはないかもしれない。
 どうしよう。何か言わないと。

『あの……』

 口をついた言葉。その言葉は確かに僕がふと発したものだったけれども、鈴の音のような、細く、甲高く、透き通った声。目の前の妖精の声とシンクロする。
 それで僕は頭が真っ白になってしまった。再び静まりかえる部屋。
 何を言おうとしていたんだっけ。さっき色々考えていたのに、だって妖精も「あの」って言ったよ。これは最後のチャンスで、妖精は確かに想像じゃなくて、そうだ、この子は本当に妖精なのか聞かなくちゃ。

「――あなたは、妖精……ですか?」
「ひょっとしてあなたは妖精ですの?」

『えっ?』
 再びシンクロする会話。――妙な語尾が聞こえた気がするけど。

「えっと、僕、妖精だと思うんですけど、あなたも妖精ですよね。――ってそうじゃなくて、僕はきっと取り替え子で、本当は帰る場所があって、もし妖精の世界があるんなら、僕を連れて行ってください!」
 ――駄目だ、自分でも何を言ってるのか分からなくなってきた。それでも、この機会を逃してしまったら僕はきっと一生後悔する。だから、今まで秘めてきた想いを何とか理解してもらおうと続ける。
「僕、もう人間の世界で生きるのは嫌なんです!もうあいつらと一緒にはいたくない!だから……僕は、妖精界に行きたい!」
 そう言って、僕は妖精に近づいていく。
 彼女のドレスの裾がわずかに震えている。それが彼女自身の震えかは分からない。
 周囲の光が強くなる。
「あのー、おっしゃられている意味がよく分かりませんの。あなたは妖精で、ここは妖精の世界ではないんですの?」
 強くなった光は純白に近づき、周囲の空間を飲み込みながら僕を包み込む。
「えっ、それってどういう――」

 視界に映る全てが白くなる。と、同時に何かが僕の中に流れ込んでくる。何か温かい、お母さんに抱かれているようなぬくもり。
 得体の知れない、けれども心地良い何かに包まれて、僕の意識は遠のいていった。

       

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