Neetel Inside ニートノベル
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 妖精の国があったとしたら、どんなに美しい場所なんだろう。
 森の中、青白い幻想的な光が降り注いでいて。
 大きな切り株やキノコに並んで座って。
 月明かりの下でダンスを踊るんだ――


「ねえ、あれって……妖精、だよね?」
「わかんない。」
「でも、すごく大きくて、真っ黒い服を着ているってさ。」
「とりあえず爺(じじ)様呼んでこよっ!」
「うん!」


 爽やかな風が頬をくすぐる。
 確か今は冬だったはずなのに、春のような暖かい日差しが降り注いている。
 僕は夢を見ているのだろうか。それとも、今まで夢を見ていたのだろうか。現実から乖離した感覚。そして大海原のど真ん中に背浮きしているような、そんな浮遊感があった。
 僕の頭から足先を撫で回った風は、どこまでも続く草原を駆け抜けていく。風――草原?

 僕はうつ伏せの状態で横になっていた。懐かしい、どこかで嗅いだような草の匂い。これは夢なのかな、なんて思ってみたけれども、決してそうとは言えない確かなリアリティがあった。
 頭が重い。思考はまだ虚空をさ迷っている。定まらない記憶。僕は何をしていたんだっけ……?
 どこからか澄んだ甲高い旋律が聴こえてくる。そう、さっき聴いたような。僕はこの美しい音色を聞いていたんだ。どこで?――学校の帰り道、本屋の二階で、僕は妖精に出会った……
「妖精!」
 僕は思わずその単語を声に出して、上体を起こす。
 僕の視界に映ったのは、一面の草原、というよりも白に染まるお花畑だった。風に揺れる幾千もの青緑色の葉と、そこから延びる穂には、ベル状の形をした小さな白い花が、列になって並んで咲き競っている。辺りから洗いたての洗濯物の香りがする。それは、初夏に咲くはずのスズランの花だった。目を奪われるような、美しい白一色の群落。最上質の白のじゅうたんは地平までも続いているようで、太陽の光をいっぱいに受けていたけれど、左右を見回すと、スズラン畑はある線を境に木々に替わり、今度は薄暗い鬱蒼とした森がどこまでも続いているのだった。
「そうでしたか。なるほど。やはりそなたは妖精なのですかな?」
 ふと背後から、ほんの少しだけ低い声がした。まだ痛む頭を回転させ、声の方を振り向くと、そこには――

 ――草原は僕のすぐ後ろで終わり、石造りのアーチ状をした門のようなものと、それから先には、写真で見た古めかしいヨーロッパの街並みのような、どう見てもこれは「街」があった。その周囲は石壁で守られていて、なかなか堅牢そうに見える。けれどそこには奇妙な違和感が付随していて、それが何に起因するかといえば、その街のスケールは、明らかにどこかのレジャー施設でみられるようなジオラマのそれで、石造りの家々は僕の背丈より少し低いくらい、彼方にはお城のような建物も見えるけど、それもまたたいして大きそうには見えなかった。
「こちらに御座います。」
 声の主は視界よりもやや下方にいた。
「えっ!?」
 僕は驚きを禁じ得なかった。なぜならそこにいたのは、少し老けて見える男の妖精(?)と、その背後で飛びながら様子をうかがっている二人の妖精の女の子だったからだ。初老の男の妖精は透明に近い空色の、普通に考えられている妖精にあるようなトンボの形をした羽を、女の子のうちの一人は薄ピンク色の同じくトンボ型の羽を、もう一人は黄色いアゲハ蝶のような羽を、それぞれ飛ぶというにはかなりゆっくりとした速度でパタパタと動かして浮遊していた。ちなみに、女の子の服は羽の色に合わせた、お揃いのシンプルなワンピースだ。背の丈はやはり20cmくらいだろうか。先程の彼女とは違った、素朴な可愛らしさがあった。
 ――そんなことよりも現状を考えよう。目の前に広がるのは、あまり背の高くない僕から見ても、とてもとてもスケールの小さな街。おそらくその入口に僕は倒れていたところを、この人たちに発見されたんだろう。周囲は草木に囲まれていて、本屋からこんな場所に繋がっているなんておかしい。何だか季節も飛んでいるし。そしてこの人たちはどう見ても妖精なのであって……その、ようするに僕は、妖精の国に来ちゃった?――としか考えられない。ちょっとイメージとは違うけど。それよりも、男の妖精っていたんだなって、ひょっとしたら当たり前かもしれないことを思ってしまった。
 男の妖精は英国紳士然とした面持ちで、目が合うと僕に一礼し、僕が口ごもっているのを見て続けた。
「私はあちらの城で執事をしておりますモミジと申します。大きな旅人よ、よろしければお名前をお聞かせください。」
 ジェントルマンな風貌の妖精は、意外にも和風な名前だった。優しそうな雰囲気を纏っている。
「もっとも、皆の者は私を爺様と呼ぶのですがな。」
 そう言って彼はほほ笑んだ。後ろの二人は隠れたままだった。思考があまり追いついていないけど、とりあえず僕も自分の名前を答える。
「あ、えっと、僕は佐倉……さくら……何だっけ?んと、佐倉、でいいです。」
 僕の名字は佐倉だ。佐倉……それ以上考えようとすると頭が痛くなる。僕はなぜか下の名前が思い出せなかった。まるで何らかの魔法にかかったみたいに、記憶から一部分だけがすっぽり抜け落ちたような虚無感だけがあった。そして、少しぼーっとしていたからだと思っていたけど、何だか気付いてからずっと頭が重いのが、段々ひどくなってきていた。
「サクラ様とおっしゃられるのですね。とても良いお名前ですな。それではサクラ様、彼女たちも心配しているようですし、単刀直入にお聞きしますが――あなた様は妖精であられるのですかな?」
 ――どういう意味だろう。つまりこの人たちから見ても、僕が妖精かどうかなんて分からないんだろうか。そういえば僕って、別に妖精になったわけでもなく、全くいつも通りの姿のままなんだよね……。
「あの、僕は自分が妖精だと思ってきたんですけど……違うんですか?この姿では分からないかもしれませんけど。」
「いいえ、私共はてっきりあなた様のそのお姿が妖精のものなのかと……。」
「えっ?それはどういう意味ですか?」
 僕はますます混乱してきた。頭痛もひどいし。
「あなた様のお姿を拝見してすぐに連想しました。魔力なき世界に住み、身の丈ははるか大きく羽をもたぬ、我々と同じ姿で黒衣を纏った妖精と呼ばれる存在が、星を拓き魔力を治め我々を形作った。これが私共に伝わる伝承にございます。」
 黒衣……黒い服……と言えば僕は確かに学ランを着ていた。それに、羽なんてないし、魔力って何系の発想?
「確かに、僕はそんな感じかもしれませんけど……。僕は、えっと、モミジさんたちみたいなのを妖精って言うんだと思っていました。それに、そもそもここはどこなんですか?」
「ここは――」

 その時、ひときわ強い風が吹き付けて、僕は頭が痛いのでいっぱいで、それはモミジさんの言葉をかき消して僕の体勢を奪った。三人の妖精が詰め寄ってくる。ブラックアウトする視界。そして僕の思考ははるか彼方へと飛んでいく。


「――気付きましたの?」
 埃っぽい本の匂い。窓から注ぐ夕日。
 普段見ていた景色。幻想ではない世界。
 その中で僕は、翼を持つ天使に膝枕されていた。

       

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