Neetel Inside ニートノベル
表紙

なんJを出よ
2.

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 鶴岡は出社するなり、同僚の深江に喜々と話を持ちかけられた。
 鶴岡が働く会社は、社長が道楽でやっているようなしがない印刷会社で、主に事務職をやっている。
 たまに工場の方へ赴くこともあるが、基本的には庶務や経理の仕事をして、なんとか周囲の手だれなオバちゃんたちを怒らせないように必死だ。それこそ社員の数が少ないので、決められた仕事以上のことをこなさなければならず、横断的で複合な業務に、時に目眩を起こしそうになっていた。だがそれでも鶴岡は、世間では馬鹿だアホだ、フリーランクだと言われている、然るべきは(ごもっとも)御尤な大学を出た後、働き口を見つけることが出来ず、一時はフリーターで糊口をしのいでいた身空もあってか、仕事の辛さは大して気にならなかった。
 履歴書をパイナップル爆弾に。日商簿記2級という心もたない資格を鎧にして、面接に赴き社長に気に入られたお陰で今の自分がいる。感謝さえしている。
 新人のころはオバちゃんたちに、どけんから来たんね? 頑張るん? 年はいくつ? 24ねー、うちにも18ぐらいの…、そう言って迎合された。
 そして深江も現れた。
「そんなに笑顔でどうしたんだ?」
 深江は七福神にそっくりそのままの顔で、いつも嬉嬉としながら、おいしそうにタバコを吸う男だった。人当たりが良く、いつもこうして仕事の前などに事務所に入ってきては、鶴岡に「お茶を出せ」などと冗談混じりにせがんでくるのが人当たりの良い証拠なのだろう。事務のおばちゃん達からはダルマだ、ビリケンだと言われているが、鶴岡はそのハの字に垂れ下がった不精髭と、三百メートルも先から見ればエレクトロニクスを研究している大学教授にも見えそうな瀟洒な気品から「これきよ」と名づけている。
「いやね。面白いサイトを見つけちゃったんだ」
「面白いサイト?」
 深江と鶴岡はインターネットサーフィンをするという共通の趣味があった。時にPOSOだ、時に赤い部屋だ、アングラなことを話す中で、そういったことを話しているのは、エージェントごっこをしていた小学生の夏の日に戻れそうな気がして、どこか背中のあたりがこそばゆく痛快だった。
 昨日は仕事が終わった後ニコニコ動画という、動画共有サイトの話を一緒に帰りながら、途中コンビニに立ち寄ってその話をした。昔は課金をした会員優先で、夜の7時を過ぎると動画を見ることができず定時に仕事が終わったらすぐに走って家に帰った、という話や、ID制限がかかっていて最初の頃は動画を見ることすらできなかった、だとかそんな取り止めの無い話だった。
 話の主導権はいつも深江が持っていて、鶴岡は聞き手がおおよそだったが嫌な気はしなかった。
「なんでも実況J板って知ってるか? にちゃんねるの中にある掲示板のことなんだけどさ、これが凄く深くて面白いんだぜ」
 にちゃんねるというのは、ひとえに便所の落書きだと形容される掲示板のことだ。鶴岡も良く利用している。暇なときは人の多い掲示板へ行って書き込みをしたこともあった。しかし、鶴岡はにちゃんねるに、”なんでも実況J”という掲示板があることを知らなかった。
「なんでも実況J、良くわからないな」
「俺もまだ最近見つけたばっかりなんだけど、人が多いVIPとは一味違った面白さがあるんだよ。きゅうりでモアイを作ったりしてたり、本当に意外性っていうか」
 鶴岡は訳が分からなかった。きゅうり? 木像? 何を言っているんだ?
 たしかにVIPは、木綿を水にどっぷり漬けたような、冗長にも近い気だるさがある。だがそれでも書き込み数は群を抜いて多いし、祭りというものが起きれば一晩中でも噛り付いていられるような中毒性もあった。そんなVIPより面白い板が存在するのだろうか。
 UNIX騒動みたいなものか? 違う、違う。じゃあ、のまねこみたいな。それも違う。
 じゃあなんなんだ、という顔を鶴岡がしたとき、対面で話す深江の肩におばちゃんの手が乗った。
「ちょっとあんた、ラジオ体操はじまっちょるよ。はよいかんね」
 ラジオ体操には集中力や、やる気を生み出すと社長は言っていたが、健康を気にしている社長の道楽であった。今時ラジオ体操をしている会社はあるのかと思ってはいるが、工場で働いている作業員は、労働時間が微々ながら少なくなるという気持ちから、朝だというのに満面の笑みで張り切ってやっている。
 深江はだるまのような目をした。だるまの目をすると、本物のだるまのように見える。そして、垂れ目ながら、目尻を真っ直ぐに下ろし、敏する鷹のような目つきになった。ブルーカラーの人間は色々いるが、だいたいは最低だ。休憩時間になるとエロ本を読んでいる佐官の兄さんや、Vシネマに出てきそうなヤクザ顔の土方。しかし、仕事になると誰もが目の色を変える。鶴岡はブルーカラーが最低だと思ったが、その目や仕草、表情が好きだった。
「あ、さ。じゃあ、また都合がついたらまたこっちに来るから、ヨロシク」
 おばちゃんもね。 おばちゃんやない、お姉さんや。
 深江は首にかけたタオルを両手で掴んで、事務所を後にした。分かった、とだれた声で鶴岡が言うと、溜まっている伝票を処理しようと事務机に座った。そして、少し窓の方を見る。和気藹々とラジオ体操をしている一群が見える。

       

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