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キス、キス、キス
第6話 恋は盲目

 翌日の日曜、リナは窓を打ちつける雨の音で目を覚ました。時計を確認するとまだ七時を過ぎたばかり。休日にしては、ちょっと起きるのが早すぎたようだ。
 結局、昨晩はキョウコのベッドでいっしょになって眠ってしまった。教室で話したことはほんの軽いジョークのつもりだったのに、なんて言い訳は通用しないだろう。「寒いからこっち入りなよ」とキョウコにおいでおいでをされたとき、リナは心と身体を弾ませて彼女の元に飛び込んだ。なにをするというわけでもなく、キョウコの近くにいられることが嬉しかった。
 日付が変わる頃にベッドに入り、電気を消すと、真っ暗な部屋に街灯の明かりが差し込んだ。それが窓側に寄ったキョウコの口元を照らし、うっすらとした闇の中で唇だけが綺麗に浮かぶ。眠くなるまでふたりはくだらない話を繰り返すのだけれど、リナは彼女の唇ばかりが気になって相づちも上手く返せず、眠気すらもどこかへ忘れてしまった。
 やがてキョウコが眠りに落ち、かすかな寝息を立て始めても、リナはまだ起きていた。そしてずっと彼女を眺めていた。
 本当は彼女に触れたくて、リナの身体はむずむずしていた。髪を撫でたい、手を握りたい、唇を重ねたい。でも下手に起こしてしまうのも悪いし、スキンシップならこれからいくらでもできるのだ。その機会は明日でもいいし、明後日でもいい。リナは欲望がまだ小さいうちに、そっと胸にしまいこんで目をつむった。
 そして今朝、キョウコより遅く眠ったはずのリナは、彼女より早く起きた。目覚めもよく、どうやら今日のデートが楽しみで待ちきれなかったみたいだ。こういうのって、自分がすごくコドモっぽく思えてくる。
 隣りで眠るキョウコはだらしない寝顔を晒していた。おしゃぶりをするみたいにたたんだ腕を口元に寄せて、こちらもコドモみたいな寝相。無防備で、ちょっとブサイクになった表情が愛しさを際立たせる。リナは彼女に顔を近づけ、そのまま頬にくちづけをした。それに反応したキョウコは眉をひそめ寝息を大きく吐き出すと、うっすらと目をあけて、今が朝であることに気づいた。
「おはよっ」
 リナのあいさつにキョウコはすぐには反応せず、鈍い動きで枕元のケータイを取り、時間を確かめてから、ようやく「おはよ……」と返事をした。なんでこんな早く起きてんの、とでも言いたそうな顔だった。
「朝だよ」
「……早すぎ」
「まだ眠い?」
「……眠すぎ」
 二秒遅れで面倒そうに返事を繰り返していたキョウコは、身をよじって「もうちょっと寝かして」とかすれた声で言うと、リナに背を向けてふたたび寝に入った。放ったらかしにされたリナはキョウコの背中にしがみつく。
「あ、ぬくい……」
 キョウコが満足そうな声を出す。リナは嬉しくなって「もっと暖めたげる」と、両腕を彼女のおなかに回して抱きつくような格好を取った。朝の冷え込んだ部屋の中で、ベッドの中だけは暖かい世界が広がっていた。
 キョウコに抱きついて、キョウコの熱を感じながら、リナは、自分はキョウコのことが好きなんだと思い始めた。ありがちな表現をすると、ライクではなくラブの方の「好き」。すかさず「同性だよ? 正気?」ともう一人の自分が問いかけるのだけれど、んなこた分かってんだよボケ、と豪快に蹴り飛ばす。そうじゃない。同性とか異性とか、そういうことじゃない。
 考えれば考えるほど、リナはキョウコへの抑えがたい感情を確信していく。何日も連続で溶け合うようなキスをして、(語弊はあるものの)ベッドを共にして身体を暖め合って、それで特別な感情を抱かないなんて、そっちの方が正気ではない。
 ただ、好きなのだ。キョウコといっしょにいられることが、ただただ、嬉しいのだ。
 
 昼前になって雨もおさまり、曇り空になったところでふたりは出かけた。
 雨上がりの知らない街をキョウコとふたりで歩く。リナは知らない風景を見て回るのが好きだ。いっしょに歩いてくれるのがキョウコなら、それは尚のこと楽しい。
 途中、今朝の雨のせいか寒さに身を震わせると、キョウコが「繋いであげよっか」と手を差し伸べてくれた。その手を取り、あったかーい、と頬に擦りつけるリナ。ちょっとお、と嫌がるキョウコも本気ではない。今朝はリナが暖めて、そのお返しにキョウコが暖める。まるで恋人みたいなやり取りじゃん、なんて。口には出さないけれど、そう思っていればこそ、胸の内側まで暖かくなるのだ。
 そのまま距離にして三駅分ほど歩き続けると、目的の繁華街に到着した。
 ふたりは基本的なデートコースを辿った。ショッピングをして満足し、カラオケで歌って発散し、映画を見てじんわりといい気持ちになる。
 そして雑居ビルの中で、隠れてキスをした。恋愛ものの映画を見たあとだからかは分からないけれど、キョウコはいつもよりロマンチックなキスを求めてきた。じっとお互い見つめ合いながら小さなくちづけを交し合い、頃合いを見計らって抱き合いながら、深いキスをする。ふたりは興奮で顔を赤くさせて、少しの隙間も作らないように身体を重ね合った。
 リナはキスしながら、頭の中で叫び続けた。好き、好き、好き、と。その抑えきれない感情を絡みあう舌でキョウコに伝えようとする。彼女に伝わればいいなと思いながら、無言のまま長い長いキスを交わした。

 すっかり休日を満喫したふたりは、最後にファーストフード店に寄った。最後といっても、ここからジュースだけで粘って、一時間はおしゃべりの時間になる。ふたりのデートはまだまだ終わらない。
「楽しかったあ。こんなに遊んだの久しぶりかも」
 キョウコは席に着くなり、前のめりにテーブルにもたれ掛かった。疲れてはいるものの、その声は嬉しそう。同時に、彼女の綺麗な黒髪と形のいい後頭部がリナの目の前に差し出された。
「また遊ぼうよ。日曜はずっとヒマだからさ」
 リナはキョウコの髪を指ですくいながら言った。そのまま毛先をいじって、ついでに匂いも嗅ぐ。半日遊びまわっても、まだその髪は艶を失っていない。
 キョウコは顔を上げて言った。
「リナちん、塾あるんでしょ?」
「そんなもんどうだっていいよ」
「いけませーん。おかあさん許しません」
「やだあ。キョウコと遊びたいー」
 即席の「お母さんと娘ごっこ」を演じ合って、ふたりは顔を見合わせて笑った。
 しかしそれがおさまると、キョウコはふう、と溜め息をひとつ吐く。なんだかキョウコの様子がおかしいことに、リナはこのあたりで気がついた。
「なんか元気ないじゃん」
 リナの何気ない指摘にキョウコは「そうでもないけど」と返事をするけれど、やっぱりどこかよそよそしい。なんだろう、どうしちゃったんだろうと思って問い詰めると、はじめは黙っていたキョウコも意を決したように口を開いた。
「あのさ、リナちんって塾に通ってるわけじゃん」
 うん、と頷く。
「それでカレと別れちゃったんでしょ?」
 え、うん、まあ、と濁す。
「寂しくないの?」
 なにも言えずに黙ってしまった。今度はリナがよそよそしくなる番だ。いきなりそんなこと言われても、戸惑うしかない。
 キョウコの言うとおり、リナは塾に通い始めたことで彼氏と別れた。夏休みのほとんどを潰され、休日も会えそうにないということで決心をし、中学からの付き合いに区切りをつけた。という面倒くさい設定でウソ彼氏を作って、現在進行形でみんなをごまかしている。それも「まだ別れたくない」と泣きつく彼氏を、未練もなくスパッと断ち切ったというエピソード付きだ(存在しない彼氏を振るのは数学の問題を解くよりも簡単だった)。
 リナは「えっと、寂しいといえば寂しいけど、でも別に遊び相手なら……キョウコがいるし、うん」なんて独り言みたいな返事をして、どうしてそんなこと聞くの? と目で訴えた。その目は軽く泳いでいた。緊張からだんだんと喉が渇いてくる。
「深い意味はないんだけど、リナちん見てると彼氏作ろうって感じがしないからさ。好きな人とかいないのかなーって」
「好きな人って言っても……今は別に彼氏なんかいなくてもいいかな、なんて……」
「そんなのダメだよ。リナちんかわいいのに、もったいないよ」
 リナは褒められてるのか追い詰められてるのか分からなくなり、曖昧な笑顔を返す他なかった。リナが高校でモテない原因の一端はキョウコのおしゃべりにあるのだけれど、それは今は不問にしておく。
「それよりキョウコはどうなの? キョウコだって、別れてからフリーじゃん。好きな人、いないの?」
 今度はリナが反撃に出た。攻撃は最大の防御なりとか、そんな感じだ。
 それに対してキョウコは言葉に詰まりはしたけれど、はっきりと言った。
「好きな人、いるよ」
 キョウコの言葉に、リナはストローを咥えたまま固まった。「それってあたし?」なんてジョークも返せないほどキョウコの顔は真剣で、加えてなんとなくだけど、リナはその相手が自分でないことも悟った。
「それって、あたしの知ってる人?」
「うん、みんな知ってる人。ていうか……」
「ていうか?」
「……今、なっちゃんと付き合ってる人なんだけどさ」
 リナは咳き込みそうになった。自分の好きなキョウコはナツミの好きな人が好きで、ああもう、話がぶっ飛んでいてついていけない。
 そもそもナツミの彼氏ってどんな人だっけ、と頭をフル回転させて、ようやく漠然とした雰囲気くらいは思い出した。何度もナツミのおノロケでプリクラや写メを見せられたはずなのに、興味がないとこんなものだ。
「それってマジな話?」
「マジ。笑ってくれていいよ」
 笑えないよ、とリナは心の中でつぶやいた。プリクラや写メを見たのはキョウコも同じだ。キョウコはナツミのおノロケを、いったいどんな気持ちで聞いたのだろうか。
 冷静になって思い出してみると、ナツミに彼氏ができて一番喜んだのはキョウコだったはずだ。ナツミが片思いしていたときから、一番親身になっていたようにも思う。
 文化祭で告白する予定だったのに躊躇って戻ってきたナツミに説教をしたのもキョウコで、最大のチャンスを逃したと落ち込む彼女を励ましたのもキョウコ。ナツミはその数日後に改めて告白に行くのだけれど、その肩を押したのもキョウコだった。同じ人を好きになったなんて嘘みたいに、キョウコは甲斐甲斐しくナツミの後押しをしていた。
「こういうの横恋慕って言うんだよね。みっともないから、好きっていってももう諦めてるんだけど」
「ちょっと待って、いつから好きだったの? ナツミが付き合う前? 後?」
「ずーっと前からいいなって思ってたよ。でもそのとき、あたし彼氏いたしさ。別れたあともウジウジしてて、踏ん切りつかなくて、そうこうしてるうちに先になっちゃんにカミングアウトされて、それであたしの恋はおしまい」
「……そんな簡単に割り切れるの?」
「付き合うのがなっちゃんだからね。いい子だし、あたしなっちゃんのこと好きだよ。だから別の子に取られるよりずっといいっていうか、むしろこれで良かったんじゃないかなって思うんだ」
 キョウコは気丈に明るい表情を作ったものの、それでもどこか寂しそうな影を宿していた。リナはそれを見て、いっとう切なくなる。だから「諦める必要はないんじゃないかな」と励ますつもりで言ってみたけれど、キョウコは首を横に振った。
「もし、もしもだよ。なっちゃんが別れても、それであたしが彼に声をかけるってことはないよ。だって嫌だもん。友達が別れるの待ってたみたいで」
 その言葉に、ズキン、とリナの胸が痛んだ。もし自分がキョウコに想いを伝えるようなことがあったら、まさしく「キョウコが失恋するのを待ってた」になるからだ。好きな人を取られ、落ち込むキョウコをチャンスとばかりに誘うのは、確かに感じの良いものではない。
 それにやはりというか当然というか、キョウコは男の子に恋をしていたわけで、リナが好きと言っても受け入れてくれる見込みは薄い。告白して、冗談と取ってくれるならまだしも、気味悪がられたり、変にぎくしゃくして、元々の友達の関係すら壊れてしまうのが怖い。
 それは考えるまでもないことだ。キョウコにお熱だったさっきまでのリナは、「恋は盲目」というやつだったのかもしれない。

 帰り道、すっかり落ち込んだリナの足取りは重い。今までの楽しかった時間は全てが夢で、本当は最初から闇の中で、自分ひとりだけがバカみたいにはしゃぎまわっていたような、そんな感覚に陥る。一方のキョウコは胸につかえていたものを吐き出して、ずいぶんとスッキリしたような顔をしていた。
 今になってみると分かる。きっとキョウコは、この話を聞いて欲しくてリナを誘ったのだろう。それならそれでいい。キョウコが踏ん切りをつけて前に進めるようになったのであれば、リナはまだ救われる思いだ。キョウコには新しい恋を見つけてほしい。その応援ができるなら、リナは嬉しい。そう考えればこそ、足取りは少しずつ軽くなっていく。
 自分の恋については、今は封印しておくことにした。いつか封を開ける日が来るかもしれないし、来ないだろうという思いのほうが強かったりする。でも、リナはそれでもよかった。表に出さないだけで、キョウコへの大切な想いが消えてしまったわけではないのだから。
 駅の構内では、たくさんの人が帰路に向かっていた。山手線に埼京線、西武線に東上線に東京メトロ。路線に恵まれたビッグステーションならではの景色である。その、人が行き来する喧騒の中に、リナとキョウコは溶け込んでいた。
「じゃあ、あたしこっちだから」「うん、また明日」
 乗り込む電車が違うふたりは、途中で別れた。背を向けて何歩か歩き、そして思い出したように追いかけてきたのはキョウコだった。
「なに、どしたの?」
 目を丸くするリナに向かって、キョウコは恥ずかしそうにちょっと躊躇って、「最後にチューしよ」と言った。
 初めてだった。キョウコの方からキスをねだってきたのは。まったくもう、この子ったら、とリナは嬉しくなる。
「えっと、じゃあ、人のいないとこ……探す?」
「ううん。ここでいいよ」
 そう言うと、キョウコはリナに身構える余裕も与えずに、唇にちゅっとキスをした。魔法の力を借りないくちづけは、これまでした中で一番素朴で、優しいキスだった。
「今日はありがと。リナちん、大好きだよ」
 キョウコはそれだけ言ってはにかむと、そのまま小走りで改札の方へ消えていった。
 ひとり取り残されたリナは、その場に立ち尽くしていた。「まいったなあ、これじゃ電車に乗れないよ」なんて思いながら、自然にこぼれて止まらない涙を拭うことで、精一杯だった。

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Neetsha