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キス、キス、キス
第7話 サディスティックがとまらない

 月曜の教室は、朝っぱらから騒々しかった。
 登校したリナが教室に入ると、すでに数人の女子たちが野次馬のように群れて固まっているのが目に入った。席の位置からその中心にいるのがキョウコであることはすぐに分かった。分かったのだけど、彼女たちの隙間から見えたキョウコの姿に、リナは思わず「あっ」と声をあげた。
 ――キョウコの髪が、短い。
 腰の近くまであった彼女の髪はバッサリと切られていた。短いと言ってもナツミのようなショートカットではない。リナと同じかそれに少し足りないくらいで、厳密にはセミロングという名称通りに女の子らしい長さを保ってはいるのだけど、彼女の第一印象であったあの美しいロングヘアは姿を消していた。
 女の子がそんな思いきったことをする理由は、だいたいは相場が決まっている。だから周囲は恋愛絡みの話を期待してキョウコを囲み、そしておしゃべりなキョウコは、それが失恋であることを隠さなかった。
 キョウコは分かっている。こういう話は下手に隠すよりも、相手が納得するような話をしゃべってしまったほうがいい。そうしないと勝手な憶測から野次馬の喜ぶような「噂」が作られ、それが事実か嘘かは二の次で、やがて既成事実化して広められてしまうのだ(被害者は語る)。 
 結局、ロングヘアをやめたことよりもそっちのほうが話題の中心となり、キョウコは今日の主役となってしまった。
 キョウコに興味津々なのは女子だけではない。一部の男子もチラチラとキョウコを横目でうかがっては「あいつフラれたらしいよ」「今コクったら付き合えんじゃね」とジョークとも本気とも付かないことを牽制するように話し、それを耳に入れたリナは殺意のこもった眼差しを彼らに突き刺す。「ふざけやがって、手え出したらコロスぞ」と思う一方で、「キョウコも女の子だし、男子に優しくされたらコロッと落ちちゃったりして」とか不安になって、リナは朝から胃の痛い思いをするのだった。

 休み時間になって、リナはキョウコの手を引いて、例の屋上前まで連れ出した。
 言いたいことが色々あったし、聞きたいことはもっとあった。でも、いざふたりきりになると、なかなか言葉が出てこない。リナはキョウコの手を握ったまま彼女を見つめた。
 きっとリナの顔はしょぼくれていたに違いない。それだけで理解したキョウコは、わざとらしく明るい声で「切っちゃった」と言うと自分の後ろ髪を撫でてみせた。そんな顔しないでよ、と言っているようだった。
「……なんで?」
 やっと出た言葉がそれだった。キョウコはふふっと笑い、「似合ってない?」と聞き返す。
「似合ってないわけじゃないけど……キョウコずっと髪が自慢だって言ってたじゃん」
「まー、自慢だったけど。でもあれはあれで面倒だったしさ。それに服の着合わせをしたときに思ったんだ。リナちんくらいの長さのほうがいいなーって」
 キョウコは「ちょっと切りすぎちゃったけど」と付け加えて、苦笑いを浮かべた。
 リナはキョウコの髪に触れてみた。ところどころ雑な切り方をしたみたいで、近くで見ると、上手く切り揃えられていないのが分かる。
「自分で切ったの?」
「だって、こういうのって自分でやんないと意味ないじゃん。ほら、ケジメだから」
 そう誇らしげに言うキョウコの表情は、今度は少し、寂しそうに見えた。
 不思議なものだ。相手が妙に元気だとこっちが切なくなるし、逆に落ち込む姿を見てしまうと、空元気でいいから明るく振舞おうとしてしまう。リナはキョウコの手を強く握った。
「もー、ちゃんと美容院で切りなさいよ」
 声にも意識して明るさを含ませた。
「だってえ、切ろうと思ったの夜中だったんだもん」
「あたしが切ったげよっか?」
「やだっ、髪がなくなっちゃう」
「野球部からバリカン借りてきてあげる」
「やあーだー」
 冗談めかして笑い合うふたりは、やっといつものリナとキョウコになれた。

 お昼休みになり、いつもの五人が集まると、当然のようにキョウコへの尋問が始まった。カナもナツミもマユも、朝からずっと知りたいのを我慢していたのだ。キョウコが髪を切った理由が失恋であることは嫌でも耳に入っていただろう。それについて詳しく話しなさい、とばかりに三人は彼女に迫った。
 キョウコはとりわけ照れくさそうに話し始めた。朝から同じことの繰り返しだけど、このグループに話すのはまた違った恥ずかしさがあるのかもしれない。昼食をとったらまた別のグループの友達のところへ呼ばれているらしく、サンドイッチを早口でかじっては、口に手をあてて話をしている。リナはその様子をぼうっと眺めていた。正確には見えたり隠れたりする彼女の唇を、である。
 キョウコはおしゃべりだ。黙っていればいいことを平気でしゃべってしまう。口が軽くて、男の好みもすぐに変わって、化粧はたまに濃いし、せっかくの髪も考えなしに切って、とにかくやることが極端。でも笑うとめちゃくちゃかわいくて、自分のことよりも他人を優先させる優しさがあって、だからキョウコはみんなから好かれるし、そんな彼女がリナは大好きだ。
 だからこそ。
 リナはキョウコとキスする気が、なくなってしまった。キョウコはいずれ他に好きな男子を見つけるだろうし、ひょっとすると男子から告白されるかもしれない。彼女の断髪は新しい恋への決意の表れなのであって、それを邪魔するような真似はしたくなかった。なによりこれ以上キョウコとキスをしても自分が辛いだけなのだ。リナは頬杖をつきながら、軽く溜め息を吐いた。
 やがて昼食をとり終えたキョウコが席を立った。
「じゃあね。今しゃべったこと、他の子には内緒だよ」
 キョウコは人差し指を口元で立てると、悪戯っぽく笑って、別のグループのところへと離れていった。おしゃべりのくせに他人には内緒にしろとか言うんだもんなあ、なんて心の中で苦笑いをする。
 するとリナは肩を叩かれた。振り向くとそれはカナによるもので、彼女だけではなくナツミもマユも、三人とも不気味な笑顔をこちらに向けていた。妙な雰囲気であることは、すぐに察した。
「さて、リナさんに質問がありまーす」カナの声は弾むように明るい。
「ふたりでデートしてキスもしたって、どういうことですかー?」ナツミも便乗するのが楽しそうにはしゃいでいる。
「もしかして大人のキス? ね、ね、詳しく教えて?」マユは早くも頬を赤く染めて、覗き込むようにリナを見る。
 そしてリナだけが、固まった。
「え……キョウコ、そんなこと言ったの……?」
「聞いてなかったの?」
「はっきり言ってたよ?」
「ねー」
 三人は相づちを打ちあうと、あんたは逃がさんよ、という邪悪な微笑みでリナを囲んだ。こういう話になると本当に息がピッタリだ。
 リナは一瞬だけ躊躇したのち、知らぬ存ぜぬでだんまりを決め込むことにした。話はおそらく昨日の最後のキスのことだろう。でも、キョウコがどこまでしゃべったか知らないし、自分が下手に話を大きくするのも嫌だった。そんなリナの口を割らせようと三人は必死になる。
「ねー、うちらの仲じゃんよー」と肩を揺するカナ。「誰にも言わないからっ」と拝むように手を合わせるナツミ。「パン少しあげるから」とチョココロネを差し出すマユは場違いなほど無邪気で、リナはギャグのつもりで「馬鹿にしてんのか」とチョココロネのお尻に人差し指を突き入れた。
「ああっ、ちょっとお!」
 マユが怒ったような悲鳴をあげた。思ったよりも指は深く突き刺さり、そのまま引き抜くと、リナの指にはチョコレートクリームが第二関節までベットリとこびりついている。指先を舐めると、甘ったるい味が口の中に広がった。
「やだあ。もー、やめてよお」
「そんな怒んないでよ。ほら、返してあげるから」
 リナは指を彼女の前に差し出した。舐めなよ、という意地悪な微笑みを加えて。それはリナなりの挑発だった。
 煽られていることを理解したマユはリナの指を睨みつけると、潔くパクっと食いついた。これにはリナも驚いて「わっ」と声をあげてしまい、すると今度はマユが勝ち誇った表情をリナに向けた。
 そのとき、ふたりの間でゴングが鳴った。女と女の戦い――なんて言えば聞こえはいいが、実際には小学十年生同士が争うようなもので、とても見ちゃいられない低レベルな意地の張り合いだ。「なーにやってんだか」とカナは呆れて、ナツミは困ったように笑っていた。
 マユは小さな口で指を根本まで咥え、舌を巻きつけてチョコを舐め取っていく。リナは指の腹でしごくようにマユの舌を刺激する。その繰り返しが続き、先に音をあげたのはマユだった。必死に抵抗してリナの指をねぶってみせるのだけれど、徐々に弱々しく、おとなしい表情になっていく。マユは頬も目元も紅潮させていて、それに気がついたリナは指を引き抜いた。爪に舌を引っかけてしまったのか、泣いてはいないけれど涙がうっすらと浮かんでいる。
 リナはマユの頬を優しく撫でた。
「ごめん、痛かった?」
 マユは素直に頷いた。その様子が小動物みたいで、喩えるなら瞳を潤ませたハムスターそのもので、なんだかかわいくて、そして、リナはもっといじめたくなってしまった。この子の表情をもっと歪めてみたい。自分の中のサディスティックな部分が熱くたぎっていく。
 リナはマユの頬から顎に手を移すと、ぐいっとこちらに引き寄せた。
「舌、見せて? 傷つけちゃったかもしんないから」
 戸惑いながらも口を開き、従順に舌を突き出すマユ。それが腫れのせいかは分からないけれど、彼女の舌はところどころが赤みを帯びたピンク色で、唾液を纏いながら、それ自体が生き物のようにひくひくと震えていた。
 リナは不意にゾクゾクするような感覚を覚え、囁くように言った。
「今度はあたしが舐めてあげる」
 唐突なリナの言葉に三人は表情を変えた。
 なに言ってんのこいつ、と眉間を寄せたふたりと、そして魔法の力によって目をとろけさせ、嬉しそうに頷くマユ。それだけで言葉はいらなかった。リナはそのまま、彼女の小さな舌に吸い付いた。
「ばっ……ちょ、リナっ」
 慌てたカナが周囲を気にしながら、声を抑えてリナとマユを止めようとする。みんなに見られたらどうすんの、というように、実は一番取り乱しているのが彼女だった。目を大きく見開いたナツミは手を口に当てて驚いてはいるけれど、その表情にはかすかに興奮しているさまがうかがえる。彼女もリナと同じでムッツリタイプなのかな、と思うと可笑しくなった。
 リナは冷静だった。こちらに全く気がつかないクラスメイトも、慌てふためくカナとナツミも、それらの様子はちゃんと分かっている。もちろん、舌と唇で繋がったマユの様子も。
 魔法によって興奮値を上げられたマユは、顔全体を真っ赤にさせて、口を半開きにしたまま、息も絶え絶えにリナを受け入れている。焦点の定まらない虚ろな目には涙が滲んでいた。先ほどの苦痛からくる涙ではない。それはきっと、快楽によるものだろう。
 リナはマユの舌を吸い続けた。いわゆるストローキスというもので、そのたびにちゅっ、ちゅっ、ちゅっ、と小さな音が漏れる。甘ったるいチョコレートの味と、絡み合ったお互いの唾液の味。それらを美味しいと思ってしまうあたり、もしかしたらリナも頭がおかしくなっているのかもしれない。そうでなければ、こんな卑猥な交わりを思いつくこともなかっただろうから。
 キスを終え、唇を離すとお互いの唾液が糸を引いて滴れた。マユは一度大きく身体を震わせると、そのまま身体をくの字に折って、机にへたりこんでしまった。キスの激しさを物語る彼女の様子に、カナとナツミは息をのむ。
 でも、リナはちっとも満足できなかった。キョウコとのあの幸福なキスに比べたらまだまだ物足りない。
「……やりすぎだよリナ」という声を耳にしながらリナはかすかに笑う。
「次はあんたたちだからね」という意味を含んだ、悪魔のような眼差しで。

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Neetsha