Neetel Inside ニートノベル
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 どくろ亭の二階を借りた。ヤンも麻雀は嫌いな方ではなく、たまに二階の八畳間であやかし仲間と牌を摘まむことがあったため部屋の間取りで手間取ることはなかった。部屋の両端に押入れがあるという謎構造だが、これは曲者が出た時に両側からとっ捕まえるためだと親父は言う。が、そもそも曲者が出るようなお宝の一つでもまずは置けとヤンは言いたい。盗人の目から見ればどくろ亭は犬小屋と変わらないだろう。だが今だけは、ヤンの目にはこの家具ひとつないボロ部屋が一攫千魂のチャンスを孕んだ宝物庫に見える。
 部屋の奥、出窓のすぐ下にヤンは座布団を敷いて座っていた。服装はかつて死人から譲ってもらった学生服から、三途の川辺で拾った特攻服へと変わっている。頭には無論鉢巻、白地に『圧シテ勝ツ』と墨で印したのがつい先刻。
 準備は万端だった。よろず屋で買い付けもした。志馬ショックによるあの世不況で普段なら札一枚で買えるものに魂の三割近く持っていかれたが、仕方ない、最初のリスクも背負えずに博打ができるかと奮起して弱気を押し切った。
 畳んだ膝を掴む手が震える。
 逃げることばかり考えていた。できないことではない。出窓から飛び出せばすぐだ。後は屋根を伝って横丁の真上をどこまでも走っていけばいい。それだけだ。それだけで自分は助かる。
 凍ったように膝が動かない。
 一分一秒がこれほど長く感じたことはない。過ぎていく一瞬一瞬が、自分が助かる可能性が消えていく音に聞こえた。
「俺は馬鹿だ――」
 言葉に出してみた。急に笑えて来る。そう、馬鹿だ。失敗したら目もあてられない。もっとうまいやり方はないにしても、もっと賢い逃げ方はあったはずなのだ。なのに自分は今、ここにいる。
 飛縁魔のことを考える。
 馬鹿だ阿呆だと好き放題に言ってきた。本気で怒ってるんだろうなとわかってもいた。面白半分にからかっているような顔をして、本当に構ってもらっていたのはどちらだったか。
 もっと優しくしてやればよかった。何を照れていたのだろう。でも、どうしても気取った愛想なんて晒したくなかった。
 後悔している。
 でも、たとえ何度やり直しても、俺はああしたと思う。
 どこかから、火の爆ぜるような音が近づいてきた。志馬の単車だ。ヤンも一度見たことがある。一匹の鉄鼠と二輪の火車を融合させて式神にしたバイク。あの音は火車が燃えながら土を噛んで走る音だ。
 コロポックルたちはちゃんと果たし状を届けてくれたらしい。
 壁に頭を預けて一つ目を瞑る。
 これでいい。もう逃げられない。いや、まだ出窓からの道は残っているが、もう自分がそうしないことはわかっていた。
 やれることはすべてやった。
 やらなければならないと信じることもできている。
 なら、やろう。
 砕けるんじゃないかと思うくらいに軋む階段を誰かがゆっくりと登ってくる。閉め切られた襖の前で立ち止まる。
 襖が開かれる。
 ヤンは目を開けた。
「よお、志馬」
「ヤン」
 志馬はポケットに手を突っ込んだまま、哀れそうにヤンを見下ろした。
「おまえはもう少し頭がいいと思ってたよ」
「ああ、俺もだ」
 志馬はポケットから取り出した紙切れをふわりと放った。
「果たし状ね。時代劇じゃあるまいし、まさか自分がもらうことになるとはな。古風なことしやがって」
「おまえは結構、こういうのが好きなんじゃねえかと思ってさ。――座れよ」
 ヤンが余った座布団を放ってやると志馬はその上にあぐらをかいた。ちょうど部屋の中央だ。
「ひとつ勝負をしよう、どくろ亭にて待つ。――確かに嫌いじゃないぜこういうの。で、何をして遊んでくれるんだ。ありきたりなものならもう飽きたぜ」
「そう言うと思ってさ、ちょっと変わった遊びを用意した」
 言って、ヤンは指を顔に突っ込んで自分の目玉をくりぬいた。ひゅう、と志馬が口笛を吹く。
「別に痛くないんだ。脳味噌が中にあるわけでもないしな。――ところで志馬、かくれんぼは好きか?」
「生きてた頃、住んでた寺でよくやったけどなァ」
 志馬は懐から煙草の箱と一枚の魂貨を取り出した。魂貨を親指でへし折って鬼火を作ると、それで煙草を深々と吸った。吐き出す煙が雷雲のように稲妻を孕んでいるのを見てヤンが顔をしかめた。
「おい。なんかまじないしてるんじゃないだろうな」
「ハハハ。疑い深いな。心配するな、誓って妙な術は使わねえよ。それに俺ァまだ未熟者で詩織みたいには――いや、とにかく、心配するな。第一、賭けの取り決めの時に陰陽術を使わんと決めておけばそれで勝っても取り立てはできねえんだ」
「そうなのか?」
「決めておけばな」志馬は美味そうに暗雲を吐き出しながら、顎をしゃくって先を促した。
「勝負の内容は簡単だ。俺がこの目玉をこの部屋のどこかに隠す」
 志馬の赤目がきらりと光った。
「ほお?」
「俺が隠した目玉をおまえが見つけ出す。それだけだ。制限時間は三分」
 志馬はぐるりと何もない部屋を見渡した。
「――どこに隠すって?」
「とっておきの場所を知ってるんでね。ヒントをやるよ。俺の目玉はいつもおまえを見てる。じぃっとな。もしおまえのカンが本当にみんなの言うように冴えてるってんなら」
「――視線を感じるはずって? ふふふ」志馬は楽しげに笑う。
「おまえも妙なことを考えるやつだなァ。こんな博打は確かにやったことがねえ。いや面白いな。面白い――しかし本当にいいのか? どこに隠すんだか知らないが、この部屋には何にもないんだぜ」
「俺の心配をする前にやることがあるんじゃないか」
「賭けの対象か。言っておくが花火は受けんぜ」
「怖いのか」
「ぬかせよ貧乏人。俺はおまえの魂すべてをもらったって嬉しくともなんともねえんだ。それに俺はおまえのことがそんなに嫌いじゃない。べつに消えてもらわんでも結構」
「俺が――俺が火澄に惚れててもか」
「――あァ?」
「だから、俺はやつが好きだ。幼馴染だしな、あいつのことも俺は昔からよく知ってるし、あいつだって俺をわかってる。お似合いだと思わないか?」
 ばちち、と志馬の吐いた煙から噴き出す雷が増えた。細めた双眸が夕陽のように燃えている。
「それで、つまり、何が言いたい」
「俺は『全部』を賭けてもいい。だから、おまえは『飛縁魔の火澄』を賭けろ」
 沈黙。
 おもむろに志馬は吸っていた煙草を摘まむと、拳を作って握り潰した。煙の残滓越しに睨み合う。
「おまえも俺の恋敵ってわけね。なら――消さねえわけにもいかねえか」
 そう言って、志馬は懐から一枚の札を取り出した。
 大きな蓮の花に座った仮面をつけた戦装束の少女。それをひゅっと放って天井に突き刺した。
「賭けるぜ、飛のを。だからおまえも賭けろ。いくらだか知らねえが、おまえが今持ってる魂――その全額を」
「ああ」
 後戻りはできない。
「賭けるよ」
「――よし」志馬がにまっと子どもみたいに笑う。
「後悔するなよ。目ぇ瞑っててやるからとっとと隠せ」
 そう言うと彼はまた別の式札を取り出してぱぁんと宙に打った。すると胴のひょろ長い管狐が一匹飛び出してきて、志馬の顔に巻きついて目と耳を器用に塞いでしまった。
 始まった。始まってしまった。
 あとは仕掛けるだけ。
 ヤンは一度、手元にあった目玉を顔にはめ直した。
 何もない部屋のどこに隠すんだ、と志馬は言った。
 が、しかし、勝負は『何もない部屋』でやるとは言っていない。
 ヤンは襖に向かって両手を伸ばした。簡単な気を飛ばして襖を開ける。
 待ってましたとばかりに両端から飛び出してきたのは、無数の目玉。
 あっという間に八畳間は目玉の海と化した。
 この中に自分の目玉を隠せば、とも思うが、それは危険な賭けになるだろうとヤンは読んでいた。よろず屋で大枚はたいたこの偽眼の群れ、本物そっくりとはいえそれはヤン個人のために作られたものではなく、目の虹彩がそれぞれ微妙に違っているのだ。
 志馬の洞察力を侮りたくない。
 本物をポンと混ぜれば一発で見抜かれる危険性もある。
 だから、もう一手。
 追い打つ。
 ヤンは掌をかざした。肌から青い蝶が現れて宙を羽ばたき始めた。子どもの頃は言うことを聞かなかった刺青だったが、成長した今はよく訓練された馬を駆るように、言うことを聞かせることができるようになっていた。
 顔の真ん中に手を突っ込み、目玉をくりぬき、それを褒美のように放る。
 その目玉を蝶が掴んで、すうっと志馬の背後に回りこんだ。
 これで完成形。
 『じぃっと』見つめているぞ、と志馬には言ったが、『じっと』しているぞなんて、言った覚えは決してない。
 三分間。
 それだけでいい。
 それだけの間、志馬を騙せればそれでいい。飛縁魔を――火澄を助け出せれば、後はどうなっても構わない。
 それに、勝算はまだある。
 名前だ。
 火澄というのは門倉いづるが名づけたらしい。そして三ヶ月前、いづるは突然あの世横丁から消え去った。みんな志馬が消したのだと言っていたし、嘘か本当かその場を見たというやつもいた。
 あやかしは名付け親には特別な思いを抱くものだ。だから、きっと火澄はいづるの仇を討ちたいと思っているだろう。火澄が自由になったらば、いくら志馬がもう立派なあやかしになっていたとしても、殺し合いで彼女に勝てるわけがない。紙島詩織がやってくるまでにすべては終わっているはずだ。
 変則的なオールイン。
 ポケットから砂時計を取り出して、逆さにトンと置いて、ヤンは言った。
「終わったぜ、志馬」
 志馬が管狐を顔からはがして、周囲へ目にして固まった。
 視界はその後頭部を追跡しながら、ヤンは膝を握り締めた。
 祈るようにまぶたを閉じる。
 大切なのはリアリティ。
 まるで真剣勝負のように。

       

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