Neetel Inside ニートノベル
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「ふうん――こりゃあ一本取られたな」志馬は管狐を式札で吸い取り、周囲を見回した。ヤンからは表情は見えないが、笑っているのかもしれない。
「この量の中に目玉を隠されちゃ、三分間じゃ探し切れそうにねえな。ふうん。困ったな」
 少しも困っているようには聞こえない口調で志馬は言う。頬杖を突いて、目玉の海を見渡す。さっきから見渡してばかりだが、部屋の中央、自分とヤンを繋ぐ直線以外はすべて目玉で埋め尽くされているので首を振ることしかできないのである。
「想像力が足りなかったみたいだな、志馬? 顔が白いぜ」
「マイナス五十点」
 え、とヤンは口を開けた。
「マイナスってなんだよ」
「俺の顔が見えてるなら顔のことについて口にしたりしない」
 志馬はヤンの身体に背を向ける形に座り直した。ヤンの目玉を持つ蝶もその動きに合わせて後頭部を追尾する。なので志馬に目玉のありかを見抜かれたわけではない――が、それでもヤンの目玉はいくらか緊張で乾いてきた。たった一言、うっかり口を滑らせただけでこれだ。志馬はもう部屋の半分、志馬の顔が見えていた位置の目玉に本物はないと見切りをつけた。そしてそれは正解であり、たった一瞬のやり取りで部屋にある目玉の半分を選択対象から弾いてしまった。
 ヤンがブラフをかけた可能性もあるのに。
 あると知りながら、ここでブラフをヤンがかけることはない、と言い切れる洞察力。いや、もはやそれは親しみとさえ言える。
 志馬はヤンのことをよく知っている。
 それがまた、恐ろしい。どこまで自分のことを観察されているか、底が知れない。だから誰も志馬と勝負しようとは思わない。
 ――だからと言って、いまさら退けるか。
 ヤンはぐっと目力を込めた。
「うん?」志馬が首筋をぽりぽりかいた。
「なんか視線を感じる」
 超特急で視点をぼかす。視線を感じればおまえの勝ちだと言ったがそれは本当にそうなのだ。もしバレたら逃げ場はない。
 志馬は少し振り返ってヤンの身体の方を見ていたが、すぐに向き直った。首を傾げている。前向きに考えようとヤンは思った。これで見切った半数の目玉にまた疑惑を向けてくれるかもしれない。制限時間三分において選択肢の多さは毒でしかない。最後の最後まで、志馬にはこの眼球の海原で溺れていてもらわなくてはならない。
「ヤン、喋らなくなったな」まるで友達に話しかけるように志馬が言う。
「やっぱりさっきのはおまえにとって失言だったらしいな。よし、やっぱおまえ側の半分は見切ることにする」
 こいつ――
 ヤンはまた目に力が入りそうになるのを必死で堪えた。志馬はつまりこう言っているのだ。――ブラフをかけたのは俺の方でもあったんだが、どうやらおまえは糞真面目にオリてくれたようだな、と。
 その通りだ。志馬の見切りに感心して口を固く閉ざしたのは愚の骨頂だった。そこで軽口のひとつでも返せば志馬もここまで完璧に見切ることはなかったかもしれない。ヤンは唇を噛みたくなるのをギリギリで堪えた。勝負の最中に相手から学んで反省してどうするというのだ。二度目も再挑戦もないんだぞ。
 だが、ここでまた言い訳がましく軽口やブラフ、挑発等を打っても無意味。ここはせっかく無言でいる状況に乗って、このまま口を閉ざしていよう。消極的だがこれも攻めの一手だ。これ以上、口から情報は掘り当てさせない。
「だんまりか。賢いな。俺でもそうするよ」
 志馬は膝前の目玉のひとつを手に取って、ためつすがめつ顔に近づけた。ヤンはいつ志馬が眼球の色合いの差異に気づくか気が気ではない。今、志馬の手にあるものはいくらか錆びたような茶が混じっており、どちらかといえば猫町の目に近い。
「ふむ――しかし三分間か」振り返って砂を落とし続ける時計を見やり、
「自分で了承しておいてなんだがちっとばかしきついな。ざっくりと削らなくっちゃならねえらしい。よし、どうしよう。うーん。あ、閃いた」
 ポンと手を打ち、ヤンの身体へ顔と角を向け、
「おまえの目玉は俺のことをずっと見てるんだよな? 視線を感じて本物を見つけ出せって博打で俺から視線が逸れてたら、それはちょっとお話が違うってもんだ。そうだろ? そこから俺は思うんだが――こういうのはどうだ?」
 志馬は両手を左右に伸ばした。指先を、見えない弦でも弾くようにのたうたせる。
「我祈球巣浮昇下廻我似環――」
 ふわっと目玉の海から目玉たちが浮かび上がった。だがそれは表面に見えている目玉だけで、その下に積み重なっているものはそのまま転がっている。志馬は浮かんだ目玉たちを右手の動きで凧揚げのように宙に留めながら、左手を横一線に走らせた。
「死把」
 ぱぱぱぱぱぱん、と余った目玉が一斉に割れた。残った目玉は志馬の頭上をゆっくりと回り始める。それでも量はまだ多いが。
 これで、ヤンの肉体側(部屋の奥側)すべてと、志馬の前(部屋の内側)で積み重なっていた部分の目玉すべてが消滅したことになる。
 少々追い詰められた形にはなったが、しかしヤンはむしろ形勢はこちらへ傾いたと目玉の中で考えていた。なぜなら今のやり取りだけでどれほどの秒数が失われただろう? 砂時計はもう半分以上流れ落ちてしまっていて、それは決して戻らない。なにもまだすべての目玉を見抜かれたわけじゃない。麻雀牌一揃えぐらいの目玉がまだ志馬の選択肢として残っている。
 そのしがらみを越えなければ志馬には辿り着くことはできない。
 ヤンにも、勝利にも、彼女にも。
「思ったよりも残ったな」志馬は頭上を見上げ、ヤンの身体の方に向き直った。
「だが、あらかた片付いた。な?」
 ヤンは無言。
 志馬は鼻で笑って、右手を振った。宙を回っていた目玉がぽこぽこと壁にぶつかって転がり落ちる。どの目玉も吸い寄せられるように志馬を視線で捉えて外れない。
 壁際一直線に並んだ目玉とその真ん中で顔を伏せるヤンと志馬が向かい合う形になった。
「さて、大詰めだ」
 志馬は膝でずっていってヤンの身体の前にでんとあぐらを組んだ。近くにあった目玉をひとつ手に取り、瞑目した顔を覗き込んだ。
「おいヤン、これ? これか? 見えてんだろ? どうなんだよこら」
 おそらく、とヤンは思った。志馬はこちらの緊張を解そうとしているのだろう。親切心からではなく、油断や軽蔑でこちらのガードが下りた時の反応を狙っているのだ。そうはさせるか。
 情報は渡さない。表情からも声音からも呼吸からも視線からさえも。
 勝負は、あと三十秒もせずに決するのだから。
「反応なし、ね」志馬は手元の目玉を覗き込み、お、と言った。
「いま気づいたぜ。この目玉、おまえのと色が違うな」
 その瞬間、ヤンは思わず叫び出しそうになった。
 勝った。
 この残った眼球の色を残り時間で精査することは、時を止めない限りは不可能。
 そして時間は、いつも人外の味方だ。
「くそ、ちっとは顔色変えろよなァ――ヤン。こんな色男が頼んでるんだぜ?」
 志馬がぐっと顔をヤンのそれに近づけた。後頭部からではよく見えないが、鼻の頭に何かがぶつかってむずがゆい。鼻の頭同士でもぶつかっているのだろうか。文句を言いたいがあと数秒の辛抱なので我慢する。
 最初に定めた無言の誓いも貫き通した。
 勝つ。勝つのだ。ヤンの目玉にはもう志馬の金髪頭など映ってはいない。勝った後の流れがまるで知っていることのように浮かんでくる。決着後、ヤンは手元に降ってくる火澄の式札を打つ。怒り狂った志馬の攻撃でヤンは死ぬかもしれないがそれでもよかった。べつにいい。戻って来るものにはそれだけの価値があると思えたし、たとえ消えても、あやかしもニンゲンもないどこか遥かな混沌で、火澄が惚れたあいつとまた会えるというなら、それもそんなに悪くない。そういえばちゃんと話したことはまだ無かったかもしれない。
 志馬がヤンから顔を離した。
 砂時計の最後の砂粒が落ちようとしていた。これまでがたったの三分間の出来事だったとは到底思えない。丸三日はしのぎを削っていたと言ってもらえなければ納得できないほどの、三分間。
 それが終わった。
 志馬の掌がほんの少しの迷いもなく、自分の背後へと放たれた。
 かわす暇などそれこそなかった。
 生暖かい人肌を感じ、蝶がひしゃげて潰されるのがわかった。
 視界一杯に志馬の顔が映った。
「みいつけた」
 最後の砂粒が落ちる音が聞こえた気がして。
 どうして、と口に出したはずはなかったが、志馬は答えてくれた。
「いや――いやいやいや。危なかった。危なかったぜ。本当だ、嘘じゃねえ。気づかなかったよ。視線を感じればわかるはず――確かにそのルールに則ればおまえは反則をしたってわけじゃねえ。この蝶はなんだ? 式神か? まァ今更どうでもいいが」
「だがほんのちょっと甘かったな」と志馬は続けた。
「最初に妙だと思ったのは、目玉を割った時だよ。俺はあの時、確信を持って選択肢から省いた目玉を割った。でもな、それをおまえは黙って見てた。おかしいだろ? だってもし俺が省いた中に本物の目玉があれば止めるはずだし、そうでなくったって止めていいはずなんだ。それは当然の権利だよ。別に省き方なんていくらでも他にある。押入れにしまいこみ直すでも、窓から捨てるでも、廊下に出すでも。気を飛ばせばどれでも一瞬で済むしな。だが、おまえは俺を止めなかった。放っておいた。ただ見てた。なぜなら、」
 目玉の海のどこにも、本物はなかったから。
 お客様気分で、ただ見ていたのだ。
「でも、その時はまだタネに気づいたわけじゃなかった。ただ変だな――って引っかかっただけ。本当に気づいたのは、最後の最後だ」
「最後の、最後――」
「そう」志馬は甘美な果物でも見るようにヤンの目玉を覗き込む。
「おまえ、俺が目玉の色合いの差異に気づいた時、勝ったと思っただろ」
 もはや、この男がかつてニンゲンだったとはヤンには信じることができない。
「わかるんだよ」志馬は笑った。
「俺は、勝負師だからな」
 そう言うと志馬はヤンのまぶたを無理やりこじ開けて手中の目玉をその中に押し込んだ。肉体を取り戻したヤンはその場に両手を突いてうなだれる。
 負けた。
 負けた。
 負け、た――――
「後は時間をかければすぐわかった。あの並んだ目玉の中に正解がないなら、それがどこにあるのか? 大切なのは角度を絞ることだった」
「角、度」
「そう。俺がおまえの顔を覗き込んでる時、鼻がむずがゆかったろ。あれは鼻同士がぶつかってたんじゃなくって、舐めてたんだ」
 ぶはっとヤンは噴き出した。
「な、舐めたっ?」
「ほら、嫌だろ。見えてたら絶対抵抗する。でもおまえは逆らわなかった。平気な顔してた。つまり、俺の顔が見えてなかった。壁に並んだ目玉でもねえ、俺の顔も見えてねえ、だったらもう、背後しかなかった」
 ぽんぽん、と志馬はヤンの頭を軽く叩いた。
「いや、惜しかったぜ。自慢していいよ。おまえは俺を追い詰めた。実際ギリギリだった。それだけは本当のことだ。だが、」
 天井に刺さった式札がぽろりと落ちてきた。
 それを志馬の大きな手が顔の前で掴み取る。
「それだけだったな」
 空いている左手がヤンの顔の前にかざされた。
 掌に傷口のように、獣じみた口が開いている。吐き出される息からは肉の臭いがした。
「そう落ち込むなよ」優しい声が降ってくる。
「もう何も悩まなくていいし、もう何も怖れなくていい。本当は、素晴らしいことなのかもしれないぜ?」
 掌の中の口が、ぐあっと歯を剥いた。
 次の瞬間。
 耳朶を劈く轟音と気狂いじみた衝撃が、二人もろとも何もかもを吹っ飛ばした。
 突然だが爆発である。


       

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