猫町は、あまりギャンブルをしない。それはあの世でもそうだったし、現世で人間に紛れている時でもそうだ。元々、勝負事で熱くなるのは好きじゃなかった。それは昔から、気安く手を出しては火傷をして半べそになるくせに、目を離すと懲りずにまたすぐ手を出すあやかしの友達をずっと見てきたからかもしれない。友達に使うにはちょっと意地悪だが、彼女のことを反面教師として眺めていた節もある。
その自分が、いづると勝負をする。
いま、最も閻魔に近いと言われている男と。
ふう、と猫町は息をついた。背後からの野次も、いまだけは気にしないようにする。
テストだと思おう。
これは、何かの試験。そう、期末テストか何か。これを潜り抜ければ夏休みが待っている。ただ、普通のテストとは違って、問題はひとつだけ。
一発勝負。
解ければ百点、外せば零点。
そう思おう。
猫町は彼女特有の猫眼の瞳孔をすっと縦に伸ばした。
テストなら、答えがある。
つまり、この勝負は本当は運否天賦じゃないのだ。
まァ、よくよく考えてみればそうだ。目隠しして、手の描かれた石をくじ引きよろしく引いて、九十七連勝もできるはずがない。
落ち着こう。ひとつずつ、考えていこう。
まず、あの目隠し。一方の目だけが開いている。
そもそも、こちら側は三つの枠のどれに立つかによって手を決めている。その後で、いづるは石を引いているのだから、もし石を任意に引けるのならば、負けるはずがない。見てから手を出しているのだから。
が、それはないだろう、と猫町は思った。九十七連勝。その間、誰もそのことに突っ込まなかったとは思えない。いくらあやかしが人間に比べて柔和でおバカなやつらが揃っているにしても、何かしらであの眼(――ガラス玉みたい)が、見えていないことを確かめているはずだ。猫町は何かの映画で見たことがある。目玉の前にライターやマッチの火をかざして、反応の有無で視力の有無をもはかるのだ。何かで見た。そして、あの世では火をつけるのはそれほど苦労しない。一炎玉を潰せば簡単に鬼火がつくからだ。もうすでに、誰かが試しているはずだ。
いづるが見えていない、ということを前提に考えてみる。
そうすると残りの問題は、石を選んでいるのかどうか、だ。
選んでいる、とは思う。だが、簡単に決め付けるのはまずい。ひょっとしたら選んでいると見せかけて、こちらの読みを狂わせ、自滅を誘っているのかもしれない。ジャンケンでそんなことができるのかどうかはわからないが、いま、猫町の眼上にいるのは七日間しかないロスタイムを百日以上に引き伸ばしたばけものだ。常識なんて通用するのかあやしい。
選んでいるなら、どうやっているのか。
逆の立場に立って考えてみよう。猫町はよく、テストで詰まると先生の顔を思い浮かべる。そのひとの性格というものと、テストの問題用紙というものは、繋がっていると猫町は信じている。○×問題なんかはお手の物、ここは間違っていないと思われる箇所にしるしをつけて、その二択の流れから残りを推測するなんてことはよくやる。そしてマジメに勉強した方が速いじゃんともよく言われる。
が、いま、その無駄な経験をようやく活かす時が来た。
考える。
たとえば、こういうのはどうだろう。
あの壷の中には、三又の枠が組まれているのだ。それは、きっとおそらく初戦で行なわれたであろう、壷の中をみんなに見せて回った時には、気づかれなかったはずだ。その時はまだ石がたくさんあって、枠が隠れていたからだ。
こういうのもある。
実はいづるの袖の下には義手に似たギミックが仕掛けてあって、手のひねりで自由に好きな石を、ブレザーの裏地に仕込んだ石のストックから持ってこれるのだ。そのギミックの詳細な仕組みは女子高生である猫町にはちょっとわからないが、鉄の塊が空を行く時代である、それほど難しいことでもないだろう。
このあたりのイカサマは、勝負後、負けた後に暴き立てよう、と猫町は思った。イカサマの決済はおおよそ掛け金の三倍から五倍が相場というが、今回は最初からいづるがオールインしているのでどの道、イカサマを暴いた時点で勝ちになる。
が、何も最初から勝負を放棄することもない。
猫町は悩んだ。いま彼女が立っている枠は真ん中、チョキ。
そして、そのまま、チョキの札の前で顔を上げ、仮面の少女に頷いて見せた。少女が足を伸ばして下駄でいづるの脇を小突いた。
いづるが、壷に手を差した。じゃらり。そして、
「じゃん」
握り拳を取り出して、
「けん」
その手が開く前に、猫町は横に飛んだ。
アッと誰かが叫んだ。
――これはイカサマじゃない、と猫町は真ん中のチョキから右のパァへ飛びながら思った。運否天賦を語るなら、まだいづるが手を開けていない時の手の入れ替えは、なんの問題もありはしない。
これでいろいろ判明する、と猫町は空中で考え続ける。迫って来る地面を見ながら――これでいづるがグーを出せば、あの片目が実は本当に見えているのかどうかもわかるし、作為的に手を選んでいるのかどうかも暫定的には判明する。だが、それも結局は栓のないこと。
いまここでいづるがグーの石を出せば、猫町の勝ち。
いづるは消える。
ふいに。
猫町の脳裏に、強烈な後悔が襲った。
チョキに戻りたい、と思ったが、遅かった。すでに猫町の両足はパァの砂利を噛み締め、そしていづるの投げ放った石が、階段上から転がり落ちてきた。
静寂。
猫町は、かがんでそれを拾って、見た。
うしろへ放る。
誰かが叫ぶ、
「チョキ!」
――猫町は、負けた。
が、そのことはあまり気にならなかった。
気になったのは、あの、跳んだ時の恐怖にも近い感情。
後悔した。
なぜ?
やはり、自分はいづるの肩を持っているのだろうか。
志馬に組する気持ちなど、もちろんない。ただ、だからといっていづるに肩入れする気持ちも、またないはずだった。
同じなのだ。
どっちを選んでも、きっと、苦しいことには変わりが無い――
猫町は、いづるの頭からぴょこんと生えている、かわいらしくすらある角を見上げた。
――あれが、伸びきらないと誰に言える?
死人がここにい続けるには、大量の魂貨が必要だし、鬼になったらさらに倍加する。
無理なのだ。
あやかしと死人が、共に生きていくのは。五十年、百年、それぐらいならなんとか誤魔化せるかもしれない。でも、二百年後は? 五百年後、一千年後は?
求める魂は、その流れる時の間も、増え続けるのだ。
無理なのだ。
だから、猫町は、目先の希望を選ぶ。
いづるを倒して、はした魂(だま)を手に入れる。
「異議あり!」
猫町の声が、あの世横丁に響き渡った。
仮面の少女が、うろんげに首を傾ける。
「異議?」
「その壷」
猫町はびしっと指をいづるの脇に置いてある壷に突きつけた。
「あらためさせてもらうよ」
「へえ――」
少女が、立てた膝の上で頬杖を突いた。
「どうぞ?」
猫町はちょっと二の句が次げない。
「………………。いいの?」
「じゃあ、駄目って言ったら引っ込むの?」
その言い方にむかっと来た。なんだこいつ――と猫町は八つ当たり気味な敵意を少女に向ける。
猫町は石段を登って、いづると夕陽を挟んで向かい合った。
初めて見るその素顔は、なんだか、さびしげに見えた。薄い唇が弱く結ばれていて、そこだけ見ると、女の子のように可愛い。
「……」
声をかけずに、壷を探った。いづるは前を向いたまま、猫町に気づいていないかのように、ぼおっとしている。
壷の中には、猫町が想像していたような枠はなかった。がらがらかき混ぜて探ってみたが、大きさも形もばらばらな石があるばかりだ。この石の形、そのすべてを覚えきるのは不可能だろう。いくら記憶力がよくてもあの世の夕陽を浴び続けている限り、忘れていくことは避けられない。
次は、手だ。猫町は断りなしにいづるの右手を掴んだ。触れた時、はっとした。氷のように冷たかった。驚いたことが顔に出ていないことを祈りつつ、袖をひん剥いた。
なんの仕掛けも無い。
男の子にしては華奢すぎる白い腕があるだけだった。
「……満足?」
仮面の少女は特に他意があったわけでもないのだろうが、その言い方がなんだかいやらしく感じて、猫町は顔がぼっと赤くなるのを感じた。恨みがましく仮面を睨むが、少女はなんとも言わない。
猫町は、迷った。
そのまま、下りていくこともできた。が、そうしなかった。
掴んだままだったいづるの手に魂貨を一枚、押しつけた。
十炎玉だった。
「もう一回」と猫町は言った。
「もう一回、やる」
その時、いづるがようやく口を開いた。
「五万」
「え?」
「次やるなら、五万」
その口調は冗談を言っているようには聞こえない。
冗談なんて高尚なものを口に出来るような男でもない。特に、こういう勝負の場では。
五万。
――猫町にとっての、五万である。
博打が強いわけでもなく、現世へいって人間をとり殺して魂をこっそり奪って来る度胸があるわけでもない。
一度失ったら、もう戻っては来ない魂(かね)である。
オールインには、まだならない。
が、この五万を失えば、猫町の夏休みは永遠に終わらなくなる。
猫町は唇がわなわなと震えるのを感じながら、抑えられなかった。
逃げることは、簡単だった。
でも、逃げた後、どうすればいいんだろう。
あの倉庫で、みんなと震えて過ごして二学期まで過ごし、その先になにがあるというのだろう。
どの道、春まで保たないのだ。
そう、どっちを選んでも、同じ――
猫町にとっては。
このまま帰ることが、負けて死ぬことだった。
「やる」
いづるの黒い瞳が、少しだけ動いた。