Neetel Inside ニートノベル
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 状況を、整理する。
 慌てて、わかったような気になって、誤魔化しちゃだめだ、と猫町は思う。それは逃げだ。勇気を出して、考えよう。
 何が起こったのか、を。
 いづるは、猫町が跳ぶ前に確かに石を掴んでいた。それを見たから、猫町は跳んだのだ。つまり、いづるは、最初からグーを掴んでいたことになる。目が見えていれば、無論、猫町のチョキに勝てない手を出すわけがないし、見えていないのなら自分で手を選ぶ意味もない。
 本当に、運否天賦で引いているのか?
 猫町は、鳥居に吊るされた出目表の群れを眺めた。風を受けてはためく紙片は、いづるが挙げてきた勝ちの数。
 もし、そうなら。
 本当に、そうなら。
 強運なんていう言葉では言いあらわせられない。
 ――ばけもの。
 猫町は、ギャンブルをあまりしない。苦手といってもいい。だから、河童や火澄が言うような、博打の申し子のようなものがこの世に本当にいるのか、わからない。
 けれど今は、信じかけている。
 それを覆すことは誰にも出来ず。
 前に立つものは、ただ敗れるしかない。
 そんなものが、本当にいるのかもしれないと。
 猫町の目が、出目表の上を力なく滑った。
 そして、気づいた。
 吊るされた和紙の群れ、二段目の左端の方である。
 全体を俯瞰している時は気づかなかったが、よくよく見てみると、ひとつの手が延々と横並びになっている箇所があった。
 グーである。
 猫町はまだ半分心ここにあらずのまま、そのグーの数を数えた。
 十七。
 十七連続、グーである。
 確率の授業は眠っていたからよく覚えていない。が、それでも、無造作に手を出し続けて、それが十七連続も続くことが偶然にしたってあるだろうか。
 ないと思う。
 思うが、ならば、どうやって?
 壷の中にも袖の下にも、なんの仕掛けもなく、そしてさっきは猫町が跳ばなければいづるは勝っていなかった。
 いや。
 大切なことは、どうやって、ではないのかもしれない。
 本当に大切なことは、何をしているのか、なのかも。
 仕掛けがあろうがなかろうが、そんなことは猫町には関係ない。
 いづるは、出す石を選んでいる。それは、十七連グーがほとんど証明している。
 ならば、それに沿って考えていくだけ。
 考えろ。
 石を選んで出しているのなら、こっちの手を読んでいるということだ。
 どうやって。
 そこだけは、仕掛けを見破らなければ裏をかけない。
 猫町は唇を噛んで、置物のようないづるの顔を睨む。
 どうやって。
 頭に血が上っていたのだろう。ずるっと猫町の足が滑った。体重をかけて前のめりになっていたために、足元の砂利石のバランスが崩れたのだ。
「わっ」
 転ばずに済んだが、うしろの方で誰かがくすくす笑うのが聞こえた。猫町の顔が赤くなる。
 その時、ふいに、背骨を撫でられるようなひらめきが猫町に走った。
「あ」
 視線は、足元の砂利道に落ちている。少し重心を傾けただけで、ごろごろと石ころが動くのでこのあたりでは誰も走ったりはしない。
 少し、重心を傾けただけで。
 さっきのことを思い出し、確信を得てから、猫町は視線を上げた。いづるの顔を見る。
 さっきから、何かに集中しているかのように、微動だにしない。
「…………」
 猫町は、仮面の少女に頷きながら、そっと足元でローファーの踵を浮かせた。白い靴下に包まれた足首が覗くが、誰もそんなところに注視するものはいなかった。
 猫町が立っているのは、真ん中。
 チョキ。
 いづるが、壷に手を入れる。
 その瞬間、猫町は片足を上げた。つま先だけでぶらんぶらんとローファーが揺れている。
 大切なのは、タイミング。
 考えるいとまさえ、与えなければ、勝機はある。
 猫町は、そのローファーを左隣の「グー」の砂利道へと放った。力加減が難しかったが、ローファーは絶妙の軌道を描いて、
 とすっ
 と、砂利道に着地した。
 ちょうど猫町が、忍び足で一歩踏み込んだような、そんな音。
「…………」
 いづるの手が、さっきよりも数瞬、壷から遅く出てきた。
 石を放る。
 猫町は、それを目で追う。真ん中の「チョキ」から。
 もし、いづるが猫町の考えているように「音」で相手の立ち位置を探っているとすれば、いづるが見ている景色の中では猫町は「グー」にいるはずだ。最後の最後に心変わりをしたように。
 そうして、いづるが「パァ」を出したなら。
 猫町の勝ちだ。
 石を放る前に手を変えたのだから、反則ではないはずだ。
 靴下を履いただけの足を、もう片方のローファーを履いた足の上に乗せながら、猫町は待った。
 からん、ころん、と、いづるの投げた石はじれったく石段を転がった末に、猫町の足元に敷かれた砂利にさくっと刺さった。
 グーだった。


 くらっときた。
 どうして。
 どうして。
 どうし、て――
 息が、詰まる。
 猫町は、すがるようにいづるを見上げた。
 その唇を、求めるように見つめる。
 今にもその口が言ってくれるのではないかと思ったのだ。
 忘れてあげるよ、と。
 いづるは右手をかざした。
 掌に、傷口のような切れ目が入っている。
 《鬼の口》だ。
 その口がぱくっと開いて、白い牙と生々しい舌が覗いた。
「あ」
 猫町は、誰かに引っ張られるようにつんのめった。左手が中空に釣り上げられ、そしてそこから、
「あ――」
 魂貨が堰を切ったようにあふれ出し、石段を遡って《鬼の口》に吸い込まれていった。
 けぷっ
 げっぷを漏らした鬼の口に、不快そうにいづるは眉をひそめて、手を握った。
「確かに」
 五万炎、貰い受けたという意味だろう。
 猫町はその場にへたりこんで、自分の失った左腕の跡地と、いづるとを交互に見比べた。
 嘘だよ、と誰かが言ってくれるのをこの期に及んで待っていた。
 何もかも嘘、こんなひどいこと誰もしやしない、どうしてこんなジャンケンごときで腕を取ったり取られたりしなくちゃならない? そんなバカなことはないよ、そんなのは、ただの嘘――
 誰も何も、言わない。
 猫町の目にぶわあっと涙が盛り上がった。
「な、なんで――」
 いづるの冷たい目が、猫町を見下ろしている。
「なんで、って?」
「ひどい、ひどいよ」
「ひどい」
 いづるはそれを知らない言葉のように言う。
「なにが」
「あた、あたし、こまる。そのお金がないと、こまるの」
「僕だって負けてたら困った」
「そう、だけど――」
「僕が負けて、許してくれと言ったら、君は許してくれた?」
 猫町の息が詰まった。
「……な」
 どんどん自分が嫌いになる。
「仲間になってあげる」
 涙で滲んで、いづるがどんな顔をしているのか、わからない。
「仲間になってあげるから、さっきのお金、返して。返してよ。あれがないと、あたし、あたしは……」
「……」
「お願い……」
「……」
 いづるには、わからないんだと猫町は思った。
 弱い自分たちの気持ちなんて。
 頑張ろうと思って、思った矢先から、掌から水が零れるように気持ちがどこかへ逃げてしまう。
 その気持ちが、強いいづるには、きっとわからない。
「……勝つって」
 猫町の声から、涙の気配が消えていた。
「勝つって言ってくれなかったじゃん」
 猫町は、倉庫の外から呼びかけられた時のことを言っている。
 あの時、いづるは、猫町に「話を聞いてくれ」や「ここを開けてくれ」とは言ったが、「志馬に僕は勝つ」とは一言も言わなかった。勝負のことは一切、口にしなかった。
「助けてくれるって、言ってよ!!」
 猫町は涙を飛ばして叫んだ。
「守ってみせるって言ってよ!! そしたら、そしたら考えてもいいよ、絶対、絶対そうするって言うなら――」
「――――」
「それなら――」
「――できないよ」
 いづるの声は、弱々しかった。
「あいつは、強い。絶対に勝つ、と言いたいけど、それはたぶん嘘だから」
「僕は」といづるは続けた。
「誰かに負けてあげる優しい嘘は昔から向いてないってわかってた。だから、ハッキリ言う。僕に味方して、勝って生き残れば君の望んだ未来をあげる。その代わり、負けたり死んだりしたら何もかもがご破算だ。責任なんて持ってあげられない。君は消える。もう何もできなくなる。君は死ぬ」
「なんでそんなこと、言うの」
「――もう僕は謝ることもできない。何も言えない。もう何をやっても嘘になってしまう気がする。だから、僕は、僕に残されたたったひとつの嘘にならない道をいく。そうするしかないから」
 いづるが何を言っているのか、猫町は半分もわかってはいなかった。泣きじゃくる以外にすることなどなかった。
「だから、こうするしかないんだ」
 いづるは言った。
 猫町は、ゆらりと立ち上がった。
 野次馬たちが息を呑んで、その背中を見つめている。
「石」
 え、と誰かが言った。猫町は振り返って喚いた。
「石! いづるが投げてきたやつ、あるでしょ!? 三つよこして!!」
 俺持ってるよ、と誰かが三つの石を差し出してきた。猫町はそれを残った右腕で掴むとスカートのポケットの中に突っ込んだ。
 触れてみて、いづるがどうやって石を選んでいたのかがいまさらわかった。
 石にはそれぞれグー、チョキ、パーの溝が彫ってあった。
 いづるは、それを指の腹で撫でて、手を選んでいたのだ。
 だが、いまだに、どうやってこちらの手を読んでいたのかが、わからない。
 わからないが、それでもよかった。
 これなら、ばれっこないから。
 猫町は、右手にひとつ握りこんで、その拳をいづるめがけて突き上げた。
 頬を流れる涙の理由がわからない。
「勝ってよ」
「――――」
「勝ったら――信じてあげる。嫌々じゃなく、あんたのために、応援だけじゃなくって、味方になる。いづるが志馬にきっと勝つって、あたし――心から信じられる。それが、あたしの報酬。だから、お願い――」



「勝って」



 いづるは顔から包帯を解いた。掌に乗った包帯が、風を受けて飛び去っていく。それまで閉じられていた赤い目が、ぱちりと開いて、猫町を捉えた。
「わかった」
 壷に手を入れて、迷わずにひとつ抜き出す。
 それを祈るように、額にかざしてから、放った。
 かつん、こつん、
 かつん、こつん、
 かつん、こつん――
 一段一段落ちてくる石が、ゆっくり見えた。
 猫町は、心から、負けることを祈った。
 いまさらになって思う。
 自分は、信じたかったのだ。
 最初から。
 から――ん、
 猫町の足元に、いづるの石が転がり落ちた。
 そこに描かれているのは、
 グー。

(ああ――)






(勝っちゃった――)






 猫町が握ったのは、パァ。
 自分が立っている世界が、崩れ落ちていくような気がした。
 誰かが言っていた。
 勝とう勝とうとすれば負け、負けてもいいと思えば勝つ。ギャンブルの女神さまは、そんな気まぐれで天邪鬼な女の子なのだと。
 でも、なにも、こんな土壇場で悪戯をしなくてもいいじゃないか。
 猫町はその場に崩れ落ちた。そして、掌に握ったパァを落とした。
 それがころりと、いづるの石のそばに転がる。
 チョキだった。





       

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