Neetel Inside ニートノベル
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「いやぁ――――!!」
 猫町が両脇を光明とヤンに固められて、ずるずると奥の間に引っ張りこまれようとしている。ニーソを履いた足で畳をけりけりするが光明は容赦なく引きずっていく。ヤンは心底いやそうな顔をしていた。
 光明はこういうのが好きらしい。始終にやにやしている。
「観念しろ猫町。痛いのはたぶん最初だけだ」
「たぶんって何? たぶんって何!?」
「うるせえなあ死にゃしねーよ死にゃあ。案ずる寄り産むが安しだよ」
「男がそれ言うな、むかつくからぁ!! うわぁ――!! 放せぇ――!! チカン変態ゴミクズ最っ低アホ馬鹿まぬけぇ――っ!!」
 どったんばったんと暴れる猫町に男衆はドン引きである。浜に打ち上げられたサメだってもう少し空気を読む。
 いづるとキャス子は何をするでもなく、座敷の上で手足を伸ばして他人事のように悶着を眺めていた。
「なにもべつに本当にヤられちゃうわけじゃないのにねー」
 キャス子はけらけら笑って言うが、ヤるとかヤらないとかいう単語を聞くだけでいづるは恥ずかしいので、黙っていた。
「でもさー、本当にみっちゃんの言う通り、猫町を依代にすれば電ちゃんが進化したりするのかなあ?」
 いづるはちらっと顔を上げて、
「ヤンを式札に入れて休ませていたように、なにかにとり憑いているとあやかしは安定するらしいよ。みっちゃんの理論にいると、陰(女)と猫の気を持ってる猫町に電介を憑依させると、ちょうどおなかに子供がいるみたいに妖気が流れて成長するんだって」
「それで決戦になったら、電介の魂だけを取り出すってわけ?」
「そう」
「トンデモ理論にもほどがあるなー」
 いづるに言われても困る。
「ぬっがぁ――――!!」
 二人がのんきに話している間にも、猫町たちの捕り物騒ぎは続いている。
 いづるが目を向けると、柱に爪を立ててへばりついていた猫町が、光明とヤンに両足を引っ張られて背が数センチ伸びているところだった。完全に二人の目からはパンツが見えているはずだが、顔を赤らめるどころか死んだタヌキか何かを見た時のようなツラになっている。いったいどんなパンツを履いていたらそんな顔をされるのか逆に知りたい。
「いづる――た、たすけて! きっと、きっと何か他に方法があるよ! こんなひどいことしなくても済むやり方があるはずだよ!」
「そうかなあ」いづるは首をひねり、
「うーん、じゃやめようか」
「ほんと!?」
「でも、猫町、そんなに電介のこと嫌いだったの? なんか残念だよ」
「あっ、それは違うよ、あのね」
 猫町が両手身振りを交えて弁解しようとした。
 柱を掴んでいた手で、である。
「にゃああああぁぁぁぁぁ――――!!!!!」
 奥の間に猫町が吸い込まれていって、襖がバシン、と閉じた。しばらくごきぶりを踏んづけた時のような大騒ぎが向こうから響いてきたが、やがて静かになった。
 いづるは目頭を押さえる。
「誠に遺憾」
「この悪党」とそばで見ていたキャス子が笑った。
 光明の話によれば、電介が階位九にまで猫町の中で『胎育』されるまで半日はかかるということだった。
「それまでどうしようか」といづるが言った。
 キャス子はちょっと考えて、
「麻雀でもやる?」
 と牌を摘むような手まねをした。ちょうど、黄泉ノ湯は猫町陥落の報を耳にして観念して投降してきた低位のあやかしたちで溢れており、面子には困らない。
 いそいそといづるが物置から折りたたみ式の卓と牌を引っ張り出して甲斐甲斐しくセッティングしていると、猫町たちが消えていった襖が音を立てて開いた。
 猫町が立っている。
「あれ?」
 いづるは首をねじって背後を見た。
「早いね、どうしたの」
「――――」猫町は答えない。
「猫町?」
 ぼふっ、
 立ち上がりかけたいづるに、猫町がいきなり抱きついた。
「な」
 牌山から牌を摘もうとしていたキャス子の指が凍りつく。
「ね、猫町……?」
 いづるは電撃を喰らったように身を固めて微動だにできない。
「いづる」
「な、何……?」
 猫町の声からはなんの感情も読み取れない。いづるの首に、自分の鼻をすり寄せて、
「ぼくがまもってあげる。なにがあっても、ぼくはいづるのミカタだからね」
「猫町……な、なにを?」
 猫町がぶんぶん首を振って、長い髪がはためいた。
「ねこまちじゃ、ない」
「え? ちょっと待って……ひょっとして、電介なの?」
 答える代わりに、ぎゅっと猫町=電介はいづるにしがみついてきた。そうしていないといづるがどこかへ行ってしまうかのように。
「いづる……ぼく、ぼくは」
「……うん」
「ぼくは、いづるがすき」
「……」
「まもってあげるから。ぼくが、いづるをまもるから」
 電介は肩を震わせて、
「だから、いなくならないで……」
 いづるは、目を閉じた。開きっぱなしの左目を天井の木目に据えながら、ぎくしゃくした手つきで電介の頭を撫でた。
 ありがとう、とも、ごめん、とも、言わなかった。ただ、黙ってふわふわした猫ッ毛を撫でた。
 好きだと言われれば言われるほど、自分がどうしようもなくひどい人間に、なぜだか思えた。


 ○



「おや」
 黄泉ノ湯の廊下、光明は浴衣に懐手でぶらぶらしていたのだが、障子窓から外を眺めるキャス子を見つけて足を止めた。
「何してんのアンナちゃん」
 キャス子はこっちに白いおもてをちょっと向けて、何もなかったかのように外に顔を戻した。光明はその隣に立って、初めて出会った人にそうするようにじろじろとキャス子を見た。
「門倉は」
「電ちゃんとイチャついてる」
 いつも被っているキャスケット帽を、キャス子は外して手の中でひしゃげさせて弄んだ。
「あららァ。フラれちゃったかァ」
「ばぁーか。電ちゃん相手に意地張ったりしないよ。それにフるとかフらないとか、ないでしょ」
「なんで」
「いつまでも続くものじゃないもん、こんなの」
 夕陽がなめるようにキャス子を包んでいる。
 光明はぼりぼりと頭をかいた。
「ま、そうだけどさ。でも俺ァてっきり、あんたが一番、それを認めたくないんだって、思ってたけどな」
「あたしがひよったら、あいつがシャキッとできないからね」
「強いなあ、アンナちゃんは」
「そうだよ」
 キャス子は声で笑って答えた。
「だから、強いまま、最後までいく」
 二人は並んで、どこかから聞こえて来る喧騒に耳を傾けた。
 光明は言うかどうか迷ったが、結局、言った。
「逃げろよ、アンナちゃん」
 キャス子は呆れたように笑った。
「逃げて、どうすんの。どっかあたしに行く場所がある?」
「なくても、あんたなら、どっかで細々とやっていけるよ。俺が保障する」
「あたし、最後までいくって言ったばっかなんだけどなあ?」
「それでも止めて欲しいのかと思ってさ」
 しばらく、長く壁に這った二人の影が、そのまま動かなかった。
「あいつがね」
 キャス子は言った。
「あいつが、心の底から笑うとこ、あたし――見てみたいんだ」
 それは難儀だろうな、と光明は思った。
 誰の知る限りでも、門倉いづるが、一瞬でも自分を忘れて微笑んだことなど一度もないのだ。心の底から笑うことも泣くこともない。いつもどこかでブレーキをかけている。
 だから、いづるがもし本当に微笑んでしまうような未来に辿り着くなら、どんな目に遭おうとも割が合う。
 キャス子は、そう言っている。
 微笑むことになぜそこまで苦しまなくてはいけないのか、光明にはどうしてもわからない。
 光明がいってしまってから、キャス子は、仮面を少しだけずらして、呟いた。
「なんで死んじゃったんだろ、あたし」


       

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