Neetel Inside ニートノベル
表紙

あの世横丁ぎゃんぶる稀譚
03.魔法の花札

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 飛縁魔が路地を横に逸れていくたびに、道は狭く暗くなっていった。大通りから、朧車一台分の道、そしていまでは二人が肩を並べて歩くことさえ難しくなっていた。夕陽がほとんど切れ切れにしか入ってこないので、いづるは目を凝らさないと行く先が見通せなかった。左右に続くガラス戸はどれも電気が消えてなんの気配もしない。飛縁魔の戦装束がぎらぎら光ってくれているので、道案内を見失うことはなかったが。
 黄色く変色した張り紙があちこちにベタベタと貼ってあるが判読できるものは少ない。何々屋、何々承りマス、何々お断り、などと書いてあるものが多かったが、なかにはミミズののたくったような古代文字が記されているものもあった。たいていは真ん中あたりから破れていた。
 飛縁魔はその中の一枚をピッと剥がして、その奥の木戸を開けた。かびくさい地下のにおいのする階段が暗闇に続いていた。この先に土御門光明がいるのか。陰陽師の秘密基地というよりは闇賭場にでも通じていそうな気配である。誰が落書きしたのか、灰色の壁には百鬼夜行の図が描かれていた。なかなか達筆である。飛縁魔について階段を降りながら、いづるは壁画のなかに飛縁魔の姿を探した。が、結局探しきれずに階段を降りきってしまった。
 扉がある。ところどころ亀裂の入った木製の扉だ。下の隙間から平坦なオレンジ色の光が漏れている。人の気配がする。
 そこだけ真新しいドアノブを飛縁魔は握って、ひねった。
 奥に長く伸びた、長方形の部屋に出た。部屋と同じ形のテーブルの上には雑多なものが無秩序に置かれている。絵の具、パレット、筆の毛先には洗い落としのエメラルドグリーンがへばりついている。いくつか立てかけられたキャンバスには美しい着物の女が描かれている。その背中から覗いているのは狐の尻尾だった。右下に署名がある。土御門光明。
 女の子みたいな顔をした少年だった。
 鋭角的に切り揃えられたおかっぱ頭には天使の輪が輝き、頬は背後の暖炉の火を受けて硬質な光を照り返している。人形みたいだ、といづるは思った。人形くさいといえば服装もそうだった。一千年前の貴族が着ていたような、膨らんだ服をまとっている。それは一般に狩衣と呼ぶ服装だったがいづるは知らなかった。ただ、親戚の家に遊びに行ったときに飾ってあったおひなさまのお殿様を思い出しただけだった。
 土御門光明は、絵筆をふるって、水気を払った。その眼も濡れたように妖しく、ずっと見ていると吸い込まれそうになる。
「なんだおまえか。なにしに来たんだ、とっとと帰れ」
 いきなりそれかよ、と飛縁魔はため息をつく。光明は、顔立ちからして甲高いボーイソプラノかと思いきや、柔らかく甘いベルベットボイスだった。会話をすれば女子に間違えられることはないだろう。じろっと目を細めて、
「結界は?」
「壊した」
 やっぱり、といづるは思った。剥がしちゃいけない雰囲気あったもん。光明も同じ感想を抱いたらしい。呆れたように「ハッ」と鼻で笑った。そして突然の来訪者を無視して、中腰になった。彼の存在感に隠されていたが、すぐ隣に丸椅子に座った人形が腰かけていた。少女の人形だ。いづると同じ高校の制服を着て、いづると同じ白い面を着けていた。人形? 少女の首がいづるの方へ向いた。
 人形じゃない。死人だ。
 二人ののっぺら坊は言葉もなく見詰め合った。お互いの眼球は見えこそしなかったけれど。
 光明は左手に着けたパレットに筆をつけて、色をつけると、少女の仮面に迷いない様子で線を引いていった。少女の仮面にどんどん黒い筋が増えていく。いづるは、どうもそれがおもてで飛縁魔が破り捨てた紙に書いてあったのと同じ文字らしいことに気づいた。
 飛縁魔は勝手に戸棚を漁って、マシュマロの袋を見つけていた。腰の匕首を抜き放って、柔らかいマシュマロを刺し、暖炉の火であぶった。ちょうど中腰になっていた光明のケツが邪魔になっていたので、マシュマロを食って匕首をいったん自由にすると、その刃先を躊躇なくケツに刺した。
「あっ!」
 といづるは思わず声をあげたが、ケツを刺された光明の姿は靄になって滲んでいき、ひゅッと音を立てて消えてしまった。そして瞬きをすると、飛縁魔の背後に回っていて、そのアタマを思い切りひっぱたいた。
「てめえなにしやがる!」
「それはこっちのセリフだ!」光明は吼えた。
「脳みそ溶けてんのか? 礼儀ってもんを知らねえらしいな」
「ちょっとからかっただけじゃんかよ。細かいやつだなァ」飛縁魔は新しくあぶったマシュマロを突き出した。「喰う?」
「オレのだってんだよ!!」光明は飛縁魔の手から袋を奪い取った。それにしても、といづるは思う。飛縁魔のやつ食べてばかりだ。
 光明はマシュマロの残り具合を確かめると、テーブルの上に放り投げた。飛縁魔はエサを追う鳥みたいに袋を目で追った。まだ食べる気だったらしい。白面の少女が口元に手を持っていった。表情はわからないが、笑ったのかもしれない。
 光明はさらさらの黒髪を苛立たしげにかき回した。
「なんなんだよ。遊ぶなら余所にいってくれよ。オレはいま忙しいんだ。すごくな」
「暇なヤツはみんなそう言うんだよなー」
「だ・か・ら、それはおめーだよおめー! なんなの!? 早く出てってくんないかな!!」
「まァそう言うなって」飛縁魔は椅子の少女のうしろに回って、長い黒髪を指で梳り始めた。少女がくすぐったそうに身もだえする。「で、これなに?」
「そっちのこそなんだよ」と光明がようやくいづるを見た。が、その瞳には人情味が感じられない。道端の石ころは普段こんな視線に晒されて転がっているのか、といづるは興味深く思った。今度からはもっと情熱的に見てやろう。
 飛縁魔は許可もなく少女の黒髪を手早く編みこみながら、
「べつに? フツーに拾った。あたしの来週の給料。あたしよりおまえの方が問題じゃね? この子になにをする気だ!」
「なにもしやしねーよ」光明は精気を取られたようにげっそりしていた。いづるには気持ちがよくわかる。
「実験に使ってたんだ。……だから違う! なんだその眼は!」
「だって……」
「シナを作るな気持ち悪い。匕首こっち向けるのもやめろ。あのな、オレは、そいつの時間を引き延ばしてやってんの。慈善事業で」
「時間?」と飛縁魔。
「ああ。フツー死人は七日……平均一八八時間ほど経てば魂貨になるんだが、そいつはもう三ヶ月近くあの世に留まってる。どけ」
 飛縁魔を追い払って、光明は絵筆を水入れで濡らしてまた少女の仮面に文字を描き始めた。少女はぷらぷらとローファーを交互に振って、されるがままになっている。
 飛縁魔はまた戸棚を漁ってごそごそやり始めたが、光明にぎろりと睨まれてやめた。
「でもさ、あたしおまえら陰陽師のことってよく知らないんだけど、それって」
「バレたら破門されるね。ヘタすりゃ消される」
 光明はなんでもないことのように言った。喋りながらも筆の動きは変わらない。
「死人ってのはケガレだからな。とっとと綺麗になってもらうのが常道なのに、ずっと留まってられたら災いを呼ぶのも当然だな」
「じゃ、ヤバイじゃん」
「それをヤバくないようにするのがオレ様よ。ちょっと無理やりだけど、魂貨されていくスピードを遅らせてみたんだ。苦労したが、わりとうまくいったな。代償として声が出なくなったりはしちまったが」
 少女の白い仮面を指の関節でこんこん叩き、
「でも、もう限界だな」
「限界?」
 見ろ、と光明が言うとその言葉を待っていたかのように、仮面の文字がすぅ……と掠れて消えてしまった。光明が前かがみになって少女になにか囁いた。少女は頷いて、隅の扉から出て行った。
「……彼女は?」
「焦らなくたって、おまえにゃすぐにわかるだろうよ」
 光明は絵筆を水に浸けて、かき混ぜた。揺れる波紋を見つめながら、
「で、遠回りになっちまったが飛縁魔、この土御門様にいったいなんの……おい! それはオレが楽しみに取ってあるイモ羊羹だってんだよ! やめ、ちょ、やーめーろーよーやーめーてー! あ、ああーっ!」

       

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