Neetel Inside ニートノベル
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 光明はアトリエにあるすべての戸棚に鍵をかけて回った。わざわざそんなものを用意しているということは、引っ掻き回すやつが度々やってくるということだ。飛縁魔とその少年陰陽師の付き合いは、短くはなさそうだ。暖炉の暖かい火を受けて輝く鍵束を、いづるは不思議な気持ちで眺めた。
 三人はストゥールに腰かけて、向かい合った。最初は顔をしかめて腕を組み、とても歓迎しているようには見えなかった光明も、飛縁魔の身振り手振りを交えた説明を聞くうちに態度が変わっていった。牛頭天王をやっつけたいと告白したところでポカン、と顎を突き出し、魔法の花札の話に辿り着いたときには腹を抱えて爆笑していた。白く細い指で涙を拭う光明に飛縁魔は真っ赤になった。
「なにがおかしいんだよ、おまえだって牛頭天王にはムカついてんだろうが!」
 光明は笑いの発作に抗おうと努力したのだろうが、かえって福笑いのように顔がアンバランスになった上に「ひひひ」と気持ちのよくない声が漏れてしまって、飛縁魔の怒髪は天を衝きかねない状態になった。右手が太刀を抜くまいとして痙攣している。だが、いま現在ただひとつの希望を打ち首にするほどバカではないらしかった。
「魔法の花札?」
 光明は身を折って、くく、と歯の奥で笑った。飛縁魔が拳を握ったり開いたりし始めた。爆発の時は近い。いづるはストゥールを半歩ほど引いて爆心地候補から距離をとった。
「――――いい加減マジメに聞けよ、土御門」
「聞いてるよ」光明は絵筆をくるくると手のなかで弄んだ。「おまえがふざけない限りはな」
「じゃ、できないのかよ、魔法の札」
 途端、光明は無表情になった。そうして黙っているとやはり物静かな少女に見える。光明の唇が開きかけ、前歯が白く輝くのを見ながら、いづるは次の言葉を自分と賭けた。
「できるよ」
 当たった。
 うしろにいるのっぺら坊が報酬のない博打を一瞬だけ楽しんだとは露知らず、飛縁魔ははて、と首を傾げた。
「できるなら、なんでそんなにウケてたんだよ。……疲れてんの?」
「おまえのせいでな」光明は鼻で笑った。「二重の意味で」
 飛縁魔のアタマの中で光明の回りくどい言葉がグルグルと回転し始めたのがいづるにはわかった。首がゆっくりと沈没する船みたいに傾いていき、首の稼動限界で止まった。放っておくと顔が一回転する危険性がある。
「つまりさ、姉さん。土御門くんはこう言いたいんだよ。魔法の花札を作ったって、それを姉さんには使いこなせないだろ? ってね」
 姉さん? と今度は光明が顔を傾けた。が、飛縁魔と違ってすぐに復帰した。ただの愛称だと納得したらしい。元人間の死人ののっぺら坊と妖怪の飛縁魔が血縁関係にあるはずもない。光明は横丁に来て、久しぶりに切れ味のいい頭脳に出会った。それとも、同じ人間だから、その思考が理解しやすいだけなのかもしれない。つまらないことばかり考えて、余計な知識と情報をこねくり回し悦に浸るのは、人間だけの特性だ。
 いづるの助言に、光明は頷いた。
「そうだ。飛縁魔、おまえ花札やったことはあるよな。べつに花札じゃなくてもいい。ポーカーでも大富豪でも一緒だ。オレが仮におまえに希望の札を作ってやったって、おまえにはそれが制御できねえ」
「なんでだよ」
 不満げな飛縁魔に、光明は噛んで含めるように言葉を選んだ。
「じゃあ、仮におまえの手札がゴミ札ばかりだとしよう。花札って場札があるよな? いま、そこには役を作るキーになる札がゴロゴロしてる。おまえはその札が欲しい。で、そうだな」光明は中空を見上げて、「うん、『月見で一杯』のために『芒に月』をカス札から変化させて、場の芒とくっつけて取った。そしたら山札から一枚場に出すよな? それも変化させて『菊に杯』にして場札の菊のカスとくっつけた。役の出来上がりだな。どうなると思う?」
「勝つ」
 即答だった。それ以外になにがあるのかという顔だった。もし学校にいかなかったらどうなるかと問われれば、きっと飛縁魔は昼まで寝ていられると答えるだろうし、働かなかったらどうなるかと尋ねられればやはり昼まで寝ていられると答えるだろう。おばけには試験もなんにもない。気楽なもんである。光明は盛大にため息をついた。
「相手がおまえが変化させた札を手札に持ってるかもしれないだろ? 花札には役に関わる札は一枚しか入ってないんだ。トランプじゃないんだぜ」
「じゃ、どうすればいいんだよ?」
「オレが知るかよ。牛頭天王をやっつける? オーケイ、勝手にやってくれ。元々その件は妖怪どもの問題だ。オレたち拝み屋の出る幕じゃない。それに、妖怪と死人に陰陽術で理由なく干渉することは陰陽連で厳禁されてるんだ」
 光明は立ち上がって、座っていたストゥールをテーブルの下に爪先で蹴り入れた。画材道具をテキパキと片づけるその背中に飛縁魔の叫びがぶつかる。
「頼むよ!」ストゥールから跳ねるように立ち上がって、飛縁魔は言った。「札さえ作ってくれたらおまえのことは誰にも言わないからさ!」
 光明の背中は肩をすくめた。
「やなこった。オレには透けて見えるぜ、すぐ先にある未来がな。おまえらは意気揚々とオレの札を使って、まさか自分だけはそんな不運には見舞われないだろう、いろいろ心配しても最後にはなんとかなるだろう、むしろあっけらかんとしていた方がツキが来る。そんな言い訳並べて武装して、牛頭天王に挑みかかって返り討ち。牛頭天王は言うよ、はてその札、うすばかの飛縁魔が持つには相応しからぬ魔道のモノ。いずこで手に入れた? おまえはへへーっと平身低頭してこう言うんだ。ぜんぶ土御門光明ってやつが悪いんです!」
 最後には両手をあげて、クライマックスを迎えた指揮者のように、光明は断言した。振り返ったその眼はぎらぎらとしていた。
「おたんこなすの妖怪と違って、人間のオレは他者を簡単に信じたりはしないんだ。魔法の花札? ああ作ってやるとも、簡単だ、誰にだって念じるだけで変質させられる無敵のカードにしてやるよ。包装紙巻いてリボンとシールもつけようか? だがな、札もリボンも、てめえがオレを納得させられたらの話だ。なに泣きそうになってんだ? てめえのおやじだって充分長生きしたじゃねえか。いまさら敵討ちなんざしらけるだけだぜ」
 斜めうしろに控えていたいづるには、飛縁魔の顔は見えなかった。泣いているようなそぶりはしていなかった。手も肩も震えていない。静かだった。それがかえって、その顔を覗き込むことを躊躇わせた。
 いづるは光明が間違っているとは思わない。むしろ当然だとさえ思える。彼のリスクはどんな綺麗な言葉で飾り立てても消えはしないのだ。誰だって自分が可愛いし、面倒事は背負い込みたくない。対岸の火事に駆けつけて煙に巻かれては元も子もないのだ。誰も代わりに責任を取ってくれはしない。光明の態度は正しい。だが正しければ正しいほどもつれる事情もある。
 飛縁魔は、腰の太刀を抜かずに鞘を掴んで、光明に差し出した。
「おやじの形見……業物だぜ。これをやるよ。やるから……」
 黄金色に輝く鍔のあたりを、光明は裏拳で弾いた。飛縁魔は太刀を取り落とした。乾いた音が地下室にこだました。
「てめえオレがわからず屋だとでも思ってんのか!」
 光明は激昂した。
「いいか? オレはおまえみたいにノー天気なやつが大嫌いだ。夢見てんじゃねえぞ。あの牛野郎にてめえら何人消されたんだ? え? 飛縁魔、おまえも知ってる顔が大勢いたはずだ。オレの知ってるやつもいた。決して弱くはなかったよ。おまえよりは強かったろうよ。わかってるよな? おまえは確かにちょっと喧嘩で負けなしかもな。噂は聞いてるよ。でも殺し合いなんてしたことねえだろ? なあ。甘いんだよ。お嬢様なんだよ。所詮、おやじの下で悪ガキぶって粋がってただけの役立たず、それがてめえだよ。わかったらオレの前から消えうせろ。そのガキとカラオケにでもいってストレス発散させてもらって来るんだな」
 光明が長ゼリフを喋り終え、その反響もなくなるとアトリエは痛いくらいの沈黙に包まれた。
 あの飛縁魔が一言も返さなかった。いや、きっと返せなかったのだろう。その理由は飛縁魔に一番わかっているはずだ。だが、それでも土御門光明には土御門光明の事情と理由と過去と信念があるように、飛縁魔もまたそうだった。
 俯いて、力なく両腕をだらりと下げて、転がった愛刀を見下ろしながらも、言った。
「それでも、やってみなきゃわかんねえ」
「……飛縁魔」
「だってそうだろ……あたしは、いつも勝つことばっかりじゃなかったけど、でも最初から負ける気だったことなんてない。うまくいかないかもしんないけど、でもなにもしなかったら、なんにもならない、と思う」
 床に転がった太刀を、飛縁魔は拾った。朱鞘には汚れひとつない。大切にされていることは一目見れば誰にだってわかる。土御門光明にも。
「おまえにとっては他人事かもしんない。あいつ、人間には手を出さないし、おまえらはいつも日和見だもんな。いいよ。わかったよ。勝手なこと言って悪かったな。もういい」
 一瞬、光明と飛縁魔の間で烈しい感情が視線を通じて連結した。が、飛縁魔はそれを振り切るようにして踵を返した。
 いづるは、まだストゥールに腰かけたまま、首を振り向けて飛縁魔の背中を眼で追った。そして、まだ激情の影をまとったままの土御門光明に顔を向けた。鬼気迫る表情だったが、気圧されはしなかった。怯まない理由くらいこちらにだっていまはある。
 はっきり聞こえるように、きちんとした声で、告げた。
「勝負しようぜ」
 努力はしたが、やはり、土御門光明は聞き返してきた。
「なんだって?」
 その顔は半笑いで、いづるが喋ったこと事態が滑稽だと思っているようだった。
「いづる……」と飛縁魔が回しかけたドアノブから手を離した。
 いづるは言った。
「問題はシンプルだ。土御門くんは姉さんの腕が信じられない。それは僕も信じられない。正しい判断だ。でもそれは姉さんがゲームを仕切った場合だけだ」
「なにが言いたい?」
「きみは僕らを信じられないんだろう。だったら信じさせてやるよ。魔法の花札を用意してくれ。時間はかかりそう?」
「かからねえよ」
 光明はにやっと笑った。いづるは笑わなかった。仮に笑ったとしても白い仮面にはさざなみひとつ起こらなかっただろうが。
「なるほどね、わかったぞ。陰陽師は魔法さえ起こしてくれれば不要ってわけか。へっ、やっぱり人間と馴れ合うと妖怪が悪知恵を覚えるようになるってのはホントだな」
「違うよ。僕は、ゲームには自信がある。僕ならゲームを仕切れる。僕が無敵の花札を使いこなせるか、確かめてほしいだけなんだ」
 光明は顎をすくって、いづるを嘲笑した。
「信用できるもんか」
「そうか」
 いづるは肩を落とした。
「なら、これがきみに対して、誠意ある覚悟に映ればいいんだけれど」
「は?」
 いづるは、自分の仮面に手を当てて、それをほんの少し顔から離した。飛縁魔が息を呑むのが聞こえた。
 胸の奥で、なにかがざわめき始めた。自分の身体が空洞になって、黒く汚れた竜巻が、渦を巻き始めたような気がした。それはだんだん大きくなっていく。吐き気がする。
「この仮面を外すと、よくないことが起こるんだろう。いまからこれをきみに預けておくよ。僕らが暴力に訴えたりしたら、遠慮なく叩き割ってくれ」
「バカ!」
 飛縁魔が叫んだ。
「おまえわかってない、それ壊しちゃったら換えなんてないんだぞ! 一人につき一個なんだから……いいからやめろ、そんなマネしないでくれよ、いづる!」
 いづるは飛縁魔の懇願を無視した。それどころか、また数ミリ、素顔に風通りをよくさえした。どの道、無理や無茶の一つや二つこなさなければ人の心なんぞ撃てはしない。
 光明の瞳に動揺が走るのが確かに見えた。一秒が何分にも思えた。いづるは一歩も引かなかった。仮面を押さえる手は、震えひとつ起こさなかった。
 やがて光明は、爆撃機が頭上を過ぎ去った直後のような重々しいため息を吐いた。憑き物が落ちたようで、絵筆を握っていたときの頃に雰囲気が戻っている。
「わかったよ。オレの負けだ。その仮面は外さなくていい。いま、花札を作って持ってきてやる」
「ありがとう、助かるよ」
「勘違いするなよ。まだ終わってない。おまえがオレに証明させられなければ、やっぱり札は渡せねえぞ」
「わかってる」
 いづるは元通り、顔と仮面を密着させた。そしてなんの感情も見せないその仮の顔を、飛縁魔に向けた。
「いやァ、ひどい目に遭うところだった」
 その声は笑っているようだった。まるで、木に高く昇りすぎて怒られた子どもみたいな声。
 飛縁魔はわなわなとなにか言いかけてはやめを繰り返し、手をにぎにぎして混乱の極みにあったが、口を真一文字に引き結ぶと思い切り拳骨をいづるの頭に振り落とした。鐘を打つような音がして、いづるは頭を抱え込んだ。
「いたい……」
「あんなこと二度とすんな、スカタン!」
 わかったよ、といづるは頭をさすった。それを見て、暖炉脇の扉を潜り抜けようとしていた光明が呟いた。
「ケッ、アホくさ。見せつけてくれやがる」
 そんな呟きが聞こえるはずもなく、飛縁魔はぎゃあぎゃあ喚き散らして、門倉いづるは耳を塞いで逃げ惑った。暖炉の火が無地の仮面にゆらめく陰陽を与えて、それはどこか笑った顔のように見えるのだった。

       

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