Neetel Inside ニートノベル
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「ちょろいもんだなァ。土御門の野郎、かるーく泣き落として頭なでてやったら言うこと聞いたぜ」
 飛縁魔は花札の入った小箱をぽんぽんと真上に投げた。
「そんなことしてないしマジ泣き入ってたじゃないか。なにを言っているのかわからないよ。どうかしてるよ」
「お。あれがマジに見えたのか」
 飛縁魔は得意げに胸をそらす。
「演技に決まってんだろ。あんな安っぽい煽りで泣くかよ。男ってばかなんだな」
 いざそう言われてしまうといづるはぐうの音も出ない。男であるのも、ばかなのも事実だ。こんなときだけ女子の底知れなさをちらつかせるなんてずるい。天地神明に誓ってあれは本気のぐらつきだったといづるは思うが、鼻歌まじりで先をゆく飛縁魔の背中を追っていると、なんだか間違っていたのは自分のような気がしてくる。やはりずるい。
「そんなことよりさ」空中で小箱をぱしっと掴み、振り返る。
「おまえこそすげーハッタリかましたよな。あーゆーのブラフって言うんだろ。知ってるぞ」
「ああ……まあね。みっちゃん悪いやつには思えなかったから。口は悪かったけど。だから折れてくれると思ったんだよ」
「顔も悪いしな」と飛縁魔はそっぽを向く。それはないといづるは思うが口には出さない。飛縁魔よりも光明の方が女の子っぽいなどと言おうものなら両者から折檻されそうだ。
 戦装束や太刀をはがしてかんざしでも刺せば、飛縁魔も女の子らしくなるのだろうか。なかなか簡単には想像できなかった。そんな彼女も一度見てみたいが、時間と機会が残っているかはわからない。


 路地裏の迷宮から少し離れた通りに出た。妖怪たちがおのおのゴザをひいた上にホコリまみれのがらくたを並べている。フリーマーケットのような雰囲気だ。真贋不明の宝石や小刀からバラ売りの煙草、カラフルな錠剤が入ったパック、飲みかけのウィスキーボトルまである。ただし中に入っているのは毒々しい深緑色をした謎の酒だ。
 神話では、かの有名なヤマタノオロチは酒に酔ってるうちに倒されたわけだが、牛頭天王にはそんなチャチな戦術が通じるだろうか。足を止めてボトルを見つめていると飛縁魔が「それができたらラクだなァ」と言ってきた。いづるはなにも喋っていない。
「おまえさ、ガキの頃からギャンブルやってんの? そーとー慣れてるみたいだけど」
 アタッシュケースにぎっしり詰まったナイフセットを吟味しながら飛縁魔が聞いてきた。
「いや。始めたのは一年くらい前だよ。うちの高校にギャンブルクラブがあってさ、そこに入ったんだ」
 それまでは、まさか自分が賭け事に熱中するとは想像だにしていなかった。ギャンブルなんてものはほんのちょっぴり先の未来さえ空想できないバカが金と刺激の魔力に引き寄せられて墜ちていく地獄の詐欺だと思っていた。それは、一度も団体競技をやったことがない子供が、チームワークを理解できないのに似ていた。
「あたしそっちのことよくわかんないけど」
 飛縁魔は小さなトゲのたくさん生えたS字ナイフを物珍しそうに手首をひねって眺め回している。
「ギャンブルっていけないことなんだろ。学校でそーゆーのやってもいいのかよ? いいならあたし高校生になる」
「まあ、うちの高校は三角形の面積の出し方がわかれば入れるから姉さんでも大丈夫かもね」
「姉さんでもってなんだよ。それぐらいわかる。たてかけるよこかける高さだろ」
「二倍になってお得だね」いづるは最初から期待していないので微動だにしない。
「もちろん学校でそんなのやってるのがバレたら停学ものだけど、そんなの現金さえ学校で受け渡ししなければわかりゃしない。クラブの名前だって『バラエティゲーム倶楽部』って当たり障りのないものにしてたし。ちゃんと学園祭では古今東西のゲームについての発表までしたんだぜ? 校長からすごい誉められて……」
 飛縁魔がむっつりし始めたので、いづるは彼女の知らない単語を使うのを控えた。
「だから、とにかく、うまくやってたんだ。少人数で部室に集まってさ、暗幕のカーテンひいて電気つけて、遊ぶんだ。ロッカーをあければ部員が集めたゲームがごろごろしてる。トランプ、すごろく、ダーツ、ルーレット、チンチロリン、それに麻雀。一番でかいのでビリヤード台まであったなあ。それはさすがにロッカーに入りきらないから、ぜんぶ分解して立てかけてあったけどね」
 いづるはこの一年間を入り浸って過ごした学び舎を脳裏に思い描く。棚にはゲームのルールブックや戦術書が乱雑に突っ込まれて溢れ返り、テーブルには仲間たちが座ってカードにふけっている。誰でも知っているトランプを切っている時もあれば、見たこともない外国の占いに使うカードで遊んでいることもあった。いづるはダーツが苦手で、いつも投げるときにラインから足を踏み出しては怒られていた。
 愛すべき仲間たち。学校に隠れてバイトをこなし、ATMから札をおろしたその足で学校に来ては賭け、得、失う。バカなやつら。救えないやつら。そのどうしようもなさが、ただ楽しかった。
 もう彼らとあの黄金の時間に心熱くすることはない。永遠に。いづるは飛縁魔に気づかれないように、ポケットのなかでぎゅっと拳を握りしめた。刺すような痛みは訪れなかった。それもきっと、永遠に。
「いこうか」いづるは飛縁魔の手をひいた。
「ここにいたら賭けるはずの金を使っちゃいそうだし……姉さんが」
 最後の一言は当然小声だ。
 飛縁魔は名残惜しそうに色とりどりのナイフとそれを売るイタチ顔に流し目を送っていた。だが飛縁魔もわかっているのだろう。博打の初歩を。
 ギャンブルにおいて、金は弾丸。無駄に撃つバカは強者にはいない。決して。
 青空マーケットを抜けるときに振り返ると、イタチ顔はケースを畳んで帰り支度を始めているところだった。
「ちぇ」
「ナイフ、好きなの?」
「どーでもいいだろ。くそ、牛頭天王をぶっ飛ばして、おまえがチップに両替されたらそのカネで絶対買ってやる」
「勝てるといいね」
 飛縁魔は首を振った。
「勝つんだよ、絶対」
 そう願いたいのはいづるも同じだ。いまのところ、飛縁魔はいづるにとって、あの世で一番えこひいきしたい相手であるし、その彼女が喜ぶことは、いづるの目指すことである。だが、こんな暖かい夕日が終わらない街にも、現実は入り込んでくる。こと勝負にいたっては、なおさらだ。
 いづるは何かを探すように、仮面をあちこちに向けた。そしてぴた、とその動きが止まった。
「待ってて」
「え?」
 飛縁魔を通りの脇、電力が来ていない自販機のそばに留まらせ、いづるは一人の妖怪に話しかけた。いままで何度か横町をうろついていた、セーラー服を着た猫耳の妖怪だ。いづるは彼女ふさふさした耳に仮面を近づけ、手短に早口で囁く。
 猫娘はふんふんとうなずいていたが、やがて承諾したのかにこっと笑った。そして片手を差し出した。握手を求めているのではなかった。いづるはやれやれと肩をすくめる。
 地獄の沙汰も最後はやっぱりカネ次第だ。




 カネを払ってから飛縁魔の元に戻ると、着流しの男が去っていくところだった。狸ではない。うしろからは、銀髪の若い男に見えたが、その顔が人の顔をしているかどうかはわからない。だがいづるの脳裏をよぎったのは、豚だの犬だのではなく、秀麗な顔をした美丈夫だった。
 飛縁魔は笑顔で男の背中に手を振っていた。ご機嫌だ。戻ってきたいづるを見て、はけで払ったようにその顔から華やかさが消え、仏頂面になってしまった。
 じとっとした視線を浴びたいづるはわけもなく戸惑う。
「な、なに?」
 飛縁魔は、さっきまでいづると猫娘が立ち話していたあたりを顎でしゃくった。
「いまなに話してたんだよ?」と聞く口調はドスが効いていてとてもカタギの方とは思えない。いづるは両手を挙げた。
「べつになんでもないよ。世間話だよ」
「ふうん」
 その相槌から信頼の香りは一抹も漂ってこない。言いたくなければそれでいいが後で後悔するなよ、と無言で圧迫されているようで、いづるはカチンときた。
「そっちこそなんだよ。いまの誰?」
「関係ねえじゃん」飛縁魔は横顔を見せて、パタパタと手うちわで胸元を扇いだ。
「それともあたしは、いちいちなんでもかんでも、ぜーんぶおまえに自分がなにしてたか報告しなきゃいけないわけ? へえ? なんで?」
「なに怒ってるんだよ」
「怒ってねえよ。勝手にのぼせんなっての」
「――――」
「――――」
 二人は通りのど真ん中で、言葉を忘れたように見つめあった。何事かと周囲の妖怪や死人が好奇の視線を向けてくるが、飛縁魔の面と太刀を見るとそそくさと立ち去っていった。飛縁魔の悪名はこの赤い空に相当高くまで轟いているらしい。
 だいぶ長いことそうしていた。
 いづるは、肩を落として消え入りそうな声で言った。
「わかんないよ。言ってくれなきゃわからない」
「ふうん」
 飛縁魔は無表情に相槌を打ったが、それはさっきよりも柔らかいものだった。どういうわけか、彼女は感心しているようだった。
「おまえにもわかんねえことってあるんだ。なんでもお見通しって感じなのに」
「そんな風に見えてたの? かなり傷ついたんだけど」
「ははっ」
 その顔に張りめぐらされていた強張った力が、飛縁魔から消え去った。いづるが面食らうほどに、それから飛縁魔はいつもの調子を取り戻した。怖いくらい他愛のない話題を振ってくる飛縁魔になんとか受け答えしながらも、いづるの動揺は続いていた。 
 まったくもって何がなんだかわからないのだ。
 いづるは、胸の奥底から、ふるえる衝動が湧き起こってきて、強烈にゲームに没頭したくなった。ルールとテクニックとアンバランスな幸運と不運の揺れ動く波の狭間に身を委ねてしまいたい。こういう人と人の勝ちや負けのはっきりしない関係は、どうしていいかわからなくなって、生きている頃からずっと苦手なのだ。
 でも、なんとなくわかることもある。
 いまのやり取りで負けたのは、たぶん自分だ。

       

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