Neetel Inside ニートノベル
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 桜野高校に入学した去年の春、僕と紙島詩織、そして首藤星彦は同じクラスになった。
 僕たちの担任はその年に初めて自分のクラスを受け持つことになったとかで、生徒よりもガチガチに緊張して、見えないハンガーで吊られているようだった。早く友達が作りたくって調子に乗った誰かが『まさか本当にひっかかりはするまい』と仕掛けた黒板消しの落下トラップにひっかかりマトモに白粉にまみれ、黒板消しを頭のてっぺんに乗っけたまま何事もなかったかのように授業を始めたのは気合の入った現実逃避っぷりだった。
 去年いっぱいで教師をやめてしまったのが残念でならない。
 その一件でクラスメイトたちの強張った首筋もいくらかほぐれたのか、誰もが気乗りしないであろう自己紹介もスムーズに進んでいった。
 首藤星彦がなんと自己紹介していたのか、実はそれほどよく覚えていない。ただ漠然と背高いなあ、ぐらいのことは思ったかもしれない。
 首藤は身長一八〇センチ。雑巾を絞ったように鍛えられた筋肉を持っていて、髪は短髪、眼だけがやたらと子どものようにきらきらしているやつだった。
 僕の隣に座っていた木村が「すごいイケメン……」と恍惚した表情で呟いていたので、「きみだってイケメンだよ」と耳打ちしてやったら新品の上履きに早くも靴跡をいただく羽目になった。木村とは中学が一緒だったので今でも時々喋る。バレーボール一筋で背中よりも長く髪を伸ばしたことがないらしい。男みたいな団子っ鼻をしょっちゅう気にしていた。
 斜め前の席で鏡のようにピカピカの机にアンパンマンの絵を描き始めた首藤を見ながら、こういうやつがモテる顔なわけか、と僕は頬杖をついてその横顔を眺めていた。

 友達を作るためにあれこれ努力するのが億劫で、入学してから二月ぐらい僕はぼんやりと過ごしていた。球技大会もその打ち上げもすっぽかしてマイペースな人、もとい協調性のないつまらんやつとの称号を頂戴した僕は、そのまま静かに高校生活を締めくくることになる、と自分でも思っていたし、そうなるはずだった。
 気がついたら、首藤と友達になっていた。
 なにがきっかけだったのか、べつに隠してるわけではないけれど、本当に覚えていない。まあ友達との馴れ初めなんてのはそんなものなんだろう。かはっ、かはっ、と妙な笑い方をするやつがいたので横を見たら首藤がいた、という感じ。
 僕と首藤は、来る日も来る日も校舎裏の桜の木の下でくだらないことを五限が始まるまでの五十分間を費やして喋り続けた。
 彼の幼馴染の紙島詩織は僕とウマが合わないらしく、昼休みに姿を現したことはほとんどなかった。
 退屈だったが、穏やかだったことも確かだ。



 ある日、首藤がこんなことを聞いてきた。
「いづる、おまえ来世って信じる?」
 僕は早くも飽き始めた購買のパンをくわえながら、
「来世? 信じてない」
「え、なんで?」
 べつに信じてなきゃいけないわけでもないだろう、と思ったが、まあ許してやることにした。
「だってさ、死んだら消えなきゃずるいじゃん」
 首藤は腕を組んで小首をかしげて、全体的に斜めになりながらうーんと唸った。
「ずるいって何さ」
 僕はこっそり首藤の弁当からから揚げを盗み取りながら答えた。
「シューティングゲームやってて、残り一機で、あと一発でボスを倒せる! ってときにやられちゃって、ああくそまた最初からかよぉって思ってたら、なんかしらないけどバグって数秒間無敵になってボス倒せても、それってずるいじゃん」
「あー」
 首藤は牛のように口をだらんと開けた。マヌケ面だってわかってんだろうか?
「なんとなくわかる」
「だろ。勝たなきゃダメだけど、勝ってイマイチ納得できないってすごくつまんないぜ。だから死んだら消えなきゃいけないんだよ、潔く」
「おまえはすげえなあ」
 首藤はにへらっと笑った。
「俺はそんなにサッパリはできねーや。ずるくてもなんでも、このまま死んだらすげえ困る」
「困る? なんかやりたいことあるのか?」
「いや、ないけどさ、やりたいこととか、好きなこと見つかってねーのに死んじゃうなんて嫌だろ」
「まあねえ……。何だよ、それで来世の話を振ってきたのか?」
「うーん、そうかも……でもたぶん違うな」
 だって、と首藤は笑った。
「来世があろうとなかろうと、俺が俺じゃなくなっちまったら、意味ねえもんな」
 どこか首藤には、僕に通じるものがあったように思う。
 あいつも同じことを思っていたのかもしれない。
 そうだとしたら、なんだかちょっと、気恥ずかしいけど。



 夏休みの終わり頃だったと思う。
 補習に呼ばれて長い坂を登って登校すると、首藤が顔面を腫らしていた。眼の上に青タンが出来上がっていて、それを見た途端、思わず僕はゲラゲラ笑ってしまった。すると机に腰かけていた紙島がキッと睨んできた。
「何が面白いんだよ、門倉くん」
 当の本人の首藤こそヘラヘラのんきに笑っていたのだが、それを言い訳にすると余計にひどい目に遭いそうだったので僕は肩をすくめ、首藤の前の席に逆向きに座った。
「痴話喧嘩でもしたの?」
「なっ――」
 紙島が夏でも外さないロシア帽をぐっと引き下げて、目元を隠す。
 そんなおめでたい態度を取られてしまっててっきり図星かと思えば、にこにこと首藤が首を振った。傷だらけの面が破顔しているのは思い返しても不気味の一言に尽きる。
「実はさ、昨日、目の見えないおじいちゃんが公園で不良に絡まれててさ」
「目が見えないって――知り合いだったのか?」
「いや、でも白杖持ってたし。それに視界が俺らと違う人って、やっぱ首の動かし方とか、微妙な雰囲気違うじゃん。差別するわけじゃないけど、わかっちゃうだろ」
「ああ――それで?」
 それでも糞も答えは判り切っていたのだが。
 首藤はかはっ、と笑った。
「助けてみた」
「捨て猫を拾ったみたいな軽い言い方しないでほしい」と紙島がぷんすかしている。イラついてるなら牛乳でも飲んでろというのだ。
「五人ぐらいいたんだけど、まあなんとかなるかーと思って飛び込んだまではよかったんだけど、いやあスタンガンは出てくるわバイクで轢かれかけるわ――まァ俺もバイク乗ってたから最初のひとりは轢いたんだけど――」
 首藤は無免許で、兄のバイクをよく乗り回していた。四つ年上の兄貴とは一度だけ会ったことがあるのだけれど、瓜二つと言っていいほど似ていたので教師が首藤を発見しても弟かどうか判別できた試しはついになかった。
「で、勝ったのか?」
「門倉くん、そんなスポーツみたいに――」
「うん、じいちゃん守ってやったぜ」
 グイっと首藤は親指をあげて誇らしげだ。
「そりゃよかったな、おめでとう」と褒めてやるとまた不気味に破顔する。
「ああ、一度やってみたかったんだ、人を助けるって」
「ふうん。で、感想は?」
 うるさい蝉が鳴く外を見やって、首藤は目を細めた。
「思ってたよか、つまんねえ」
「だろうな」


 それからすぐ、首藤は死んだ。
 バイクで橋を渡る際に、張ってあったピアノ線に気づかずに通過したのだ。
 フルスロットルで突っ込んだ首は、くっつきそうなほど綺麗な断面をさらして、後日、三百メートル先のゴミ捨て場の中から発見された。
 誰かがそこまで運んだのではないか、犬や狐がくわえて持っていったのではないか、いろいろ噂は立ったものの、それもすぐに立ち消えた。
 僕は本当に、首藤の首は夜空高くを舞い上がり、ゴミ袋の海に特攻をかまし生ゴミの飛沫を高々とブチ上げたのだと思っている。
 それが一番、あいつの死に様としては、面白い。
 ひどいやつだと自分でも思うけれど、僕は少なくとも、死んで周りにめそめそされるより、笑い話にでもしてもらった方が辛気臭くなくっていい。
 そう思う。

       

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