Neetel Inside ニートノベル
表紙

あの世横丁ぎゃんぶる稀譚
04.妖怪博打

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 飛縁魔が立ち止まったので、金魚の糞のようにくっついていたいづるも足を動かすのをやめざるを得なかった。
 顔をあげる。大きな立派な観音開きの門が三メートルほどそそり立ち、二人の侵入を拒んでいた。押しても引いてもみなかったが、きっとかんぬきがかかっていて開かなかっただろう。右の門の端についた小さな通用口も都合よく開いてくれそうな気配はしない。骨のように白い塀が門の両端から左右どこまでも果てしなく伸びていた。
 不思議なことに、牛頭天王の屋敷に近づくにつれて、空は不気味に銀色がかり、あたりから妖怪や死人の気配は立ち消えていた。雪でも降ったのかと足元を確かめてしまうほどに静かで、いづるは耳が遠くなったような心地がした。いや、というよりはまるで、
「絵の中にいるみたいだねェ」
「怖いこというなよ」と妖怪が言った。いづるはよほど聞き違えたのかと思った。飛縁魔は深呼吸して気を落ち着けていた。そして、誰にも聞こえない声でなにか一言呟いて、いづるを振り返った。
「いくか」
「いくっていったって、どうやって入るん……」
 そのとき、言葉ごと、髪の毛さえ根こそぎ持っていかれてしまいそうな烈風が迸った。
 いづるはとっさによろめいて一、二歩後ずさった。片足しかないローファーがむき出しの土に轍を残した。
 キィン、と太刀が鞘に収まる音。
 飛縁魔が腰を屈めて、おさめた太刀から手を放した。
 なにも起こらない。門は依然として堅牢さを誇っている。いづるは飛縁魔に無理はよくないと助言しようか迷った。
 しかし飛縁魔は顔を赤らめることも咳払いすることもなく、片足をあげ、思い切り草履の裏を門に蹴りこんだ。
 並べられたボーリングのピンが弾け飛ぶような音がして、バラバラの木片になった門が向こう側に吹っ飛んでいった。癇癪を立てた子どもが積木をぶっ壊したようだった。土ぼこりが舞い上がり、あたりは一瞬視界が利かないほどになった。今度は本物の冷たい夕風が吹き、粉塵の幕は溶けるように風景のなかに消えた。
 門には真新しい通用口が開いていた。いづるは肘を顔を覆うように曲げた姿勢のまま彫像と化した。もし心臓がまだ残っていたら、バクバクと波打っていただろう。
 そんないづるを、飛縁魔が耳を引っ張られたように、肩越しに振り向く。
「なにしてんだよ、早く行こうぜ」
「う、うん」
 前庭の飛び石を飛んで入り口を目指しながら、いづるは背後の切り刻まれた木片を気の毒そうに見やった。そして自分がそうなる姿が草むらに散らばったきれっぱしに一瞬重なって、ぶるっと身を震わせた。
 今度からちょっとだけ、飛縁魔を煽るのは手加減しよう。ちょっとだけ。

 ○

 ちょっとした公園程度はある前庭を抜けて、玄関口に辿り着いた。曇りガラスの引き戸を開けて、二人とも靴も脱がずに上がりこんだ。
 中はまるでからくり屋敷だった。
 飛縁魔がいなければ決して牛頭天王の居所まで辿り着けなかっただろう。それどころか一度迷い込んだら、二度とあの横丁の喧騒を耳にできなくてもおかしくはなかった。廊下は細く、何度も理不尽な曲がり方をし、緩やかに婉曲している箇所もあった。幅の不ぞろいな木目が距離感と精神の均衡を狂わせる。階段を降りながら、いづるはぼやいた。
「よくこんなところに住んでいられたねェ。僕はごめんだな」
「この狂った間取りはうちのせいじゃねえよ。あいつのせいだ。あいつがいるから、なにもかも、歪んできてるんだ……くそ、なんて瘴気。気分悪くなりそう……」
「そう? 僕よくわかんないや。鼻詰まっててよかった」
「そういう問題かよ……?」
 執拗なくらいに階段を上り下りし、行き止まりにしか見えない壁をパンチして回転させ先に進み、そしてようやく二人は誰にも会うことなく、牛頭天王がいる座敷の襖の前まで辿り着いた。襖には黒い牛が池のほとりで水をなめている様が淡く描かれていた。
 その襖の前に、頑丈な格子がめぐらされていた。格子に組み込まれた戸には、人の頭ほどもある南京錠がぶら下がっている。飛縁魔はそれをがちゃがちゃと揺さぶったが、一向に外れる気配はない。
「くそ、鍵がかかってやがる。叩き斬ってやるか」
「ヘタに騒いで事を荒立てない方がいいよ」
 飛縁魔はいやいやをするように首を振った。
「大人はみんなそう言うんだ」
「なに子どもみたいなこと言ってるんだよ。どうかしてるよ」
「子どもじゃないみたいな言い方するなよ!」飛縁魔は喚いた。
「十代終わりかけとかいうな!」
「ずっとそのまんまなんだからいいじゃないか……まあいいから、鍵を探そうよ」
 そこでいづるは不意に、心の中で産まれた疑問に肩を叩かれた。
「ねえ……この奥の座敷って他に入り口はあるの?」
「ないよ」
「ふうん」
 踵を返して、襖と障子と柱でできた迷宮に戻りながら、いづるは思う。
 なら、誰がこの座敷に鍵をかけたのだ? オートロックという線もあるが、あの南京錠はそんな高性能でもなければ、なにかあやかしが憑いているようでもなかった。なにがしかの意識があれば飛縁魔にがちゃがちゃ揺さぶられた時に文句のひとつでもこぼしていただろう。しかし、そんなことも牛頭天王を倒してしまえば悩む必要はなくなる。目下、必要なのは南京錠の鍵だ。
 いづると飛縁魔は逸れない程度に手分けして鍵を探し始めた。屋敷の中は荒れ放題と言ってよかった。誰かが癇癪を起こしたか、泥棒でも入ったかという荒れ方をしているか、もしくは誰にも無視されたまま一月を過ごしすっかり埃まみれになっているかだった。高価そうなツボや洋服たんすをひっくり返して南京錠の鍵を探したが、どこにもなかった。飛縁魔がイライラし始め、いづるは喋る前にいちいちセリフを添削して棘があったら抜かねばならなかった。
「いらつくむかつく腹が立つ」と飛縁魔は言う。
「まあ落ち着いて。こんなの釣りと一緒だよ。気長にまじめにやってたら必ず見つかるって」
「うん……くそ、なんだよ、あたしン家なのに……」
 そう、言うとおり、ここは飛縁魔の生家なのだ。その中を荒らされ、自由に動き回れないのは、彼女にとって辛いことだろう。苛立つのもたまにいづるの足をわざと踏んでくるのも無理のないことだ。
 いづるは自分の家を思い出そうとした。産まれてから死ぬまで暮らした生家を……だが、アタマの中が妙に霧がかっていて、思い出せなかった。そのときはただ、ど忘れしただけだと思った。
 いくつ目かの障子を開けて入った部屋は、子ども部屋のようだった。手まりやホッピング、ダンボールのなかに小さな鏡やままごとの道具が仕舞いこまれている。いづるはちらっと背後を見やった。飛縁魔は別の部屋で本棚を漁っている。音もなくいづるは子ども部屋に侵入した。
 立派な女の子の部屋だった。子ども用の三面鏡の上にはおもちゃの化粧道具が散らばり、あやとりの紐が鏡の上にかけられていた。いづるはそれを手にとって東京タワーを作りながら部屋を見渡す。部屋の四隅に、小さい女の子が座ってこっちを見ている気がした。が、それは錯覚に過ぎなかった。
 くしゃり、と足がなにかを踏む。埃をかぶった画用紙の束だ。しゃがみ込んで、その表面に積もった汚れを払った。一枚ずつ後ろに送っていく。いろんな妖怪がクレヨンで描かれている。へたくそだ。いづるの幼少時代よりも雑だった。色を塗るのが面倒くさくなったのか身体の枠から肌色や赤色があちこちに炸裂したみたいに飛び出している。
 最後の一枚を繰ったとき、いづるの手がぴたりと止まった。
 画用紙には、大きな男の人が描かれていた。ひげもじゃで、赤ら顔で、眉を逆八の字に逆立てている。足元にはチャチな人形みたいにデフォルメされた女の子がしがみついていた。デッサンがおかしい。これじゃろくろ首だ。だが、いづるは笑わなかった。それをそっと畳んで、ポケットのなかに仕舞った。
 バレる前に何食わぬ顔をして合流しよう、と廊下に出たとき、飛縁魔の短い悲鳴が廊下の角から聞こえてきた。まだ探索していない方向だ。いづるは駆けた。
「姉さん……?」
「ああ、いづる」廊下の壁に背を合わせた飛縁魔は、走ってきたいづるを見て照れくさそうに笑った。「悪い悪い、びっくりしちまってよ」
「僕もだ」いづるは廊下の奥にあるモノを見て息を呑んだ。
「なんだこれ?」
 それは巨大な機械だった。ダンプカーとタメを張れるガタイをした機械だ。四角い枠組みに、廊下スレスレの部分は受け皿になっている。
 なにより目を引くのは、中心部の三つ並んだ生首だ。アタマのてっぺんは綺麗に剃られ、脇からは元気すぎる雑草みたいな髪が垂れ下がっている。三人とも――生首を人にカウントできれば、だが――目、鼻、口に乾いた血をこびりつかせている。生首たちは恨めしげにこちらを睨みながら、ゆっくりと縦に回転していた。
 リールの横からは、大腿骨と頭蓋骨でできたレバーが天井に向かって伸びていた。マシンの右下には、コインを投入するスリットと赤いボタンがあり、ボタンの上には電光表示板がついていた。いまはなにも表示することなく沈黙している。
「こいつはいいや」
 いづるは無意識に乾いた笑いを立てて、それを見上げた。
「妖怪スロット? どうかしてるよ、きみたち」
 いづるのセリフを嘲りと受け取ったのか、生首たちは挑むようにいづるを睨む。いづるは半身になって、真っ向からその敵意に立ち向かった。
「――楽しいねェ、ほんとに楽しい。こんなに愉快なら」
 ポケットのなかに手を突っ込んで、冷たい硬貨を指で強く押す。
 潰れてしまいそうなほど。
「死んでみるのも悪くはないね」

       

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