Neetel Inside ニートノベル
表紙

見開き   最大化      



「どりゃっ!」と飛縁魔がレバーを引き降ろした。生首たちがぐるぐると縦に回転し始める。
 目を回さないのだろうか? いづるは思いながら、腕を組んで前のめり気味に目押しするタイミングを測る。
 といっても自分でボタンを押すわけではない。ファイティングポーズを取ってスタンバイしている飛縁魔がパンチを打ち、中の機構に力が伝達し、そうしてようやく生首は回転を止めるのだ。そのタイムラグも計算に入れなければ生首を文字通り雁首揃えさせることはできない。闇雲に飛縁魔に押させることもできるが、そんなものはスロットじゃないといづるは思う。甘いだろうか。しかしそう思う。だから飛縁魔の我武者羅パンチがラッキーパンチに変化することを期待したりはしない。
 仮面の向こう側で、いづるは目をすがめた。
 三つの首の回転速度は一定のように見えて、少し異なっている。左が一番速い。そして真ん中が少しゆっくり目で、右がその中間。神経が研ぎ澄まされていなければ見過ごしてしまうほどのごくわずかな差異だ。
 この速度不一致がまた実にいやらしい配置なのである。左のタイミングがまだいづるの中に残っているときに真ん中に挑むと、少し速く飛縁魔に声を飛ばしてしまう。そうするとせっかく左の首にドンピシャ正面を向けさせても、真ん中が顎を少し突き出して天井を見上げているというなんとも情けないさまになってしまうのだ。
 それでも、これだというタイミングを探し出し、いづるは声を飛ばす。

「いまっ!」

 「やっ!」と飛縁魔がバツグンの反射神経でいづるの叫びをパンチに乗せ、ボタンを打つ。びぃぃぃん……と大気とスロットの筐体が震える。
 停止した左の生首は真正面を向いていた。
 いよしっ、と飛縁魔が拳を振る。
「いいぞいづる、そのチョーシっ!」
 集中しているいづるに飛縁魔の声援はほとんど届いていなかった。真ん中は一番遅い回転。まずは目を慣らせて最初の回転を洗い落とさなければならない。
 いづるはじっと耐えた。
 そしてようやく、そろそろいくか、と思ったとき。
 ごご、と何か重いものが動く音がした。
 すると、おもむろに止まっていた左の生首が回転を復活させた。飛縁魔がぽかんと口を半ば開けて回転する首を仰ぐ。いづるの呼び声も、飛縁魔のパンチも、すべてなにかの間違いか勘違いだったようだった。そんなわけなかった。
 やられた。いづるは舌打ちする。
 時間制限だ。
 これまで、左の首を外してから練習がてら真ん中と右を吟味したときには、回転復活は起こらなかった。左の首に正面を向かせることができたときにだけ、真ん中の首を長く吟味していると回転が復活するのだ。時間の制限は正確に数えたわけではないが、十秒から二十秒というところか? なんにせようまくいってちょっと一息、というようななめた真似は許されないらしい。
「もう一度いこう」いづるは落ち着いた声音で言った。
「べつにカネを損したわけじゃない。まだチャンスはある」
 だが、時間制限がプレッシャーになったのか、今度は左の首を俯かせたまま停止させてしまった。言うまでもなく失敗だ。
 どちらからともなくため息がこぼれる。
 いづるはちらっと、飛縁魔のせいじゃないかと思った。いま一瞬、呼びかけとパンチの呼応にズレがあったような気がする。だが本当はわかっていた。それは自分が責任を負いたくないがための幻想なのだ。いづるの鋭利な感性はいまのミスが己のものだと理解している。
 理解できているなら、まだいい。
 自己嫌悪に染まりかける自分の心に闘争心を注入して奮起する。それがわかっているなら、まだ勝ち目は残っている。
 いま、自分はカネを失った。
 それだけでも業腹だ。
 なのに、誇りまで失うのは、我慢がならない。
「ごめん!」
 いづるは飛縁魔にはっきりと謝った。
「ミスったのは僕だ。悪かった。次はがんばるよ」
 飛縁魔はなにも答えず、背中を見せたまま、片手をひらひらと振った。素っ気ない。怒っているようにも受け取れた。だが、そうじゃなかった。
 言葉のない励ましが、言葉にならないほどに、いづるの心を暖かなもので満たした。


 ○


 ごおおおおお……と地鳴りを思わせる音を立てて、右端の生首が回転している。
 それ以外の二つの首は、苦悶の表情を見せて、正面を向いていた。つまり、右の首がそれにならえば、見事フィーバードリームというわけだ。
 いづるはまるで真正面から吹きつけてくる強風に耐えているような前傾姿勢で、右端の首の回転を見つめている。いままでの計算で、隣の首が止まってから回転を復活させるまで、十二秒弱。アタマのなかに機械仕掛けのストップウォッチはないけれど、いづるはもはや完全にその時間を把握していた。なんの恐れもなく、回転復活まで残り一秒に迫ったとしても迷うことなく正確なタイミングを見破れるはずだ。
 飛縁魔が軽くステップを踏んで、緊張をほぐしている。跳ねるたびに揺れる髪からのぞくうなじには玉の汗が光っていた。いづるはそのステップさえも自分の中の『時』に組み込んでいる。飛縁魔が跳ねた瞬間にはパンチが打てないわけだから。それも一秒に満たない時間だけれど、無ではない。


 ごおおおおお……


 回転しているのは落ち武者の生首か、それともいづるの頭脳か。
 いづるは腹の底から叫んだ。
「いまっ!」
 ――――心が繋がっているかと思うほどに、完璧なタイミングで、飛縁魔がボタンを打った。
 いづるは自分が彼女の身体に憑依しているのかと一瞬疑ったほどだった。殴られたスロットがびりびりと衝撃を表面に走らせ、その終わりに吐き戻す寸前のような震え方をした。
 飛縁魔は拳をボタンに打ちつけたまま片目を瞑っていた。その目はいづるの言葉で開かれた。
「やったね、姉さん」
 見ると三つの生首は、虚ろな表情で、すべて真正面を向いていた。
「あはっ!」
 飛縁魔は女の子みたいな歓声をあげて笑顔をいづるに見せたけれど、すぐにしかめ面を作ってそっぽを向いてしまった。いづるは仮面の奥で苦笑する。とことん意地を張りたいらしい。
 二人は待った。受け皿に鍵か、カネか、なんにせよ勝利の報酬が転がり落ちてくるのを。
 なにも出てこなかった。
 飛縁魔がいづるの袖を引いたとき、右の首が「ふが」と変な声を出した。
 ふが、ふが、と何回か鼻をひくつかせていた生首は、




「ぶえーっくしょーいっっっっっっ!!!!!!」




 盛大なくしゃみをして四方八方に黄ばんだ唾液を撒き散らし、その勢いでかくん、と顎が下がった。もう三つの首は真正面を向いておらず、フィーバーもしていない。
 唖然とする二人を見下ろして、生首どもがゲラゲラと笑い始めた。ツバに加えて涙までが飛び散って、二人に浴びせかけられた。
 太刀の鞘を握った飛縁魔の左手がぶるぶると震えていた。
 だが、その太刀を抜くために右手が構えられることはなかった。だらん、と両手が力なく腰の横に落ちた。
「ばっかみてえ」
 飛縁魔は憑き物が落ちたように肩を落とし、そしてくるりと踵を返して、いづるに一瞥もくれず歩き始めた。生首どもの笑いが一際大きくなった。
「どこにいくの」いづるは笑い続ける生首どもを無視して尋ねた。
「帰る」
「帰る、って」
「あたしがバカだった。いつもそうなんだ。あたしって、大事なときにヘタ打っちゃうんだよな。そういう星の元なのかな」
「あのときだって」と飛縁魔は続けた。「あたしがつまんねえヘマしなけりゃおやじは首を吹っ飛ばされずに済んだかもしれない。わかんねえな。どうしてなんだろうな。いつもそうなんだ……いつも……」
「姉さん……」
「だから、もういい。どうせ牛頭天王にも勝てやしねえよ。こんなところでぐるぐるするしか能がねえあいつのおもちゃにも、」
 生首どもから耳障りなブーイングが巻き起こった。
「コケにされる始末なんだからよ。だから、もういい。……疲れたよ」
 ふらふらっと飛縁魔はよろけるようにして、その場を去ろうとした。けれど、いづるはその手をぱしっと掴んで離さなかった。繋がっている箇所を見る飛縁魔の目はゴミを見ているようだった。
「離せよ、いづる」
「やだ」
「やだ、じゃねーよ」一瞬、飛縁魔は笑いかけた。けれどそれはすぐに彼女の顔の奥深くまで引っ込んでしまった。
「もともと、おまえには関係のない話だっただろうが。まさか同情してるなんて言わないよな?」
「まだ負けてないよ」
「負けたろ? 見てなかったのかよ、聞こえないのかよ、いまのが!」
「これから勝つ」
「カモはいつもそーゆーんだ。どうやって勝つんだ? 言ってみろよ。なあ。揃えてもフィーバーしないスロットに勝つ方法をさ!!」
 いづるは即答した。
「いまから考える」
「は…………」
 呆れ果てたのか、飛縁魔の口からは罵詈雑言さえ出てこなくなった。けれど、いづるの手を振り払おうともしなかった。どうにでもしろ、とばかりに力なく俯いている。
 いづるは考える。ただの発想じゃだめだ。なにかを逆転させなければならない。
 生首のリール、揃えても無駄、ずれた回転……耳障りな笑い声。
「ところで姉さん」といづるは言った。
「食べ物、持ってない?」
 そのセリフは効果テキメンだった。
 飛縁魔は水を浴びたようにパッと顔を背けた。頬がちょっぴり赤い。いづるは仮面をその横顔に近づけた。
「嘘をついても無駄だよ。僕をあまりなめない方がいい」
「……………………………………………………………………………………………………」
「いまは食い意地張ってるときじゃないだろ?」
 飛縁魔はまだ覚悟を決められずに、もごもごと口ごもっていたが、観念したのか大人しく懐から新聞包みを取り出していづるに差し出した。あるならさっさと出せばいいのだ。いづるは包みをひったくる。この妖怪食いしん坊め。
 いづるは包みの口を指で押し広げて、中を見て、絶句した。
 新聞の中には、人間の舌を串に刺したものが、三本ほど入っていた。突き抜かれた赤い舌は、まだぴくぴくともだえていた。失った本体を捜し求めるように、空中に舌先を躍らせては虚空をなめている。
 いづるは音もなく飛縁魔から二、三歩距離を取った。いづるをちらっと見やる飛縁魔は不満げだった。
「……うまいんだぞ?」
 絶対に説得されまい。そう固く誓って、いづるはため息をつく。
「さっき着流しの野郎から買ったの?」
「うん」
「そっか」
「なんだよ?」
「べつに。じゃ、姉さん、ボタンの前に立ってくれ」
 いづるは仮面に手を当てて、ずれを直した。いまだに笑い続ける生首どもを見上げて、思う。
 その小汚い笑い顔を、人生最後の笑顔にしてやる。

       

表紙
Tweet

Neetsha