Neetel Inside ニートノベル
表紙

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 いつも妖怪があの世から消え去るその瞬間まで世話してくれるとは限らないので、そういうとき、死者たちは同類でより固まる。まるで一緒にいればどんな苦痛や恐怖さえもはねのけることができると思っているかのようである。しかし消滅はどんな魂にも訪れる。
 燃え尽きない太陽などない。
 死人窟と呼ばれるその界隈は名前ほど薄暗くはなく、通りに連なる腐りかけた木の看板に記された店名はほとんど遊技場のものだ。ダーツ、ビリヤード、ゲームセンター、そして麻雀。
 いづるはその中の雀荘のひとつに入った。脇の階段をのぼって、真鍮の取っ手を握って、生きていたときのように入店する。
 中には老若男女ののっぺら坊がたむろしていた。
 妖怪は一人もいない。曇りガラスの向こうに何か緑色の小さな影があったが、いづるが目を向けると消えてしまった。
「いらっしゃい」と背広を着たのっぺら坊が言った。彼は卓に座っていて、ツモ山に手を伸ばしかけたところだった。
「若いね、きみ。打てるのかい」
 いづるはカカシのようにその場に突っ立っていった。背広が肩越しに店の奥を振り返って、
「学生のお客さんだ。おいシンジ、おまえら東天紅なんかやってないで相手してやれ」
「あなたが店長なんですか?」
 いづるが聞くと、背広は肩をすくめて、
「昨日死んで、いつの間にかここで仕切っていた。いや、一昨日だったかな、死んだのは……もうよく覚えていない」


 ○


 シンジと呼ばれた緑色のブレザーを着た高校生は、大柄な男子とポニーテールの女子を連れてきた。彼らも同じ制服だ。大柄な方がヤスヒコ、女子がミサキと言うらしい。みんないづると同じ白い仮面をかぶっている。
 いづるは卓上の牌を指先でひねりながら、彼らの自己紹介をさらっと聞き流した。
「うん、わかったよ、よろしく、ヤスアキくん」
 ヤスヒコだよ、とヤスヒコが言った。まだ怒ってはいないだろうが、どうなるかわからない。
 いづるは片手拝みに謝った。
「申し訳ない、ヤスフミくん」
 もう訂正はされなかった。少々剣呑な雰囲気でゲームが始まった。



「ロン、八千」
「トビだ」
 いづるはがらっと手牌を崩した。サイドテーブルの点棒箱を指でさぐって、
「マイナ56」と自己申告する。
 ミサキがボールペンをくるくる回して、さらさらっと精算表にいまの結果を書き込む。もう四連続でいづるはハコテンを食って吹っ飛んでいる。いまとなってはヤスヒコでさえもいづるに同情的だ。
「まァしょうがないよ。リーチ合戦だもんな。なァ、あんた何待ちだったんだい?」
「恥ずかしくって言えないよ……僕、まだ初めて一年だもの」
 いづるは自分の手牌と、アガリ牌が三枚転がっている自分の河をぐちゃっとかき混ぜた。
 すると、牌を混ぜるいづるの手の甲から、分裂する細胞のように、赤みがかった硬貨が何枚か分離して、浮いたヤスヒコとシンジの手元まで飛んでいき、ちゃりんと落ちた。。
 あの世ではバックレが効かない。
 いづるはため息をつく。
「やってられないな。もう24時間分のモラトリアムは負けたんじゃないか」
「ミサキ」ヤスヒコが首を傾げた。「あいつ何言ってんの? モラトリアムって?」
「あたしたちは自分の魂を賭けてるでしょ。ゼロになったらどうなる?」
「消えるね」
「だから、あたしたちは消えるまでの時間を賭けてる。彼はそれをモラトリアムを賭ける、と表現したわけ。アンダスタン?」
「ほへー」
 ヤスヒコは100点をとってきた息子を見るようにいづるを見て、
「わかりにくいな、あんた。もっと気楽に生きたら?」
「もう死んでるよ」いづるは首を振る。
「やってられない。きみたち巧すぎる。これじゃ勝負にならないよ」
「じゃ、どうするんだ」とシンジが困ったように頭をかいた。
 いづるは仮面越しにすうっと目を細めて、
「割れ東にしよう。レートは倍だ」
「え、それは、ちょっと」と三人はしり込みする。いづるは退かない。頑として言い張る。
「僕は四連ラスなんだよ? このままじゃ四回トップとったってトントンだ。それも君たち相手じゃ無理そうだし」
 いづるはまたもや深々とため息をついた。がっくりと肩を落とした新入りに、三人の死人は顔を見合わせて、不承不承うなずいた。

 トントン

 いづるの中指が、ドアをノックでもするように、卓の縁を小気味よく叩いた。何か喜ばしいことでもあったかのように。
 自分の牌山を作り終え三人がヤマを積むのを眺めていると、いづるは、自分の背後に赤いブレザーののっぺら坊が立っていることに気づいた。
「ツイてないね」と赤ブレザーが言う。砂金のような金髪だ。
 いづるは答える。溶けた鋼のような声で。
「これからさ」


 ○


 どれだけ時間が経ったか知れない。が、せいぜい半日程度だったろう。
 いづるは束になった精算表をぺらぺらっとめくって、一番上の紙の合計欄に四人の成績を記し、それを牌が死屍累累たる卓に放った。
「ミサキさんがマイナ245。ヤスヒコくんがマイナ349。シンジくんが、お、キリがいいね。マイナス400。残りが僕の浮きだな」
「むごい……」
「何が」
 ミサキは白い偽者の顔をあげた。
「あんた、カモのフリをしてたんだ。そしてレートを上げさせて、あたしたちを一網打尽にした……」
「気のせいだよ」
 ヤスヒコが言う。
「俺たちはただ楽しく遊んでいられればよかっただけなのに。ちょっと真剣になるために、ほんの少しのカネと時間を賭けていられればよかっただけなのに」
「だからどうした? さァ、負けを払うんだ」
 否やはなかった。
 自動的に三人の手から金と銀の硬貨が分離し、いづるの前に積み重なった。いづるはそれを乱暴に掴み、数えもせずにそれをポケットに突っ込む。何気なく振り返ると、背後で赤ブレザーがいづるをじっと見ていた。
「なんだい」
「ずいぶん勝ったな、まだやるのか」
「当たり前だ」
 吐き捨てて、勢いよく卓を振り返る。ところが、そこにはもはや誰もいなかった。
 三人が座っていた席に、小銭の山が残っているだけ。
 いづるは椅子を蹴倒すように立ち上がり、三つの席に残った消し炭のようなカネをさらうと、颯爽と雀荘を後にした。扉を肩で押しあけるときに、中から誰かの声が追いかけてきた。
「よく覚えとけ、てめえは同類をカモにしたんだ。命潰えたばかりのてめえの同類をだ! おまえなんぞとっとと死んじまえ、この畜生野郎!」
 何度言ったらわかってくれるのか。
 いづるはひらひらと手を振って雀荘を後にした。
「だから、もう死んでるっての」



 ○



 外に出ると、木材の隙間から凝縮された夕日がいづるの白い仮面を赤く染めた。
 まぶしい。
 それきり、意識が判然としなくなった。
 気がついたとき、いづるは道路脇の側溝のそばに横たえられていて、あの赤いブレザーの高校生が、腕を組んで塀にもたれかかっていた。
「よぉ、気がついたかよ大将」
 いづるはむくりと上半身を起こした。
「僕はどうしたんだ」
「いきなり倒れたんだよ。立ちくらみか? もう身体もないっていうのに。きっと精神的なものだな。自分の麻雀で三人がモラトリアムを終えちまったことが堪えたか?」
 まくし立てるような赤ブレザーに、いづるは首を振って、立ち上がった。
「自分でもよくわからない」
 むき出しの地面の上を、車二台分の通りを、のっぺら坊たちが力なく歩いていく。その景色を自分の仮面に映しながら、いづるは、
「何も感じないんだ。もう何も」
「感じないってこたァないだろうがよ。少なくともさっきまで打ってた麻雀は楽しそうだったぜ」
「勝ったからそう見えるだけだ。実際のところ、僕はこのポケットの中がパンパンになっていることをどうとも思っていない。べつに勝ちたいとも思っちゃいなかったんだ。惰性みたいな気分であそこにいって打ったんだ。なのに、気づいたらカモにしていた」
 赤ブレザーはとがった顎をぐりぐりとなで、ふうんと相づちを打つ。
「消えようと思っていたんだ。おとなしく、なにもせずに。なのに、動いてしまった。自分でもよくわからない、なにかが僕を突き動かしている」
「本音、ってやつじゃないの。たまにいるんだよな、あんたみたいなやつ。ここはこんなにもギャンブルに向いてる世界だものな。適性のあるやつにとっちゃ、現実世界よりも生き生きできるところさ」
「違うんだ」
「違わない。あんただって人修羅になろうとしてるんだろ? 無理だと聞いてはいても」
「人修羅?」
 いづるはその単語を知らない。
「知らないのか?」
「ああ」
「そうか。知ってるもんだと思ってた。知らないなら教えてやる」
 赤ブレザーは塀から身体を離した。
「俺たちのっぺら坊が消えるのは、七日間で自分の魂を完全に換金されるからだ。だが、それを伸ばすすべはある」
「僕はないって聞いてる。土御門光明ってやつが言ってた」
「現実的にありえないって意味なら、ないと言ってもいいだろうな。特に土御門はギャンブルが嫌いだから」
「……と、いうと」
「消える瞬間に、べつの魂から博打で奪い取ったカネを飲み込むんだ。そうすれば、飲み込んだカネの分だけのっぺら坊のままでいられる。暴走して、死人と妖怪を襲うだけの鬼になる心配もない。そのままだ。そのまま。終わらない夢」
「……知らなかった」
「知ってて、あんな風に勝ちまくったんだと思ったよ」
「ひょっとして、あんたは……」
 そう、とブレザーは自分の校章がついた胸を親指で叩いた。
「もうどれくらいになるかな……思い出せないくらい、ここにいる。だから相場も知ってる。一日いくらで『自分の存在』という幻をここに定着させておけるのか」
「試しに聞くよ、いくらなんだい?」
 赤ブレザーは快活に笑った。
「さっきのあんたの勝ち分じゃ、三十分にもならないぜ」
 あの勝ちが、三十分にもならない。その言葉はゆっくりと、だがじわじわと胸に染み入ってきた。
 今度はいづるが塀にもたれた。
「そうか」
「あんまり残念そうには見えないな。ふふん、どんな額だろうと稼いでみせるってか? 頼もしいねえ大将?」
「違う。僕は消えるつもりなんだ。ただ、いつの間にか、打ってしまうだけで」
「なんだそりゃ?」
 赤ブレザーの声音が険しくなった。
「おいこら、スカすのも大概にしろよ。俺は薄っぺらい嘘つきが大嫌いだ。吐くならちったァ粋な嘘を吐きやがれ」
「べつにスカしちゃいない。僕は死んでる。だから消えるのがふつうなんだ。ただ、すぐに消えてくれないから、それまでの時間が耐えきれなくて、いらつくんだ。じれったいんだ」
「だったらおまえの同類とやり合えよ」
「僕に同類はいない」
「いるさ。河川敷に、さっきおまえさんが雀荘でやってみせたみたいな勝ち方をして、ここら一帯を追い出されたやつがいる。首んところで髪をひとつまとめにした背の高いやつだ。いつもブラウンのブレザーを着てる。すぐにわかるよ。あいつなら、青天井でも受けるだろう」
「どうしてそんなことを僕に教える?」
「決まってるだろ」
 赤ブレザーは仮面をはずした。人好きのする笑顔がそこにはあった。
「おまえらのどっちか、勝った方を潰せば――つまりこの俺が総取りというわけだ。なあ?」


 ○


 道ゆきすがらに、いづるは河川敷の男について尋ねてあるいた。死人というのはたいてい新顔ばかりなので、要領を得ないことが多かったが、中には赤ブレザーのようにいくらかのモラトリアムを引き延ばせているのか、事情に詳しげなものもいた。
 いつまで経っても電車の通らないガード下で、キャスケット帽をかぶったのっぺら坊は言う。
「ああ、サンズのことだろ。あいつもだいぶここには長いよな」
「有名な人なの?」
「うん、三途の川のほとりで釣り堀やってるよ。だからサンズ。結構評判らしいな。釣れないのに」
「釣れない?」
「ああ。あそこで釣れる、ていうか釣れることになってるのは、魚じゃないから」
 キャスケット帽は懐からセブンスターを取り出して一本くわえた。親指で仮面を上向け、白い顎と桃色の唇がちらりと見えている。
 彼女がそのまま押し黙っているので、いづるがジッポで点火してやると美味そうに白煙をふかして再び喋り始めた。
「あそこではね、雷獣が釣れるんだって。知ってる?」
「あんまり」
「むかし、安倍晴明って偉い人がいたらしいんだけど、あ、この人あの土御門のご先祖様ね。で、その人が一千年前に雷獣をみんな追放しちゃったんだって。理由はよくわかんない。サンズなら知ってるかもね。とにかく、あの釣り堀では、その伝説をダシに、雷獣を釣れるかどうかで懸賞金みたいのを懸けてるって話……あれ?」
 キャスケット帽が唇の先で揺れる紫煙から目をあげると、すでに紺色ブレザーののっぺら坊はいなくなっていた。仕方ないので、キャスケットはしばらくそのまま、煙草の煙で輪を作っては空に向かって飛ばしていた。

       

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