Neetel Inside ニートノベル
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「どっちも当たらなかったらノーゲームにしよう。買える神券は三枚。単勝と複勝は不可」
「いいでしょう」
「単勝と複勝って?」
 とても大儀そうに火澄が振り返って、
「単勝は十二柱から一着になると予想した一柱を選んで買う馬券です。複勝は三着までの間に買った式神がいればあたりです」と言ってさっさと赤ブレザーに向き直ってしまう。
 いづるは電介の背中をゆっくりさする。電介はそっぽを向いたりしない。いいやつだ。来世は猫も悪くない。
「門倉、こっち来いよ。そんなところにいたんじゃよくわからんだろう」
 赤ブレザーの金髪に天使の輪が重なって見えた。一列上のベンチに移動して、弁護士と検事の上に座した裁判官のように二人を見下ろす形になる。
 赤ブレザーが懐から赤鉛筆を取り出して、
「とりあえずこいつらはないな」
「ですね」
 と予想紙の名前に三つのバツをつけた。火澄も平均台を渡る子供の成長ぶりに感心した母親のように頷いているが、いづるにはさっぱりわからない。
 赤ブレザーはいづるに仮面を向けて、
「紅葉杯はシニア層のレースなんだ。だからデータが十分にあるっていうんで、名前と経歴は立派でも事実上現役のレースでは入賞が見込めないメンツがいくらかいるわけ。だから比較的読みやすい」
「なるほど」
 バツをつけられているのは、朱雀、六号、天后の三柱。式打はそれぞれ――
「――衛藤は四十年この世界にいるベテランですが、いかんせん寄る年には勝てないようで、最近はめっきり振るっていません。鹿島もこの間ドンケツのビリを引いて事実上の再起不能説が囁かれてます。弓削は衛藤や鹿島に比べるとまだ現役っぽい風格はありますけど、実生活がボロボロで競神どころじゃないでしょう」
「ああ、弓削な。ちょっと前に孫娘がデキ婚したらしいぜ。もうダメだろうな、こないだどくろ亭でラーメン喰っんの見かけたけど白髪すげー増えてたし。十五のデキ婚だもんなァ。俺がジジイだったら号泣の果てにひからびるわ」
 ちょっと強引にでも質問を挟まないとついていけない。いづるは二人の頭の間に割り込むようにして、
「競神で勝つと儲かるんだ?」
 火澄がこくんと頷いて、
「競神は陰陽師の主要な収入源のひとつです。彼らは主に妖怪と人間の調停か自我を暴走させた死者である鬼の退治を生業にしていますが、一番稼げるのがこの競神で勝つことなのです」
「競神は陰陽師が全能力を発揮できて、もっとも評価される機会だからな。みんな必死ってこと。おわかり?」
 わかったかと言われても、いづるはまだ何がわからないのかがわからない状態だ。
 二人は予想紙に再び顔を伏せる。
「えーと、何さんだっけ?」
 火澄、と妖怪が答える。
「よし、かすなんとかさん、あんたいつもアタマから決めてる? ケツから消してる?」
「アタマから」
「じゃ、俺もそうしよう」
 どうやら一着から予想するか勝ち目薄を消して絞っていくかを決めていくようだ。どことなくテストの山張りに似ている。
「残った九人は凪原、芦屋、漆野、幸崎、綿貫、七爪、土御門、城門、心林。この中で協力体制を敷くのは――」
「芦屋たちでしょうね。漆野は先輩の頼みで嫌々って感じですけど、凪原は芦屋の義弟ですし」
「ナギーの調整力は半端ねえからなあ」
 赤ブレザーはなぜか楽しげだ。
「八百長してるの?」
 いづるの問いかけに、
「ああ。つってもだいたいはフェアにやってるらしいけどな、まァでも人間だから」
「そんなものか」
「兄さん肩が落ちてますよ」
 火澄がいづるの肩を無理矢理持ち上げる。力を失った両腕がぷらぷらと揺れる。
「だって」
「まァそういう人間関係も読み合いの一つって思えよ門倉。競神は式神に乗るが、式神は馬じゃない。ちゃんと使い手の思惑通りに走るんだからよ」
 で、と赤ブレザーが鉛筆をくるりと回す。
「シニア枠はあんまり実力に差がないんだよな。ここまで生きてこれてる時点で一定以上だしよ」
「そんなことないですよ。土御門老はアタマひとつ飛び抜けてるでしょう。こないだの稲妻杯、親戚一同ごぼう抜きにしてましたよ御大」
「ありゃあ周りがヘタレだったんだよ。第一ほとんど土御門の傍系だったじゃねえか。接待だよあんなもん」
「えっ……ウソ?」と火澄は口元を手で覆って、「ほんと?」
「もちろん御大は気づいてなかったろうけどな。なにせ現土御門家当主だ、自分が負けるなんて思ってなかったろうし。そのへんうまい調整役がいたんだろう」
「そんなことないですよ、疑いすぎです。天下の土御門ですよ? いくらなんでも名誉に傷がつく方を恐れるはず……」
 くるりと赤鉛筆が回る。
「稲妻杯には土御門光明が出てなかった」と赤ブレザー。
「……だから?」
「やつは出走するはずだったんだ」
「でも、セリ通には最初から光明なしのメンバーで組まれてましたよ。そんな話も聞いたこと……」
「直前でたぶん『やっぱ勝つ』とか言い出したんだろ。それで大慌てで土御門の坊ちゃん方は光明をふんじばってレースの間、納屋かどっかに転がしておいた」
「……ソースは?」
「あるわけねえだろ。でも予選の成績からして光明が出るだろうって話だったじゃねえか。急病だデートだなんてみんな言ってたけどな、俺はピンときてすべてを悟ったね。だから俺はおまえみたいに土御門のネームバリューで御大をアタマに据えたりしないのさ」
「べつに据えるつもりじゃなかったですよ?」
「嘘つけよ! さっきまでおまえの赤エン土御門の上で旋回してただろうが」
「違いますよ何をバカなことを。私が◎をつけようとしていたのは陰陽連の盟主の方で」
 身体に悪そうな汗をかきながら火澄が赤エンを予想紙に近づける。幸崎花の幸にトウシューズの先端のような赤エンが触れて、
「やっぱりミーハーかよ」と赤ブレザーがあきれたように言った。
「違いますよ。困ったときは稀人の理論ですよ」
「困ってるのか」
「まさか。兄さん、よく聞いていてくださいよ」
「うん」いづるは指の関節を丁寧にほぐしている。
「この予想紙にも書いてあるように、稀人という式神だけは属性のない枠組みなのです。なので五行相生も五行相克も関係なく走れるんです。だから一番イレギュラーの起こりにくい式なのです」
「だから決してこの幸崎が偉い人だから◎つけたわけじゃないってか。まァそう思っててやるよ。あんまりいじめると可哀想だし」
「いじめられてません。その上から目線やめてもらえます?」
「いや実際おまえよか上だし」
「どこが」
「何もかもが」
 火澄の少し開いた口の中から風の吹き抜ける音がした。ため息が怒りでうまく出なかったらしい。
「――どうです兄さん」
 肩越しに振り返った火澄の向こうに般若が見えた。
「競神のことわかってくれましたか?」
 いづるはベンチから身を起こした。
「ひとつ質問があるんだけど」
「いいぞ」と赤ブレザー。
「なんであなたが答えるんですか」火澄が三白眼で金髪をにらむ。「私がしゃべりたいときは黙っといてください。――で、兄さん、なんです?」
 いづるは予想紙に手を伸ばして、指を伸ばした。
「この最初に消された三人が勝つことは100%ないわけ?」
 火澄がぱちぱちと瞬きをした。
「え……話聞いてました? あのですね、細かい数字は省きますけど、この三人がこのメンバーの中で勝つことは
まずありえないんです。そりゃあ、ゼロではないかもしれませんが……」
「でもゼロじゃないんだろ」トントン、と新聞を叩き、
「だったらこんなバツつけるなよ。最後まですべての可能性を並列しておくべきだ」
 火澄が困ったように首をかしげる。
「それじゃ、ずっとなにも決められないですよ」
「そうだよ。だって、なにも決まってなんかいないんだから――」
「やめとけ、門倉」
 見かねたように赤ブレザーがひらひらと手を振る。
「そいつァお馬鹿なお火澄ちゃんにはお難しいお話だよ」

 ぷちっと何かが切れる音をいづるは確かにそのとき聞いた。

「いちいちカンにさわる――!」
 おうなんだやるのかコラと最初は威勢が良かった赤ブレザーだったが妖怪の腕力の前にあっけなく屈服し、首を締められてなされるがままになった。
 いづるは二人の隙間から予想紙を抜き取って討ち取った鬼の首のように持ち上げる。十二柱の枠の周りには詳しい予想の内容や広告が囲ってある。
 さも正しそうに書かれているそれらの言葉をいづるはよく理解できない。自分の見ているものと他人が見ているものの差を、感じる。







 二人の予想は以下のように収束した。

 1.芦屋――漆野
 2.芦屋――土御門
 3.土御門――芦屋

 芦屋銀乃介は陰陽師界でも有名らしく、手下が何人もいる。赤ブレザーいわく「世が世なら法律番組とか深い話とかの司会やってる感じ」。その手下のうち、玄武の漆野は半世紀前まで遡ると芦屋銀乃助の後輩で、おおっぴらには言われていないが、その人生の半分以上を屈服させられて生きてきた漆野が今回も先輩の顔を立てる可能性は高い。玄武は水の式神なので、芦屋の青龍の周りを流してのバックアップになる。
 もう一人の手下、白虎(金)の凪原は芦屋の妹の夫であり義弟にあたる。彼は漆野とは逆に芦屋のそばを離れて青龍への影響を最小限に留め、青龍の障害となりうるもう一柱の金属性の陽炎をマークし、それとなく進路を妨害するだろう。もちろん進路妨害は重大な規約違反行為だが、それをかいくぐるのが手下の腕の見せ所であり、賭ける側もそれは折り込み済みなのである。麻雀でいうなら積み込みも技のうち、というところか。



       

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