ひょいひょいひょい、っと妖怪は薄暗く埃っぽいビルの隙間を縫って進んでいく。その俊敏な背中を追うだけで、僕は息が切れてしまった。運動不足も甚だしい。改善したいのは山々だが、それを解消する機会はもはやない。
首だけで振り返り、妖怪は僕の醜態をせせら笑った。
「だらしねえなあ。それでもおまえ男かァ? そんなんじゃ嫁さんもらえねえぞ」
「死んでるしね」
「あははっ、そりゃそうだ。ざまァ」
彼女の笑い方はとても子どもっぽい。えくぼを作って、そこにいるだけで楽しくて仕方ないという笑みだ。うらやましいものだ。僕は思い出せる限り、そんな風に笑った記憶はあんまりない。
○
僕たちはあの世とやらを目指しているわけだけれど、妖怪の話によれば、あの世とはこの世の各地で繋がっており、そこを介して行き来ができるのだという。
このあたりでは、駅前の路地裏迷宮がそのスポットらしい。
いつもは行き場を失った怪しい素性の連中が蠢いている路地に、なぜか今日に限ってねずみ一匹ごろついてはいなかった。狭いビルの外壁を乱反射した風が不気味な音を立てて通り抜けていく。
「ああ、そうそう」と少女がどこからともなく一枚のお面を取り出した。それを受け取り、目に近づけてみる。何も刻まれていない。つるつるしたその仮面にはまぬけに伸びた僕の顔が映っているばかりだ。
「それ被っとけ」
「なんで?」
「それ被ってないと、七日間経っても魂が浄化されないときがたまにあんだよ。鬼とか自縛霊なんかになりたくないだろ?」
「自縛霊は嫌だなァ。堅苦しそう」
被ってみると、ばかでかいコンタクトレンズをつけたように視界は良好なままだった。
「まァでも鬼ならいいかな」
「バカ言うなよ。鬼になった魂はこの世に未練たらッたらで、あたしらが退治しなきゃいけねーんだぞ。おとなしく浄化されてくれりゃただで魂が手に入るんだから余計な真似されたくねーの」
「きみは素直なバケモンだね」
「妖怪な……おまえ喧嘩売ってんの?」気づけよ。
思わず破顔一笑してしまったが、いくら笑って見せても、仮面に阻まれて妖からは見えないことに気づいた。
「あの世には、きみみたいな妖怪がたくさんいるの?」
「いけばわかるよ」
「ふうん――」
いつの間にか道が下り坂になっている。けれど、路地裏に坂なんてあったろうか。首を向けると左右の建物は斜めに傾いでいた。ゴミ箱が滑り落ちることもなく四十五度で固定している。
ゆっくりと暗い奈落へと続く坂道を、僕たちは下っていった。
「ねェ、妖怪さん」
ゆっくり闇に喰われながら、僕は尋ねた。
「ちょっと聞きたいんだけど」
「あんだよ」
姿はもう見えない。声だけが、波紋のように反響して返ってくる。
「半年くらい前にさ――首のない男が来なかった?」
少女はいるかいないかを答えずに、
「友達か?」
とだけ聞き返してきた。
僕は答えなかった。
○
ふと耳を澄ませば、どこからともなく、音が聞こえてきた。
その音はだんだんと大きくなっていく。
どんどん――ちゃか――どん――
ああ、これは祭囃子だ。
どこかで祭がやっている。
どんどんちゃかちゃか
どんちゃかちゃ――――