一方その頃。歓声罵声入り乱れる客席上方では、いづると志馬の二人が手すりにもたれて観戦していた。いま、二人の眼下では<六号>弓削が脱落したところである。
「――同じ五行の式をぶつけて増幅させて、後ろにいたヒミコの式神を加速。さらにそれで自分を引っ張っていってもらう、か。あのヘッドフォンの子、一歩間違えれば落馬だったのに」
「冬葉か。あいつは見かけと違って荒っぽいが、腕は立つぜ。ただあいつに張ると配当が少ない。だから俺は嫌いだ」
頑張ったから嫌われてしまうのでは騎手も割りに合わない商売である。
「でも、ヒミコを相生させたのはいいけど、一番は譲ってる状態だね。このまま逃げ切られたらどうするんだろう」
「そんなことは想定済みだろ。よく見とけ」
志馬が白蛇のような指を第二ゲートに向けた。鉄塊を無理やり溶接してできたような<陽炎>と、それに続いて<天后>がゲートを通過する。すると例によってゲートに吊られていた人形がぐにゅぐにゅと形を変え、小さなうす緑色の鐘の連なりになった。鐘が走り去っていく二柱と迫る後続集団を祝福するように、ごぉんごぉんとお互いにぶつかりあった。いづるが志馬を見る。
「で、あれはなんなわけ」
「だからよく見ろって言ったろ。ほれ、冬葉の<天后>の身体に、小さなさざ波が起こってるだろ。わかるか。あれがさっきよりも大きな波紋になってるだろう。<金の鐘>に相生されたときの水の式神の反応らしいぜ」
「ははあ。自分を相生させる金の式にゲートを潜らせて、さらに相生してもらうって腹か」
「ああ。それにヒミコをカッ飛ばした<土蛇>の影響も時間を追うごとに減っていくしな」
言っているそばから、ヒミコの<陽炎>が息切れを起こし始め、ゆっくりと冬葉から離されていった。第二カーブを冬葉の水の式が、氷でできた蹄で駆け抜けていく。
「冬葉のやつも抜け目ないぜ。ヒミコセカンドはまだ新人で、ほとんどろくなレースに出ていない。相生させてもまかれる心配がないと踏んだからやつを牽引車に選んだんだろうな――おい聞いてんのか門倉?」
「うん?」
いづるは背後のスタジアム内へと続く通路に仮面を向けていた。
「聞いてる」
「嘘つけこら。――あの火澄とかいうやつのことが気になってんのかよ」
「誰かさんのせいでね」
「はっはっは。おい門倉」
「何」
「そんなんだから死ぬんだよ」
○
冬葉が先行し、第二カーブも終えたところで、後続集団が焦れた。一人が式札を抜くと後はドミノ倒しだった。ヒミコを追い抜いて二位につけていた土御門烈臣は陶器じみた<匂陣>の首根っこに火の式札を直接打って加速。二重相生した先のヒミコほどではなかったが、さすがは土御門家の長兄といったところか、ぐんぐんと先行する冬葉に迫っていく。式神は五行の精を元に陰陽師の手によって製造される、言わば人造の妖怪だが、その出来栄えは製造者の呪力によって大きく異なり、また式神を作る呪力に長けたものもいれば、式神を操る呪力に秀でたものもあり、その差異も競神をコクのあるものにしている一因だ。
烈臣が弟含む後続を置き去りにし、さァ後続も追いかけるぞ、とは行かない。みな式札を抜きはしたものの、素直に自分の式神に相生打ちするとは限らない。そう見せかけて憎き競争相手に攻撃を仕掛ける。主に「合戦」や「小競り合い」などと呼ばれる展開だ。
まずイの一番に後続に紛れ込んできたヒミコが狙われた。式札を使うだけの呪力は、まだヒミコには残っていたが、後続から飛んできた火の式神は四体だった。<火鼠>を<水燕>が殺し、<火犬>を<水猿>が殺し、<火飛蝗>を<水カブト>が殺したが<火鹿>が止められなかった。
燃え盛る<火鹿>の一瞬ごとに枝葉が移ろう大きな角に鉄の身体を貫かれた<陽炎>は、名の通りにぐずぐずに揺らめいて溶け出した。解呪こそしなかったものの、<陽炎>は土煙に巻かれてすぐに見えなくなる。
さて、そういうわけでヒミコが大幅に後退してしまったが、そんなものは序の口に過ぎない。むしろヒミコを攻撃した四人が窮地に立たされていた。一度に一つの式しか打てないがゆえに、ヒミコを攻撃した四人は他の連中から攻撃される立場に置かれたのだ。その上でヒミコを殺したわけだが、それにはそれなりのメリットがあるがゆえ、と推測されるのが道理である。つまり、ヒミコ(金)に相克されるか、ヒミコ(金)を相生してしまう式神の乗り手が攻撃に回ると予想される。つまり土と木だ。
実際には、ヒミコ(金)を攻撃したのは久遠(土)の小鳥遊奏、稀人(天)の夜久野、白虎(金)の紙島、青龍(木)の葉吹の四人。攻撃しなかったのは闘蛇(火)の土御門光明と朱雀(火)の結城允。この二名が攻撃しなかったのは、火がわざわざ式札を消費せずともヒミコに対して有利だからだ。
そして、残っているメンバーが減少したことによって、ここに偏りが生まれた。攻撃予想されていたのは青龍(木)の葉吹と久遠(土)の小鳥遊。そして攻撃をしなかったのは、火の二人。
脱落したヒミコの代わりに後続集団での先頭に立った葉吹は内心でほくそ笑んでいたはずである。青龍の木は、火を相生する。だから、ヒミコへ式を打って無防備になりはしたが、攻撃を受けるのは火が相生してしまって鬱陶しい土の久遠の方である、と。
だが、それが誤算だった。
風を切る音がして、青龍の幹でできた馬体に、謎の<金>の破片が突き刺さったのだ。
「なっ」
青龍の身体は解呪こそされなかったものの、大きく傾ぐ。<金>の破片が向かってきたのと逆方向に。
そのラインに、示し合わせたかのように<久遠>がいた。<久遠>は結城允からの式をなんとかかわしきり、これからさァ加速というところだった。
葉吹と小鳥遊の目が同時に見開かれる。
かわす余裕は、なかった。
<青龍>と<久遠>は激しく激突し、その衝撃で<青龍>の<金>の破片によってできた傷が完全に開いた。ばかっと真っ二つに割れた馬体が<久遠>に降りかかり、その陶器で焼かれたような身体が粉々に砕け散る。騎手が投げ出され、瞬間、コース上に土と木の式の破片のアーチができた。
その中を。
土御門光明の<闘蛇>が駆け抜けた。
破砕した木の式の相生効果を利用し、一気に加速。アーチを潜れるラインを走っていなかった結城允の<朱雀>を追い越してぐんぐんと先頭集団めがけて伸びていく。十二天将を解呪したときに残骸から得た五行相関の効果は、通常の式札に宿った式のそれよりもいくらか強力である。
しかし、なぜ、式札を一枚も持っていなかった土御門光明が<青龍>を攻撃できたのか。あの謎の<金>の破片はなんだったのか。
「――ん?」
光明は<闘蛇>の鞍の上で、自分がいまだ手綱との間にものを挟んでいることに気づいた。ぱとっと掌だけを手綱から浮かせて、それを手放す。
煙の中に消えたそれは、吊られていた糸を千切られ、真っ二つに割られた<金の鐘>のもう片方だった。
「さてと」
光明は右半分の焼け爛れた顔の中で、愛嬌のある狐目をすうっと細めた。
「置き去りにしてやっか」
一位の冬葉と、二位の兄貴は、もうすぐそこで尻を振っている。
<リタイア>
<久遠>小鳥遊奏
<青龍>葉吹雅