Neetel Inside ニートノベル
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 第四ゲートを潜り抜けて、勝負はほとんど決していた。二柱残っている金の式はゲート通過による火のガードで封殺できると見る。
 残る対抗馬は火に相生される土の烈臣だが、彼はスタミナに難のある騎手で、後半になると必ずバテる。最終直線までに追い越しているか、至近距離にいれば光明の敵ではない。ひょっとすると後退して金の式を相生させる羽目にまで陥り、ヒミコや紙島の後塵を拝しているかもしれない。わざわざ振り返って見る気もしないが。
 と、いうわけで。
 なんだかあっけないようだが、もう<闘蛇>はゴールまでの数十秒間、敵なしの状態なのであった。
 まァ勝つときなんてこんなもの、かえって見栄えしないくらいがちょうどいい、と光明は思う。何事もロマンティックにはいかないものだ。

 ぼおっと、馬上から観客席を埋め尽くす妖怪と死人の群れを見渡す。こうして見るとその数は圧巻である。楕円形のスタジアムの中にいると、自分が容器の中でうごめく微生物か何かになったような気がしてくる。ゴールの向こうの西日が容赦なく光明の目を焼く。
 夕陽の逆光で真っ黒になった観客たちの中で、きらりと輝くものがあった。見ると、ウェーブした金髪をふわふわと風に揺らした男が最上段から、光明に白い仮面を向けていた。赤いブレザーを着ている。なぜか、仮面をつけているにも関わらず、そいつと目が合ったように思えた。なんとなく気まずくなって、視線を逸らす。
 その隣にいたのは、紺色のブレザーを着たのっぺら坊。
「――あいつは」
 わあっ、と歓声が大きくなった。
 慌てて前に向き直る。気づかぬうちにゴールしたのかと思った。だが、まだ最終直線は半分ほど残っている。到着まであと十数秒というところか。
 歓声の理由が思い浮かばない。いや。
 本当は、知っていた。
 振り返る。
 そこに、そいつはいた。
 西日を受けて、金色の胴体にまばゆい光の粒子をまとわりつかせた式神。
 それを駆るのは黒装束に青袴、白いロシア帽を被った少女。競神デビューから八ヶ月。新人戦でぶっちぎりの一位を獲り、新進気鋭と持て囃されたのも今は昔。冬葉にぶつかった途端に成績を下げ、優秀だけれどいまだ無冠の騎手。
 紙島詩織が、<闘蛇>とほんの半馬身差までにつけていた。
 残っている時間と距離をかんがみれば、逆転勝利は充分に射程距離の内だ。
 だが、それも五行がせめて影響しあわない同行だったらば、の話。
 夕陽の支援を受けているかのようにますます盛んに燃え盛り、もはや背に乗る光明を埋め尽くさんとしている<闘蛇>の渦を巻く火炎のたなびきに、詩織の<白虎>の鋼鉄の身体はぐにゃりと溶け始めていた。おそらく光明を追い越そうとすればするほど、その被害は大きくなるだろう。<闘蛇>の影響範囲外から迂回して追い抜こうとすれば、時間が足りずに一位を獲られる。
 だから、なんの問題もないはずだった。
 勝つのは、自分のはずだった。
 だのに、光明は迫ってくる詩織から目が離せなかった。前を向いて、知らん振りすることができなかった。なぜなのかはわからない。ただ、何かがおかしい、と思った。違和感がある。それが何かと聞かれれば黙るしかない。逆に教えて欲しい。
 この嫌な気分はなんなんだ、と。
「――――」
 詩織が札を抜く。眩しげに細めたその瞳には、うっすらと、ゴールの鉄鳥居が映っていた。
 光明も、烈臣からギッた札の残りを構える。火を仕留めるなら打ってくるは水。烈臣からギッた札は土三枚。勢い余って詩織の式にまで攻撃してしまうと相生してしまうが、そんなヘマを打つほど光明の指は鈍らではない。
 だから、大丈夫。
 問題は、ない。
 はずだ。
 自分は勝つ。勝つはずだ。勝たなければならない。
 絶対に。
 詩織が札を打った。光明も同時に札を返す。
 だが、詩織が式を打ったのは、自分の式神に対して。金属のボディに貼りついた式札から淡い光が漏れた。青白くて冷たい光。
 ぴりり、と空気が震えて。


 ――――ぃん



 光明の打った<土亀>が、何もない空間を突進していって、観客席にまたも突き刺さった。悲鳴があがる。
 光明はそれどころではない。冷や汗が焼けた顔を伝って痛む、それさえも霞んでいる。
 ――詩織がいない。消えてしまった。
 首が急にポンコツになってしまって、ぎぎぎ、と軋み、前を向いてくれない。いやそれは嘘だ。
 認めたくないだけだ。
 金縛りを無理やり解くようにして、前を向いた。
 最後の鉄の鳥居のすぐ下を、金の馬の背に乗った黒い巫女が駆け抜けようとしていた。

 待て。
 待てよ。
 そんなのおかしいだろ。

 歓声がもう聞こえない。世界の解像度が一気に落ちて、色彩は全部白と黒になり下がる。手綱から手を伸ばした。前を往く者へ。

 だって、負けたらどんな顔をすればいい。
 笑って、俺なら大丈夫、って言ってくれたあいつに、なんて顔すればいい。
 これは、俺の生き甲斐なんだ。
 式神の背の上だけが、世界でただひとつ、誰にも負けないと信じられる場所なんだ。
 そこで負けたら、どうしたらいい。
 おかしいだろ。どうかしてんぞ。なんだあれ。式札でどうこうってレベルじゃねえよ一瞬でここからラストまでの距離を零にするなんて時でも止めなきゃ無理だろうが競神は逃げ馬のゲームのはずだろおかしいよおかしいんだよ絶対にどうかしてんだよだから待てよ待てってなァ待てよ。

「待てって、言ってんだよォ――ッ!!」

 身を乗り出しすぎた。
 股下から自分を支えてくれた力が、ふっと抜けた。
 それが、詩織の<白虎>の加速の余波で<闘蛇>が解呪されたからだと、炎の断片と共に落下しながら気づいた。
 流れる地面に打ちつけられた身体が、ゴム鞠みたいに弾んで、冗談みたいに浮き上がった。時間がゆっくり優しく流れる。打ち上げられたぼろぼろの身体が宙を流れるままに、光明は、それでも手を伸ばす。遠い背中に、自分を置き去りにしていく何かに向かって、

 なあ。
 頼むよ。









 なんでもないことのように。
 最初から最後まで退屈そうな顔のまま、紙島詩織が一位で鉄鳥居を潜り抜けた。
 栄光と、共に。









 結果発表


 一着 <白虎>紙島詩織
 二着 <稀人>夜久野翡翠
 三着 <陽炎>ヒミコセカンド


 オツカレサマデシタ



       

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