Neetel Inside ニートノベル
表紙

見開き   最大化      




 勝負が終わって、入場ゲートから闘技場内部に戻ると、黒ローブをまとったヤギ頭の大男がいづるを待ち構えていた。ひねくれすぎて何も刺せないのではないかと思ってしまうような黄ばんだ角が頭の横から二本生えていて、エメラルド色のおそろしいくらいにゆがみの無い真円の瞳に紺色のブレザーを着た血みどろののっぺら坊が映っていた。
 ヤギ男はついてこい、と顎をしゃくる。べつについていく義理もなかったが、とにもかくにも情報も魂も気力も尽きていた。もうどうにでもなるがいい、なにが起ころうと――いづるはろうそくの炎に照らされて鈍く輝くヤギの角を睨んだ。――気に喰わなければ抵抗するだけだ。もともと、好き放題にヤられまくっておとなしくしていられるほど温和じゃあない。べつにそのヤギ男がいづるに何かしたわけではないのだが、ささくれ立ったいづるの神経はまだ戦闘態勢を解かない――真の闇の暗がりにうずくまって、自分の鼓動に耳を澄ませる時までは、決してそれが安らかになることはない。
 いづるは一言も口を利かなかったが、ひょっとするとそのあまりの警戒がヤギ男にも伝わっていたのかもしれない。ヤギ男は客の性質を一瞥して見抜く熟練のタクシードライバーのように静かに素早く、いづるをひとつの鉄扉の前に案内した。そしてそのまま何も言わず、闇に溶けるように消えた。
 鉄扉には『霊安室 その13』とプレートが下がっている。ノブを握ろうとして、手首から先がなくなっていることに気づいた。なんとか四苦八苦してノブを回し、肩で体当たりするようにして中に入った。
 霊安室なんて誰が名づけたのか。
 一泊で月給が飛びそうなホテル風の一室で、キャスケット帽をかぶった少女がベッドに腰かけていた。
「やあ門倉、お疲れさん」
「……。やあ、人でなし」
 キャス子は肩をゆすって笑い、抜け目無く首を振った。
「そう言わないでよ。一応、アドバイスもしてあげたでしょ? こんな可愛い女の子がセコンドしてあげたんだから、無条件で許すべきだよね」
「……………………」
「荒れてるなあ。勝ったんだから喜べばいいのに。――蟻塚あ」
「なんでしょう」
 急に背後から声がしたのでいづるが驚いて振り向くと、黒服に白いスカーフをした執事が立っていた。その顔には、見慣れた白仮面。死人だ。
「門倉の手、治してあげて。それはロハでいいや」
「かしこまりました、お嬢様」
 蟻塚と呼ばれた執事はいづるがポケットに突っ込んでいた両手を乱暴に掴むと、懐からいくつかの小銭を取り出して傷口に振りまいた。そして三度何もない空中を撫で、四度目でいづるの手が復活した。いづるは自分の掌を神経質にさすって、どうもありがとう、と執事に礼を言ったが、彼は無言のまま扉のそばで仁王立ちする仕事に戻ってしまった。
「まず、改めてお祝いするよ。おめでとう、門倉。あんたは『守銭』を生き残った。このあの世の果てで生き延びるチャンスとを得て、その資質も表明した。言うことなしだね。気分はどう?」
「いまのところ最悪」
 ははは、とキャス子は愉快そうに笑った。
「まあ、なにも言わずに連れてきちゃったしね。感じはよくない、か。いいよ、じゃあお詫びになんでも聞いてよ。できるだけ答えてあげるから。そこ、座って」
 いづるはキャス子と向き合う形で、ソファに腰かけた。すると蟻塚がすっと音もなく主人の脇に立った。顔は見えないというのに、なぜだか睨まれている気がしていづるは落ち着かなかったが、失せろとも言えない。若干もごもごした口調で切り出した。
「どうして僕をここに?」
「ああ、守銭に新規のプレイヤー突っ込むと紹介料もらえるんだよね。実はあたしもさっき客席にいたんだよ。あんたと志馬のすぐそばにいたんだよね。で、会話が聞こえてたってわけ」
「なら、志馬を誘えばよかったんだ。僕よりかは、やつの方が優秀に見えただろ? 魂貫もしてたし」
「うーん、誘えなかったんだよ、あいつはもう守銭をやったことあるから」
 ――志馬が。
 一瞬、胸に熱い火が点る。だが、それはすぐに消えてしまった。
「……もういい。とにかく僕は上に出たい。上に出る方法を教えてくれ。それだけで充分だ」
「それは無理。あんたはもう登録を済ませちゃったから」
「登録?」
「そ。さっきのが予選だったんだよね、実は。あんたは吉田を倒して勝ち上がっちゃったから、本選にエントリーされたの。もう取消はできない、負けて両替されるまではね」
「逃げたらどうなる?」
 逃げられないよお、とキャス子は言った。
「もうこの闘技場には結界が張られたから。なにもない出口でずっとウォーキングしたいっていうなら止めないけど。でも、どうして上に出たいわけ? あんたを追ってる紙島の式神がうじゃうじゃしてるだろうに」
「それは、姉さ……知り合いが封印されてる刀が置き引きされたんだ。できればそれを探し出して信頼できるやつに届けたいけど、無理ならせめてこのことだけでも伝えたい。それさえ済めば、もうあの世に残留し続ける気なんてない」
「ふうん……あっそ。どうでもいいや、そんなの」
 キャス子の機嫌が目に見えて悪くなり、脇に控える蟻塚からの殺気もまた一段と強くなった。
「どっちにしろ、あたしにはもうどうにもできない。ここから出たければ優勝するしかない」
「優勝?」
「そう、あんたが登録した『本選』。あの世の決闘、守銭奴の宴、地獄の沙汰も腕次第――それが、『第六天魔王会』」
「魔王……会」
 門倉さ、とキャス子が言う。
「さっき、用が済んだら消えてもいいって言ってたけど、それって都合よすぎない?」
「え?」
「あんたの言う信頼できるやつが誰にしろ、あんたの頼みを聞いてくれるかどうかわからないでしょ。その知り合いとかいうのを助けてくれないかもしれない。そしたらどうすんの? そしたら、しょうがなかった、運が悪かった、自分には無理だった、他の誰かがやってくれたらよかったのに、そんな女の腐ったようなこと言ってほざいてぬかして無様に消えていきたいの、あんたは?」
「それは……」
「助けたい? だったら自分で動けよ門倉いづる。――守銭奴になって、魔王会を勝ち上がって、一番を取ればその時間と資格があんたには手に入る。これはあんたが願ってもみなかったチャンスのはず――あの状況で紙島から逃げられて、残り少ない自分の時間を水増しできる勝負に出会う。あんたは、それを願っていたはず。あたしは、それを用意した。迷うことなんてなにもない、これが、これこそがあんたの願いだったんじゃないの? それを誤魔化して、言い訳して、遠慮して、他人に譲ったり任せようなんて虫が好すぎて反吐が出る」
「…………」
「この世でなにか思い通りにしたいというなら――押し通せ、その傲慢。あんたにはそれができる。あたしの目に狂いはない」
 いづるは改めて、この正体不明の少女を見た。
「きみは、誰?」
「だから、キャス子なんでしょ? いいよそれで。そしてあたしは、これから守銭で苦しみ続けるあんたが勝つ方に賭け続けるバクチ狂いでもあるし、そのためにあんたを鍛えるセコンド役になってもいい。もしあんたが、あたしの手を取り、優勝すると一言誓ってくれればね」
「セコンド役なんて、できるのかよ。さっきはぜんぜん、役に立たなかったぜ」
「言うじゃん」仮面の奥でキャス子がにやっとしたのが、見なくてもわかった。
「こう見えてもあたし、通算試合数歴代五位、MAXダメージ額七五六万三〇〇〇炎、そんでもって第五天魔王会の優勝者『金色夜叉』――なんだけど? 文句ある?」
 金色夜叉?
「――っぷ」
 思わず、笑ってしまった。キャス子の耳が一気に赤くなった。
「……わ、笑うな。しゅ、しゅしぇんでは闘士に異名をつけるのがならわしなにょよ」
「お嬢様、しっかり」
「う、うるさい蟻塚、ばかぼけあほ」
 こほんと、もはや修正不可能な威厳を取り戻そうとして咳払い。
「で、どうすんの門倉。あたしはどっちでもいいよ。わかってると思うけど、あんたのファイトマネーはあんたが残留できる分以外は全部ピンハネするから」
 そう言って、ん、とキャス子は掌を出してきた。
 夢のように白くて砂のように細い手だった。
 その手を取る、ということは。
 もっと多くの『吉田』を犠牲にするということ。
 死にたくて死んだわけじゃない。やりたいことがまだあった。こんなところじゃ終われない。
 そんな、報われぬ魂たちを足蹴にし、蹂躙し、完膚なきまでに打ち砕く。
 それは、そういう道を往くということ。罰が追いつかないほどに罪を重ねて重ねて重ねて、
 願いも祈りも踏みにじって、腐臭をまとい泥を浴びても勝利する。
 そういう決意をするということ。
 いまならまだ引き返せる、そう思って逡巡したその瞬間、『吉田』の声が聞こえた。

 俺は消えたぞ、と。
 おまえはもう俺を消したぞ、と。

 そうだよな、と思う。
 もう引き返せない。あの時、退かないと決めたとき、
 自分はもう、この手を取っていたのだから。
 いづるは差し伸べられた冷たい手を握り締めて、言った。
「今後とも、よろしく」

       

表紙
Tweet

Neetsha