Neetel Inside ニートノベル
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 守銭。
 無論、由来は卑しいまでに金銭に執着する守銭奴から来ている。発祥は不明。あの世では昔のことを誰かに聞いても、なぜそんなことを聞くのかと怪訝な顔をされるだけだ。しかし、おそらくは血の気の多い死人同士が掴み合いでもした結果、お互いを削りあえるということが判明したのであろう。おとなしくしていればゆっくりと夕陽に溶けていけたというのに、それでもどうしてもこいつとだけは素通りできない、そう思った原始の二人のせいで、あの世の地下には闘技場が建造され、妖怪たちの中でも鼻つまみ者がこぞって叫び喚き罵り賭け勝ち負けるゴミ溜めが出来上がってしまったのである。
 だが、生まれた原因がどんなにくだらないものだったとしても、ごつごつした石が川に流され転がっていくうちに丸みを帯びていくように、現在『守銭』はあの世の決闘としてすでに体系化されている競技である。そこには当然のように経験から基づいて発掘されたルールが存在する。
 その1。
 『魂貫』は両掌でしかできない。
 厳密に言えば、掌の側面と指先を含む掌が『魂貫』を発生させられるエリアとなる。それ以外では、仮に片方の守銭奴が相手に実に見事な延髄切りを叩き込んだとしても、それは相手を昏倒させるだけで一炎も得ることはできない。頭突きや拳による殴打もそうだ。チョークスリーパーや腕ひしぎ十字なども痛くて苦しいだけ。もっとも腕ひしぎ十字の場合は相手の腕を取った段階でその部分を破壊――相手を魂貨にすることを魂化というがたいていの場合は破壊と呼ぶ――できるので、そもそも技が極まることがない。
 その2。
 死人には『急所』がある。
 通常急所とは人体の中で攻撃を受けた際に致命傷になりうる箇所を指すが、すでに魂の塊と化し肉体を持ち得ない死人にとっての急所は、魂貫をされた際に一撃で破壊されうる箇所のことである。人体の急所は数多にあれど、魂の急所は二箇所だけ。
 『頭部』と『左胸部』である。
 つまり脳と心臓が『あった』場所だ。ここを貫手で貫かれた場合、貫いた方の実力次第ではあるが高確率で全身が魂化する。意識は完全に消滅し、その場にはアーケードゲームの筐体をハンマーでぶち壊した後のような小銭の山が残るだけとなる。ボクシングでいうならノックアウトだ。判定不要、勝敗確定。
 ただし、急所の二箇所には特別に魂が集まっている『濃い』部分であり、そこは魂貫をしても貫き切れないことがままある。なので正確に左胸部に掌を突っ込んだはいいが中途半端に刺さったまま抜けなくなり、相手にこちらの急所を打ち返されカウンターノックアウトされないように注意が必要だ。また、頭部にはのっぺら坊の仮面がかぶされているため、まずその仮面を打ち破らねばならないし、ご存知の通り首は動く的である。よって比較的狙いやすい急所は左胸部となる。
 その3。
 死人の『背中』から魂貫をすることはできない。
 どういうわけか、死人を魂貫できるのは正面ないし側面からの攻撃のみに限定される。先の戦いで吉田が蹲った門倉いづるへの魂貫を中止したのもこのルールを知っていたがゆえだ。
 なので背中を向けてしまえば極端な話、負けることはない。だが無論、それで済むわけはない。それが四番目のルールにかかってくる。
 その4。
 死人には『痛み』がある。――ただし、六分の一の確率で痛みが『キャンセル』される。
 死人には身体がない。よって痛みを伝える神経もないのだが、生きていた頃の経験から、死人たちは殴られたとき、その痛みを想像して、あるいは思い出して、痛覚を自分の魂に蘇らせる。ただしそれは平均して六回のうち五度程度。キャンセルされたとき、どれほど吹っ飛ばされようが痛みは発生しない。
 吉田がバットを持って闘技場にやってきたのも(武器その他私物が持ち込み可能であることもルールのひとつで、基本的に守銭はなんでもアリの『バーリ・トゥード』だ)、亀になられたときにバットで思い切りぶん殴って相手の姿勢を崩すためだ。我慢していれば安全とはいえ殴られれば痛いし弾き飛ばされもする。これが、背中を向けているだけでは負ける理由である。
 その5。
 制限時間と舞台装置に関してのいくつか。
 これは守銭が妖怪どもの賭けの対象として取り扱われ始めてからのルールで、比較的新しい決めだ。制限時間、これは明瞭に666秒とされている。分換算にすれば十分強。言葉にすると短く感じるかもしれないが、自分を削除しにかかってくる相手と休憩なしで顔を付き合わせる時間にしては長い方だ。
 闘技場は、およそ野球のグラウンドをセカンドベースあたりまで縮小したもの。東西に守銭奴が入場するためのゲートがあり、入場すると門は堅く閉ざされる。なおこの門、同時に潜った守銭奴のどちらか一方の深層心理を反映した舞台に闘技場の中を作り変える性質を持っていて、門倉対吉田戦が野球場で行われたのは吉田の深層心理が血と汗と涙を流した場所を忘れられていなかったからだ。
 舞台には、回復用の魂貨が詰まった千両箱が設置される。されないこともある。あまりアテにしない方がいい、というのが通例だ。
 ここまでざっと説明し終えたキャス子が「何か質問は?」と聞くと、いづるはふるふると首を振った。それを見てキャス子は手に持っていたマジックペンのキャップをきゅっと締めた。
 じゃあ、実際にやってみようか。




 実戦練習は闘技場を見下ろす外回廊で行われることになった。幅はそれほどない、せいぜい車二台が通れる程度。そこに、キャス子といづるが二間ほど間を取って向かい合う。いづるのうしろでは針のような敵意をちくちくといづるの後頭部に刺し続ける蟻塚と、その腕の中で知らない男の体温にうんざりしている電介がいる。
 キャス子はぽきぽきと手首を鳴らした。とんとんとステップを軽く踏むたびに、赤チェックのミニスカートが闘牛士のカポーテのようにひらひらと不可視の媚薬を撒き散らす。
 そのステップがぴた、と止まった。
「さて、じゃあまず基本から――魂貫、やってみようか。これは自分だけでもできるんだけど、やっぱり他人にやるのに慣れてた方がいいから、あたしが受けよう」
 犬に待てを命じるように、キャス子が掌をぐっと突き出した。が、さっそくその掌を突こうとしたいづるの前にずずいっと蟻塚が身を挟んだ。
「お嬢様に万一のことがあってはこの蟻塚、お父上に顔見せすることができません。実験台は私がやります。それにお嬢様、もう少し人を見る目、というものを培った方がよろしいかと」
「どういう意味だよ。蟻塚くん、僕はべつに掌に興奮したりはたぶんしない」
「ぬかせ下郎、とっとと突いてこい」蟻塚は掌を差し出した。
「いつまでお嬢様をこんな吹きさらしの場所にいさせるつもりだ?」
 いづるはぐっと腰を落として、できうる限りの力と気合をこめ、カタツムリのような速度で貫手を放った。魂貫に速度はいらず、必要なのはただ相手を『削る』――それをどこまで念じられるか。本来なら削るどころか引っかく程度がせいぜいの指先が、相手の中に入っていける、侵略していけると信じられるかどうか。競馬が馬の血筋が勝敗を握るブラッド・スポーツであるなら、守銭はさしずめソウル・スポーツ。
 思いの強い方が勝つ。
 の、
 だが、

「……………………」
「……………………」

 いづるの貫手は蟻塚の掌を押すだけで、そこから小銭が零れ落ちることはなかった。キャス子ははあ、と濁ったため息をつく。
「なんとなく予想はしてた。門倉、あんた吉田のときも自分の腕、治せなかったよね。あれもさ、魂貫とやり方は一緒なんだ。強く念じる、必要なのは『集中力』と強靭な『自我』――おかしいなあ、あんた、両方持ってるはずなのに。なんでだろ?」
「簡単ですよお嬢様」蟻塚が受けていたいづるの指先をぴしゃりと払った。
「こいつは恐れをなしたのです。魂貫も、回銭(魂貨を使った回復のことを言う)も、わざとできないフリをして戦線から逃げ出したいのですよ。ええ、そうだろう、ん?」
「ほほう、興味深いね」いづるは叩かれた手をさすった。
「あれほど吉田に追い込まれていながら、僕は先の先まで、いまの君の一言まで読み切って一芝居打ったってわけだ。まだ知りもしない守銭のルールや出会ってもいないきみのことなんかも全部ものすごい洞察力で看破して? 蟻塚くん、きみは僕を買いかぶりすぎだな」
「クチの減らないガキが……!」
「蟻塚」
 キャス子の一言で、殺気立っていた蟻塚の背筋がぴっと伸びた。キャス子は急に自分の爪の伸び具合を気にし始めながら、
「残念だけど、いやこれがあんたと門倉どっちにとって残念かは知らないけど、門倉はほんとに魂貫も回銭もできないんだと思う。もう魔王会のエントリーは済んじゃって優勝するまで出られないことは話したし、いまさら意味の無い悪あがきするほど馬鹿じゃないよ、彼は」
「それは……そうかもしれませんが。なら、どうなさるおつもりです? まさかつきっきりでこの愚図を鍛えると? できるようになるかもわからない魂貫と回銭を手取り足取り? お嬢様それは」
「口を慎め」
 蟻塚の息が止まった。倍の重力を浴びているかのようにゆっくりと、キャス子は首を自分の執事に向けた。
「おまえ、誰に話しかけてんの? さっきから言葉にいちいちいちいち鬱陶しいトゲが刺さってるけど、それはあたしが気に喰わない、ってことなのかな」
「い、いえ、滅相もありません……お嬢様、私はただ」
「ただ?」
「――ただ、あなたにこの地で、安らかに暮らしていて頂きたい……そう願っているだけ、なのです」
「あそ。――じゃあ、門倉」
 キャス子がいづるを見る。
「あんたはどう思う? 自分がどうして、相手を魂に両替できないのか、どうして剥がれた自分の魂を別の魂で補充できないのか、なにか思い当たる節はある?」
 うーん、といづるは頭上を見上げてぽりぽりと頭をかいた。
「僕にはわからないな。ただまあ、僕は自転車に乗るのもだいぶ苦労したクチだし、慣れるのに時間がかかるのかもしれない」
「それじゃ困るんだよ。次の試合まであと三日しかないしさ。なんとかしてもらわないと……まあ、どやしてできるようになったら苦労はしない、か。はあ」
 脱臼したようにキャス子が両腕を弛緩させた。そのまま振り子のようにぶらぶらと振りながら闘技場内へ下りる石段へと向かっていく。
「お嬢様、どこへ?」
「なんかがっくりきた。テンションあがんないから部屋戻って寝る。――門倉、蟻塚使って練習してていいよ。あたし、あんたが負けるとこは見たくないから、ほどほどにガンバっといて」
 じゃあね~とひらひら手を振り、キャス子は去っていった。去り際に、またため息。
 それを見送り、いづるは自分の両掌を見下ろす。血の気の薄い掌からは生気がまったく感じられない。死んでいるから当然、でもない。
 吉田の掌は、熱かった。
 またマウンドに立つことを願っていた少年と組み合った掌を、握る。
 その握った拳を、蟻塚が冷たい仮面の奥から見ていた。


 それから小休憩を挟みつつ、時々、闘技場の回廊を無許可で占めている闇市通りを冷やかしたり、棺桶のようなシャワー室で魂の洗濯をしたりしながら、いづるの特訓は続いた。ただひたすらに相手のかざした手にゆっくりと貫手を放ち、放っては引く。その繰り返し。
 キャス子(ふらっと戻ってきたり黙ってどこかへ行ったりを繰り返していた)は言う。
「いい、べつに守銭に限った話じゃないけど、突いたら必ず腕を引かなきゃ駄目。よく漫画とかでさ、思い切り殴ったりして前傾姿勢になってるけど、あんなのさばかれて足払われたら一発でマウント取られるから。必ず突いたら『次』を意識して。次って言うのは、もちろん、次の一撃のことで、つまり、仕留め切れなかった時のこと。勝つって信じるのはいいよ、自分は負けないって思うのもいいよ、でもそれを『言い訳』にしたらそれは逃げるよりももっと、重い、重い枷になってあんたを縛り、苦しめる。だから突いたら、必ず引いて。『次』の一撃のために――まあぜんぶ、魂貫ができるようになってから、の話だけどさ」
 槍のように研ぎ澄ました指先を、蟻塚の掌に押し当てる。そのまま貫こうとする。ずぶずぶと、蟻塚の乾いた掌に指先が埋まっていく。が、それだけ。引いた指先は硬貨を挟んではいなかった。
「自転車に乗るのにも苦労した――か。なるほどな、確かにそうかもしれない」
 ぽつっと蟻塚が言い出した。いづるは城壁の縁に腰かけていた。顔を上げて蟻塚を見る。あたりに人気はない。
「なあ門倉、おまえもそろそろ飽きてきたんじゃないか。次の試合は明日だしな」
「もうそんなに経ったのか。まだ数時間ぐらいだと思ってた」
「それだけ夢中だった、ということかもしれんな」蟻塚は興味なさそうに言った。
「少し、闘技場の方にいってみないか? 明日の対戦相手がいるかもしれん。言い忘れていたかもしれんからもう一度言うが、ここではフリーの対戦が可能だ。知らない死人とトーナメント関係なしに闘える。ファイトマネーは、相手を倒した場合はその額だけ。明日の相手が調整がてらに誰かとやっていれば、それを見学するのも悪くあるまい」
「うん、いいよ」
「――驚いたな。らしくない、と皮肉のひとつも返してくるかと思ったが」
「何故。きみは僕に付き合ってくれているぜ。悪いやつじゃあないだろう」
「どうだかな。信用しすぎるのはよせ、そんなことだから魂貫のひとつもできんのだ」
 いづるは立ち上がって、ズボンについたほこりを払った。
「ははは、そうかな。そうかもしれない。誰にでもってわけじゃ、ないんだけどな」
 行こう、といづるが先に立って歩き出した。だが蟻塚はその場に突っ立ったまま、動こうとしない。その手が、声や体格に不釣合いなほど無骨な掌が、拳を作る。いまなら、そう、何事もなく。
 だが――なにか違う。
 そう思った。
「やめだ」
 いづるが立ち止まって振り返る。
「なにをやめるんだ」
「門倉、はっきり言おう。私はおまえが気に喰わない」
「――――」
「おまえは魂貫も回銭もできずに、明日、試合に望み、そしてなすすべもなく消されるだろう。両替されて、誰かの明日になるだろう。それはいい。だが、お嬢様ががっかりなされることと、お嬢様がおまえに賭けて失う時間が、私には我慢ができない」
「……それで?」
「その前に、私がおまえを――消す。お嬢様には、おまえは逃げた、と言っておこう。それが一番、あきらめがつく終わり方だと思う」
「彼女に嘘がつけるのか? きみは彼女のしもべだろう?」
「彼女の安寧こそが私の望むものだ。そのためなら、私は下衆にだって、なる。だが、おそらく彼女は私の不義に気づく。彼女は怒り狂い、そしてきっと私を消すだろう。だが、構わない」
 それで、彼女の明日の糧になれるなら。
 自分はそれで一向構わない、と蟻塚は言った。
「以上が私からの『宣戦布告』だ、門倉いづる――おまえが逃げようが、立ち向かってこようが、その果てにある運命は変わらない。安心しろ、消えるのは、きっとそれほど苦しくない。彼女のために、おまえは――死ね」
 いづるは黙っていた。そして急に、笑い出した。
「ははは――やっぱり思った通りだ」
「何がだ」
「きみはいいやつだ」
「は?」
「いこう」
 いづるは背を向けて階段を降り始めた。その先には、乾いた風が土を巻き上げている円形の闘技場がある。蟻塚が後を追ってくる気配。
 自分の足音を聞きながら、いづるは思う。
 彼女のために、か。
 悪くない。ちっとも悪くない。
 男同士の決闘なんてものは、それぐらい馬鹿げていないとやる気がしない。

 そう、これは決闘。
 男と男が誇りと力を懸けて、退けない一歩を競い合う。
 だから当然、
 負けてやる、つもりもない。
 やるからには勝ってみせよう。
 勝てないぐらいで負けるなら、
 自分はとっくに、消えている――。

       

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Neetsha