Neetel Inside ニートノベル
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 守銭奴同士の喧嘩は基本的にご法度である。なぜかと言えば、ファイトマネーが両替した相手本人である以上(むろん運営側へ入るテラ銭からも出ることは出るのだが)、ストリートファイトで試合を消化されては見世物としての役割を果たさなくなる。よって、そういった私闘を発見した場合、ヤギ頭のスタッフに通報するだけでいくらか謝礼がもらえる上、私闘そのものを仲裁した場合は魂一封に闘技場内の各施設を期間限定で自由に利用できるフリーチケットがついてくる。よって、闘技場のどこかで私闘が始まると血の気の多い妖怪たちはこぞってそれを見物しにいく。噂は水面に落とした小石の起こす波紋のごとくどこまでも広がっていき、そして岸まで辿り着いた波はまた中心へとより返る。
 だが、その私闘を通報、ましてや仲裁しようなんていうやつはいなかった。
 潜水艦の中のように狭く薄暗い路地で、二つの人影が、向かい合っている。その影を取り囲んで野次馬たちが即席のリングを作っていた。
 人影のうち、袖をまくった白ランを着ている方は、その場にいる誰もが知っていた。なぜなら彼は、魔王会の優勝候補の一人――<破天公(アスラ)>だったから。
 花村業斗(はなむら ごうと)。
 戸籍上はそういう名前になっている。死亡届が役所に提出されたのもその名前でだ。死因はヤク中の友人の見舞いにいったら錯乱した友人その人にナイフで刺されたため。友人は警察の事情聴取で「背が高かったからクマと間違えた。業斗だとは思わなかった。嘘じゃない、信じて欲しい、ぜんぶヤクのせいなんだ」と供述した。驚くべきことにそれは信用に足ると判断された。現在その友人は警察病院でヤクを抜くための治療を受けている。
 誰がクマだ、と業斗は思う。確かに自分は背が高い。けれどクマのように豊かな胆を持つほど太ってるわけでもなければ鼻がブッ潰れているわけでもないし、なによりクマはナイフを持った人間に背中は見せない。
 ――コーヒーを淹れてくれ、とあのとき友人は言った。
 業斗はため息まじりに、わかったよ砂糖もガムシロも入れてやんねえからブラック飲んでちったあヤク抜け、とぶっきらぼうに答えて、台所のコーヒーメーカーのところまで歩いていって、刺された。最後に見たのは、斜めになった床に広がっていく赤い血のじゅうたんだった。
 真っ向から、向かい合っていれば、俺は殺されたりしなかった。そう思う。見栄などではない。業斗には絶対の自信がある。野生の肉食獣のように、細く、しなやかに鍛えられた豹のような体躯と持って生まれた格闘センスを持ってすればヤク中の一人二人が向けてきたのがナイフだろうがポン刀だろうが自分は一秒かからず払い落としていただろう。殺されるぐらいなら殺していた。友人だと思って油断したのがまずかった。いや、友人だと思ってなめていたのだ。この世に、地獄の果てまで付き合ってくれる間柄なんて本当のところありはしない。そして、やつにはそういう真似ができないだろうなんてことは、とっくのとうに知っていた。かえってカンに触ったのかもしれない。ヤク中を前にして平気な面して背中を見せられる『強さ』が、所詮未来をなくしたおまえと俺じゃ勝負のしょの字も始まらない、そう言っているように思えたのかもしれない。
 だったら、たぶんそれは正しい。事実だ。どっちもホントだ。
 友達だと思っていたのも、なめていたのも。だって、なめられるような相手じゃなければ自分は敵だと認識してしまう。――変わってるって? そうだろな、俺みたいなやつはそうはいない――少なくとも、いまだかつて一人だって見たことはない、俺以外にそんなやつ。


 ぼおおおおおおおおお……
 壁にかかったランタンの火種が爆ぜる音、斜めから飴のように差してくるオレンジ色の灯り、野次馬から向けられてくる好奇とほんのアクセント程度の恐怖。まあこの人数だったら大丈夫だろうと踏んでいるのだろう、野次馬のリングは少なく見積もって三十人はいる。妖怪を「人」と数えるなら、だが。
 ふん――業斗は白仮面の奥で鼻を鳴らす。この中で、サシで俺の『前にいるやつ』を相手にして何人が助けを呼ばずにいられるかな。おそらく五人に満たないだろう。雑魚どもが。俺は違う。相手が誰であろうと叩き潰す。
 たとえそれが、とうとう消滅の時を迎えてもそれを受け入れられず、認められず、否定するしかなかった死人の成れの果て――『鬼』だろうと。
 業斗の前に、角を生やした女が立っていた。目は虚ろで、それぞれてんで違う方向を見ている。だがその意識が業斗をしっかりと捉えているのは間違いない。肌は陶器みたいなくすんだ灰色、なにより目立つのは――額に生えた、角(つの)。
 先のとがったネジのようでもある。螺旋状のスロープ(と呼ぶには小さすぎるが、ほかにあらわす言葉を業斗は知らない)が角の周りをぐるぐると巡っている。鬼になると死人はみんなこのユニコーンのような角を生やす。それは呪われたしるし。恨みの証。救われぬものの烙印。
 野次馬たちは生唾を飲み込んで二人を見守っている。誰も二人を止めず、誰もスタッフを呼びにいかないのは、これが守銭奴同士の私闘ではないからだ。

 ――もし、あんたが私に協力するなら、

 業斗は両手を構えた。ステップを踏み、軽く掌を開いて、脇を締める。なにもない空中を撫でるように円の動きを両腕にまとわりつかせる。

 ――あんたをもっと、強くしてあげてもいい。その結果に何が起ころうと、災いを呼ぼうとも、それがあんたの望みで、それがあたしの夢を叶えるためならば、あたしたちは手を組める。どれほどその在り方の間に断絶があろうとも――夢のためなら。ねえ、違う?

 違わない。
 業斗の黒髪がちりちりと静電気を帯びた。女の鬼が、おそらくはOLだったのであろう、腰かけ御用達の黄緑色のスーツに身を包んだ身体が、空気の壁を押し出す速度で業斗に突っ込んできた。業斗は思わず叫びだしたくなる気持ちを抑えて、女の繰り出してきた両手のうち先行してきた左手を右手で掴み、左足を右足のうしろから振りこんで身体を流し、そのまま女の腕を握りつぶそうとした。無論、魂貫を使ってだ。だが大して両替しきれぬまま、足を前に出して流されそうになった身体を踏ん張った女がうわぞりして逆向きから業斗の顔面に噛み付こうと牙を向いた。逆さになった女の顔が間近に迫る。妖怪と鬼は掌から以外でも魂貫ができる。よって死人はその二種には滅多なことでは逆らわない。
 女の黄色い牙の光沢に業斗の輪郭が映った。
 業斗はここで、女の顔を左手で押さえたりはしなかった。そんなことをすれば左手を食いちぎられる。自分の中にある魂貨で補充してもいいがそれにだって限りはあるしこんなやつ相手に無駄魂(むだだま)は使いたくない。よって、
 振り上げた左肘鉄を上向いた女の顎に斜めから打ち降ろし、その首を完全に粉砕した。
 げえ、と女は呻き、そのまま手折られた花のように床に倒れこむ。業斗はその背中に膝を叩きつけ、両手で肩から押さえつけた。
 さあ。
 お楽しみを始めよう。
 ライターでアイスを炙るように、女の肩がぐずぐずと魂貨へと変わっていく。こうして少しずつダルマにして動けなくしてからゆっくり急所を溶かせばいい。鬼は魂の量はそれほどないくせに耐久力が死人より高い。頭部・胸部を貫こうとしてもろくに指が通らないのだ。だからこうして完全に封殺する必要が生まれてくる。だがまあ自分にとってはちょっと面倒な相手というだけ――業斗はニィッと笑った。身体中に力が漲っていた。素質がどうだろうと、見てみろ、俺にだって鬼退治ぐらいはできるみたいだぜご先祖サマ?
 正直に言えば油断していた。
 女の首がぐるんと回った。完全に180度回転していた。しかし首は完全に破砕している。魂貨を使う時間も余力も残ってはいないだろう。せいぜいそこでコマみたいに回っているがいい――
 ぎゅるるっ。
 本当に首がコマのように回ったのではない。
 女の角が伸びた。ドリルよろしく回転し、空気中の塵の粒子を吹き飛ばしながら業斗の仮面を打ち抜かんとまっすぐに伸び上がってきた。両腕は女の身体を押さえたまま。間に合わない――しかし、業斗の両手は、伸び上がってきたツノを止めた。
 女の肩は、まだ業斗の両腕が止めている。
「っ?」
 女が不思議そうな顔をしている。業斗は笑って見せたが相手には見えないことに気づいた。
「悪いな、俺は特別製でね。ああ、製ってわけでもないか。カスタムされたんだから、そう、言うなら、バージョンアップ?」
 女の角を白羽取りしたむき出しの腕は、業斗のむき出しの両腕の肘から生えていた。
「漫画みたいだろ? でも可哀想になあ、漫画みたいに俺はおまえを助けたりはできないんだ……」
 ふっと息を軽く吐いて、女の角をべしりと折った。
 女が怪鳥のような声をあげてのたうち回る。業斗は折った角を放り投げた。角がからからと床を転がり、野次馬たちがその周囲からさっと逃げた。
 肘から伸びた別の両腕で女の顔面を挟む。鬼の顔が恐怖に歪む。

(敬意を払おう。この俺に挑んできたことを)
(だから)
(許したりは、絶対しない)

 業斗は両掌に力を込めた。
 ぐしゃり、と。
 バレーボールのような抵抗の後に、女の首が両替された。赤い魂貨が周囲にフィーバー。胴体も釣られてフィーバー。熱病熱病熱病(フィーバーフィーバーフィーバー)。
 業斗は立ち上がった。
 野次馬たちはばらばらとリングを崩し始めていた。その中に見知った顔を見つける。無論、第五天魔王会の覇者たる――ええとなんだっけ名前――キャスケット帽がトレードマークの少女とは、直接の面識はなかったけれど、確かぎゃんぶる宝典のインタビューに写真つきで答えていたのを読んだことがあるから知っている。だが業斗の興味をそそったのは彼女ではなかった。そのうしろにいるやつだった。
 血まみれの紺色のブレザー。くしゃくしゃになった、どうせ起きてからろくすっぽ梳かしてもいないだろう黒髪。白い仮面の下の首筋は女のように細くて白くて滑らかだ。格好だけならどこにでもいるのっぺらぼう、だがまとっている気配が違っていた。いや、違うなんていうものではない。断絶している。業斗にはわかる。こいつは、普通に生きている連中が吸って吐いてる当たり前の律から外れている。なにか別のものに縛られ、それを操り、それに苦しめられ、そのせいでくたばった。
 そういうやつ。
 業斗はふん、と鼻を鳴らして、二人の前に仁王立ちした。キャスケット帽がちょうど口のあるあたりを両手で押さえて、
「なになに、あたしに用? いやーモテる女はつらいなーあははははは」
「どけブス」
 その一言でひとつの核爆発が起こりかけたが、血まみれブレザーがキャスケット帽の肩をうしろからぐっと押さえた。顔はしっかり、こっちに向けたまま。
 業斗は、白ランの校章が縫いつけられた左胸を親指で指し示した。
 名乗った。


「俺は、土御門業斗」


 戸籍上は、花村だ。魔王会にも、花村業斗でエントリーされている。
 だが、その血統は紛れもなく大陰陽師から連なるもの。
 業斗の母は、土御門烈臣の父、土御門光明の義父の妾だった。認知はしてもらえた。だが、名前を分けてはもらえなかった。
 だから勝手に名乗ることにした。妾の子で終わるなんてごめんだ。あんな薄汚れた家と血なんぞこっちから拒否してやる。
 そう思っただけのこと。
 それはそうするだけ価値のある、業斗にとっては大切なことをこめた名乗りだった。
 こいつには、名乗らなければならない、どの道そうなる。
 そう思った。
 血まみれブレザーは怪訝そうな間を開けた後、
「……門倉いづる」
 かすれた低い声で答えた。そして続けた。
「いまのは、練習すれば、誰でもできるようなことなのか?」
「いまのっていうと、俺の『腕』のことか? ――いや、できねえだろうな。俺はこの腕を他人からもらったんだが、それも条件つきだったし、やつが俺以外に分け与えたって話も聞かない」
「それは、魔王会でも、使うのか」
 業斗はくっくと笑う。
「卑怯だって言いたいか? ――使うぜ。容赦なくな。俺は死んでからずっとここにいる。ずっとな。俺はここで強くならなきゃなんねえ」
 ごちゃごちゃ何か喚きかけたキャスケット帽の仮面の下から手を突っ込んで、門倉いづるはその口を押さえた。
「――強くなる? もう死んでるのに?」
「おかしいか? 俺はそうは思わない。ずっとここにい続ければ、自分の意識さえあれば、俺にとっては身体があろうが無かろうが関係ない――そう思ってるやつは割りと多いと思うけどな。まあ俺には、そんな居残り目指し隊よりも、もっとずっとやりてえことがあるのさ」
 そう。
 夢が。
 業斗は拳を握って、それをキャスケット帽の腹にどん、と当てた。その柔らかな衝撃の波は、門倉いづるにも届いただろう。
「俺は魔王会に勝って、兄貴に会いにいくんだ……。おまえとはなんとなく気が合いそうなんだが、悪いな、次に会ったら敵同士、遠慮なくいかせてもらうぜ。せっかく出会えて、もったいない気もするが――」
「気にするな」門倉いづるの声音は機械のように変わらなかった。
「僕もそうする」
 言いやがる。
 業斗は最後に門倉いづるの肩に拳を軽く乗せ、歩き出した。門倉いづるはキャスケット帽を羽交い絞めにしたまま、前を向いていた。二人の距離が遠ざかる。
 いまは遠く、しかしやがてはゼロになるだろうその距離が。
 魔王に等しい傲慢たる魂を持つものを選び抜く闘い。
 その予選が、その日、すべてつつがなく終了した。



 ○



 異名、もしくは、死んでから名づけられることからあやかって不届きにも戒名などと言ったりする。
 が、みんな自分にあだ名がつけられるのは嬉しいもので、誰しも自分の戒名には実のところ興味津々なのである。
 券売所そばにある黒板のまわりはいつも閑散としているのだが、誰かがいつの間にか守銭奴たちの戒名を考えては書き込むのが慣わしとなっていた。この戒名はやつには似合わない、と思ったら容赦なく消されてしまうが、ぴったりだとみんなに思ってもらえれば、その名は末永くその守銭奴を表す通り名となる。
 その日、券売所そばの黒板に一つの戒名が書き込まれた。
 その闘い方の見苦しさから、彼の戒名は、あまりいい印象を人に与える代物ではなかった。しかし、当の本人はそれを見て恥ずかしそうに頭をかいていたから、まんざらでもなかったのだろう。
 その戒名は、餓鬼。
 誰が名づけたのかは知らないが。
 その名には、侮蔑と嘲笑の意味の裏に、こういう意図が隠されていたのかもしれない。

 卑しく、弱く、見苦しく。
 とても天魔悪魔に混じって勝ち越せるとは思えぬが、
 だからこそ、勝ってくれるところを見せてくれ――

 馬鹿言うな、と餓鬼は思う。おまえらみんな、自分が儲けたいだけだ。その欲望のために、他人の運命に自分のそれを重ねて乗っけて冷たい汗を流しているのだ。そんなやつらのためには闘わない。ないが、
 それでも、自分は勝つ。
 だからせいぜい、僕に乗れ。
 増やしてやるよ、その魂。
 いづるは右手をポケットから取り出した。相変わらず、行き場をなくして、時々痙攣するように震えるその掌を、
 やっと、固く握り締めた。







 そして物語は、一時、地上に戻る――。

       

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