Neetel Inside ニートノベル
表紙

あの世横丁ぎゃんぶる稀譚
14.ばくちじごく

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 大ッ嫌いだって思ってた。
 たぶんきっと、いや絶対、
 最初はそう、思っていたはず――


 ○


 火澄、とそのまま飛縁魔が門倉いづるの母と同じ名前を名乗り始めて三週間が経っていた。
 いまのところ浸透具合は横丁を通して七割程度。由来さえ言わなければ(べつに言ってもいいのだが、かえって面倒になりそうだし――)火澄というのはそう悪い名でもない。飛縁魔のイメージにも合っているらしく、少なくともこのどくろ亭でくだを巻いている間は、誰が呼んでも飛縁魔は火澄ということになるのだった。
 むしろ、一番近くにいる少年こそが、そう呼ぶことを拒否していた。
 その少年はいま、さも大物のようにカウンター席に座って足を組み、火澄の赤い制服に包まれた広い背中をさらしている。ナシナシのアイスコーヒーから伸びたストローが仮面の下へと差し込まれている。じゅうじゅうと音を立ててそれを飲みながら、霊界新聞を読むのが夕原志馬の『一日』の始まりだった。まるで偏執狂のように、彼はそのスタイルを崩さない。自分がやってきたとき、その座席に誰かが座っていると彼は相手には席を退くこと、自分には大量の魂を払うことを賭してじゃんけんを挑む。ぐーちょきぱーどれを繰り出そうが相手は必ず負けて、不思議そうに自分の拳を見つめながらその席を退き、志馬は当然のようにそのカウンター席に腰かける。そこはいつか、門倉いづるが座っていた席だった。
 戦装束を着ているときでも飛縁魔が火澄と名乗り始めてから三週間。
 それは、夕原志馬と行動を共にし始めてからの三週間でもあった。
 あの世に朝も夜もないけれど、西日が差し込み続けるどくろ亭には、どこか牧歌的な気配が漂っていた。妖怪にも生活サイクルというものがあり、必要なくても一定時間を起きて過ごすと眠る妖怪は多い。不思議と同じ時間帯に寝起きしているもの同士は似たもの同士である傾向があり、いまこの時間に目を覚ますのは、どちらかというとおとなしい妖怪だ。たとえばコロポックルたちのような妖精や、普段は人間のフリをして学校に通っている猫娘や疫病神たち。ちょうどさっき自転車のベルをけたたましく鳴らしながら登校していった。現世には朝がやってきたのだろう、いつまでも赤い世界の住人である火澄は目玉焼きを乗せたトーストをかじりながらどくろ亭の戸口の向こうにぼんやりした目を向ける。
 志馬は眠らない。
 三週間ずっと一緒にいた火澄は知っている。志馬はいつも歩いている。志馬はいつも誰かと喋っている。志馬はいつも誰かを見ていて、志馬はいつも何かを探している。べつになにか明確な基盤を下にした策略を持って動いている、というわけではないのだろうけれど、それでも彼はきっと何かを探しているのだ。それがなんなのか、彼自身にさえわかっていないのかもしれない。
 志馬は起きているとき、いつも博打をしている。
 だから、志馬は、博打をしていないときがほとんどない。そうしていなければ、明日の自分を稼ぎきれないから。
 明日を手に入れるために、志馬はいつも、勝っている――。
 じゅるる、と志馬がコーヒーを飲み終えた。グラスの底にたまった氷の隙間に泥水に似たコーヒーがわずかに残っていたが、志馬は気にせずグラスをカウンターに戻した。ガシャドクロの店主がやってきてグラスを片づけてる。火澄はこれから志馬がどう動くのか知っている。まず新聞を四つに畳んで首をごきごき鳴らし、きょろきょろと店内にいる早起き組の妖怪を見回した後、思い切ったように火澄を振り向く。
 志馬は寸分たがわず、その通りにした。
「――どうした、飛の?」
「どうもしねーよ」その呼び方はやめろ、と言うのはとっくのとうに飽きていた。
「ただ、おまえもさ、毎日毎日おんなじ風にしててよく飽きないよな。たまにはアリアリのコーヒー頼んでみれば? なんか変わるかもしれないぜ」
「いいんだよ、俺には俺の暮らし方ってのがあるんだ。これでも結構、キチッとこだわる方なんだぜ。鉄火場から抜けて、ここののれんくぐったらどこにどう座って何を頼む、おまえは左隣に座って、俺はおまえにぶつからないように足を組んで新聞を読む。おまえは喰いたいもんを喰ってぼんやりして、そんでもって俺は――背中でそれをいつも感じていたいんだ」
 不意打ちだった。
 言葉に詰まった。
 その一瞬を突いて、客の誰かがひゅう! と口笛を吹いた。火澄がぎっと睨むと口笛を吹いた誰かが戸口からパタパタと逃げていくところだった。おそらく一つ目小僧の馬鹿だろうと見当をつけて、心のメモに「見つけたらぶっとばす」とへたくそな字で記しておく。
 そして志馬が黙ったままこっちを向いているので、自分がまだなんの返事もしていないことを思い出した。ええと――考える。混乱した思考回路は行き場を間違えて見当違いの回線をオンにした。
「――あたしのどこが好きなんだ?」
 しまった。
 ここぞとばかりに、志馬は仮面をはぐってどこかの若い将校のような凛々しい顔立ちを晒し、目の前に差し出された餌に噛みついた。その餓えた牙の意志は彼の指に宿って、火澄の頬をむぎゅっと掴んだ。口も鼻もふさがれていないのに息ができない。鳶色の目が火澄の赤いそれを覗き込んでくる。
 ぱっと。
 志馬は急に手を放した。火澄は身動きもできずぱちぱちと瞬きをする。そんな火澄の顔を指差して、のっぺら坊は笑ってこう言った。
「そゆとこ」
 テンパった火澄に思い切り背中をぶっ叩かれても、志馬は楽しそうに笑っていた。


       

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