Neetel Inside ニートノベル
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 木で作った枠だけの店の前に、ぬっと黒い影が差した。見上げると夕原志馬が立っていたので、千里婆ァは嫌そうに顔をぎゅっとしかめた。短刀で老木の幹に切りつけた傷のような目が、恨みがましく笑顔を見せている少年に向けられる。
「なにしに来たんだい、この疫病神が」
「おいおい婆さん、人違いだぜ。疫病神のゆたかなら猫町と学校にいったよ」
「ふん、あの子の方がまだマシさね。昔から人の商売の邪魔はしない子だ。ところがどうだい、あんたときたら、あたしのおみくじを買って博打を打つだろう」
「うん」
「そして勝つときてる。だからみんなあたしのくじにご利益があると思って、客が雨の後のたけのこみたいに湧いてきちまう」
「いいことじゃねえか」
「よくないんだよ!」
 千里婆ァはくわっと黄ばんだ歯を剥いた。
「あたしはね、静かに商売していたいんだ。うとうとして、はっと気づくと客が立っている。あたしはそいつに一枚くじを売って、またうとうとする。なのに最近ときたら呼んでもいないのに客がわんさとやってきて、あたしの居眠りを邪魔しやがる。競神の前なんか特にひどいさね」
 志馬は処置なしとばかりに首を振った。
「商売繁盛させてやって恨まれるんじゃ割りに合わねえなあ。ま、どうでもいいや、そんなこと。婆さん、一枚くじをおくれ」
「嫌なこった」
「え?」
 目をぱちくりする志馬から顔をそむけて、千里婆ァは吐き捨てるように言った。
「おまえなんぞにはなにも売らんよ。それにたいしたことも書いてないんだ、あたしのくじは。書いてる本人が言ってるんだからね、間違いないよ。さ、帰った帰った――」
「なあ、婆さん」
 志馬はぐっと木の枠から、千里婆ァの座る内ゴザの中に首を突っ込んだ。
「俺、ちょっと最近耳が遠くなってさあ。よく聞こえなかったんだ。もう一度言ってくれないか?」
「何度でも言ってやるよ、あたしの店に二度と来るな」
「婆さん」
 志馬は笑顔のまま言った。
「もういっぺん言うぜ。――もう一度言ってみろ」
 矛盾した、頭の悪い脅し文句ではあったが、それで千里婆ァはぴたりと口を閉ざした。首根っこを掴まれたようにすくみあがり、やはり恨みがましげな目つきをして、志馬に一枚のくじをそろそろと手渡した。
 それを乱暴にむしりとって、
「最初からそうすればいいんだ。誰もタダでむしろうだなんて言ってねえだろ」
 志馬はぴぃんと魂貨を一枚はじき、千里婆ァのくじ屋を後にした。去り際に視線を感じて、周囲を見ると、気弱そうな小人たちが、口に指を突っ込んで、じっと志馬を見ていた。
「なに見てるんだ? おまえらも言いたいことがあるなら言ってみな」
 志馬が言い終えるのを待たずに、ぼろきれをまとった小人たちは風に吹かれて消えていった。志馬はフンと鼻を鳴らし、曲がりっぱなしのへそのある腹を一撫でし、くじの封を破った。くるくるとくじを開く。
 千里婆ァのくじは吉凶占いではなく、吉縁占いとでも言うべきかもしれない。そこには、くじを引いたものにとって、禍福いずれかをもたらす他者の名前と絵姿、その人となりの詳細が記されている。以前、引いたときは門倉いづるが出た。すでに知り合っていたが、そこで名を知ったのだ。そして競神へいって、幸か不幸かの再会を果たしたのだ。
 さて飛縁魔の名前でも出てきたら面白くないな――と思いながら見てみると、男だった。紺色のブレザーを着て、バイクに乗っている。水墨画調のバイク乗りの絵を志馬はしげしげと眺めた。風を切る感じはなかなか悪くない。
 それはともかく、名前を見ると、知らない名前が書かれていた。
「首藤星彦……享年十六。へええ、自分で張ったピアノ線に突っ込んで首を飛ばしたのか。物好きなやつだな……。ま、サクラの花の幻に騙されてくたばったやつよかマシだがな」
 伸ばしたくじの表面を視線でスクロールしていく。
「素行良し、性格温厚、学業優秀、体躯壮健……なんだこいつ。ふむふむ……友達多し、敵おらず。恋愛鈍感、相方涙すること多し。けっ、まさに主人公でございって感じだな。面白くもねえ。……商才あり、調停の気濃く、ただし博才なし」
 博打の才能ねえ、と志馬はくじを読みながら鼻で笑う。そんなもの果たしてあるのかどうか? 短気は損気、と言いはするが……まァ自殺するようなマイナス方向へのアッパー系は、負けたがりが多いから博打に向いてはいないのだろうが。
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「縁者……多いな、くそ、なんだこれ、字がちっちゃくて読めねえぞ。ったく……俺なんざ死んでからのが知り合いが多いくらいだってのによお。ずるいよなあ、リア充はずるい。……おっ、門倉の名前がある。やつの知り合いか……案外、門倉がカモにしてそれを苦にして死んでたりしてな? だったらあいつもなかなかやるな……」
 ぶつぶつ独り言を零しながら、志馬はてくてくと横丁を歩いていく。その歩みがぴたりと止まった。
「紙島詩織――幼馴染、想われ人。この想われ人ってなァなんだ? 首藤が好きだったってんなら、想い人になるのかな……日本語は難しいな。ううん、それにしてもこれ、プライバシーの漏洩だよな、読んでる俺が言うのもなんだが……それにしても、ふうん、想われ人ねえ……」
 志馬はぽりぽりと生えたばかりの角をかいて、北東の方に顔を向けた。飯場からもうもうと立ち上る湯気の向こうの空は、脱色したように赤から灰色へと落ち込んでいく。あの世の頭領がいるあたりの空は、その威風に、ああして顔色を白くするのだ。
「紙島詩織が惚れてたやつ、ね。あの天才ジョッキーが」
 よく誤解されるのだが、これでも志馬は純情なタチだ。人がひとりの人間を好きになる、想う、ということの強さはわかっているつもりだ。そしてそれを失う痛みの深さも。
 幻影の脳味噌が、細胞同士の連結を繋げたり外したりして、志馬の思考を俯瞰的局地まで押し上げる。志馬はこういうとき、細かいところはともかくとして、収まりのよさそうな全体図から俯瞰する方だ。
 何もない虚空を、意志ある双眸で見上げたまま往来のど真ん中で立ち止まった志馬を怪訝そうに妖怪やのっぺらぼうたちが見過ごしていく。
「ふむ」
 志馬はひとつ頷いて、往来を右に左にと見回した。そして船から船へと飛び移るような足取りで重なり合うように立ち並んだバラックの隙間に飛び込み、トタンでできた迷路をしばらくうろついて、なにもない隅っこで蹲っている少女の姿を見つけた。
「手の目」
 少女は眠ったように目を閉じていた。顔だけを志馬に向ける。
「わあ、志馬だあ。志馬が来たよお」
「こんなところで何をしてるんだ?」
 手の目は朱色の着物に包まれた肩に自分の頬をくっつけた。
「アリスちゃんがね、手の目は一緒にぽぉかぁしちゃいけないって言うんだ。だからね、手の目は、ここでおとなしくしてるの。ねえ、志馬、手の目、アリスちゃんに嫌われてるのかなあ?」
「安心しろよ手の目」志馬は少女が見えていないことを知りながら、笑った。
「あいつはツンデレだ」
「つんでれ?」
「好きなやつに意地悪したくなる妖怪だ。気をつけろよ、放っておくと連中は寂しくて死ぬぞ?」
「ええ、そうなのっ! たいへんだ、手の目、アリスちゃんのところに戻らなきゃ――」と立ち上がって走り出そうとした手の目の着物の襟を、志馬の手ががっちりと押さえた。
「ぐるじい」
「あ、悪い」手を放し、「なあ手の目、アリスがツンデレでもな、おまえは一緒にポーカーはできないんだよ」
「どうして?」
「おまえの目はカードをいくら切っても見えちまうだろ? あれは親がデッキを切る遊びだからな。まァでも心配するな、手はまだあるぜ。他の遊びをすればいいんだ」
「他の遊び?」
「ああ。――ちょっと手伝って欲しいことがあるんだ。それを手伝ってくれたら、教えてやるよ」
「んー」手の目は眠っているように穏やかな顔を傾けて、
「いいよー。手の目、ひまだし。学校にいきたいんだけど、もっとニンゲンのことを知らなきゃ駄目だってばあやが言うんだあ。だからいつもやることないの。志馬についてくの」
「ありがとよ。――でもさ、ニンゲンなんてロクなものじゃないぜ。おっきくなってもここにいろよ、手の目」
 やなのー手の目は給食を食べるのーと首をぶんぶん振る手の目に一瞬、志馬は優しい視線を当てて、しかしそれはすぐに消えた。後に残ったのは、これからのことを考える時にだけ志馬の瞳を覆いつくす鋭い光だけだ。
「ところで手の目、起き抜けで目が曇ってたりはしないよな」
「しないよ? 手の目、ちゃんと居眠りしたら顔洗うもん」
「じゃ、見せてみろ」
「うん」
 手の目は背伸びをして、志馬に向かって両の掌を見せた。白い掌の肉に埋め込まれていたのは、まつげのないガラスめいた生々しい目玉。
 手の目の目が、志馬を不思議そうに見上げていた。


(つづく)

       

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