Neetel Inside ニートノベル
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「ねえ志馬ぁ。その角どうしたの? 鬼になっちゃったの?」
「実はな、角って大人になると自然に生えてくるんだよ」
 たわいのない嘘を手の目は信じて、感心顔で頷く。子どもはちょろい。志馬はにやつく顔を指で突いて隠した。
「これからどこにいくの?」
「牛頭天王のとこ」
「牛頭天王……あのひと強いらしいよー。やめときなよー。手の目はねえ、志馬にいなくなって欲しくないなあ」
「うん、そう言ってもらえると嬉しいんだが、男って馬鹿なんだよ、手の目。負ける方が楽しいんだな」
「ええ? それは絶対おかしいよお。アリスちゃんはね、ぽぉかぁで負けるとヤンをぶつよ?」
「アリスはひどいやつだなあ。手の目はあんなアバズレになっちゃ駄目だぞ」
「アバズレ……ってなに?」
「アリスの苗字だよ」
 そうなんだーと手の目。とうとう堪えきれなくなり、志馬が目の端に涙を浮かべ始めた頃に、二人は灰色の屋敷の前にたどり着いていた。観音扉は、今日は開いている。開かれた扉には円形の切り抜いた後があった。志馬はそれをつうっと一撫でして、屋敷の庭を突き進んでいく。
 志馬の考えでは、それほど時間はかからない予定だった。
 むしろてこずってくれた方がおもしろいのだが。




 怖いというのが、相応しくないもの、バランスの崩れたものに感じるものだとするなら、その光景は確かに怖かった。ゾウでも飼えそうな広間の真ん中に、小山のような大男がいじめられた子どものように蹲っていた。手の目が不安そうに志馬の袖を引く。志馬は顎を引いて、生えたばかりの角を脅すようにちらつかせながらその塊に近づいた。牛頭天王だった。
「何をしてるんだ――牛頭天王さんよ?」
 苦しいんだ、と牛頭天王は答えた。筋骨たくましい両腕で、太い角が生えた己の頭を抱えながら、血走った緑色の目で新米鬼を見上げる。見上げながらも、その口はもぐもぐとなにかを咀嚼していた。志馬は笑った。
「二日酔いか? 気分が悪いのか、おい、水でも汲んできてやろうか」
 魂が足りないんだ、と牛頭天王は囁いた。俺を維持する魂が。
「ほお。それはちょっと話が合わねえな。さっき俺たちから奪っていったみかじめ料はどうした?」
 もう喰った、と牛頭天王は目を逸らした。
「なるほどねえ、やっぱりなあ」志馬はにやにやしながら、己の顎を掴んで、見世物でも見物するように蹲ったあの世の頭領を不遜に見下ろした。
「苦しそうだなあ。いつもはどうしてるんだ? 誰かの膝か胸を借りて泣いているんじゃないか。いいなあ、羨ましいなあ! おまえには、それがあるもんなあ――!」
「――志馬?」と話がまったく見えていないのだろう、手の目が不安そうに志馬を見上げた。志馬はひとり笑いながら首を振って、
「いい気味だぜ。貴様のような連中には、痛みが辛いだろうな? なあ? こんな苦しみを味わうくらいなら消えた方がマシだと思うだろう? だがなあ、そんなものは序の口に過ぎねえんだ――それが心地よくさえなるんだからな、だんだん――」
「志馬――何を喋ってるの? 牛頭天王はどうして、」
「手の目、俺たちはいま人間の話をしてるんだ。生命の話とも言えるかもな。ちょっと静かにしててくれ」
「あ、うん――」
 志馬は摘ままれていた袖をやんわりと振り切って、蹲り、声もあげない牛男を睨み、そしてそのはしっこい目が袈裟から半分はみ出した煙草を捉えた。まるで自分のもののように、それを奪い取り、中身を確かめ、そして自分の考えが正しかったことを知った。目の奥に熱が宿った。苦い味がどこからともなく舌の上に広がって来る。
 飛縁魔から事前に、門倉と式札を使ったイカサマ花札――こいこいなんて博打と思いたくもないが――をやったときの経緯は聞いていた。牛頭天王はそのときも、この煙草を吸っていたという。そして吸い始めてから、イカサマが通じなくなったと。何が行なわれたかは明白だ。
 問題は誰がなんのために、だ。
 ゲン、というものが博打にはある。たとえば自分から誘って麻雀を打つと勝つとか、給料日の前と後だとルーレットの赤と黒の出具合が違うとか、とかく科学的根拠が一切ないにも関わらず、結果として現れてしまうため、ギャンブルをする馬鹿が神様や嫁さんの言うことは無視してもそれだけは絶対に無視できないもの、それがゲンだ。ひょっとすると霊験あらたかのゲンではないかと思われる。
 べつに魔術の類までもゲンを担いで発動するわけでもないのだろうが、神秘や奇跡にも条件のようなものがある。たとえば暗い締め切った部屋で魔人を召喚するには何本ロウソクを立てなければならないとか、十字路には音楽好きの悪魔が出やすいだとか。
 土御門光明は飛縁魔にガムを噛むという条件、サイン、ゲンを担がせて絵柄の切り替わる花札――これってテホンビキの方がよっぽど効果的――を神秘として使用したわけだが、なんのことはない、そのとき牛頭天王も魔術でもってそれを返したのだ。電流の紫煙をくゆらせるのがゲンだったのだ。問題は、牛頭天王が、妖怪が魔術を使ったということ。
 土御門光明は陰陽師たちの中でも荒くれ者の異端児だが、それでもあの世の頭領に陰陽術を伝授したり、それで手助けしようとは思わないだろう。ではいったい誰がやったのか、どうしてやったのか。決まっている。結果から逆算すれば明白だ。
 牛頭天王を守るためだ。
 カモにされちゃわないように。
 ――生命というものは不思議な幻想だと志馬は思う。死ぬ前と後で、肉体にそれほど損壊がないにも関わらず人は死ぬことがある。一秒前に動いていた心臓が、どうして一秒後に止まるのだろう。動いたっていいではないか? べつに物理的に不可能じゃあないだろう、だのに、人の心臓は止まる。なぜだろう。まるで夢からはっきりと覚めてしまったかのようにだ。そして、だからこそ、わけがわからないからこそ、人はとりあえず生きてみるし、必死によくわからない生命とやらを守ってみようとする。だが妖怪にはそれがない。ほっといても死なないからだ。なにもしなければそのままだからだ。だから妖怪は、疑うことがあまりできない。だから、相手が絶対に負けないという阿呆らしい結界に守られていることにも気づかずに、牛頭天王に挑み、両替されていったのだろう。
 志馬は改めて、自分の目の前で蹲るものを見た。見上げた。蹲っていてさえなお、牛頭天王は志馬よりもはるかに大きかった。掌を拳に変えて、お守り煙草を握りつぶした。
 ふざけてやがる。
 やる気あんのか?
 すべて無駄になった。ちょろっとつけようと思っていた格好つけもできなくなった。相手がこれではどうしろというのだ。手の目を連れてきたことも無駄になった。元々、牛頭天王が魔術の保護を受けていることを確かめるために、『配った札を見ることができる』手の目を連れてきたのだ。札巻き、審判、ディーラーとして。種目はなんでもよかったが、とりあえずはポーカーを手の目に教えておいた。勝つと踏んで勝負を挑み、それで負けたら手の目と一緒に引き上げて配った札と開けた札の相違を確かめるつもりだった。だがそれも無駄だ。なにもかもが無駄になった。
 敵がこれでは。
 志馬は胸を膨らませ、はちきれんばかりになった、激情のはけ口を痛烈に求めた。
「――志馬、帰ろうよ」
 手の目が袖を引いてくる。
 志馬は首を振った。そして叫んだ。
「紙島ァッ!! いるんだろうが、出てきやがれ――俺はあんたに用がある」
「断っておくけど」
 ほんの一瞬きの間に、牛頭天王のそばに黒い巫女服に身を包んだ紙島詩織が立っていた。競神に出たときのまま、青い袴に白いロシア帽をかぶり、セミロングの茶色い髪がほつれて鋭い眼光をかすめていた。
「いま、ここに来たばかりよ。でなかったら、あんたたちをここに入れたりはしなかった」
 詩織は軽蔑のまなざしを、赤いブレザーを着た鬼と盲目の少女に注いだ。
「殺しても殺しても、あんたたちみたいな毒虫は湧いて来る――どうしてだろうね? あたしがなにかしたのかな」
「少なくとも罪人ではあるだろ? ――手の目、悪い、連れてきてなんだが帰っていいぜ。ここからはオトナの話をするから」
「え――でも」
「おまえはイカサマしていなくてもしてるって決め付けられるから大変だろうが、サイコロはおまえの味方だよ――チンチロリンでもやってきな。さあ、いけ。いってくれ」
「――うん」
 手の目は軽く開いた掌から志馬を一瞥して、おとなしく小走りに去っていった。
 それを首だけで振り返り見送りながら、志馬が呟いた。
「貴様らのふがいなさのせいで、俺は恥をかいたぜ。どうしてくれるんだ」
「どうもしない。でもお礼を言っておくよ、赤いの。手の目は傷つけたくなかった。これであたしは、あんたを消すだけで済む――」
 詩織の指先が、ぱんぱんになった腰のデッキホルダーに伸びる。留め金をパチンと外して、一枚の札を長い指でつまむ。志馬はその一挙一動を視界の端で捕捉していた。
 向き直り、
「へええ、幽霊を殺すのか。殺せるかな」
「あんたはもう鬼と化してる。どうして平然としていられるのか知らないけど――陰陽師の仕事はあんたみたいな未練がましいのをラクにしてやることでもあるからね。今日の無礼は、あんたの完全な滅亡でチャラにしてあげよう」
「じゃあおまえの仕事はちょっと大変だな。こいつの始末もしなけりゃならないんだから」

 志馬が親指で指したのは、
 蹲ったまま低く唸り続ける牛頭天王。

「なあ、いくら飛んでいった首が見つからなかったって言ったって――牛の首はないよなあ?」
 詩織の頬が見えない釣り針に引っかかったように震えた。
「いやはやどうやらアタリのようだな? 俺はいつも思うんだ。人の心を読むのは実はそれほど難しくない――」歌うように志馬は言う。
「ましてや、必死になっているやつの心なら。なあ? イカサマしたとしか思えない勝ち方ばかりする、だが無罪放免の天才ジョッキー? あるいは、幼馴染に自殺されてひとりぼっちになっちゃった他人には視えないものが視えてしまう社会不適合者? それとも――」
 くくっと笑って、

「――デブ専とか?」

 詩織がとうとうキレた。
 札を色が滲む速度で引き抜いて宙に投げ――しかしそれが宙に打ちつけられる前に、大きく一歩踏み込んだ志馬の手刀がそれを払い落としていた。
「なっ……」
「これが式札の弱点だな。至近距離なら直接相手にぶつけることもできるが、この距離から詰められたら効果発動前に打ち落とされる」
「このっ……!」
「まあ聞けよ」志馬は両手を挙げる。
「俺は摘発しようと言ってるわけでもない。ましてや脅すつもりもないんだ」
「あたしは、なにも責められるようなことはしてない」
「へええ? 俺の話を聞いていらっしゃらなかったというわけだ。俺はこう言ったつもりなんだがな、つまり、おまえは死者を蘇らせようとしたんだろ――って?」
 詩織から殺気がすうっと引いていった。
「だったらどうするの? 摘発はしないんでしょう。言っておくけど、あたしは失敗した。そうよ、彼が首藤星彦」
 詩織は腹に手を突っ込まれたような顔をして、震え続ける牛頭天王を見つめた。
「あたしは失敗した――失敗してしまった。だから、最初に言っておく」

「あんたを生き返らせることはできない」

「――化け物になる手伝いなら、してあげられるけど、それはどうも間に合ってるみたいね」
 失礼なやつめ、と志馬は角をひっかいた。
「それはともかく。死者蘇生か――やっぱあれか、大先生の秘術を使ったのか」
「そう」詩織はふらりとよろけた。
「あたしはやった。泰山府君祭――かつて安倍晴明が執り行い、そして封印した、死者蘇生の祭儀を。どうやったと思う? あの失われた祭儀の再現を、後ろ盾のないあたしがどうやったのか?」
「俺も陰陽術はかじっているが、おそらく、俺があんたなら晴明御大の逸話から取っ掛かりにするね。たとえば――雷獣を空に放逐した、とかの話なんか興味深いね」
 詩織は頷いた。
「そう、あたしもそれに着目した。残存してる記録によれば、安倍晴明が泰山府君祭を執り行ったといわれている年代は、雷獣追放伝説の頃の彼よりも、若い頃の逸話だった。そこから逆算して、雷獣さえいれば、道は開けるかもしれないと思った」
「だがあれは幻の獣だったはずだ。どうやって手に入れた?」
「釣った」詩織はさらっと答えた。
「猫の姿で描かれることが多かった雷獣――天上にいるなら、誘き寄せて大地まで引きずりおろせばいい。それであたしは、五ヶ月前、雷獣を一匹手に入れた」
 五ヶ月前か、と志馬は口の中で呟いた。サンズが店を構える前の話だ。
「符号することはたくさんあった――陰陽術で使われる記号セーマンドーマン(五芒星)は、本当は六芒星だったっていう迷信もあったし、十二支に猫はいないけど、もし十三番目があるならそれは猫だったに違いない。猫には、この光と闇を混ぜ合わせる陰陽の魔術体系において、『異端』のサインが色濃く現れていた。そしてそれは『禁忌』でもあった……」
 詩織は顔を両手で覆った。肩を震わせて、
「あたしは失敗してはいけなかった……! たった一度のチャンスを、あたしがかき集めた魂貨で繋ぎとめていた星彦の時間が欠けていたと言っても、一か八かに賭けるべきじゃなかった……! 後になって、彼がこんなになってから、六行目の『雷』の理を解き明かそうとする始末……。いまさら、『雷』が『速度』を司っているだなんてわかったところで、競神を勝てるようになったって、なんの慰めにもなりはしない! あたしが欲しかった勝利も栄光も別のもの……。ああ、この世に一か八かなんて言葉がなかったら、あたしはもっと慎重だったかもしれない。博打なんてものをこの世に生み出したのは誰? ねえ、誰っ!? あたしはそいつを見つけたら六道輪廻の向こうまで蹴落としたって満足できない……」
 詩織はカッと指の間から目を見開いて、ぎょろっとした目で志馬を見た。
「そう、ギャンブルなんてものがあるから星彦は死んだの」
「へええ」話したいなら聞いてやろう、と志馬は腕を組んだ。女が総じてカモなのは、わかってほしいと思っているからだ。ならそれを利用しつくさない手はない。
「ギャンブルが首藤を殺したっていうのか? まあ負けて借金苦に自殺ってのはよくある話だな」
「借金……? 違う、何言ってるの、星彦はそんなことしなかった。ただ、彼は、彼はあっ……!」
 しくしくと泣き出す詩織。志馬はなんとも言わない。放っておけばどうせまたしゃべりだすのだ。喋りたいんだから。
 案の定、そうなった。
「門倉」
 すすり泣きがぴたりと止んだ。
「そう、星彦は門倉に会ったのよ。あの、どうしようもない、人間の屑に」
「…………」
「男の人って馬鹿よね……どうでもいいことに価値を見出すんだもの。ついていけない……いけなかった。星彦はね、勝ち続けるあの馬鹿を見て思ってしまったのよ」
 ああなりたい。
 って。
 詩織は細い嘆きの声を引き伸ばして、髪をかきむしった。ロシア帽が落ちて、ほつれた茶髪が乱れに乱れる。
「ああ、どうして、あんなどうしようもない、いつか手痛く負けて後悔するだけのくだらないお金遊びに負けないことに惹かれるの!? 星彦には未来があったのに……それは勝ち負けなんてその場限りのものじゃない、優しくて大切な、約束された時間だったのに……ああ、そこにあたしがいなくてもあたしはよかった。彼が幸せなら、その幸せの余熱だけでもあたしは……充分だったのにっ!」
「…………」
「星彦は変わってしまった……門倉にもあたしにも言わずに、ギャンブルに耽るようになってしまった。一度、博打をするたびに、彼はどんどん、やつれていった。なにかに精気を吸われているように……ほんとう、あの頃の星彦は、あたしが呪うよりもよっぽどひどい有様になってた。ふふっ」
 だらん、と両腕を力なく垂らして、
「門倉……あいつが悪いのよ。あいつがぜんぶいけないの。あいつの愚かさが、あいつのくだらなさが、そして、あいつのしぶとさが、すべていけないの。あいつは生まれてきただけで、そこにいるだけで罪悪だったのよ」
「原罪、ね」
 志馬の呟きを無視し、痙攣するように詩織は笑って、言った。
「だから殺してやったのよ。あたしのカレを壊したアイツを」
 そう、あの桜吹雪は。
 魔術のサクラに使えるほどに、魔的に散って吹雪いていたから。
「なのに……やっと地獄に叩き落せてやれたのに」
「…………」
「あいつはまだ消えてくれない……ねえ、教えて。あいつは消えたの? もうどこかで妖怪の胃袋におさまってくれているの? あたしは不安で不安で仕方ない……あいつの消えるのをこの目で見るまでは」
「消えてないよ」志馬は腕組みをほどいた。
「やつはまだいる、このあの世のどっかに。……ふう、これでやっと本題に入れそうだな」
「本題……?」
「紙島。俺を雇わないか?」
「え?」
 志馬は両手を広げた。
「俺はおまえの嫌いなギャンブラーってやつだ。勝負ってやつが収縮と解放であることを知ってる。だからこそ、俺はやつの首を獲れる。同類相食むというやつだ」
 ぴっと指を二本立てて、
「俺の要求はたった二つだけ。ひとつは、俺に式神を操るすべを教えてくれること。ちょっと手綱を握れるようになっておかないと斬られちゃうかもしれないんでな。そしてもうひとつは、あんたがこれからも競神で勝ち続けること――」
「――星彦には魂貨がいる。それを稼ぐために、あたしは勝つ。たとえ決して負けないと知っていても。でも、どうして?」
「なに、心配するな。悪い話じゃない。ひょっとするとあんたが門倉に手を下せるかもって話さ。――俺はやつと次に勝負するとき、競神の当てっ子をしようと持ちかける。あんたが出るレースでだ。俺はあんたに賭ける。それで終わりだ、やつは消える」
「門倉を――あたしが」
「ああ、あんたが」
 志馬は稲妻煙草を一本取り出して、ジッポで火を点けて深々と吸った。紫煙の代わりに紫電がぱちぱちと弾けた。
「お互い、やつを越えなきゃ前へ進めないらしい。あんたは因縁の始末、俺は新しい人生の始まりのために、どうしてもやつにいてもらっちゃ困るんだな。可哀想だが――いや、そうでもないか? 誰にも救ってもらえないなら、てめえで道を切り拓くだけのこと――たとえ下衆以下の獣道でも、夢のためなら――俺と相乗り、してみる?」
 詩織は透明なまなざしで名前も知らない鬼を見つめた。
「ひとつ、条件があるわ」
「なんなりと仰せになってくれ」
 おどける志馬に、詩織は吐き捨てるように言葉をぶつけた。
「その道化ぶった話ぶりはやめて。殺したくなる」
「そいつは失敬。ま、仲良くやろうぜ、兄妹」
 詩織は実に嫌そうな顔をして、落ちていたロシア帽をかぶり直した。





(つづく)

       

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Neetsha