Neetel Inside ニートノベル
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 いづると業斗はカウンターから離れた円卓に腰を降ろした。よくよく見れば店内は中華料理屋のような内装をしている。あちこちに雷印が描かれていて、二人がついた円卓も真っ白なテーブルクロスが敷かれ、満漢全席が乗っていたが、残念ながら模型だった。くるくるしかできないのが少しさみしい。
 なんだかギョウザのひとつでも頼みたくなってきたが、いまカウンターはそれどころではないらしい。またノイズ混じりにぼそぼそやりだしたラジオにみんなが食い入るように身を乗り出している。末席にはいつの間にか雪女郎まで加わっていた。
「なにやってんだ、あれ」と業斗。
「競神。あの笑ってるへんなやつがドリンクやってんだよ」といづる。
「ドリンクってなに?」
「ドリンクっていうのは、競馬とか競輪で、主催者を介さないでやる博打のこと。馬券を買うと当てても控除率で25%取られるだろ?」
「知らんわ」
「取られるんだよ。でもそれを誰かの仕切りでやればさ、控除率は自由に設定できるわけ。10%でも、5%でも。その方が得でしょ、賭ける方も受ける方も。それがドリンク」
「へえ……」
 頬杖を突いて、傍目からするとビンゴにでも興じているかのように和気藹々としている連中を業斗は見やって、
「意味わかんねー……楽しいのか? あんなん」
「楽しそうではあるよね」
「おまえだってやってただろーが。他人事みたいに言いやがって」
「な、なんで怒ってるの?」
「怒ってねーよ。怒ってねーけど面白くないからむかつく」
「じゃあ怒ってんじゃん……。まァ、やってみればわかるんじゃないかな」
「その手は食わねえよ」業斗は頬杖をやめて、背筋を伸ばした。
「そうやって俺の魂貨をむしろうって言うんだろ? 俺はやんない」
「信用ないなあ」今度はいづるが頬杖を突いた。
「そんなことしないって。第一さ、レースものってのはポーカーや麻雀と違って僕ら同士の取りっこじゃないんだから、どうむしるのさ?」
「俺が負ければ、同じだろ。俺の残高が減れば、おまえの有利になる」
「どうして負けるってわかるの?」
 間髪いれずに業斗は答えた。
「俺が知るかっ!」
 いっそ清々しくさえあった。こう言われてしまえば地獄に引っ張り用もないが、いづるはそれでも少し粘ってみた。
「……でもさあ、きみの兄貴だって出てるんだし、賭けてみたら? 記念にさ」
「賭けねえって。なんで負けるとわかってるのにやるんだよ、アホくさい」
「ははは、面白い」
「なにが」
「兄貴と同じこと言ってるよ」
「――兄貴って、どっちの」
「どっちがいい? お望みの方の話ででっち上げてあげるよ」
「ふざけてんのか?」
「いや。ムカついた? ごめんね、どうも僕はまじめにやってるつもりなんだけど、人からはそう思われないらしくってさ」
「当たり前だ」
「悪かったって。――光明の方だよ。どっちが上なんだっけ? まァいいや。僕もね、あんまり競神は興味ないんだ。他人の人生にタダ乗りしてるみたいで気分が悪い」
「あ、俺が言いたいのもそれ」
「気が合うね。じゃああっちの方もムカつくんじゃない?」
「どれ?」
「守銭奴」
 一瞬沈黙が下りた。気にせずいづるは続ける。
「腕四本」
「――だからなんだよ。使うって言ったろ」
「うん、なんかすごい大袈裟に格好つけて言われ――ごめん、もう言わない。でもさ、僕としては、やっぱりフェアに――」
「フェア?」
 業斗はやれやれと首を振り、
「おまえが言うな、ギャンブル狂い」
「ギャンブル狂いだと、フェアなんて言葉は使っちゃいけないのかな?」
「そうだよ。おまえらはロクデナシの嘘吐きだって相場が決まってるんだ。下衆のやることだな。負けるのは馬鹿だし、勝つのは詐欺だ。どっちに転ぼうが、いない方がマシだな。――どうした? 怒れよ」
「ん? ああ、ごめん。ぼうっとしてた。いや、どうも、きちんとした人は僕のことが嫌いになるみたいだね。でも、だからといって、ゴーくん」
「その呼び方はやめろ」
「ゴーくん」いづるは譲らなかった。
「それでも、君は卑怯なことをしてる。それはわかってるんだろ?」
 わかっていた。業斗の胸にチクリと痛みが差す。わかっている。だが、
「それでも俺は負けられない。夢があるから」
「夢……」
 いづるは呟き、そして、ギリギリの間合いで弾かれかねない問いを放った。
「――どんな?」
 業斗は黙っていた。その場で席を立たれてしまえば終わりだった。人知れずいづるは生唾を飲み込んだ。追撃するべきか迷った。だが、抑えた。会話が途絶えた。カウンターでまた誰かが勢い余ってラジオをカウンターに叩きつけ始めたが、その音も、騒ぎも、どこか遠くから聞こえて来るようだった。
 業斗が席を立った。そのまま振り向きかけた時、置き土産のように、呟きが聞こえた。
「――なりたかったんだよ」
 カラララン。
 閉まった扉で鈴が揺れている。いづるがそのままぼんやり座っていると、対面に今度は蟻塚が座った。いづるが何か言おうと喉を動かしかけると、さっと指を立てて、
「まだ女がいる」
 見ると、カウンターではすっかり相棒がいなくなったことにも気づかず、スツールに体育座りしたキャス子とおべっかのレパートリーがまったく尽きる気配のないドリンク屋と死相が表れ始めた河童に囲まれて、雪女郎が今度はチンチロリンに興じていた。サイコロがチロリンと鳴るたびに四人から悲喜こもごもの嬌声があがった。
 混ざりたくなってきた。
「おい門倉、ぼさっとするなよ」
「サー、ボス」
「――で、どうだ。盗めたのか?」
「いや?」
 いづるはどこか嬉しそうに言った。
「ガードがカタいカタい。あわよくば両替してやろうと思ってたんだけど、さすがに生きてた頃は喧嘩三昧だっただけはあるね。財布もやれなかった。何度か注意は逸らせたんだけど」
「どうするんだ。財布を盗めない相手には勝てない――おまえ確か、私に勝った後に言ったよな」
「言ったね」
 いづるはもうだいぶ長いこと、真の守銭奴になるために『スリ』に励んでいた。妖怪にしろ死人にしろ、いつも自分の身体から魂貨を引っぺがすのは気分的にあまりよろしくない(キャス子いわく、口座から直に引き落としてるみたいでなんか嫌)ので、財布に当面使う分の魂貨を突っ込んでおくことが多い。いづるはこの地下闘技場をふらふらしながら、それを気づかれないうちにスった。座っている妖怪の袖を引き裂いて頂戴し、すれ違いざまに軽くぶつかった時にはもう手の中に財布を収め、いまではもうぶつかる必要もなかった。手の届く範囲以内に財布が入ってくれば、相手の無意識の警戒心の濃淡からどこに財布があるか、どれくらいの額かさえわかる。財布を二つに分割していようが、首から鎖で下げられていようが、いづるはスれる。スれないのは靴の底のはした金だけ。それもいつか盗ろうと思っている。
 まったくもって、不名誉な才能だと自分でも思う。だが、おかげで今日まで誰かの肥やしにならずに済んでいる。
「ヅっくんにはああ言ったけど、でも僕だって弱いものいじめをやってきたわけじゃない。勝てると言ったって負けるかもしれなかったし、負けると思ってても勝ったことだってある。やってもいないうちから諦めるつもりはないよ」
「ヅっくんって言うな」
「……。みんなひどい。ぜんぶ僕が一生懸命考えたあだ名なのに」
「あのなあ門倉? そういうのは慣れてからつけるものだろう。おまえ初っ端につけるからみんな何事かと思うんだよ。ぶっちゃけると宗教の勧誘なのかなくらいに思われても仕方ないと思うぞ」
「あー今日いちばん傷ついたー。ヅっくんの言葉が僕の心を傷つけたー。いーけないんだーいけないんだーせーんせーに言って」やる前にいづると蟻塚は、円卓のそばに死装束の少女が青白い顔をして立っているのに気づいた。
「……………………」
 少女は無言でいづるを睨みつけた。蟻塚がこっそり椅子を引いてその視界から逃走を図る。いづるは金縛りにあったように動けない。
「ええと……なにか?」
 いまの話を聞かれていたのだろうか? 少女と業斗の関係は知らないが、連れをやっつける算段をしている連中を見たら、やはり気分は悪いだろう。
(氷漬かな……やっぱり……)と覚悟を決める。
「いづる殿」
「な、なんでしょう」
 少女は、黙って頭を下げた。
「――業の字を、よろしくお願いします」
 そう言って、少女もまた鈴の音を残して、去っていった。扉が閉まる時、忘れ形見のように冷気の細い筋が幾本かその場で揺らめいていた。
 呆気に取られた蟻塚は、椅子をずっていっていづるに顔を寄せる。
「なんだったんだ、いまの」
 いづるはそれには答えず、ちょっと仮面を顔から外した。久々の裸眼で、二人が出て行ったドアを睨む。
「――買いかぶりすぎだ。後悔しても知らないからな」

       

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