Neetel Inside ニートノベル
表紙

あの世横丁ぎゃんぶる稀譚
16-01.マヨイガ

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 縫えと来た。
 キャス子は読んでいた月刊誌――競神専門誌『幽駿』の七月号――から顔を上げて、畏まって布切れを差し出している、まるで再三言われていたにも関わらずトイレにいくのをサボっておねしょの憂き目に遭ってしまった子供のような門倉いづるのつむじを見た。つむじはなにも言わない。これは一見すると全面降伏しているようではあったが、その実、このつむじは絶対に自分の言う通りにさせると断固として決意しているつむじであった。
 ふてえ野郎である。
「門倉、あんたちょっと勘違いしているらしいね」
「と、言いますと」
「あたしは確かにあんたをここに連れ込んだ張本人で、もちろんその分の手当てももらったし、あんたが勝てば勝つほど美味しい目を見てはいる。それは認める。でもその代わりにセコンドになってあげて、こんな風にひとりぼっちのあんたが寂しくって二度三度と死んだりしないように会いに来てあげて、あんたの部屋で雑誌まで読んであげてる」
 ひとり用ソファ(いづるに買わせた)の上に畳んで乗せているはだしをパタパタさせて、
「そのあたしに、この優しくて思いやりがあってとても可愛いこのあたしに、まだ何かしろと?」
「そりゃあもちろん」いづるは背筋を伸ばしてつむじを引っ込めて、
「きみが会いに来てくれるのは嬉しい。嬉しすぎて涙が出る。勝手に僕の霊安室の壁紙を張り替えたり、きみのモノしか入ってない箪笥を運び入れたり、通販で52インチの液晶テレビ注文したり」
「あんただって見てるでしょ?」
「いや、見てるけど、魂(かね)出したの僕だし……だから、そう、いや違う。そうじゃなくってさ、キャス子、僕はただ、きみがどれぐらい『お嬢様』なのか疑問になってきたんだ。突然だけど」
 仮面越しにでもわかる。キャス子の目つきが猛禽じみた。いづるはごくりと生唾を飲み込む。ここで退いたら――やりたくもない裁縫仕事が待っている。それは絶対にご免こうむる。いまだけはアンチ・フェミニスト。もともと持っていた男女平等主義の天秤を、ほんの少しだけ自分の方に傾ける。
 勇気を振り絞って言った。
「キャス子、生きてた頃は自分は深窓の令嬢で、華やかな外国の社交界にも顔が利いて、ドレスのスカートの裾を持ち上げてくれた従者が常に三人はくだらなかったとか言ってるけど――でもそれって結局成金だったってことじゃ」
 言い切る前に『幽駿』がハゲタカのように吹っ飛んできた。頭を下げてかわす。まったく表情の見えない相手の白仮面がかえって底知れぬ憤怒をうかがわせた。だが退かない。でなければ自分の指にマントを縫いつけることになる。
「――成金、だったんじゃないってことを、証明して欲しい。だってそうだろ? 僕の性格はご存知の通り矯正不能、言葉や詭弁じゃテコでも動かないんだから、そうなったらきみの能力を実践してもらうほかにない。ね? これはむしろ二人の未来のためなんだよ」
「二人の未来のために」キャス子の声はすっかり一巡して優しげでさえあった。
「あたしに、あんたの、雑用をやれと?」
「雑用? とんでもない。適材適所というやつだよ。僕は裁縫ができない――そしてキャス子は自分がお嬢様であることを証明したい。となれば、きみが裁縫してくれれば、僕のためにこの『マント』に相応しい刺繍をしてくれればだ、僕はもちろんきみを天下無敵のどこに出しても返品されるわけもない出戻り確率ほんのちょっとのお嬢様だと認めざるを得ない。そう、すべてはきみを信じたいがために、ってことで――」
 長口舌した挙句に、いづるはまた腰を折って握り締めた白布を差し出し、深々とつむじを晒した。
 しゃにむに頭頂部を見せればいいってものじゃない。
 だが、確かに、いづるにこういったちまちましたことは向いていないだろう。キャス子も伊達にセコンド役をこの三ヶ月近くやってきたわけではない。わかっている。いづるがとんでもない不器用だということくらいは。
 なにもできないわけではない。自転車には乗れる。箸も、持ち方はなにか恨みでもあるのかと思うほどに異常だが、一応ものを食べるには事足りている。
 だが、鶴が折れない。
 食べこぼしが冒涜的にひどい。
 定規が使えない。
 かと思えば、スリ師としての才覚を発芽させたり、麻雀を打たせれば誰よりも早くヤマを積んでいたりもする。まるきり不器用なわけでもない。キャス子はそばで見ていて――ずっと見ていて――その法則性をすでに掌握していた。
 一、興味のある分野では恐ろしいほどの集中力を発揮する。
 二、できることとできないことがはっきりと分かれていて、極限的に向いていないことはいくらやっても上達しない。
 つまり――とんでもないわがまま。
 この王様気質をどうにかしないといずれ取り返しのつかない駄目人間になってしまうだろう。ほっぺについた米を嫁に取ってもらわないと顔を洗うまでそのまんまでは洒落にならない。正直引く。
 だが。
 いま、切羽詰っているのもまた事実――
 キャス子は差し出された白布を、腕を組んで見下ろしながら思う。事情が事情、確かにそれはそう――この『マント』の使い道はすでにいづるから聞いている。べつにいまさら剣と魔法と王国の世界観に優勝候補の『餓鬼』門倉いづるが憧れ始めたわけでは決してなく、それがあの四本腕の業斗と魂の削り合いをする際に使う『隠し玉』のひとつだということも、わかっている――
 だからといって、甘やかすべきなのか、どうか?
 いまここで「はいはい」と受け取ってあげるのが、この子にとって、いいことなのだろうか――キャス子が悩んでいるのはそれだった。刺繍ぐらいできるのだ。それは、もちろん。確かに少し、忘れているかもしれないし、裁縫の本をどこかの屋台で調達する必要もあるだろう。場合によるとミシンを買う破目になるかもしれない。だがそれはいづるに隠匿すればいいだけのこと。ミシンで縫おうが手で縫おうが縫えればいいのだ。とどのつまりは。
 べつにやったこともない刺繍にびびっているわけでは、決してない。
 これは、この迷いは、ひとりの少年がひとりの男に成長する途上に出くわした者として、どう対応すべきか、というとても立派な逡巡なのだ。
「――――門倉、あんたね、いつまでもそうやってやりたくないことを人に押しつけてばかりじゃ立派なおとなになれないよ?」
「いや、ならないし、おとな。死んでるし」
「うん、そりゃあまあ、そうだけど……」
「できないならできないって素直に言えばいいじゃん。何を照れてるのさ」
「照れてる? あたしが? はっ、ジョーダン、裁縫なんて三歳の頃からやってたっての」おままごとで。
「ただね、あたしは、あんたのためを思って――」
「ありがたいけどさ、でも僕は裁縫無理なんだって。これはもう自分でもわかってる。むかし、ミシンで爪打ちぬいたことがあってさ。針を見ると具合が悪くなるんだよ」
「そこはほら、ファイトと度胸でどうにかこうにか」
 はあ。
 思い切り深いため息をついて、いづるは白布を手の中でまとめた。
「わかった。じゃあ他の誰かに頼むよ」
「えっ?」
「反響(こだま)喰いがヒマそうにしてたし、ちょうどいいや、久々に話してくる」
 キャス子の脳裏に反響喰いの容姿の映像が炸裂するように広がった。確か一月ほど前にいづるが勝手に知り合いになっていた妖怪で、いつも露店通りの横道に挟まるように座っていて、人のざわめきが通路に反響するのを喰うおとなしい――
 女の子の、妖怪。
 そして、彼女はいつも、守銭を中継しているテレビを荷台に積んだリヤカーのそばにいて――
 キャス子はハッと我に返った。
 手の中の白布を顔の前にかざす。白布は確かにそこにあった。
 開きかけた扉を抱くようにして、いづるが顔を出していた。
「ありがとう、キャス子。引き受けてくれて嬉しいよ。それじゃ、よろしく頼む。僕はこれから一稼ぎしてくるから。あ、なんかほしいものある?」
「――いらないうるさいどっかいけ!」
 キャス子が睨みつけると、うひゃあといづるは一人で騒いで出て行った。その足音がどんどん遠くなっていくのを全身で聞きながら、キャス子はゴン、と後頭部を壁にぶつけた。痛みが自分の声になって頭蓋の中を駆け巡る。バカなにやってんの結局引き受けちゃったじゃん。うるさい。うるさいじゃないよ針なんか自分じゃ持ったこともないくせにどうすんの? チューリップのワッペン貼りつけてドヤ顔したってしょうがないんだからねうるさいわかってるわかってるから黙れ。
 そう。
 わかってた。
 白布をぎゅっと握り締めて、頭上で殺菌できそうな白い光を振り撒いている蛍光灯を見上げる。
 笑えてきた。
「ほんっと……どうしようもないなぁ」
 ゴンゴン、と後頭部で壁を打って、思う。




 ――どうせ勝てやしないのに。

       

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