Neetel Inside ニートノベル
表紙

あの世横丁ぎゃんぶる稀譚
02.どくろ亭

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 ○

「――で、こいつ、どうしてやろうか。腹ひらきがいいかな? 背ひらきがいいかな? それともナ・マ・ス?」
 飛縁魔は突きつけた匕首の刃先で、つんつんと河童の喉元に細かな傷をやたらとつけている。手加減を間違えればそのままスッパリいってしまうだろう。河童は気が気ではない。銀色の刃が動くたびに視線が執拗にその軌道を追いかけた。
「このオカッパ野郎――なめやがって!」
 剣呑な雰囲気にすっかり通りから妖怪たちの気配は消えている。周囲のバラックのなかから、コソコソと小さな囁き声と好奇の視線が漏れてくるばかりだ。正座をした河童は、緑色の肌に嫌な汗をかいて審判を待っている。いま、彼の命運は飛縁魔の掌の上でゆらゆら揺れていた。
「まァまァ姉さん。そう怒らなくてもいいじゃないか」
「さっきから思ってたけど誰が姉さんだよ?」
 いづるはそれには答えずに、
「いやァ河童さんはすごいんだよ。きみにはわかんないかもしんないけど。僕はね、イカサマをする人を尊敬してるんだ。バカじゃできないからね。だからナマスにするのはやめてあげようよ。あと僕に刃物を向けるのもやめようか。うん、どうやら僕が悪かったらしいね。ごめんよ。河童狙ってね。河童」
 目の前にちらついた刃先にいづるはもろ手を上げて降参した。他人を助けて自分が損するつもりは微塵もない。一瞬希望に眼を輝かせた河童が、やはり変わりそうもない自分の運命に、眼に涙を浮かべていた。
「た、頼むよ飛縁魔……助けて……」
 飛縁魔は答えずに、震える河童を後ろから抱きすくめる――ようにして、その首筋に逆手に持った匕首を構えた。河童はしきりに飛縁魔の名を呼んだが、彼女に聞く気はないようだった。全身から静かな見えない怒りを迸らせている。古今東西、お互い承知でイカサマをしあった詐欺師同士でない限り、不義に気づいたカモがペテン師を許してやった試しはない。
「わ、悪気はなかったんだ。俺も最近、きつくてさ……ちょ、ちょっと薄くなり始めてるのわかる? わかんない? もう自分の分まで魂が足りなくてさ」
「じゃ、もう悩まなくていいようにしてやる」
 せーの、と飛縁魔が匕首を振りかざした。河童はとうとう泣き始めた。
「待って待って待って待ってぇっ! に、兄ちゃん、なんとかしてくれよぅ、飛縁魔のツレだろう!?」
 僕? といづるは自分を指差した。
「さっきも言ったけど、僕は助けてあげたいんだ。でも無理だよ、姉さん沸騰しちゃってるもん」
「そんな、冷たいこと言わないでくれよ!」
「僕は自分から助けるのはいいけど、助けてって頼まれるとなんでかやる気なくすんだ。だから、ごめんね」
 話は終わりか、と飛縁魔が眼で尋ねてきたので、いづるは頷いた。飛縁魔はそれを見て、匕首を持った手を伸ばした。それが魚のように翻ったとき、河童に致命的な傷ができるだろう。その未来は、なによりも当人の脳裏にありありと浮かんだ。
 河童が子犬のように呻き、身をすくませた。
 匕首を手放し、身を翻らせた飛縁魔の腰の入った一発が河童の横顔に決まった。いい音を立てて河童はどうッと背後の小屋の壁をぶち破って、倒れこみ、中からきゃあきゃあと小さなコロポックルたちが喚きたてる声がした。できたての穴からぐったりと垂れた河童の足が、ときたまぴくぴくと痙攣した。
 紫煙を立ち昇らせる発砲したての拳銃にするように、飛縁魔は自分の拳に息を吹いた。そこまではよかったのだが、痛かったのか、手首をぷらぷらさせ始めてなにもかも台無しになった。
「いってェいってェ。掌底かビンタにしとけばよかったぜ」
 照れくさそうに笑う飛縁魔を見て、いづるは仮面の下で、眼を細めた。
 その笑顔は眩しすぎて、まともに眼も開けていられはしないのだ。



 ○



 飛縁魔に腕を引かれて、いづるは、『どくろ亭』ののれんをくぐった。飛縁魔の話では軽食屋だという。店の中は多種多様な妖怪たちで賑わっていた。グラスでビールを飲んでいる猿の妖怪、狒々を始めとして、どちらかといえば陽気な妖怪たちが集まる店らしい。辛気臭くもなければおどろおどろしくもない。ちょっと見た感じでは、気合の入った仮装パーティに紛れ込んだようなものだ。
 飛縁魔は「ごめんよごめんよ」と妖垣(あやかしがき)をかき分けて、カウンター席にいづるを引っ張り上げた。
「すごいね、大繁盛だ」
「ここはメシ出てくるの早いんだよ。なァおやじ?」
 服のシワを伸ばし終えたいづるが面をあげると、ハチマキを巻いた白骨死体が腕組みをして、鐘のようにでかい鍋でぐつぐつしているスープを睨んでいた。肉はないが骨太である。枯れ木というよりはバットのような白い骨は崩れもせずに人型を保っている。
 白骨死体がこっちを見た。いづるは反射的になぜか背筋を伸ばした。
「飛縁魔の姉御か。ウチに来るってこたァ勝ったかい」
「ふっふっふ。常勝無敗とはあたしのことよ。脳漿ラーメンふたつ。あと茶な茶」
「よく言うぜ」と白骨死体は鍋に注意を戻しかけ、見慣れないブレザーがちょこんと座っていることに気づいた。
「兄さん、死人かい」
「らしいね」
「ここに来た連中はだいたい震えておどおどしてるんだが、あんたしっかりしてるね」
「そうかな。でも、おじさんのことは見たことあるから」
 カタカタカタ、と白骨死体の顎が震えた。笑っているらしい。
「あんた桜高の生徒だろ?」
「知ってるの?」
「その制服、見たことあるよ。前にもあんたみたいなやつがウチに来たよ」
 のっぺらぼうは、一瞬、電池が切れたように動きをぴたりと止めた。
「――どれくらい前?」
「半年くらい前かな。なに、知り合い? どっちにしろ、とっくに両替されてるだろうけど」
 店主はおたまでスープをごりごりとかき混ぜた。なかに硬いものがいくつか混じっているらしい。
「俺もたまにあっちに遊んでいって、あんたみたいなのを捕まえてくるけど、あんたの声は聞いたことないな。どこで会ったかな?」
 いづるは自分の考えに集中していたので、うっかり返事をし忘れそうになった。先ほどまでの会話を反芻して、
「――えと、学校の理科準備室」
 カタカタカタ。
「たまにね、バカが標本壊したりするとさ、俺が頼まれて代理でいったりするんだよ。でも、あんな薬臭いところはもうゴメンだね。いまはまだマシだけど昔のガキはひどかったよ。標本にアンモニア嗅がせてどうしようって言うんだろうね。おかげであれから鼻が利かないよ」
 冗談のつもりだったのに話が通じてしまって、いづるはどうしようかと思ったが、ドクロ店主はそれきり鍋にかかりきりになってしまった。
 飛縁魔と肩を並べて、脳漿ラーメンとやらができるのを待つ。仮面というのは便利だ。どこを見ても怒られない。いづるは改めて飛縁魔の顔をまじまじと見つめた。黙って俯いているととてつもない美少女である。青ざめた肌に妖しい光を宿した双眸。許されるなら、頭を何発か殴ってもっとバカにして大人しくさせてから、部屋にずっと飾っておきたい。
 飛縁魔は、カウンター下の雑誌置きからジャンプを取り出してパラパラめくった。そのめくり方がどうも不自然だったので、飛縁魔が横から注がれる視線を居心地悪く思っていることが判明した。けれどどうしてか、飛縁魔は文句も言わずにそわそわとあっちの漫画を読んだりこっちの漫画を読んだりしているのだった。何度も座りなおしたり髪の毛を梳ったりしている。
 とうとう聞いた。
「どうしたの?」
「は?」
「落ち着きがないけど。あ、おなか痛いの? トイレいく? 正露丸あるよ」
 飛縁魔はなにか口でもごもご言ったが、背後から怒涛のごとく押し寄せてくる妖怪たちの喧騒にまぎれて何も聞こえてこなかった。いづるは何度も「なに?」と聞き返し、そのたびに飛縁魔は怒って早口にまくし立てるのだが、やっぱりその声も要領を得ないのだった。とうとうカウンターに丼がドンと置かれて、その件はうやむやになった。
「へいお待ち。脳漿二つね。980炎になります」
 飛縁魔ががま口財布から札を取り出し、端を千切ってカウンターのザルに放り込んだ。いづるからはザルの中は見えなかったが、紙片を投げ込んだはずのザルからはなぜか小銭のぶつかる音がして、それに気をとられているうちにいつの間にか、飛縁魔が千切った札の端は二枚の小銭になっていた。どうやら銀行に両替をお願いする必要は、ここではないらしい。
 飛縁魔が自分のどんぶりを手元に降ろし、いづるを横目に見やった。
「のびるぞ」
「え?」
「麺」
 いづるは自分も丼を手元に降ろして、中を覗き込んだ。ふつうのラーメンである。太めのコシが強そうな麺が、軽油のような色をしたスープにぎっしりと詰まっている。代わっている点といえば、ところてんみたいな灰色のゼリーが浮いているところと、卵があるはずの位置に小さなドクロが麺に半分埋まっているところくらいだ。美味しそうである。
 けれどいづるはすぐ割り箸に手を伸ばさなかった。飛縁魔はますます怪訝そうに、いづるを小突いて、自分だけはとっとと麺をすすり始めた。
「ふぁひまっふぇんふぁお?」
「猫舌なんだ」
 いづるは肩をすくめた。
「ちょっと冷めないと食べられない」
 飛縁魔は眼を丸くした。けれどモノが口にあるうちは喋れない。口いっぱいにほおばった麺と灰色ゼリーを咀嚼し終えるのを、いづるは辛抱強く待った。
 ごっくん。
 なっさけねー。
「そんなこと言ったって」
 飛縁魔は身をこちらによじって、
「熱いと思うから熱いんだよ。オラ、口あけろ」
「あ、ちょ」
 手甲をはめた手が伸びてきて、いづるの仮面を少しだけずらした。口元と鼻先だけが露にされる。ちょうどいい量の麺を箸で挟んで二、三度上下させ、飛縁魔はいづるの口元に箸を近づけた。
「へーきだって。心配すんなよ、火傷なんかしないって。もう死んでんだし」
 いづるは必死に麺から顔を背けた。
「い、いいからきみは勝手に食べててくれよ! いつ食べようと僕の自由だろ!」
「見られながら喰えるかっ! ほれ、あーんしろ、あーん」
「やめろってば、ちょ、やーめーろーよーやーめーてーよー」
「うりゃ」
 ずぼっ、と麺の塊が口に押し込まれた。思わず一噛み。
 じゅわっと旨みが広がった。けれどその何倍も、


「あっづッ!!!!!!」


 反射的に首をのけぞらせ、かけていた丸椅子が傾いた。やばいと思ったときには重力の手がいづると飛縁魔の全身をがっしりと絡めとって、そのまま引きずりこんでいた。あッと二人の口から同時に声が出て、周りの妖怪たちを巻き込んで盛大に倒れこんだ。皿が割れて誰かが怒鳴って天井のカンテラが揺れていた。
 いづるは起き上がった。起き上がるときに、カウンターのすぐ後ろの卓の長椅子に頭をぶつけて呻く羽目になった。なぜこんなことに。やっぱり弁償だろうか。僕は絶対一文だって払わないぞ。
 ふらふら立ち上がるとすぐそばで飛縁魔が膝を抱えてウンウン唸っていた。倒れこんだ時にどこかにしこたまぶつけたらしい。いい気味だ。カウンターのスイングドアから眼窩の奥を怒りで赤く燃やしたガシャドクロ店長にボッコボコにされるといい。
 いづるは何の気なしに、振り向いて、
「ふん、ざまみろ」と毒づいた。
 振り向いた先の卓には女の子が一人ちょこんと座っていた。青い着物を着たその女の子は、金髪で、碧眼で、胸元は、ガラスの容器とそこから零れたアイスがべっとり。
 いまの毒づきは、さて少女に正しい意味で伝わっただろうか。
 ヤバイ。
 そう思ったところで逃げ場はない。
 わなわなと両拳を握り締めた女の子は、いづるを親の敵を見るように睨んだ。
「信っじらんない!!」
 僕もです。
 いづるはよっぽど言いたかったが、潤んだ女の子の眼がそんな弱音を許さなかった。いづるは両手をあげた。全面降伏するほかなかった。
 ようやくふらふら立ち上がった飛縁魔が、錆びたフライパンに脳天をガツンと一撃され、再びバタリと昏倒した。







 あの世横丁三番路地左手『どくろ亭』――年中無休、出前なし、茶のみ談義お断り。
 どんぐりアイス、130炎也。

     



 着物の汚れは、飛縁魔がハンカチで拭ってなんとか目立たないまでになったが、きちんと洗濯しなければ完全には落ちないだろう。影のようにしつこい染みを少女は何度もこすっては確かめていた。きっと大切な着物なのだろう。この世界観だと、ただひとつ人前に出るときに着れる一張羅だったのかも。
 弁償したアイスを少女の前に出したが、なかなか彼女は手をつけようとはしなかった。じいっと恨みがましい目がいづるをがっちり捉えて放してくれなかった。ずっと浴びていたら水ぶくれになりそうな視線である。
 少女は頭に鉄輪(かなわ)をかぶっていた。鉄輪というのは火鉢に置く五徳のことで、昔、男に裏切られた女性が牛の刻参りにかぶっていたというが、つまり、自分の脳みそはいまヤカン並に沸騰しているぞ、という意志表示なのだろう。
 いづるは平身低頭テーブルに仮面をあてて謝った。顔をあげたときには金髪の少女は、いづるなんぞには目もくれずにアイスをスプーンで穿り返していた。ガールズトークが始まって、テーブルに和気藹々とした雰囲気が戻ってくるのを、いづるとどくろ店長は複雑な眼差しで眺めた。
「飛縁魔さァ、オトコ侍らすならもっと背筋ぴしっとしたの選びなよ。なにこれ? しなびたナスか去勢されたネコみたいじゃん」
 どこから傷つけばいいんだろう。
「べつになんだっていいだろ、人間なんか。どうせ魂魄洗浄されてあたしのタネ銭になるんだからさ。もしくはガソリン」
「まーだギャンブルやってんの? 好きだねーオタクも。あ、わかった。アリスに献上するためにガンバってくれてるんでしょ。けなげー」
「おまえいっつもそーゆーけどさ、ちゃんと計ったら戦績おんなじくらいだよ
絶対。話盛るなよな」
「自分が勝ってる、って言わない謙虚さにアリスはシンソー心理に潜むきみの敗北感を読み取るわけですよ」
「うっ……」
「きゃはっ、当たった? ふふん、あたしの心眼も衰え知らずだなァ。あたしに逆らっちゃダメだよ飛縁魔? いい子にしてな?」
「おまえぜってー友達あたししかいないだろ……」
「ところで」
 アリスと呼ばれた少女はスプーンに残った溶けたアイスをぺろりとなめて、銀色のさじをいづるに向けた。
「もう反省した?」
「充分に……」
「ホント?」
 自分の悪口が目の前で女の子の間を応酬するのは、できたばかりだが真っ先に消えて欲しい記憶である。顔は見えなくても言葉通りその『心眼』で内心のダメージを読み取ったのか、アリスは頬杖をついて満足気にニヤついた。
「じゃ、許してあげるよ。よく聞いたら、声、ちょっとベルベットボイスだし?」
「こーのお調子モン……」
「姉さんもだろ?」
「あたしは……って、だからなんだよ姉さんって?」
 ガタッとアリスがティーセットごと三十センチ後方へずれた。さっきまで白かった綺麗な顔が青くなっている。
「うっわァ飛縁魔、ちょっとヒいたよ今。最近アタマの足りないバカがお兄ちゃーんとか呼ばれて喜ぶのは知ってたけど……ええ……? お姉ちゃん……?」
「喜んでないってッ! 違うったらッ! おい店長なに笑ってんだよ、カタカタうるせ――――よ!! おまえもなんとか言えよ、人間!」
「かくいう私もシスコンでね」
 ぶはァッとアリスが思い切り噴出した。机をバンバン叩いてゲラゲラ笑い始めた。涙まで流している。こちらの予想を超えてウケたらしい。
 いづるは身体を張ったネタを終え、天命が下るのを待った。飛縁魔はガタンと椅子から立ち上がった。耳まで真っ赤である。
「な、なにが面白いんだよ! ぜんッぜんつまんね――――っての!」
「ヒィ……ヒィ……」アリスは白い指で綺麗に涙をぬぐった。
「だ、だってぇ……こいつオモシロイんだもん……最近のやつにしてはノリいいじゃん」
 ふーと一息ついて、
「怒んな怒んな? こーゆーのは勢いとバカさ加減だって」
「なんであたしが諭されてんの!? あたしはまちがってないからな!!」
「ハイハイ。ピーターパンだってジョークのさじ加減くらい悟るもんよ。オッケィ? じゃ、座った座った。ほら、みんな見てるよ? 目立っちゃってハッズカシーね」
 釈然としねぇ、とぶつくさ言いながら飛縁魔は座った。ぷいっと横を向いて、会話に加わろうとしない。アリスは構わず、いづるの方へ身を乗り出してきた。
「ねえ、あんたさ、名前は?」
「忘れた」
「嘘つけー。確かにここにいると物忘れ烈しくなるけどねえ、自分の名前まですぐ忘れたりしないっつーの。このアリスさんをテンパらせるのは百年早いぞ、若人よ」
「じゃ、チャールズ・ラトウィッジ・ドジソン」
「へえ、素敵な名前! じゃあんた粉々になるまでロリコンおじさんって呼ぶね」
「タンマ」
 すったもんだした挙句、デザート後の紅茶を奢ることで、なんとかいづるはキチンと名乗る権利を得た。
 やってきた紅茶をふーふーして冷まし、アリスがカップ越しに聞いてきた。
「で、名前は? 若かりし日のロリコンおじさん」
「増えてるし……」
「いーからいーから。笑ったりしないって」
 金髪の少女の、歳に似合わない妖艶な笑みに引き出されるように、いづるは言った。
「――いづる。名字も聞きたい?」
「あー」
 アリスはスプーンの先を見つめて、
「いいや。その方が下の名前で呼ぶ口実になるしね。お? なんかアリスさん久々にハメられちったんじゃねコレ? おぬしやるのう」
「きみほどじゃないけどね。――飛縁魔、そろそろ機嫌、治したら? 僕らもなんか頼もうよ」
「うるせー……っていうかなに勝手に紅茶頼んでんだよ! つかここ紅茶なんか出んの!?」
 飛縁魔は腰をよじって、口に片手を当てて、
「似っ合わねぇ――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――ッ!!!」
 よく通る声で怒鳴って、それで自分の傾いた機嫌に決着をつけたようだった。厨房からはなんの返事もなかったが、よく耳を澄ませれば、店長の悲しげな骨鳴り音がするのだった。
「ちょっと紅茶よこせ」
 止める間もなく、飛縁魔はカップをアリスの手から奪い取って飲んだ。アリスが眼と口を丸くして飛び上がらんばかりに叫んだ。
「あっ! うっわ信じらンない! バッカじゃないの間接キスだよ!?」
「ガキだなー。やっぱガキだなー。思春期入りたては違うなー。口つけたとこなめてやろうか?」
「発想がオッサンだよ! もう最ッ低――――――――――――――――!」
「さすがのチャールズお兄さんもドン引きだ」
「ちょっ……ホントにやるわけねーだろ! お、いづるおま、こっち見るな! 視線わかんねーからなんか怖いんだよ!」
「やれやれ……ホントにあの世なのかって思うくらい、にぎやかだねェ、ホント」
 さっきまでの和やかなティータイムムードから急転直下のキャットファイト五秒前となったテーブルをいづるは必死になだめていたので、いつの間にかちゃっかり名前を把握されていたことには気づかなかった。
 のっぺらぼうは両者のカルシウム不足を熱烈に訴え、新たにミルクを三杯頼むことに成功した。
「冷たい牛乳はヤ」というアリスにまた飛縁魔が意地悪い笑みを浮かべてガキガキ言うので、「きみは冷たくたって砂糖なしだってヨユーだもんね?」と煽って、支払いの件が三人の口頭に上ることはなかった。テーブルの下で、アリスといづるの拳がガツンとぶつかった。もちろん、飛縁魔からは見えない角度で。
 陰謀が取り交わされていたとも知らず、飛縁魔は自分が初めて注射したときも泣かなかったし、一人でお留守番も三歳からできたことを得意気に喋りまくった。
 まさにカモの鑑である。

     



 三人のミルクが半分ほどになると、ドタバタ騒ぎで避難していた客たちが帰ってきて、どくろ亭は賑わいを取り戻しつつあった。ドクロ店長のつるりとした頭蓋骨もどことなく輝いているようだった。
「でも、あの世でも仕事ってするんだね。もっとノーテンキなイメージしてたよ」
「まあな」と飛縁魔。「大抵はおまえみたいな迷子をこっちに連れてきてやって魂を稼ぐんだけどな。仕事なんか物好きが暇つぶしにやってんだよ」
 アリスがケタケタと笑った。
「こないだアズキ洗いがスッテンテンになって『らとらーたー』で皿洗っててさァー。それギャグ? って聞いたら泣いちゃった」
「負けたやつに追い討ちかけないでおいてやってよ。可哀想じゃないか」
「知らないモン。他人事だし。アリス負けないモン」
「モンモンうっせーよピー助! 猫なで声出すなっての」
「なにを言うのかねこのヒル女は? やんのかァこらァ?」
 追加でモンブランが出てきてその口喧嘩は終息した。いづるはキッチンに首を振る。どくろ亭、もはや軽食屋というのは虚偽表示である。
「そういえばアリスってさ、仕事してないの?」
「ん? なんで? ギャンブラーっぽく見えない?」
 子どもに見える、とはさすがに言えず、
「いや、ばくち好きにしては落ち着いてるからさ。本職あるのかなって。普段はなにしてるの?」
「前は、笛吹いてたよ。でも吹けなくなっちゃった」
「え、どうして?」
 それに答えたのは後ろに座っていた白衣を着たカラス頭だった。
「牛頭天王だよ。あいつが来てからなにもかもおかしくなったんだ」
 そーそーと周りの妖怪たちが示し合わせたように首を振って同意した。どうやらその牛頭天王とやらはあまり評判のよろしくない妖怪らしい。
 いづるは腰をひねって背後を振り返った。
「なんなの、その牛頭天王って」と言ったところでアリスが喋り始め、今度は首だけそっちに向けたので、難解な芸術作品のようなポーズになってしまった。
「人間のいづるんには実感湧かないかもだけど」
 いづるん?
「妖怪だってコミュニケイションを取るわけで、リーダーも自然と発生するわけ。前は閻魔大王ってのがうちらのボスだったんだけどねぇ。いい時代は長く続かないよね」
 カラス頭が身を乗り出してきた。
「閻魔のおやじの前は鞍馬の爺様だったね。あの頃もひどかったけど今も相当キツイな」
「おやじは話わかるヤツだったからね。うちらの小金博打にも愛想よく付き合ってくれたし。おやじの札さばき、懐かしいなァ」
 完全に回想モードに入ってしまった一同の輪から、こっそりいづるは抜け出した。大勢のなかにいると息が詰まって仕方ない。なぜか無口にミルクをなめるように飲んでいる飛縁魔の腕を引っ張って、隅の方まで撤退した。飛縁魔は鬱陶しそうにいづるの手を振り払った。
「なに?」という飛縁魔の機嫌は、さっきからまた悪化し始めている。なにがスイッチかわからなかったので、対処のしようがなかった。
「閻魔だの鞍馬だの牛頭だのいろいろ出てきて混乱しちゃったよ」といづる。「もっとわかりやすく説明してくれ」
「べつにいいだろ。七日後にゃ消えるんだし」
「死ぬときも靴下は履いておきたいだろ?」
 飛縁魔は意味がよくわからなかったらしい。実はいづるにもよくわからないが、仮面の無表情さを借りて押し切った。
「なんとなくこのフラストレーションたまりまくりの雰囲気から察すると、なに、圧政でも敷かれてるの? 嘘だろ? あの世なのに」
「知るかよ。そっちがどうだか知らないけど、こっちじゃ強いヤツが幅ァ利かせるよ。そっちほどまどろっこしくないもん」
「なんか機嫌悪いね」
「気のせいだろ。ミルクが不味いんだよ」
 そういうくせに大事そうにすすっている。美味しくて飲み干すのが惜しいようにしか見えない。
 いづるは待った。妖怪垣の向こう、テーブルの上に立ったアリスが笛を吹く真似をして転がり落ちていた。
 そして、ミルクの入ったコップを置いて、「一ヶ月くらい前かな」と飛縁魔は口火を切った。
「入り口んところに、あいつは、牛頭天王はふらァっと立ってたんだって……」

     



 黒牛の頭を頂いた、六尺超の大男だった。分厚く寄り合わせられた綱のような筋肉に鎧われた身体を、さらに坊主が着るような袈裟装束が包んでいた。それもボロボロで、長い旅を超えてきたように汗と埃と油にまみれていた。先端にいくつかリングがついた太い杖を支えにして、男は横丁の入り口に立っていた。
 人間と同じように妖怪も、自分がどこから来たのか覚えていない。人間はそれを遡ろうとするけれど、妖怪はそんなこと気にしない。忘れてしまったことをいくら考えたって腹は少しも膨れないし退屈はますます強まるばかりだ。あにかの拍子に思い出すならそれでいいし、そうでなくたって別段構わない。
 だから、いつからその男がそこに立っていたのか誰も知らない。みんながそいつに気づいたときにはもう、揉め事が起こった後だった。

 ○

「おい」
 やめておけばいいのに猪笹王(いのざさおう)がちょっかいを出した。猪笹王は猪頭に人の身体をした、あの世では普通に見かけるタイプの妖怪だったけれど、その我の強さと手の速さは抜きん出ているものがあった。怒ると手がつけられないので、猪笹王と博打をしないと固く決めている者も多かった。
「なにしてんだ、てめー。そんなところでずーっと突っ立ってよ。電柱かコラ。ションベンひっかけられてーのか?」
 牛頭は何も言い返さなかった。ただ、緑色の瞳で、土煙が濛々と渦を巻く道の果てを見ていた。猪笹王がその肩を掴む。それにも抵抗するそぶりもなく、袈裟を引っ張られて筋骨隆々とした肩があらわになった。
 奇妙なことだが、そのとき周りにいた妖怪たちにとって、その牛頭に抱いた感想は「気味が悪い」だった。妖怪が不気味もないものだ。けれど、それがそのとき側にいた皆の率直な感想だった。いまとなってはわからないが、おそらく猪笹王もそうだったのかもしれない。
 牽制のつもりだったのだろう。
 腰も使っていない、大振りな腕だけ回したパンチが牛頭の頬を打った。肉を打つ音に、ひゃあ、とろくろ首の女が何人か驚いて逃げていった。牛頭はその場にどうっと倒れこんだ。猪笹王が、ぶふーと勝利の鼻息を吐いた。
 無抵抗な牛頭にいきなりパンチを見舞った猪笹王にやいのやいのと野次が飛んだ。猫耳の女子高生はスクールバッグを振り回して猪笹王を罵り、一つ目男子はケタケタ笑って囃し立て、狒々はぱちぱちと拍手を送った。アリスは懐から笛を取り出してぴーひゃらぴーひゃらやり始めた。アリスの着物の裾を弄ぶように、足元でコロポックルたちが踊り始めた。
 猪笹王は自分を歓待する者たちにだけ両手をあげて、喝采を沈めた。猫娘には唾を吐いた。なにすんのよバッカじゃないのこれだから猪突猛進バカは嫌いなのよ一生ケンカしてろスカタン! 猫娘は涙目になって去っていき、猪笹王はその後ろ姿に一瞥もくれずに和服の袂に手を突っ込んでぽりぽりと胸をかいた。騒動はそれで終わりかと思われた。
 牛頭がゆらりと立っていた。猪笹王は深いため息を鼻からついて振り返った。どうやらもっとキツイのを喰らわせてやらなければ満足しないらしい。
 烈風が巻いた。
 どしゃり、と巨体が倒れた。
 誰も何も言わなかった。一つ目小僧はどこかへ姿をくらまし、狒々は手の平を合わせたまま動きを止め、コロポックルたちは緊張で背筋を伸ばしていた。
 アリスだけが気丈に、笛を吹いたまま、挑戦的な目つきで迫ってくる緑色の瞳に対抗した。震えそうになる指を叱咤して、軽やかに閃かせ続ける。
 なんだよあれ、と誰かが言った。誰かがそれに答えた。
「牛頭、天王……」
 自身が疫病や災厄を司る神と呼ばれたことには関せず、その妖怪は、アリスの笛を奪い取った。そしてそれを菓子のように握り潰して、粉にしてしまった。アリスは唾を飲み込み、着物の裾のなかにコロポックルたちを隠した。
 男は言った。
 俺の前で、二度と笛なんか吹くな……。
 そして、まだ笛の破片が刺さった手の平で、頭を抱えた。その大きさと重さに耐え切れないように。手に持った錫杖に震えが伝わり、リングがぶつかって音が鳴った。からからぁん。
 それが一月前のことだった。

 ○

「それから先は簡単だったよ」と飛縁魔は言う。
「おやじとあたしが着いたときには、猪笹王の仇をとろうとして返り討ちにあった連中で通りは溢れかえってた。おやじは当然、怒り狂ったよ。やられたなかには、おやじの花札博打の常連も混じってたし。で、勇敢にも挑みかかって」
 飛縁魔はミルクを空にした。口についた白髭を拭う。
「――――で、いま、牛頭天王はおやじが住んでた屋敷にずっといる。圧政ってさっきおまえ言ったな。そうだよ。牛頭天王はなんでか知らないけど、必要以上に魂貨を集めてる。あたしたちはみーんな想像もしてなかったくらい重い税を課せられてる。河童のバカが似合わねえイカサマやっちまったのも、そのせいかも、な」
 いづるは自分のコップをゆらゆら振って、白い水面に波紋を立てた。
「イヤなやつだな、そいつ」うしろでバカ騒ぎしている一団を見やって、
「気に入らないね。なんとかならないの?」
 飛縁魔はすぐには答えなかった。
「…………。ヘンな話さ、あたしらのエネルギー源ってこれなんだよ」
 一枚の魂貨を取り出して、パクッと食べた。ぼりぼりと咀嚼し、飲み込む。
「いま、牛頭天王の手元にはかなり魂が集まってる。でも、それがなくなればいくら強くたってガス欠のクルマとおンなじだ。だったら」
 ぐっと拳を握り締め、
「――――そいつを奪っちまえばいい」
 いづるは飛縁魔がなにを考えているのか悟った。
「ギャンブルで奪うってこと? でも、そんなこともう試した後なんじゃないの?」
「お利口なやつだな。そうだよ。もうあらかた、このあの世で博打に強いって評判だった妖怪は牛頭天王にカモられちまった。……自分自身も両替されるまで」
「あの世中の魂を誰かに集めればいいんじゃないかな? 元気玉みたいな感じで」
 たとえが通じたかどうかはわからないが、飛縁魔は首を振った。
「そんな気概のあるやつはいねえよ。魂を博打に使うにしても、ガソリンにするにしても、負けたらパァだ。べつにいまは、不満はあるけど、すぐにどうこうってほど追い詰められてるわけじゃない。だから……」
 いつもと違う笑い方をして、天井の木目を見上げる。
「一人でやるよ。それに、おやじの仇はひとりで討ちたいって気もするんだ」
「飛縁魔……」
「いまから行こうかな。気分ノッてきたし、今日はきっとツイてる」
「ギャンブルなら僕が代わりに――」
 飛縁魔は首を振った。頑なだった。
「あたしがやる。あたしがやらなきゃだめなんだ」
「いくらボスのためでも、そこまで義理立てすることないって」
「なァ」
 飛縁魔は顔を伏せ、黒い髪がその表情を隠した。
「それ以上、止めたら、あたし泣くからな」
 口論はそれで終わりだった。一撃だった。
 飛縁魔は勘定をどくろ店主に払って、のれんを潜って出て行った。いづるは店を出る前に、中を振り返った。アリスはなぜかマイク片手にカラオケをおっぱじめていたので、置いていくことにした。
 通りを進んでいく飛縁魔の背中についていく。いづるには、飛縁魔がなぜ終わったことにそこまでして拘るのかわからなかった。そして、その感情を理解できないということがいづるを焦らせた。飛縁魔の背中が自分を責めているように思えた。
 むかし母親から贈られた言葉がどこかから聞こえる。
 ――――人非人、あんたには、人の気持ちがわからないのよ。
 そして、その言葉に呼び起こされるように、一気に真実を悟った。
 閻魔大王。おやじとあたし。仇討ち。
 飛縁魔。







 死にたくなったが、とうに死んでいた。

     



 気まずい沈黙がいづると飛縁魔の間に漂った。ローファーと靴下で交互に歩きながら、いづるは謝るべきかどうか思案する。けれどいまさら謝るのもなにか違う気がする。迂闊だった自分も悪いが、ちゃんと説明してくれなければ気の遣いようもない、という高慢ちきな考え方もあったし、それに、謝って許してもらおうという態度はやるのもされるのも業腹だ。だったら、怒られるなら怒ってもらって構わないし、許したくないなら、許されなくたっていい。
 けれど飛縁魔はいづるが気にかけていたほど深刻な気分に落ち込んではいなかったらしかった。ふらっと路地の端に寄ったかと思うとリンゴ飴やらたこ焼きやらをキャプチャーして戻ってくる。妖怪にもカロリーってあるのだろうか。太るんだろうか。でもその疑問を口にしたらもう一度死ぬのは避けられないので、いづるは沈黙を貫く。飛縁魔は自分だけパクパク食べて、残り二つになったたこ焼きを一個くれた。ラス一は譲らないタチらしい。
 食べ終わった飛縁魔は、手甲で乱暴に口を拭い、
「で、おまえ、結局ついてくるわけ?」と口元を腕で隠したまま言った。
「なんにもおもしろくないぞ、きっと」
「そうかなァ。それは、きみが敵となんの博打をやるのかによるかもね。なにをやるの? ポーカー? ダイス? ルーレット?」
「花札」
 花札か。ルールは知っているが、いづるはあまりやったことがない。確か十二の月の異なる花の札があり、手札から、場札と同じ月の札を出してくっつけて取っていき、決められた役を作っていくものだったはず。そして役がひとつできても、さらに役がつくまでプレイを続行するのがあの有名な「こいこい」だ。
 いづるには、飛縁魔が迷わずに種目を答えたことが引っかかった。その言葉にはなにか飛縁魔なりの自信が裏打ちされているように思える。花札が一番得意な博打なのか、好きなのか、牛頭天王が苦手にしているのか、それとも、
「イカサマ?」
 飛縁魔は頷いた。なのに浮かない顔だ。
「うまくツチミカドのバカが頼みを聞いてくれればいいんだけどな」
 また知らない名前が出てきた。しかし、今回のはどうも人の名前のようだった。ツチミカド。土御門? あの世にも生きている人間がいるのか。それとも幽霊?
「陰陽師だよ、土御門――土御門光明(みつあき)は」と飛縁魔は言った。「陰陽師って知ってるか? 呪い屋。あいつに協力してもらう。……でもなァ、あいつヒネてるからなァ。まじめくさって頭下げたら、かえってウンって言わない気がするんだよなァ。やだなァ。会いたくねー……」
 自分のいない場所でこんな風に評される土御門光明とやらが哀れである。よほどひねくれた人物らしい。その上、
「陰陽師ねェ……でも、そんなデタラメなやつがいるんじゃ、みんな安心して遊べないんじゃないか?」
 飛縁魔は目を丸くして、
「なんで?」
 いづるは力なく首を振った。
「なんでもない。もうわかった」
 どうもこうしてあの世を闊歩してみると、ここは素朴で溌剌としたモノたちで溢れている。自然な死というものが、あの世にはないからかもしれない。つい最近まで生きていたいづるからしてみれば、のん気で、お気楽で、間が抜けている。拍子抜けするくらいだ。けれど、だからこそここは死者たちを迎える最後の街でいられるのかもしれない。どんな人生を送ったとしても、ここでは必ず同じモノに還る。平等にだ。一切の事情は考慮されず、誰もえこひいきしてはもらえない。その機械的な終焉が、無念を抱えた魂にとっては安らぎなのだろう。いづるにとってそれが安寧かどうかは、まだわからないが。
 前をゆく飛縁魔が、さっきからチラチラと横目で盗み見てくる。仮面を向けると急に空の色を気にしだして、そして油断するとすぐにまた視線を感じる。いづるは仮面の裏で笑った。
「ねェ、どうやって牛頭天王をやっつけるのか教えてよ。詳しくさ」
 パァっと顔を輝かせて「どうしよっかなァ言いたくにないなァ」ともったいぶってはいるが、どう考えたって言いたくてしようがないのは丸わかりだった。まァここは下手に出て洗いざらい喋ってもらった方が、どこかに穴があった場合にいづるが繕うにしても都合がいい。
 飛縁魔は袂から一枚の厚紙を抜き取った。白紙だ。そしてそれは、
「花札の予備札?」
「――に見えるだろ」と飛縁魔は指の隙間に挟んだ厚紙を振って、「でもこれはニンテンドー製の花札じゃない。式札って言ってな、陰陽師はこれに式神を封印して仕舞っておくんだ。これは式神が封印されてないブランクのカード。こいつに、本物そっくりの花札を土御門に作らせれば……」
 二人はぐっと顔を近づけあった。
「魔法の札の、デキアガリ……」
「ああ。どんな種類の札にだって自由自在に交換できる。夢みたいだろ?」
 花札に詳しくなくても、そんな札があればカードゲームにおいて負ける要素がないことくらいはバカでもわかる。だからこそ飛縁魔も思いついたわけだ。確かに、牛頭天王がギャンブルにどれほど強い妖怪だったとしても、魔法使いに勝てはしない。ありったけの魂貨を花札で巻き上げ、そして、
「弱ったヤローをあたしの<虚丸(うろまる)>が一刀両断!」飛縁魔の左手が腰の太刀の柄をぽんぽんと叩いた。
「って筋書きよ。どうだ、名案だろ?」
 いづるは慎重に言葉を選んで様子を見た。
「そう……だね。問題はなにもない、ように聞こえるね。きみの言い方だと」
「うん。あと問題っていったら、ホントにそんな夢みたいな花札が陰陽術で作れるかどうかってことぐらいだな! たいしたことじゃない」
 たいしたことだった。
 いづるは脳みそを振り絞って花札の勝ち方を模索し始めた。記憶のおもちゃ箱をひっくり返して、忘れかけていた役を思い出す。猪鹿蝶、月見で一杯、花見で一杯、青タン赤タンに三光五光雨入り四光……
 やっぱり代打ちすることになりそうな気配がしていた。

       

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