母との思い出は、もうずいぶん色あせてしまった
一緒に行った百貨店
一緒に遊んだ遊園地
母は三人姉妹の末っ子であるナナカを、一番かわいがってくれた
昔、ナナカが母とかわした言葉で、そんなことを言ってくれたのだ
この河川敷で。季節はちょうど、春
「ねえ、おかあさん?」
「なあに、ナナカ」
母はブラウンに染めた髪を耳にかけながら、ナナカの顔をみた
「さんにんのなかで、だれがいちばんすき?」
一年生だったナナカは、そんな質問を何のためらいもなく母にたずねた
きっと答えにくかっただろう、だが母はすぐに
「もちろん、ナナちゃんよ。決まっているじゃない」
と答えたのだ
幼いナナカはその言葉をきいて、飛びあがるほどうれしかったに違いない
あの五日後、母は消えてしまった。「蒸発」という言葉がふさわしいだろう
春の霞にまぎれるように、風のカーテンに包まれたように
母の姿はわからなくなってしまった
もう母は、戸籍上「死亡」となっている
だけども、ナナカの家族は母の存在が、まだこの世から失せていないと信じている
根拠なんて必要ない
ナナカはふと、そんな物思いにふけていた
遠くのほうで女の子とお母さんが遊んでいる
一瞬、姿が頭の中のアルバムにある写真と重なった
「……お母さん」
懐かしい響きだった。ナナカはとても愛しているのに、その言葉はナナカに鋭いナイフを刺そうとしている
ナナカはまた、歩きだした
もうしばらく「お母さん」を思い出すのはやめよう、と自分に言い聞かせた