Neetel Inside ニートノベル
表紙

東京エイリアン ――人類の逆襲
第二話 「あるいは天使」

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◆ あるいは天使

 俺は逃げなければならなかった。
 自分の命を守るためではなく、俺の両脇に抱えられた二つの命を守るために。
 考えてみると、走るのは数ヶ月ぶりだった。
 それどころか食べることと眠ることと呼吸をすること以外の何かをするのも数ヶ月ぶりだ。
 後ろを見上げると100メートル程の高さの空中に巨大な円盤が浮遊している。
 ガ・メリウォクー型スターシップ。東京ドームとほぼ同じ大きさだとどこかで聞いたことがある。その東京ドームというのがいったいなんなのかは知らない。俺にその話をした奴も知らなかった。どうでもいい。それより今はあの円盤からどうやって逃げるかだ。
 円盤の下側の面には、規則正しく数百個の穴が空いている。
 普段そこから地上に向かって投下されるのはヤツラの工場で合成された食料だ。オールド・トウキョウに住む人間は、何一つ働かずとも、自動的に一日二回の食事にありつくことができる。というか、働きたくとも働けるような場所はないし、他のエリアへの移動は禁止されている。
 ありていに言って、俺たちは狩猟の対象として放し飼いにされているのだ。
 キューシュー・アイランドに生まれれば文化的な暮らしを享受できる。ネオ・オウサカの人間は努力しだいで成り上がれる。アラウンド・セトウチや、オールド・ナゴヤや、その他のどこかのエリアで生まれても、貧しさにさえ我慢すれば人間として生きられる。
 オールド・トウキョウだけはだめだ。
 だらだらと生きるか、理不尽に死ぬか。選択肢は二つしかない。
 今、円盤の射出孔からは円筒型の爆弾が次々と投下されていた。
 それは緩やかな放物線を描いて半径数キロの範囲に落着し、爆発し、人々が死んでいく。死んでいく。殺されていく。2匹のエイリアンが殺されたことへの復讐として、無関係の人々が理不尽に殺されていく。
 その悲鳴の一つ一つを俺の耳は聞き分けていた。
「助けてくれ」
「う、腕が、俺の腕がー!」
「何で。こんな……」
「ママ? ママ! ママーーー!」
 俺のせいだった。
 俺のせいで人々が死んでいく。死んでいく。殺されていく。
 しかし何故?
 すぐそばに落ちる爆弾で人が死ぬ。その悲鳴が聞こえてくる。それは分かる。だがどうして数キロ離れた場所の悲鳴まで俺の耳はしっかりと捉えているのだろう?
 そしてさっきの異様な力。俺の体はいったいどうなってしまったのか。
 分からないが、しかし今すべきことは分かる。
 逃げること。逃がすこと。2人の兄妹を安全な場所まで逃がすこと。
 ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい。
 俺は見ず知らずの犠牲者たちに謝りながら走り続ける。
「ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい」
「おじさんは悪くないよ」
 女の子が言った。
 俺は2人を抱える手の位置を動かし、指とわき腹でその耳をふさぐ。
 聞かせたくなかった。俺の言葉も、人々の悲鳴も。
「誰か、誰かー……」
「いやー!」
「早く、こっちに隠れブグゥォッ」
「畜生ぉぉぉぉ!」
 聞きたくない。こんなもの聞かせるな。
 だけど耳をふさぐわけにはいかない。
 安全な場所まで逃げるために、この聴力は必要だった。
 爆発音はU字型に広がっている。爆弾はU字型の範囲に落とされている。
 それは次第に『C』の形に近づき、『○』へと向かっているようだった。
 逃げ道が閉じてしまう前に逃げなくては。
 この無差別の爆撃は、ヤツラが俺の正体を掴みきれていないことを意味するはずだ。だからU字型の外に出てしまえば逃げ切れる。きっとこの兄妹を助けられる。
 だから走れ、走れ、走れ、走れ。
 俺の足はひと蹴りで俺の体を5メートル先の地点まで運び、身長よりも高いコンクリートの塊を飛び越え、瓦礫の森を走っていく。
 そして、C字型になった爆撃範囲の出口の部分に、それはいた。
「貴様か? ラーボックの2人組みをやったのは?」
 2本の足と4本の腕、3つの瞳と5本の角、そして1本の長い尻尾。肌は赤黒、髪は金。身長は俺の2倍だが、腕のゴツさは10倍以上、たぶん俺の胴より太い。
 クプシンド星人。
 格闘技なら銀河系でも最強クラスの戦闘型エイリアン。
 その背後には、おそらく爆撃から逃げようとした人たちだったのだろう、バラバラに引きちぎられた肉の山ができていた。
 ああ、なるほど。あれだ。罠か。逃げ道を限定して罠に追い込む。分かりやすい。
 だけど隙もある。
 ようするにこの目の前のエイリアンを倒してしまえばいいのだ。いっさいの慈悲も逃げ道もなく爆撃されたらとっくに死んでいたかもしれない。ようするにこいつらはまだ狩りを楽しんでいる気分なのだ。歯ごたえのある獲物が現れてラッキーとすら思っているかもしれない。
 その油断がありがたい。
「そうだ、と言ったら?」
「選べ。貴様に武器を与えたヤツの名前を白状すれば、痛みを感じないように殺してやる。隠すなら痛めつけてから殺す」
「武器なんか持っていない」
「嘘をつけ。確かにラーボック星人は貧弱の口先野郎どもだが、さりとて銀河最弱のゴミ地球人にやられるほどのザコでもない。それともあれか? 貴様、地球人に見えるのは表面だけで、実は変身型の星人なのか?」
「俺は地球人だ」
 地球人、だよな?
「なるほど。苦しんで死にたいわけか」
 エイリアンが大地を蹴る。早い。次の瞬間には目の前だ。太い腕が振りかぶられる。パンチ。俺の顔面へと向かって。避ける? 間に合わない。なら腕でガード? ダメだ。守らないと。俺は兄妹をしっかりど抱きかかえたまま、全力で斜め後ろにジャンプする。パンチが当たる。ボキリ。鼻が折れる。しかし威力は減らした。頭蓋骨は多分無事。吹き飛ぶ。着地。鼻血が吹き出た。兄妹は? 無事だ。
「いげ! ばやぐ! がぐれろ!」
 俺は2人を地面に下ろした。
 その顔は真っ青に怯えている。
 エイリアンが怖いから?
 違う。今折れたばかりの俺の鼻がみるみる元に戻っていくから。
「お、おじちゃ……えっ?」
 怖いよな。そりゃあ怖いよ。俺は誰だ? 地球人か? 俺は何だ?
 男の子が俺の手を握った。
「任せて、愛実は僕が守る」
 小さな手は震えていた。いや、違うな。男の子の目はまっすぐに俺を見つめていて、その手には勇気が満ちている。震えているのは俺だ。
「だから、おじちゃんはあいつをやっつけて!」
 俺は地球人か?
 わからない。
 だけど、少なくとも……
「おじちゃんじゃない。お兄ちゃんだ」
 震えが止まった。
 大丈夫だ。
 俺が何者でも関係ない。今すべきことは、この兄妹を守ること。
「行くぞ、三つ目野郎!」
 俺は大地を蹴ってエイリアンの懐に飛び込んだ。握り締めた拳でみぞおちを殴りつける。みりっ。分厚い筋肉の感触。衝撃は吸収され、拡散した。エイリアンがにやりと笑う。4つの手で振り下ろすようなパンチ。腕を上げてガード。右肘、左上腕、右鎖骨、左わき腹、4箇所の骨が粉砕する。
「ぐはっ」
 油断? ありがたい? くそっ、俺はバカか。
 バックステップで距離をとる。
 骨が治った。
「地球人ではないようだな。するとやはり変身型か。だが、その姿のままでは動きづらかろう。さっさと正体をあらわしたらどうだ?」
「違う」
「ゲラパトーレ、シャンスフルッコ、いや、ブレト星人かな? ふむ。もし武器を持った地球人ならぶち殺していたところだが、銀河連邦の一員なら素直に捕まって法の裁きを受けたほうが得だぞ」
「違う! 俺は、俺は……?」
 地球に生まれ、地球で育った。だけど、俺はいったい何者だ?
「お兄ちゃん、頑張って!」
 背後から男の声が聞こえた。
「俺は、俺は地球人だ!」
 もう一度接近して今度は下腹部を狙う。地球人なら絶対の急所。しかしクプシンド星人は小揺るぎもしない。
「……まあ、いい。そんなに死にたいなら殺してから正体をあばいてやる」
 殴られる。骨折。治る。殴る。効かない。殴られる。折れる。痛い。治る。殴る。効かない。殴られる。折れる。痛い。治る。殴る。拳が砕けた。痛い。治る。殴られる。潰れる。痛い。治る。殴る。肩が外れた。痛い。治る。殴られる。骨折。痛い。殴られる。骨折。痛い。痛い。治る。殴る。殴られる。痛い。殴られる。痛い。殴る。殴られる。殴られる。殴られる。殴る。殴られる。痛い。痛い。痛い。痛い。痛い。痛い。痛い。いたい。いたい。痛い。いたい。いたいいたいいたいいたいいたいいたいいたいいたいいたいいたいいたいたい。
 でも負けない。
「がんばれ! がんばれ! がんばれ! がんばれ!」
「がんばってー!」
 殴る。殴る。効かなくも何度でも殴る。
 殴られる。殴られる。大丈夫だ、何度でも治る。
 本当に?
 本当に何度でも治るのか?
 体の各部を壊されるたびに少しずつ回復のスピードが遅くなっている気がする。
 早く倒さなくては。早く効かさなくては。
 でも効かない。
 どうすればいい? どうすればこいつを倒せる?
 ――クプシンド星人は頭上からの攻撃に弱いよ。
 その声は俺の頭の中に響いた。
 待て、誰だ?
 ――そんなことはどうでもいいじゃないか。飛び上がって頭上から殴るんだ。
 跳び上がっての攻撃。空中にいる間は無防備。それはどう考えても無謀だ。
 だけどこのままではラチがあかない。
 俺は試しにその声を信じてみることにした。
「うぉぉぉぉ!」
 思いっきり地面を蹴ってジャンプ。
 エイリアンの顔が歪んだ。驚いて? それとも怖がって?
 しかし4本の腕に迎撃される。俺は叩き落された。一瞬、息が詰まる。ダメじゃないか。
 ――違うよ。もっと高く、もっと遠くから、腕の動く範囲の外から頭のてっぺんを狙うんだ。
 無理だ。そんなに高くは跳べない。
 ――違う、違うんだってば。跳ぶんじゃないよ、飛ぶんだよ。
 バカな。どうやって?
 ――飛べるよ。君は飛べるんだ。信じれば必ず飛べる。さあ、飛ぼうよ。
「そのタフさ、やはり貴様はブレト星人か。いいだろう、ならばこちらも本気を出そう。回復の暇すら与えずに殴り潰してやる!」
 エイリアンは大きく息を吸い込み、四つの腕を折り曲げて力瘤を作った。息を止め、赤黒い顔をさらに赤くして、すると筋肉がみりみりと音を立てて盛り上がっていく。
 ――さあ、飛んで! あの攻撃を受けたらもう次はないよ。
 俺は後退して距離をとった。それとほぼ同時にエイリアンもバックステップ。4本腕のうちの2本を地面につけ、クラウチングスタートの構えから、突進。向かってくる。やばい。あれはやばい。死ぬ。このままじゃ死ぬ。死ぬ? そうしたらあの兄妹は? エイリアンを殺した男の仲間として、きっと酷い目に合わされる。死んだほうがましだと思うような体験をさせられる。イヤだ。そんな未来は認めない。だから死ねない。俺は生きる。
「お兄ちゃん! がんばれぇーーーーーーーっ!」
「まかせろ!」
 俺は跳んだ。
 思いっきり地面を蹴るのではなく、軽く弱くしなやかに跳んだ。
 すると背中に光り輝く翼が生えた。
 俺は、飛んでいた。
「なんだとお!」
 高く高く、俺は空を飛んでエイリアンの頭の真上へ。迎撃は? 無理らしい。あの太い筋肉がかえって邪魔だ。顔や角につっかえて物理的に届かない。OK。ならば殴るだけだ。脳天へ、弱点へ、握り締めた拳で渾身の一撃を!
「くたばれ、エイリアン!」
 光の翼がはばたいて俺の体を加速させる。
 拳も光を纏っていた。
「ウゴォォォォォォ!」
 クプシンド星人は、潰れた。
 頭蓋骨が陥没し、背骨が砕け、筋肉は骨から外れて弾けとんだ。
 俺はフワリと地面に降り立つ。
 すると背中の翼は消えた。
「貴様、まさか……ケーソゥ星の………………」
 クプシンド星人はそうつぶやいて息絶えた。
 待て、勝手に死ぬな。
「おい、なんだ? そのケーソゥ星ってのは? おい、答えろ! おい!」
 ダメだ。返事がない。ただの屍だ。
 兄妹がおそるおそる近づいてくる。
「やっつけたの?」
「たぶん、そうだ」
「お兄ちゃん、エイリアンなの?」
 たぶん、そうだ。そうみたいだ。だけど、だけど……
「違う。違うよ。俺は!」
「そうだよ。きっとこのお兄ちゃんは天使なんだ」
 天使だって? 俺が天使? そんなはずがない。でも、だけど。
「違う。俺は、俺は……………………、地球人だ」
 女の子が俺の手をぎゅっと握った。
 震えているのは、どちらだろう?

       

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