Neetel Inside ニートノベル
表紙

東京エイリアン ――人類の逆襲
第三話 「キンモクセイの女」

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◆ キンモクセイの女

 俺は瓦礫の森の中を歩いていた。
 すぐ隣に美しい少女がいる。
 ああ、これは夢だ。
 少女の笑顔が俺にそれを教えてくれた。
 だってその微笑みは、もうとっくに……
「兄さん、見て! あれ!」
 俺の妹がはずんだ声を上げて駆けていく。
 コンクリートとコンクリートの間に覗くわずかな地面。
 そしてそこに咲く黄色い花。
「キンモクセイだよ」
 妹が言った。
 鼻を近づけて匂いをかぎ、俺を手招きで呼ぶ。
「兄さんもかいでみなよ。いい香りだよ」
 俺はゆっくりと妹の側まで歩み、後ろから抱きしめた。
 するとその体は霧のように消えてしまった。
 キンモクセイの香りが鼻をつく。俺の妹が大好きだった黄色い花。今では苦い思い出しか呼び起こさない匂い。俺が大好きだった妹は、もういない。
 ――それが君の守りたかったものなんだね。
 頭の中に声が響いた。辺りを見回すと、3メートルほどの高さで折れた電信柱の上に、光る子供が座っている。
「お前は、誰だ?」
 ――僕? 僕のことなんてどうでもいいじゃないか。それより、君のことだよ。
 光る子供が指を1本立てた。するとその指先から渦が生まれ、それが景色全体を巻き込んで、ものすごい勢いで時間が進行を始める。記憶が先へと進み始めたのだ。半透明の俺と妹の幻が手をつなぎ、2人で歩いていく。生きていく。泥水をすすり、寒さに耐え、身を寄せ合って生きていく。そして、時間はあの日へと、俺が妹を失った瞬間へと向か……
「やめろ!」
 俺が叫ぶと、渦は消え、時間は止まった。
 ――知りたいんだ。君の怒りを。君がどうやって大切なものを失ったのかを。
「知ってどうする? 笑うのか? それとも同情して涙でも流してくれるのか? どっちもクソくらえだ。頼むよ、頼むからほうっておいてくれ。これ以上思い出させないでくれ」
 ――そうやって、ずっと逃げ続けるのかい?
「お前に何が分かる!」
 ――分かるよ。だって僕は、君と…………いや、これはいいか。
 テレパシーが止まった。
 時間の止まった景色、音の無い世界、俺は相手を睨みつける。
 その顔は泣いているようでもあり、笑っているようでもあった。俺のことを笑っているのではない、きっと自分自身を嘲っている、そんな表情だ。
「……お前は、ケーソゥ星人か?」
 俺は4本腕のエイリアンが言っていた名前を口に出した。そんな星があるなんて聞いたことはないけれど、銀河に存在する数万の星の全てを知っているわけでもない。地球では聞きなれないというだけで、きっとどこかにそういう星があるのだろう。
 光る子供は空を見上げた。
 ――その星は、もう、滅んだよ。
「…………」
 ――さあ、もう起きて。あの兄妹に危険が迫っているよ。
「待て、俺はいったい何者なんだ? 今でも地球人なのか?」
 ――君が自分を地球人だと思うのなら、きっとそうなんじゃないのかな。
 風景がぐにゃぐにゃと折れ曲り、世界が黒く染まっていく。
 そして俺は目を覚ました。

「おはよう、お兄ちゃん……」「おはよっ、お兄ちゃん!」
 女の子は柔らかく、男の子は元気いっぱいに朝の挨拶をしてくれる。
 瓦礫に隠された狭い階段、どこかの家の地下室の名残に俺たちは隠れていた。
「おはよう」
 俺は上半身を起こした。
 同時に腹が鳴る。
 俺も兄妹も昨日の昼から何も食べていなかった。この一帯への爆弾の投下は止まったようだが、食糧の投下も止まったままだ。
「お兄ちゃん、これ、食べる?」
 女の子が不恰好な金属のお椀を差し出した。かつては自動車か何かの部品だったものだろうか。中には草の葉や根っこを煮込んだ汁物が入っている。よく部屋の中を見渡すと何かを燃やした跡があった。
「どうしたんだ、これ?」
「お兄ちゃんが……あ、小さいほうのお兄ちゃんのことだけど、野草を摘んできて、私が料理したの」
「外に出たのか!? 危ないだろ!」
 俺は思わず怒鳴ってしまった。
 しかし寝る前に外を覗いたときには、まだたくさんの小型円盤が空を飛びまわっていた。そんな中でこの地下室を出て行くのも、火を使って煙を上げるのも、危険すぎる。
「ご、ごめんなさい。私がお願いしたの。大きなお兄ちゃんに何か食べさせてあげなきゃって思って、だから、怒るなら私を」
「違うよ、愛実は悪くない。僕が勝手に外に出たんだ」
 かばいあう2人。一瞬で怒りは去っていった。
 かといってすぐに謝るのも気ずい。
 俺はお椀の中身をすすった。
 あれ? これは……
「おいしい」
「ホント? 良かったー。お兄ちゃんの口に合って」
「へへっ、愛実は料理上手いんだぜ。いつも僕が野草を集めて、愛実がスープやパンにするんだ」
「いつも? だって普段は配給の食糧があるだろ?」
「………………私たちの分は、よく大人の人に取られちゃうから」
「あ…………」
 数字の上では、食料は充分な量が投下されているはずだった。理論上はオールド・トウキョウに住む誰もが腹八分目に食べられる。だけど実際は、肥えるやつと飢えるやつとが現れた。それが理論とは違う現実というものらしい。俺と、俺の妹だって、幼い頃は……
 俺は兄妹を左右の腕で抱き寄せた。
 その体は、細く、痩せていて、今にも折れてしまいそうで、でも消えない。霧にはならない。
 ふたつの命が、今、俺の手の中にある。
 守りたい。
 一番守りたかったものを守れなかった。でも、俺にはまだ守ることの出来るものがある。だから、今度こそ守りたい。守りたい。守りたい。
 爆音と共に地下室が揺れた。
 地震? 違う、エイリアンの攻撃だ。
 いくつものブロックが天井から落ちてくる。その内のひとつが俺たちの上に。右手で殴る。粉砕。砂のような破片が降り注いだ。
「けほっ、けほっ」
「くっ」
 俺は兄妹をしっかりと抱えて、背中に羽を生やす。あれ? 生えない。何故? 考えている時間はない。立ち上がり、階段を駆け上る。外へ。6機の円盤。小型。2人乗り。ガ・ノルター型スターシップ。砲門が開いた。ミサイル。ミサイル。ミサイル。ミサイル。効かない。そんなものは効かない。俺は兄妹を地面に下ろし、2人とミサイルの間に立ちはだかった。そして殴り落とす。殴り落とす。爆風は全身でガード。兄弟には傷ひとつ付けさせてなるものか。殴り落とす。つかまえて投げ返す。1機撃墜。残りは5機。ミサイルが止んだ。ビビったか? 弾が尽きたか? 10人のエイリアンが飛び降りてくる。赤青黒白大中小、タイプは違えど、ひと目で分かる。
「かかってこいよ、ザコ共!」
「やっちゃえ、お兄ちゃん!」「負けないで!」
 2人の声が背中を押す。拳が光った。よし、一撃でカタをつける!
「うぉぉぉぉぉぉおぉぉぉ!」
 俺は叫んだ。
「いっけー! エベン・ナックル!」
 男の子も叫んだ。エベン・ナックル? 何だそれ。まあいいや。殴り抜ける!
「空のはてまで吹っ飛びやがれー!」
 光の奔流が10人と5機を貫いた。結論から言うと空のはてまで吹き飛ばすのは失敗。その場でちりになったから。
「やったぁ」
 男の子がガッツポーズ。
「大丈夫、お兄ちゃん? 怪我はない?」
 女の子は抱きついてきた。
 OK。大丈夫。無傷だ。
 俺は答えるかわりに頭を撫でる。すると髪から埃が散った。
「けほっ、けほっ」
「あ、ごめん」
「ううん、私は平気だよ、お兄ちゃん」
 俺は自分の右手を見た。今、女の子の頭を撫でた手。さっきエイリアン共を吹き飛ばした手。
「エベン・ナックル?」
 男の子に尋ねる。
「うん、必殺技には名前がないと」
「エベンっていうのはどういう意味?」
「へへっ。今朝、野草を集めながら考えたんだ」
 男の子はそこらへんに落ちている棒をつかんで地面に文字を書いた。
 『EIRIAN・BASUTA・ENJERU・NEO・ナックル』
「エイリアン・バスター・エンジェル・ネオ・ナックル。頭文字をとってエベン・ナックルだよ」
 ………………絶対につづりが間違っている。正しいスペルは知らないけど。
 このトウキョウで生きていくのに、英語はそれなりに大事だ。銀河標準翻訳機に最初から入っている地球言語は英語とスペイン語だけだというから、日本語パッチを当てていないエイリアンと会ったときのために話せたほうがいい。命乞いの成功率が上がる。
 つまり、書ける必要はまったくない。
 しかしこの場合大事なのは頭文字だけなわけで、「エイリアン」なら最初の文字はEであってるよな。他の3つもたぶんOK。大丈夫、問題ない。
 胸を張った男の子。俺はその頭も撫でてやった。
「よし。じゃあこれからは、俺の必殺技はエベン・ナックルだ」
「うん」
 俺はヒュッ、ヒュッと空中を殴るふりをしてみせた。
 男の子が笑う。
 素敵だ。人間の笑顔って本当に素敵だ。
「……愛実? 何見てるんだ?」
 男の子が女の子に呼びかけた。
「お、お兄ちゃん。あれ」
 女の子の声は上ずっている。指先が俺の背後上空をさしていた。
 振り返る。
 円盤だ。
 10機? 20機? そんなもんじゃない。空を覆い尽くす円盤の大軍がこちらに向かってきていた。さっき落としたガ・ノルター型が7割ほどで、残りは戦闘用のガ・リッカ型。さらに何十匹もの4つ腕クプシンド星人が円盤の天井に仁王立ちして飛び降りる準備をしている。
「ごめんなさい、お兄ちゃん。きっと私が火を使ったから、それで、煙で、ごめんなさい!」
 止めろ。泣くな。俺の前で涙を流すな。見せるなら笑顔を見せてくれ。
「おいしかったよ」
「え?」
「あのスープ、本当に美味しかった。ありがとう」
「………………うん」
「大丈夫だ。あのくらい、俺のエベン・ナックルで全部叩き落してやる」
 俺は精一杯の強がりを言った。女の子の不安と罪悪感を叩き潰すために。
 だけど、本当に強がりだろうか?
 負ける気がまったくどこにも存在しない。
 きっと俺はあれ相手にも勝つだろう。
 勝ってしまうだろうが、しかし……
「泣くな、愛実。お兄ちゃんが絶対に守ってくれるから」
 そうだ。俺の目的はヤツラに勝つことではなく、この2人を守ること。例えば一斉にミサイルやビームを撃たれたとして、俺の体が無事だったとしても、2人守り抜けるだろうか。
「……逃げよう」
「え?」
「無理して戦う必要はないだろ? まずは、逃げよう」
「でも、人の足じゃ円盤からは」
「まかせろ」
 俺は再び2人を抱きかかえ、背中に羽を……、羽を、翼を、羽を!
 何故生えない!?
「くそっ」
 俺は走り出した。それは手ぶらの人間と比べてもずっと早く、そして円盤よりもずっと遅く、くそっ、肝心なときに何故生えない?
 その時、瓦礫の隙間を縫って俺たちの目の前に円盤が現れた。
 障害物の多い地上50センチを抜群の旋回性で走り抜ける、スタイリッシュなフォルムの4人乗りエアカー。開閉できる屋根が今は開いてオープンカーになっていて、運転手の姿が見える。
 女だ。
 人間の、地球人の女。
「乗って!」
 俺たちは言われるままに後部座席に飛び乗った。
 女がアクセルを踏み込み、エアカーは急加速で空中を滑り出す。
「すっげえ、レックスだ!」
 男の子がはしゃいだ声で言った。
 トンダ工業製レックス08R。エイリアンの技術で作られた地球製の車。メイド・イン・ジャパン。滑らかな流線型の車体が美しく、加速性や小回りは抜群で、異星人にも地球人にも、つまりスラムに住んでいる大部分のことではなく、異性人相手の商売で成功した成金の地球人のことだが、種族に関わらず人気があるタイプだ。
 オーサカの自治区やキューシューの経済特区ならともかく、この廃墟の町で見かけるのは珍しい。
 そして運転席に乗っているのはレックスよりもさらに珍しい、髪に埃ひとつついていない清潔な女。
「あ、撃ってきたよ、お兄ちゃん!」
 女の子が悲鳴を上げる。すぐに歓声に変えてやるさ。
 車に当たりそうなミサイルやビームを全て拳で弾き返す。
 運転手の女は、最初のうちは攻撃をかわそうとジグザグにハンドルを切っていたが、やがてそれが無意味だということに気付き、瓦礫を避けるとき以外は車を直進させ始めた。
 トンダの反重力エンジンが甲高い音を上げ、円盤群をみるみるうちに引き離してく。
 するとエイリアン共は射撃を止め、天井の兵士を下ろし、とたんに差が開かなくなった。きっと出力の全てを加速に回したのだ。しかし女がアクセルを強く踏み込んだ瞬間にそれらは全て無意味になった。
「ガ社の円盤ごときがトンダの円盤に追いつこうなんて思わないでよね」
 エイリアンの科学技術+日本人のものづくりのセンス=銀河最速の運転性能。
 女の声は、誇りと自信にあふれていた。
 俺は兄妹を後部座席に残し、助手席へと滑り込む。
 あらためて見ると、とても綺麗な女性だった。
 切れ長の美しい目、鼻からあごにかけての整ったライン、長くて艶やかな黒髪、そしてかすかな花の香り。
 ああ、これはキンモクセイだ。
 俺の妹の好きな香り。
 もはや永遠に過去形で語ることしかできない、俺の妹が好きだった香りだ。

       

表紙

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Neetsha