Neetel Inside ニートノベル
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「ここのセンセーに用があんだよ、会わせてくれよ」
 そう言われて私は頭を上げた。目の前に立っている女性は、相当にガラが悪い。たぶん二十代半ばくらいで、傷みに傷んだ金髪は手入れも雑でボサボサだ。目つきは最悪で、腫れぼったい一重まぶた。さらに、目の下にはいかにも不健康そうなクマがある。化粧もしていなさそうだ。首から提げたペンダントも、手首につけたブレスレットも、指先にひしめき合っているたくさんの指輪類もすべてシルバーで統一している。確かに、彼女の雰囲気から言えばトータルコーディネートはできているのかもしれない。……ただ、おかしな柄のTシャツを着ているセンスだけはどうも理解できない。それよりなにより、百七十センチはありそうな長身が彼女の外見の怖さに拍車をかけていた。
「わかりました。こちらへどうぞ……」
 彼女が今にも刺してきそうな視線で私の背中を見ているのかと思うと、案内のために背中を向けているだけで居心地が悪い。
「先生、お客様をお通ししました」
「座ってもらってくれ」
 私は依頼人を先生の対面に座るように促したあと、先生の後ろ側に回った。柳さんはお客さんの前にアイスティーを置くと、私の隣に並んで立った。
「……とんでもないTシャツだな。ここが英語圏じゃなかったのはアンタの人生最大の幸運かもしれない」
 挨拶も何もしない。先生が最初に口にしたのは皮肉だった。
「悪いかよ、ほっといてくれ」
「女性にしてはなかなか淑やかさに欠けるな」
「ケンカ売ってんのか?」
 出会って数十秒、二人の雰囲気は早くも険悪だ。
「そんなつもりはない。アンタがどんな人間か知りたいだけだよ」
「……回りくどいなあ、おい。オレ……じゃなかった、アタシは依頼する側なんだからさあ、素直に聞けば教えてやるよ」
 彼女は怒っているというよりは呆れているみたいだ。
「名前は?」
「馬場紅緒」
「べにお……ってのは、紅色の紅に、糸へんに者と書いて紅緒かな?」
「そうだよ」
 彼女はグラスに入った紅茶を、添えられたガムシロップも入れないままごくごくと飲んだ。
「職業は……もしかして、ギタリストだったりするのか」
「惜しいね。ウチのバンドでヴォーカリストやってる。確かにギターもやるけど。今はアマチュアだけど、いつかはプロになりたくて……って、つまるところ今はフリーターってことだけどさ」
「歌ってるのか? その声で」
「うるさいな、こりゃ酒焼けしてるだけだ」
 彼女は相変わらずのガラガラ声だ。
「その様子だとタバコも吸いそうだな」
「外見のイメージだけでいろいろ言われるのはムカつくんだけど……悔しいことに酒もタバコも……そんで音楽も同じくらい好きなんだよ。……そうだ、アンタどうして、私がギターをやるって知ってたんだ?」
 かすれた声をどうにかしようと、彼女は何度もうんうん唸った。
「知ってたわけじゃない。爪がきれいに整えられてるのを見て、かな。その格好、どう見たって自分の体には無頓着そうなのに、なぜか爪だけは手入れされてる。その服装の人間がいかにもやってそう、って感じの楽器はギターだと思ったんだ」
「……へえ、なるほどね」
 馬場さんは感心したようにうなずいた。
「……そうか、音楽……楽器か。そこにいる子も楽器をやってたよ」
 先生は肩越しに私を指差した。
「え、いや、私は……メタルはよく知らないので……」
「メタルじゃねえロックだ、バカにしてんのか?」
 そんなこと言われたって、私はクラシック以外にはあまり詳しくない。そもそも、どういう服装が「ロッカー」らしいのかもわからない。
「ギターだってバイオリンだって、同じ弦楽器だろう」
 先生は先生で、またとんでもない理屈をこねている。
「まったく違いますよ」
「それで、先生」
 私の指摘は馬場さんに遮られた。どうやら本題を切り出すらしい。
「本当に願いを叶えてくれるのか?」
 馬場さんの目つきがさらに悪くなった。きっと真剣な目つきになったのだろうけど、残念ながら私にはそういう風にしか見えなかった。
「金さえ払えばな」
「……いくら?」
「そりゃ、依頼の内容による」
 先生はなんだか飄々としている。私のときとは微妙に対応が違うように思えた。馬場さんは大きく息を吸い込んで、言った。
「……いま組んでるバンドでメジャーデビューしたい。だから、アンタの力で私たちをデビューさせてほしい」
 ――途方もない、でも素直な願いだ。願い事というよりは純粋な夢に近い。
「そういうのは、自分の力で叶えてこそ……じゃないのか」
「ああ、わかってるよ! でも、そんなことに構っていられないくらい叶えたいことなんだよ。じゃなかったら、本当かどうかわかりもしない噂を頼って、こんなビルの……しかも。隠されたみたいな最上階まで来やしないだろ!」
 願いが叶うかもしれないとなって、彼女は熱くなっている。そのせいで、ガラガラの声がますますかすれていく。でも、そのかすれがかえって必死に訴えかけてくるようで、いい声にすら聞こえた。
「……それもそうか」
 いかに自分がその願いを叶えたいのか、必死で伝えようとする彼女の姿。
 ――私も、初めてここに来たときはあんな風だったのかな。
 彼女のかすれ声を聞きながら、私はずっとそんなことを考えていた。

       

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