Neetel Inside 文芸新都
表紙

百合小説短編集
冬/自室/高校生

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 私の家には暖房がない。
 南国の話じゃない。仙台の話だ。ひかえめに見ても、北国の部類に入る。真冬になれば、氷点下の日も少なくない。にもかかわらず暖房を買ってくれない両親は、二人そろって異常なほど寒さに強い。若いころ駅伝をやっていたからだというけれど、そんなのは理由にならないと思う。もしかすると、我が家は貧乏なのかもしれない。すくなくとも裕福でないのは確かだ。
 私の部屋にある暖房器具といえば、湯たんぽと毛布ぐらい。べつに、私ひとりならこれでかまわない。毛布にくるまりながら勉強机の前にすわるのも、幼いころからの習慣になってしまった。けれど、遊びにきた友達が「この部屋さむいね」とか口にするたび、私の心は重くなる。その言葉を発したのがユイだったら、なおさらだ。

 藤川唯。おなじ高校の、二年A組。クラスでいちばん国語ができて、学年でいちばんかわいい子だ。いや、全校で一番かもしれない。一年生のとき同じクラスになってから、仲良くしている。暖房がないことで有名な私の部屋に真冬でも遊びにきてくれるのは、彼女だけだ。
 男子にも女子にも人気の高いユイが頻繁に私の家へ来てくれるのには、いくつか理由がある。ひとつには、私の家がユイの自宅の近くにあること。もうひとつは、私の部屋にたくさんの小説が置かれていること。そして最後のひとつは、ユイの両親が離婚していること。
 彼女の家は母子家庭で、母親は夜の仕事をしている。どういう仕事をしているのか、くわしくは知らない。ただ、あまり良くない噂を耳にするだけだ。そして、ユイはできるだけ遅く家に帰ろうとする。母親と顔をあわせたくないのだ。
 本当のところ、理由はもうひとつぐらいあるのかもしれない。いや、ふたつかみっつか、それとももっと多いのか──。でもいちばん重要なのは、ユイが私のことを好いてくれているということだ。──友達として。

「これ、ありがとう。おもしろかったよ」
 そう言って、ユイは一冊の本を畳の上に置いた。
 昨日貸したばかりの小説。長野まゆみの『天体議会』だった。
 私は本棚を指差して応える。
「その人の本だったら、全部そろってるよ。どれでも貸してあげる」
「ほんと? ありがとう」
 ユイが立ち上がったので、私は本棚の一箇所を指で示した。長野まゆみの本が七冊ぐらい、そこに並べられている。
「あー、いっぱいあるんだね」
 本棚をのぞきこみながら、ユイは人差し指で文庫本の背表紙をなぞった。その指先の動きが、ぞくっとするぐらい美しい。
 彼女はセーラー服の上に学校指定の灰色のコートを着たままで、その背中には墨色の髪が流れている。まっすぐに切りそろえられた、日本人形みたいな髪。つい、手をのばしたくなる。でも、それは許されない。ユイは、体にさわられるのを極端に嫌う。
 理由はわからない。訊いてはいけないことのような気がして、二年間いちども訊いたことがない。

「これにしようかな。ねぇ、これ借りてもいい?」
 ユイが抜き出したのは『夜間飛行』だった。作品は発表された順に並べてあるのだけれど、彼女はそういうことを気にしない。タイトルだけで選んでいる。
「やっぱりね。それを選ぶと思った」
「え? どうして?」
「なんとなく」
「えぇ……っ?」
 ユイは不思議そうな顔をしたけれど、ほんとうに「なんとなく」当たってしまったのだから仕方ない。私としては予想が当たったわけで、ちょっと満足だ。
「でも。でもね。題名だけ見た感じ、これが一番おもしろそうな気がしたの」
 弁解するような口調で、ユイはそんなことを言いはじめる。
 彼女は自分の行動を理由づけて説明することが多い。たとえばペットボトルのジュースを買うときなんかも、どうしてそれを選んだのかということをいちいち説明したりする。ちょっと変わった子だ。見方を変えると、ものすごく正直なのかもしれない。いや、まちがいなく正直だ。ユイが嘘をつくところなんか、見たことがない。

「ユイの好きそうな題名だよね。『夜間飛行』とか」
「うん。あたし、こういうの好き」
 にっこり微笑んで、ユイは胸元に文庫本を押しつけた。正直というか、素直というか──。私みたいなひねくれ者からすると、好きなものを素直に好きだと言えるのはすごくうらやましく思える。
 ユイはスカートの裾をひざに撫でつけるようにしながら、畳の上に腰をおろした。足にかけた毛布を胸のあたりまで持ち上げて、その上に本を広げる。そして、ページをめくりはじめる。細長い指で紙の端をつまむようにしながら、ゆっくりと。いつものように。
 私は、息をつめて彼女の動作を眺めていた。ユイは本を読むことに集中していて、私の視線に気付く様子もない。もし気付いたとしても、本のほうを見ていると思うだけだろう。実際は違う。私は、ユイの手元ばかりを見つめている。

 部屋に暖房がないことからも明らかなとおり、私の家は裕福ではない。ほしいものだって、ロクに買ってはもらえない。けれど、なぜか本だけは買ってくれる。ただし漫画以外、という条件で。両親そろってスポーツ馬鹿だったせいなのか、活字に対してコンプレックスがあるらしい。小説を読んでいるだけで、なにか立派なことをしていると思われてしまう。おかげで、私の部屋にはかなりの量の本が蓄えられている。
 私は両親に感謝しなければならない。ユイが遊びに来てくれるのは、この部屋にたくさんの本があることも理由のひとつになっているからだ。ついでに、私を人並み以上の容姿に生んでくれたことにも感謝しておいたほうがいいかもしれない。もちろん、そうは言ったところで、私なんかユイの足元にも及ばないのだけれど。

 ユイは、本を読むのが好きな子だった。それも、ちょっと変わった読みかたをした。ひとつのシーンを読み終えるごとに、その感想をだれかにしゃべりたがるのだ。読書家の友人はほかにもいるけれど、ユイみたいなのは珍しい。
 今日もまた、彼女は十分たらずで本を閉じた。表紙に手のひらを置いて、その感想をしゃべりはじめる。どちらかといえば無口なほうのユイだけれど、小説や映画の感想となるとビックリするほどよくしゃべるのだ。
 とくに登場人物の心理については、作者だってそこまで考えなかったのではないかと思うぐらい細かく分析した。その分析ぶりといったら、心理学者にでもなれそうなほどだった。心理学者というのが何をする人なのか、本当のところよく知らないけれど。

 私はユイの前に座って、漫画雑誌なんかをパラパラめくりながら話を聞いていた。もう五回ぐらい読んだ雑誌だ。読むフリをして、実際にはほとんどユイの顔や胸を見つめている。
 ざっくりと、おかっぱ頭にそろえられた黒髪。大きな目はすこし垂れ気味で、その目を見ただけでも人の良さが滲み出ているのがわかる。肌は白人みたいに白くて、瞳も金色に近いようなブラウンだ。欧米人の血が混じっているのかと思うぐらいだけれど、生粋の日本人らしい。その証拠に──あまり関係ないことだけれど──英語の成績は悪い。
 ユイが得意なのは国語と歴史で、私が得意なのは英語と数学だ。だから、テスト前にはこの部屋でおたがいの得意な科目を教えあったりもする。ほかにも、いっしょにDVDを見たり、ゲームをやったり、お菓子を食べたり、いろいろする。
 けれどいちばん多いのは、こうやって本を読むことだ。べつに本なんか読まなくてもいいのだけれど、ユイが私の家に遊びに来た最初のときから、もうすっかり習慣になってしまっている。
 なんでもいいのだ。ユイがなにをしていようと。ただ、私のそばにいてさえくれれば。それは、私にとって何よりも幸せな時間だった。

       

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