Neetel Inside 文芸新都
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 唇が触れたとたん、バネ仕掛けみたいな勢いでユイの体が後ろに跳ねた。
 正直、その反応は予想外だった。逃げるとは思わなかったのだ。どうして逃げたんだろう。そう思った。
「い、いま、なにしたの……?」
 いつもより一オクターブも高い声で、ユイは言った。口元を手でおさえて、大きな目を私に向けている。信じられないものを見るような目だった。
 私は答えなかった。答える必要がなかった。ユイだって、わかっているはずだ。いま私が彼女にキスしたということぐらい。わかっていることなんか、わざわざ答える必要はない。だから、答える代わりに私はこう訊ねてみた。
「はじめてだった?」

 まるで熱湯でも浴びせられたみたいに、ユイの顔が真っ赤になった。
 その反応で、一目瞭然だった。答えを聞くまでもなかった。
 私は右手を伸ばして彼女の脚に触れた。後ろに飛びのいたせいで、セーラー服が乱れている。黒いスカートの裾から、真っ白な太腿が覗いていた。ひざから下は、黒いニーソックスで包まれている。そのニーソックスの上から、脚を撫で上げた。足首から、ひざに向かって。すらっとした脚。いつも、見とれている脚だった。どれほど触れてみたいと思っても、決して許されなかった──。
 ビクッ、とユイの体が震えた。ためこまれた静電気にでも触れたような動き。でも、それだけだった。体を震わせただけで、逃げようとはしなかった。
 このとき、もしも、ユイが逃げていたとしたら。それでも私は自分の欲望を遂げようとしただろうか。ふと、頭のどこかでそんなことを思った。──したかもしれない。いや、多分しただろう。この二年間、胸がつぶれるほど恋焦がれてきたのだ。もう、止められるはずがない。飢えた獣みたいに、私は彼女を欲していた。止められるわけがなかった。
 けれど幸いなことに、ユイは逃げなかった。これは、つまり、私を受け入れてくれたということだ。──そう。私がユイを愛しているように、ユイも私を愛してくれているのだ。私は正しかった。まちがってなかった。まちがっているはずがなかった。

 私の右手は、自分のものとは思えないほどスルリと動いた。ユイのひざから上を撫であげて、太腿の内側に。スカートの中に手が入り、下着の上から彼女の秘部に触れた。
「ぁ……っ」という、糸のような声がユイの口から漏れた。
 ぞくぞくする声だった。その声だけで、私の下着が濡れるのがわかった。
 この部屋には、暖房がない。だから、染み出した液体はすぐに冷たくなってしまう。その冷たさが、尻から背骨を走り抜けて、脳にまで届いた。瞬間的に全身の皮膚が泡立ち、それだけで私は達しそうだった。頭のどこかが、チリチリ焦げるような気がした。焦げるのではなくて、凍結する音だったかもしれない。区別できなかった。私の頭は、すっかりおかしくなっていた。
 どこかから、「やめて」という声が聞こえた。蚊の鳴くような、ちいさな声。となりの家から聞こえたのかと思うぐらい、遠い声だった。ユイが言ったのだと気付くまで、三秒ぐらいかかった。
 見ると、彼女の目から涙があふれていた。いつのまにか、ユイは仰向けに倒れている。その上に、私がおおいかぶさるような姿勢になっていた。どこからどうなって、こうなってしまったのか、まったくわからなかった。でもとにかく、ユイは泣いている。私が泣かせてしまったのだと気付くのに、なお三秒程度の時間が必要だった。

 キン、と耳鳴りがした。すべてのできごとが、遠い世界のことのように思えた。つい数分前まで、私とユイはただの友達だった。けれど、この数分間ですべてが崩れてしまった。もう、もとにはもどれない。もどるつもりもない。それでいい。ユイは、こうなることを望んでいたのだ。私と同じように。そうでなければ、こんなことになるはずがない。
 私は、左手の中指でユイの涙を拭き取った。そして、その指を舐めてみた。塩の味が舌の上に広がり、反対に頭の奥のどこかから甘くて苦いものがあふれてきた。何の味なのか、よくわからなかった。アドレナリンとかエンドルフィンとか、そういうものかもしれない。
 私は唾を飲み込み、深く息を吐いた。その息で、ユイの前髪が揺れた。髪だけじゃない。睫毛まで揺れるのがわかった。
 その睫毛の下で、金色と茶色の混じったような瞳が私を見つめていた。琥珀みたいな瞳。まばたきもせず、私の心の中をすべて見透かすように、ユイは私を凝視していた。その瞳の色から、彼女がおびえているのがはっきり読み取れた。

「だいじょうぶ。怖くないから」
 生まれたばかりの子猫をあやすぐらいの気持ちで、私はユイの髪を撫でた。
 二年間、何度も何度もさわってみようとして、一度もできなかった髪だ。ストレートパーマをかけたような、完全きわまる直毛。鼻を近付けると、リンスの香りに混じってかすかに椿油の匂いがした。意識が遠のきそうな、陶然とするような匂いだった。
 仰向けになったまま、ユイは何ひとつ抵抗しなかった。
 私は左手で彼女のスカートをめくりあげ、右手の中指と薬指でその部分をこすりあげた。ユイの体は敏感に反応して、「あっ」という声が出てきた。押し殺した声。いい声だった。こすった箇所がじわりと濡れそぼって、ぬるっとした液体が指先に付いてきた。
 それでも、ユイは動かなかった。両腕を床の上に広げたまま、何の抵抗もしない。もしも本当にイヤなら、全力で抵抗するはずだ。でも、そうしないということは──。

 もう、私は止まらなかった。かるく下着をどけて、できた隙間から指を差し込んだ。
 入れたのは、右手の中指だ。ぬちゅっという音がして、かんたんに根元まで入った。それこそ、寸分の抵抗もなかった。
「いぁ……っ」という、かすれた声がユイの唇から出てきた。
 真っ白な喉が長く伸びて、打ち上げられた魚のようにヒクヒクしている。その襟元を飾る赤いスカーフも、なにやら小魚みたいに動いていた。
 私の指は、信じられないような熱さに包まれていた。この部屋の寒さとは、あまりにかけ離れた温度。やけどしそうなぐらいだった。入れたその指をかるく折ってみると、くちゃっという音がした。その音といっしょに、ユイの体がビクンと跳ね上がった。
 私は左手で彼女の首をおさえつけ、そして唇にキスした。今度は、もう逃がすつもりはなかった。

       

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